西村博之
にしむら ひろゆき 西村 博之 | |
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2005年・札幌で講演する西村博之 | |
生誕 |
1976年11月16日(47歳) 日本、神奈川県相模原市 |
別名 | ひろゆき |
出身校 | 中央大学文学部教育学科卒業 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1998年 - |
著名な実績 | 電子掲示板サイト『2ちゃんねる』 (2ch.net) の開設 |
肩書き |
東京プラス代表取締役 未来検索ブラジル取締役 ティーケイテクノロジー取締役 『2ちゃんねる』 (2ch.sc) 管理人 『4chan』管理人 ニワンゴ元取締役 『2ちゃんねる』 (2ch.net) 元管理人、開設者 |
配偶者 | 有(2014年 - ) |
公式サイト |
ひろゆき日記@オープンSNS。 2ちゃんねる (2ch.sc) |
西村 博之(にしむら ひろゆき、1976年11月16日 - )は、日本の実業家。電子掲示板サイト『2ちゃんねる』 (2ch.net) の開設者かつ初代管理人であり、2014年4月に自ら開設した電子掲示板サイト『2ちゃんねる』 (2ch.sc) の管理人である。また、アメリカの巨大匿名掲示板『4chan』の管理人[1]。東京プラス(東京都北区)の代表取締役、未来検索ブラジルおよびティーケイテクノロジー(札幌市北区)の取締役を務めるほか、2005年11月14日から2013年2月までニワンゴの取締役も務めていた。インターネット上では主にひろゆきとして知られ、2ちゃんねるの総合案内で永遠の19歳と自称していたこともある[2]。身長177cm[要出典]。
便宜上、西村が1999年に設立した『2ちゃんねる』を「2ch.net」、2014年に開設した『2ちゃんねる』を「2ch.sc」と表記する。
来歴
生い立ち
1976年11月16日、国税局職員の長男として神奈川県相模原市中央区で生まれる。その後東京都練馬区田柄、東京都北区赤羽に移る。1995年3月、東京都立北園高等学校卒業。高校では物理学専攻を志望していたが、代数の教師と相性が悪く、単位を落として理系進学を断念[3]。高校卒業時の成績は、下から10番以内だったという[4]。1996年4月、中央大学文学部教育学科心理学コース入学。大学在学中に、原付バイクで交通事故に遭い、その慰謝料で[5]1998年夏には米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学(University of Central Arkansas)へ1年間留学した[6]。
1990年代
1998年1月(2月6日説もある)、大学在学中に「Hirox's room」を開設。3月には大学の友人と合資会社東京アクセスを設立した。 6月6日、「Hirox's room」から、「実録!交通違反をもみ消して罰金を払わない方法」(別名:「交通違反の揉み消し方」)にサイト名を変更。
1999年5月、米国留学中に『2ちゃんねる』を開設[8][注 1]。7月22日、2ch.netを取得[9]。
2000年代
2002年9月、東京プラス株式会社(東京都北区)を設立すると共に代表取締役に就任。
2003年4月、プログラマーの竹中直純らと共に未来検索ブラジルを設立し、取締役に就任。 同年6月には、西村が代表を務める東京プラスがガーラとの間でガーラのネット情報クリッピングサービスにおける2ch.netおよびまちBBSの掲載情報の独占利用許諾契約を締結[10]。
2008年7月、ティーケイテクノロジー(札幌市)の取締役に就任。2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった[12]。
2009年1月2日、2ch.netをシンガポールのPACKET MONSTER INC.(以下「パケット社」)に譲渡し、2ch.netの管理人からも退いた、と主張した[13][14]。
同年4月には、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた。同誌では「日本の典型的エグゼクティブ(管理職)へのアンチテーゼ(反定立)」と評した。また、同年にNAVER JAPAN(現LINE社)のアドバイザリーボードに参加している。
2010年代
2012年12月20日、2ch.net上の違法な情報を放置したとして、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助の疑いで警視庁によって書類送検された[15][16]。また、警視庁はパケット社をペーパーカンパニーと認識していると報じられた[15]。
2013年1月、西村個人の名義で「2ちゃんねる」の商標を出願した[17]。 2月18日、一身上の都合によりニワンゴの取締役を辞任[18]。
3月19日、東京地方検察庁は西村を不起訴処分としたが、不起訴理由を開示していない。理由について日本経済新聞は、容疑事実を西村が把握していたことを示す証拠が無いことおよび2011年11月の家宅捜索後に違法な書き込みを削除したこと、朝日新聞は違法な書き込みを放置していた容疑はあるが教唆する書き込みは少なく悪質性が小さいことを夫々挙げている[19][20]。
5月26日、西村が取締役を務めるティーケーテクノロジーが、2ちゃんねるビューアのサポート受付業務を取得[21]。 8月24日、東京国税局の税務調査で西村がパケット社より受け取った収入の内約1億円の申告漏れを指摘され、追徴税額として約3,000万円を納付したと報じられた[22][23]。
2014年2月19日、2ちゃんねる個人情報流出事件(2013年8月)によって2ちゃんねるビューアによる収入が停止して以降、2ch.netを運営するために必要な収入を獲得できなかったことを理由として、2ch.netのサーバーを運営するN.T.Technology(代表:ジム・ワトキンス)によって2ch.netの運営より解任された[24][25]。 3月27日、西村個人名義で「2ch」の商標を出願[17]。 4月1日、従前の主張を翻す形で西村は「2ch.netがN.T.Technologyに乗っ取られた状態にあり、2ch.netの諸権利は西村ないしパケット社に帰属する」とコメントした。なお、これに対して「2ch.net」のドメインを所有するRacequeen inc.(代表:ジム・ワトキンス)は2ch.netの諸権利はRacequeen inc.が有すると反論している[26][27][28]。
4月11日、掲示板サイト『2ちゃんねる』 (2ch.sc) を開設し管理人に就任。なお、2ch.scについては2ch.netのデータをコピーしたサイトと評されている[28][29]。 4月20日、前日19日に入籍したと発表[30]。
2015年9月21日、英語圏最大の匿名掲示板4chanの管理人になることを発表[31]。
人物像
小学校の卒業文集では「クラスが選ぶ明るい人第1位」に選ばれた[32]。高校時代には、万引きや自転車のサドルの窃盗を行い、マジックマッシュルームを摂取したことがある他、泥酔して警察に連行され説諭されたので派出所でウイスキーをばら撒いたことがあると語っている[33]。大学では「文化連盟犯罪科学研究会」に所属するが、会計を担当した際、帳簿をつけない等のずさんな事務を問われ退会した。
うまい棒(めんたい味)とルートビアが好物とされ、うまい棒に至っては2ちゃんねるのサーバ名(cheeze、mentai、pizza、natto、cocoaなど)にもなっていた。また、2001年に開設されていたうまい棒の公式サイトでの投票結果から、パッケージデザインのみではあるが「西村博之専用うまい棒」が製造された[34][35]。
各種の講演で講師を務めることも多く、2006年11月4日には早稲田大学[36]、2007年11月25日には東京大学駒場キャンパスなど。またインターネットを通じた公開討論などでもパネリストや司会も務めている。政財界では河野太郎や麻生巌などが西村と対談している[37]。
発言
- 「うそはうそであると見抜ける人でないと難しい」(2000年5月9日)
- 西鉄バスジャック事件の際、2ch.netの管理者(当時)としてテレビ朝日「ニュースステーション」のインタビューを受けた際の発言。
- 「掲示板では匿名が前提であり、嘘や誹謗中傷が書かれることもある」とした上で、「情報の取捨選択能力がないと掲示板を使うのは難しい」という意であった。
- インタビュー映像のテロップでは「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と注釈を加えられて表示された。
- 「明日できることは今日やるな」(2006年)
- 「大量の仕事をさばいていく以上、効率的に時間を使って行くべき」と語っている[38]。
- 「2ちゃんねるの運営には飽きた」(2009年)
訴訟
西村は、多数の民事訴訟と多額の賠償債務を抱えている。最初のうちは裁判に対応していたが、2003年7月、自身発行のメールマガジンの記載にもとづき起こされた[40]、DHCによる名誉毀損裁判[41]で、敗訴[42]するなどし、途中から被告としての主義主張を展開せず、法廷徹底無視の姿勢を貫くようになった [注 2]。それにより、原告の主張がほぼ認められる欠席裁判となり、その多くで管理責任を問われる判決を受けている(=敗訴)。
毎日新聞の記事によると2006年12月時点で賠償額は総額4000~5000万円ほど。ただし、西村の年収は1億円以上あり[44]、支払能力の有無に関わらず払う気はなく[45]時効まで放置するつもりであると見られている[注 3]。また自身で「時効成立の頃には飽きて別の事をやってるかも」と語っている[47]。板倉宏・日本大学大学院教授によると、裁判所の強制執行があれば賠償金は回収できるが[48]、被告の資産を調べるのは原告がしなければならない。訴訟を担当して西村の資産を回収しようとした弁護士は「(西村の自宅マンションにあったのは)生活必需品ばかりで差し押さえができなかった」「収入が入る金融機関の口座を突き止めることができなかった」ことを明かしている[49]。
2007年1月29日、元2ch.net副管理人の「切込隊長」こと山本一郎が起こした、西村に対する名誉毀損裁判に出廷した。西村は「基本的には出ない(注:「出廷しない」の意)のですが、今回は知り合いなので、面白いかなと思ったんです。原告がどんな顔をしてくるのか知りたかったんです」とコメントしている[50]。ちなみに口頭弁論は2007年9月までに5回行われ、そのなかで山本が西村に対し「ハゲ」と投稿したことについて西村が言及した。2008年2月、西村の敗訴に終わる。過去ログ削除と80万円の支払い命令(請求200万円)。2007年2月、西村自身と西村が経営する会社に課された税金(所得税と法人税)の一部が滞納され続けていることを受け、東京国税局査察部が調査を開始したと夕刊フジが報じる[51]。翌3月には読売新聞で“債務4億円、50件以上民事で提訴され43件で敗訴確定”と報じられた[52]。また、3月20日には賠償金の債務が約5億円に上ると報道され、質問を受けた報道陣に対し「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」、「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と、支払いの意思がないことを明らかにした[53]。
2010年1月、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(ISBN 978-4104715213)の印税が新潮社から西村に支払われていることに着目し、印税を差し押さえることで初めて損害賠償金が回収される[54][55]。
出演
テレビ番組
- ニュースステーション(2000年5月9日、テレビ朝日)
- 日本の、これから(2006年12月9日、NHK総合)
- 博士の異常な鼎談(2009年10月29日・11月5日、TOKYO MX)
- デキビジ(2010年5月2日・9月26日・10月24日、BSジャパン)
- ビートたけしのTVタックル(2015年6月22日、テレビ朝日)
WEB番組
- 「日本アニメ(ーター)見本市」勝手に鑑賞会第二回 (2015年2月24日、ニコニコ生放送) 出演:岡田斗司夫(MC)、堀江貴文、ひろゆき
ラジオ
CM
- ドワンゴイロメロミックス(2005年) - 声のみの出演
雑誌
著書
- 『元祖しゃちょう日記』講談社、2004年10月。ISBN 406212646X。
- 『2ちゃんねるで学ぶ著作権』、共著:牧野和夫、アスキー、2006年7月、ISBN 4756147704。
- 『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』扶桑社新書、2007年6月。ISBN 4594053882。
- 『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』扶桑社新書、2009年5月。ISBN 9784594059521。
- 『ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」』、共著:堀江貴文、集英社、2009年9月、ISBN 9784087805338。
- 『そこまで言うか!』、共著:堀江貴文・勝間和代、青志社、2010年9月、ISBN 9784905042006。
- 『オンナは苦手。』、共著:田母神俊雄、李白社、2010年11月、ISBN 9784894519268。
- 『ソーシャルメディア絶対安全マニュアル トラブルにまきこまれないFacebook、Twitter、LINEの使い方』インプレス、2013年9月6日。ISBN 9784844334538。
- その他、2ちゃんねるに匿名で投稿された文章を元に編集された多くの書籍(例として「電車男」)は、2ちゃんねるの代表者である西村が、著作者権を投稿規定に基づいて行使する形で出版されている。ただしこれには異論もあり、投稿者が投稿した当時には投稿規定が表示されなかったり、あるいは当時には投稿規定の文言が現在表示されるものと異なるため、一部の投稿については投稿規定の効力に疑問があるとする意見もある。もっともこの場合、「電車男」のログの出版・ならびにそれを元に創作された映画・ドラマ・漫画など副次的創作物が利益を出した場合、還元すべき対象はどこの誰なのか、またスレッドに書き込みをしたと自称する人物たちが名乗りをあげた場合に、どうやってそれらを真実であると証明するのか、といった多くの問題が背後に控えている。西村自身は電車男の二次著作権料は受け取っておらず、新潟県中越地震災害義捐(ぎえん)金として送金したとしている[56]。
歌
すべてネット上でフリーダウンロードシングルとして発表されたほか、2001年7月に開催されたイベント「2ちゃんねる祭り@2周年記念」で発売された『2ちゃんねるソング集』には「激走爆走チーム2ちゃんねる」~「アメニモマケテ」までの5曲が、2002年8月に発売された書籍『2ちゃんねる公式ガイド2002』の付録CD-ROMの音声トラックには「モナ~らぶ」と「4649!」の2曲が収録された。
- 激走爆走チーム2ちゃんねる(2000年12月25日)
- モナ~らぶ(2001年3月11日)
- おいら(2001年5月11日)
- やる気なし!(2001年7月7日)
- アメニモマケテ(2001年7月14日)
- 89337564!(2001年10月20日)
- 4649!(2001年11月5日)
参考文献
- 井上トシユキと神宮前.org『2ちゃんねる宣言 挑発するメディア』文藝春秋、2001年12月。ISBN 4163580506。
- 『別冊宝島1661インターネット「タブー」地帯2009』宝島社、2009年10月。ISBN 4796674535。
脚注
注釈
出典
- ^ “ひろゆき氏、米匿名掲示板「4chan」を買収し、管理人に”. ITmedia. (2015年9月22日) 2015年10月21日閲覧。
- ^ 西村博之(ひろゆき) 2ちゃんねる管理人 好きが高じてわらしべ社長 2006.12 月刊チャージャーVol.18 PROFILE欄(2012年3月29日閲覧)
- ^ 西村(2009) p.212
- ^ 西村(2009) p.212-213
- ^ 西村(2009) p.240
- ^ 動画「英語公用語 ひろゆき 鳥飼玖美子」 での対談、7:30より、西村「もともと一年間アーカンソー州に住んでて、ほんで日本に帰って来て、日本で暮らしてる」
- ^ インターネット協会(監修) 『インターネット白書2001』 インプレス 2001年7月1日 pp.204-205
- ^ 「「2ちゃんねる」ができたのは1999年の5月30日とする説と、同年5月16日とする説がある。開設者である私も日にちは覚えていないのだが、1999年の5月、アーカンソー州の片田舎の大学の中で「2ちゃんねる」のスクリプトが作られ、「2ちゃんねる」として公開されたことは確かである。」[7]
- ^ Whoisでの"Creation Date: 1999-07-22 08:39:48"
- ^ “ガーラ、「2ちゃんねる」情報の商用利用許諾を取得”. ITmedia. (2003年6月17日) 2014年4月30日閲覧。
- ^ “ドワンゴ、新会社“ニワンゴ”設立を発表”. KADOKAWA(アスキー). (2005年11月14日) 2014年5月6日閲覧。
- ^ “mF247、ひろゆき氏が運営へ”. ITmedia. (2008年10月2日) 2014年5月6日閲覧。
- ^ “『2ちゃんねる』捜査に国家賠償請求訴訟 未来検索ブラジルの訴状・コメント全文掲載”. ガジェット通信 (東京産業新聞社). (2013年2月20日) 2014年4月28日閲覧。
- ^ 「2ちゃんねる運営 海外の実態把握へ」朝日新聞、2012年5月18日、2014年4月28日閲覧
- ^ a b 朝日新聞2012年12月21日朝刊1面「2ちゃんねる創設者 書類送検」
- ^ “2ちゃんねる創設者を書類送検 麻薬特例法違反の疑い”. 朝日新聞. (2012年12月20日) 2014年3月11日閲覧。※現在は冒頭(一般閲覧可能)部分のみインターネットアーカイブに残存
- ^ a b “「2ch」商標をひろゆき氏が出願”. ITmedia. (2014年4月24日) 2014年4月25日閲覧。
- ^ 子会社の取締役辞任に関するお知らせ (PDF) ドワンゴプレスリリース 2013年2月18日、2014年4月25日閲覧
- ^ “2ちゃんねる元管理人を不起訴 東京地検、違法書き込み放置で”. 日本経済新聞. (2013年3月19日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ 「2ちゃんねる創設者 不起訴」朝日新聞、2013年3月20日、2014年4月28日閲覧
- ^ "2ちゃんねるビューア 日本におけるサポート受付 変更のご案内" (Press release). N.T.Technology. 25 May 2013. 2014年4月26日閲覧。
- ^ 「元管理人 申告漏れ」朝日新聞、2013年8月24日、2014年4月28日閲覧
- ^ 申告漏れ:2ちゃんねる元管理人が1億円 広告収入の一部、譲渡後も関与裏付け 毎日新聞2013年8月24日
- ^ “「サーバーを確保しました」「2ちゃんねる」に何が起きたのか 運営費がひっ迫?”. ITmedia. (2014年2月19日) 2014年4月30日閲覧。
- ^ “「2ちゃんねる」に何が起きたのか 運営費がひっ迫?”. ITmedia. (2014年2月19日) 2014年4月25日閲覧。
- ^ “昨今の2ちゃんねるの現状に関して。”. 2ch.sc. (2014年4月1日) 2014年4月28日閲覧。
- ^ “2ちゃんねるトップページ”. 2ちゃんねる(2ch.net). 2014年4月28日閲覧。
- ^ a b “警察、国税動く!2ちゃんねるに国家権力介入へ”. 東京スポーツ. (2014年4月16日) 2014年4月28日閲覧。
- ^ “ひろゆき氏の「2ch.sc」公開される”. ITmedia. (2014年4月12日) 2014年4月25日閲覧。
- ^ “「2ちゃんねる」の開設者・西村博之氏「入籍いたしました」”. インフォシーク. (2014年4月20日). オリジナルの2014年4月26日時点におけるアーカイブ。 2014年4月25日閲覧。
- ^ ひろゆき、英語圏巨大匿名掲示板4chan管理人になる。「ひろゆきのもと4chanで何が起こるのか早く見たくてしょうがない」と前管理人mootさん | ガジェット通信
- ^ 西村(2009) p.242
- ^ 西村(2009) p.237-238
- ^ 西村博之専用うまい棒のパッケージ画像(2009年4月24日閲覧、下記サイトより)
- ^ うまい棒同盟(2014年7月07日閲覧)
- ^ “失踪”ひろゆきキター!!2ch管理人が早大で講演会(2006.11 産経新聞 IZA!)
- ^ Be Taro Kono ~河野太郎 vsひろゆき@2ちゃんねる管理人(1)~(2006.8掲載(こまめな歯ぎしり)、2006.7.30実施)等
- ^ 「明日できることは今日やるな」2ちゃんねる管理人・西村博之さん(2006.7 ITmedia)
- ^ 別冊宝島1661 西村博之インタビューより
- ^ DHCが2ch管理人・西村氏に「1億円」勝訴 | 2ch対策
- ^ 2ちゃんねる VS DHC~ 6億円訴訟 裁判潜入! ~ #探偵ファイル/探偵魂
- ^ 東京地判平成15年7月17日 2ちゃんねる・DHC事件
- ^ 2ちゃんねる逝ってヨシ?~管理人雲隠れの真相・2~ 4.被害者より広告主を重視 - ZAKZAK(2006年11月11日)
- ^ 連載「ネット君臨」第1部・失われていくもの/1(その2)(毎日新聞 朝刊 2007.1.1、ウェブアーカイブ)
- ^ 某雑誌の質問に答えてみるの巻。 : ひろゆき@オープンSNS(2006.10 西村)
- ^ ひろゆき氏インタビュー@日比谷公園 - #探偵ファイル/探偵魂 (2003年) 2014年7月確認
- ^ 朝日新聞社出版本部「AERA」2004年7月19日号の2ちゃんねる特集にて発言
- ^ 賠償金逃れは不可能…日大大学院教授が指摘(2006.10 サンケイスポーツ) [リンク切れ]
- ^ 「無能野郎」「氏ね」中傷氾濫…2ちゃん本印税差し押さえは有効か 産経新聞2010年5月4日(ウェブアーカイブ)
- ^ 2ちゃんねる訴訟に、ひろゆき氏が出廷 29日 - OhmyNews(2007.1 オーマイニュース 渋井哲也 ウェブアーカイブ)
- ^ 2ちゃんねる、マルサ動く・・・国税局職員の父親を直撃 (2007.2 夕刊フジ ZAKZAK)
- ^ 2ちゃんねる管理者、敗訴43件も制裁金4億円不払い (2007.3 読売新聞)
- ^ 2ちゃんねる賠償金「死刑なら払う」…管理人・西村氏(2007.3 読売新聞社 ウェブアーカイブ)
- ^ 「2ちゃんねる」に対する損害賠償金を回収! - 新潟合同法律事務所 齋藤裕 2010年2月19日閲覧
- ^ 2ちゃんねるから「賠償金」 回収成功は極めて珍しいケース - 2010.2J-CASTニュース2010年2月19日閲覧
- ^ 「某雑誌の質問に答えてみるの巻。」 ひろゆき日記@オープンSNS、2006年10月4日。
関連項目
- 2ちゃんねる (2ch.sc)
- 2ちゃんねる (2ch.net)
- したらば掲示板
- 中尾嘉宏(通称:夜勤)
外部リンク
- ひろゆき日記@オープンSNS。
- 西村博之 (@hiroyuki_ni) - X(旧Twitter)
- 元祖しゃちょう日記 - 旧ブログ。2006年まで。
- 実録!交通違反をもみ消して罰金を払わない方法 - 現在は閉鎖。Internet Archiveでログを閲覧できる。
- Artist & Recording, Tokyo - 西村の歌声が聴ける。(「ひろゆき」と表示されている曲が該当、2000 - 2002年、Muzie)
- 東京プラス社長 西村博之氏インタビュー - 田中良和との対談。(2006年、GREEキャリア、Internet Archiveによるアーカイブ)