アルザス地域圏

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アルザス
Alsace
アルザスの旗
アルザスの旗
位置
アルザスの位置
概要
首府 ストラスブール
Strasbourg
人口 1,805,023人
(2005年)
面積 8,280km²
13
小郡 75
コミューン {{{コミューン数}}}
ISO 3166-2:FR FR-A

アルザス地域圏(アルザスちいきけん、アルザス語: Elsàssアレマン語: Elsäß、標準ドイツ語: Elsassフランス語: Alsace英語: Alsace)は、フランス中東部にかつて存在した地域圏である。ヴォージュ山脈のある西側の大部分をかつてのロレーヌ地域圏と接し、残りはかつてのフランシュ=コンテ地域圏と接している。東はドイツスイスに接する。地域圏内にはバ=ラン県オー=ラン県二つの県を含む。

アルザスの名前はドイツ語のEll-sassから取られている。地域圏最大の都市であるストラスブール(独:シュトラースブルク)を首府とする。アルザスはかつては神聖ローマ帝国の領地であり、17世紀から20世紀にかけて何度もフランスとドイツを行き来してきた。

概要[編集]

域内面積は日本の兵庫県(約8,394平方キロメートル)と同じぐらい、人口は鹿児島県(約177万人)とほぼ同程度。南北に細長く展開し、北部がバ=ラン県(「ライン川下流」の意味)、南部がオー=ラン県(「ライン川上流」の意味)にそれぞれ分かれる。

住民の大部分はドイツ系アレマン人の一派であるアルザス人(エルザス人)で、人口130万人がドイツ語の方言であるアルザス語を使う。アルザス人は文化の異なるフランスとは同化せず、一方でドイツにあってはツァーベルン事件に代表されるように一等国民として扱われなかったので、住民は独自のアイデンティティを維持している。

王制時代のアルザスは「ブルボン家に仕えるドイツ人」と呼ばれていた。しかし、ユダヤ人も活躍した(#歴史)。

近現代にわたり、ドイツとフランスはかけがえのないアルザスを自国の領土にしようと争ってきた。まず、アルザスではオランダへ続くライン川の水運を利用して古くから工業が盛んに行われている。さらに、アメリカやオーストラリアほどではないにせよ豊富に鉄鉱石や石炭を産出するのである。これらは軍事と経済の両観点から無視できない利点であった。

1870年普仏戦争によりドイツに占領されると、ユダヤ人がパリなどへ移住した[1]

第一次世界大戦の講和によりフランスが取り返した。第二次世界大戦における1940年のフランス降伏に伴い再びドイツに占領されたが、戦後はフランスが再占領し現在に至っている。デグサなどのドイツ系企業施設が立地したこともあり、この間に強引な同化政策が行われた。今や多くの住民はフランス語とアルザス語のバイリンガルとなり、若年層ほどフランス語を多用する。近年になってフランス政府は同化政策を改めたが、フランス語しか話せない若者も少なくなく、今後の教育方針をめぐる議論は続いている。ヨーロッパ有数の経済地域であるドイツ・ライン川中流域との結びつきを深めており、生活水準はフランスの中でも高い方に属する。

アルベルト・シュヴァイツァーがドイツ帝国領当時のアルザスの出身である。

行政区画[編集]

上:バ=ラン県、
下:オー=ラン県
名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
バ=ラン県
Bas-Rhin
1,063,000 ストラスブール
Strasbourg
オー=ラン県
Haut-Rhin
731,000 コルマール
Colmar

行政と市町村[編集]

アルザスの伝統的な衣装

歴史[編集]

  • 1338年 - ストラスブールが在住のユダヤ人に対し次の義務を負わせた。まず毎年1000ポンドを向こう5年間払うこと。また、国王に銀貨60マルク、司祭に12マルクを支払うこと。[2]
  • 16世紀初頭 - ユダヤ人が西欧中から追放されて、神聖ローマで残ったユダヤ人の村が主にアルザスに限られた[3]
  • 1648年 - 三十年戦争の結果、神聖ローマ帝国(ドイツ)からフランスに割譲される。
  • 1671年 - ルイ14世が特にアルザスのユダヤ人を保護する。
  • 1746年 - アルザスのユダヤ人が組織化を許される。以来、ユダヤ人の世帯数が増加した。
  • 1784年 - ルイ16世が行わせた調査によると、19,624人のユダヤ人が地域内181の村に分散居住していた[4]
  • 1870年 - 普仏戦争において、フランス敗北により隣接するロレーヌと併せてドイツに占領される。
  • 1894年 - ドレフュス事件
  • 1919年 - ヴェルサイユ条約によりフランスが占領する。
  • 1940年 - 第二次世界大戦のフランス降伏により再びドイツに占領される。
  • 1945年 - ドイツの降伏によりフランスに再度占領。以後フランス領土として現在に至る。

文化[編集]

アルザス地方の農家(リトルワールド・愛知県犬山市)

フランス文化を濃厚に受けたルクセンブルクやドイツ西部のザールラント州コブレンツ以西のラインラント=プファルツ州トリーアアーヘンを含む)と比較すると、アルザス地方は古来のドイツ文化的要素が濃厚に残している特徴がある。

その家屋の形を見ると、ドイツと同様の木骨造(木骨組み、漆喰固め; Fachwerk(haus)(独))のものが多い。

また食文化においても、シュークルートザウアークラウト(Sauerkraut))やベッコフ(Bäckeoffe)が名物であるほか、ワインではゲヴュルツトラミナー(Gewürztraminer)をはじめとして、赤よりも白が多く製造されているなどドイツ的である。

宗教面でも、フランス全土はカトリックが圧倒的に多い(約90%)のに対してアルザス地方はプロテスタントの信者も多く、ストラスブール市内には両派の教会や関連施設が多数存在する。

経済[編集]

2002年の域内GDPは443億ユーロ(約5兆円、鹿児島県と同程度)、一人当たりGDPは24,804ユーロ(約390万円)にのぼる。一人当たりGDPはフランス国内の22地域圏中イル・ド・フランスに次いで第2位に達し、労働者の68%がサービス業に、25%が工業に従事している。現在、アルザスはフランスで最も工業化された地域圏となっている。

参考文献[編集]

  • 渡辺和行「アルザスとエルザス ナシオンとフォルクのはざまで」、香川大学法学会『香川法学』第16巻 第3・4号 No.52 1997年3月 ISSN 0286-9705 吉川弘人教授退官記念号 p1〜p48
  • 渡辺和行「ナチ占領下のアルザス」、香川大学法学会『香川法学』第14巻 第3・4号 No.45 1995年1月 ISSN 0286-9705 高野真澄教授・守屋正通教授退官記念号 p149〜p194
  • 市村卓彦「アルザス文化史」、人文書院 2002年3月 ISBN 9784409510506
  • ロレーヌ(宇京頼三訳)『フランスのなかのドイツ人―アルザス・ロレーヌにおけるナチスのフランス壊滅作戦』、未来社 1989年2月 ISBN 9784624111120
  • リグロ(宇京頼三訳)『戦時下のアルザス=ロレーヌ(文庫クセジュ819)』、白水社 1999年9月 ISBN 9784560058190
  • フィリップス(宇京頼三訳)『アルザスの言語戦争』、白水社 2010年5月 ISBN 9784560080771

脚注[編集]

  1. ^ Frédéric Hoffet, Psycoanalyse de L'Alsace, Colmar o.J. P. 40.
  2. ^ Monumenta Judaica, Handbuch (Republished), Köln, 1964, p. 212.
  3. ^ H. H. Ben-Sasson, Geschichte des jüdischen Volkes, vol. 2. p. 250.
  4. ^ Jean Claude Streicher, Georges Fischer, Pierre Bleze, Histoire des Alsaciens, De 1789 à nos jours, p. 229.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯48度30分 東経7度30分 / 北緯48.500度 東経7.500度 / 48.500; 7.500