都城駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ZéroBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月7日 (月) 04:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: ko:미야코노조 역)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

都城駅
駅舎(2005年3月)
みやこのじょう
Miyakonojō
所在地 宮崎県都城市栄町4553
北緯31度44分11.14秒 東経131度04分28.70秒 / 北緯31.7364278度 東経131.0746389度 / 31.7364278; 131.0746389
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
電報略号 ヤコ
駅構造 地上駅
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度-
1,127人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1913年大正2年)10月8日
乗入路線 2 路線
所属路線 日豊本線
キロ程 389.9 km(小倉起点)
三股 (4.3 km)
(2.5 km) 西都城
所属路線 吉都線
キロ程 61.6 km(吉松起点)
日向庄内 (4.1 km)
備考 直営駅
みどりの窓口
テンプレートを表示

都城駅(みやこのじょうえき)は、宮崎県都城市栄町にある、九州旅客鉄道(JR九州)のである。

本稿では、駅周辺にある日本貨物鉄道(JR貨物)の施設である都城オフレールステーションについても記述する。

概要

宮崎県南部の主要都市である都城市の代表駅で、全列車が停車する。日豊本線所属線とし[1]、当駅が終点である吉都線を加えた2路線が乗り入れている。特急「きりしま」のうち下り1本が当駅終着で運行されるほか、日豊本線の普通列車のうち、主に鹿児島中央駅方面からの一部列車が当駅折り返しで運行されている。

なお都城市の中心部には隣の西都城駅の方が近く、宮崎駅方面からの普通列車も大半が西都城駅折り返しとなっている。

駅構造

駅舎に接する単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線および複数の留置線の設備を有する地上駅で、夜間滞泊もある。駅舎に接する単式ホームが1番のりば、島式ホームが2番乗り場(3番線)、3番のりば(4番線)と4番のりば(5番線)、5番のりば(6番線)となっている。1番線の隣にはかつての貨物ホーム、1番線と3番線の間の中線(2番線)は撤去されており往年の繁栄を偲ばせる。各ホームは地下道で連絡しているが天井は非常に低い。以前は2・3番のりばホーム上にキオスクと軽食屋が存在し、駅弁も販売されていたが撤退した。

のりば
1 - 3 日豊本線 (上り) 南宮崎宮崎方面
(下り) 国分隼人鹿児島中央方面
4 - 5 吉都線 小林えびの吉松方面

駅舎は鉄筋コンクリート造りの2階建てで1975年(昭和50年)3月に完成したものである。かつては旅行センターも存在したが廃止され跡地は駅長室になっている。直営駅で、駅舎内部にはみどりの窓口自動券売機が設置されている。現在は駅長と一般社員のみ勤務で、助役の配置はない。

都城オフレールステーション

都城オフレールステーション(略称、都城ORS)は、駅の北側にあるJR貨物のコンテナ集配基地である。コンテナ貨物(12フィートコンテナ)のみを取り扱っており、貨物列車代替のトラック便が1日5.5往復(当駅発が6本)、鹿児島貨物ターミナル駅との間に設定されている。

1986年(昭和61年)11月に駅での貨物取扱が廃止され、代替として都城コンテナセンターが設置された。その後2006年(平成18年)4月に都城オフレールステーションに改称した。駅で貨物の取扱を行っていたころは、日本たばこ産業都城工場(2005年3月閉鎖)などへの専用線が駅から分岐していた。

駅弁

せとやま弁当[1]が販売している。主な駅弁は下記の通り[2]

利用状況

  • 2009年度の1日平均乗車人員は1,127人である。
乗車人員推移
年度 1日平均人数
2002 1,355
2004 1,214
2005 1,215
2006 1,202
2007 1,205
2009 1,127

駅周辺

駅前にはホテルや大規模な商店などもある。都城市街地は西都城駅が最寄り駅。

バス路線

歴史

都城の町に最初にできた駅が当駅である。当時九州の南側にのびる唯一の鉄道であった鹿児島本線(現在は肥薩線)の吉松駅から、宮崎方面に向かう宮崎線の終着駅として1913年(大正2年)に開業した。1914年(大正3年)に宮崎線は三股駅まで延伸し、1916年(大正5年)に青井岳駅清武駅の間の開通を以って吉松駅から当駅を経て宮崎駅まで線路がつながった。

1923年(大正12年)に小倉駅から都城駅を経て吉松駅までが日豊本線とされた。当時は、都城と鹿児島方面は吉松回りで結ばれていたが、財部経由で短絡しようという気運が高まった。そして、1932年(昭和7年)に都城と隼人を直結する路線が全通した。このことを受けて同じ日に小倉駅から当駅、西都城駅、隼人駅を経て鹿児島駅までが日豊本線となり、当駅から小林駅を経て吉松駅を結ぶ路線は吉都線として分離された。なお志布志線は、当駅からではなく西都城駅からの路線に変更されている。

年表

隣の駅

九州旅客鉄道
日豊本線
  • 特急「きりしま」停車駅(下り1本のみ当駅終着)
普通
三股駅 - 都城駅 - 西都城駅
吉都線
日向庄内駅 - 都城駅

脚注

  1. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ 社団法人九州鉄道営業会

関連項目

外部リンク