松屋 (百貨店)

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株式会社松屋
MATSUYA CO.,LTD.
松屋銀座
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
104-8130
東京都中央区銀座三丁目6番1号
設立 1919年3月1日
業種 小売業
法人番号 1010001034945 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店
代表者 代表取締役社長 秋田正紀
資本金 71億32百万円
売上高 単体603億円、連結713億円
(2012年2月期)
純資産 単体109億円、連結127億円
(2012年2月)
総資産 単体397億円、連結432億円
(2012年2月)
従業員数 単体569人、連結904人
(2012年2月)
支店舗数 2店舗(銀座・浅草)
決算期 2月末
主要株主 松屋取引先持株会 6.11%
株式会社オンワードホールディングス 5.24%
株式会社みずほ銀行 4.66%
株式会社三菱東京UFJ銀行 4.66%
東武鉄道株式会社 4.52%
(2012年2月末現在)
主要子会社 #主な関連会社の項を参照
関係する人物 古屋徳兵衛(創業者)
山中鏆
外部リンク http://www.matsuya.com/
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株式会社 松屋(まつや、: MATSUYA CO.,LTD.)は、東京都中央区銀座三丁目に本店、台東区花川戸一丁目に浅草店を置く百貨店

銀座の本店は、銀座地区の百貨店において人気・売上ともに銀座三越と首位の座を争う間柄である。

概要

1869年に横浜で創業された呉服店、「鶴屋」の流れを汲む百貨店。創業以降、拡大路線をひた走るが、1970年代のオイルショックを境に経営難に陥り、銀座店と浅草店の2店舗体制になる。経営再建には東武百貨店伊勢丹が関わった。仕入れ関係は、松屋と伊勢丹主導で結成した全日本デパートメントストアーズ開発機構(ADO)に加盟し現在に至る。

高級ブランド、ラグジュアリーファッションアクセサリー、豪華な内・外装で女性からの支持率が高く、銀座を代表する百貨店である。

なお、飲食チェーン店を展開する松屋フーズとは無関係である。

伊勢丹との提携

伊勢丹(現・三越伊勢丹)とは1971年の「業務提携に関する覚書」、「商品券の相互利用に関する契約書」の締結や、1973年のADOの設立などで幅広い提携強化を図ってきた。2002年11月にはさらなる提携強化を目指して伊勢丹の株式を買い増し、副社長も同社から迎えた[1]。しかし、2007年に三越と伊勢丹の経営統合が発表されると、両社間にすきま風が吹き始める。伊勢丹が統合する三越の銀座店は、松屋の競合相手であるのがその理由である。2007年秋のADO会議において、ADOの総合幹事店である松屋は欠席した。

2015年現在、三越伊勢丹ホールディングスが所有・運営する企業で、松屋の筆頭株主は存在しない。

沿革

店舗

銀座本店

開店当時の銀座店
  • 1925年大正14年)5月1日に開店。翌年に本店となり、今に続く。地下1階、地上8階の豪華な建造物であったが、太平洋戦争終結後は、連合軍PXとして接収されていた。昭和20年代後半に接収が解除された後は、改装により豪華絢爛であった内外装は廃された。
  • 開店当初は贅を尽くした内装で耳目を集め、圧巻は正面玄関入ってすぐの中央ホールであった。天井のステンドグラスローザリーの華やかなもので、ホールの内側の柱はモザイク模様を取り付け、1階のホールの四方はサラセン風の漆喰模様で飾られていた。7階のホール周りはサラセン風の柱廊となっていた。現在エスカレータ脇の鉄板が張られている吹き抜けは、当時、地上7階まで吹き抜けであった中央ホールの名残でありファッションショーも開催されていた。1964年(昭和39年)、東京オリンピックの開催に合わせて大改装を行い、現在の形となる。2006年(平成18年)には更なる改装を加え、LED照明を使用した現在の外装は4代目となる。度重なる改装により、建築当時の面影は皆無に等しいがビルの裏手へ回ると幾つかの窓が見受けられる。竣工当時のエレベーターオーチス製。当初は客用正面に6台、ホール周りに2台、他に社員用、荷物用、料理用などがあったが、客用は後の店舗改装時に撤去され、三菱製に変更された。さらに1987年に現在の形に更新され、2015年7月現在、1987年更新のエレベーターを再更新している。2015年時点でも業務用の一部はオーチス製が現存しており裏の通用口からは自動化改造されながらも木扉のオーチス製のエレベーターが確認できたが、2014年にこちらもオーチスによって更新され、かつての跡はほとんど残っていない。
  • 店舗面積32,182m²
松屋銀座 フロアガイド
RF ゴルフテラス・ソラトニワGINZA
8F 大催場、レストラン
7F リビング、美術、呉服
6F 婦人服、子供、スポーツ、メガネサロン
5F 紳士服
4F 婦人服、宝飾・時計
3F 婦人服、婦人用品、婦人靴
2F 婦人服、インターナショナルブティック、ハンドバッグ
1F 婦人服飾雑貨、化粧品
B1F 食品、GINZAフードステージ
B2F 生鮮食品、GINZAフードステージ

浅草店

隅田川越しに見る開店当時の松屋浅草支店(1931年)
改装前の松屋浅草支店(2007年)
アール・デコ調の外観を復活させた松屋浅草店(2012年)
  • 1931年11月1日東武鉄道浅草雷門駅(現:浅草駅)開業に際して、駅ビルテナントとして「松屋浅草支店」の名で開店した。建物は久野節の設計による昭和初期を代表するアール・デコ調の建造物で、駅と店舗が一体化した構造であった。開店と同時に7階と屋上には「スポーツランド」もオープンした。これは遠藤嘉一の創案の自動機械を並べた施設で、今日のゲームセンターの嚆矢というべきものであった[2]。後に改装されることになるが、外壁が外装材で覆われて以降の松屋屋上にあった店の広告塔は、建築当時の塔屋の名残りであった。また、浅草店出店の経緯から東武鉄道が松屋に出資していることもあり、駅のホームや階段などにも建築当時の面影を見つけることができる。
  • 1974年、改装されて外壁は白い外装材で覆われたが、北面の壁は覆われずに建築当時そのままの姿が残された。
  • 2010年、長引く消費低迷のため同年5月31日をもって浅草店の営業を大幅に絞り込んだ。地上7階から地下1階(2階は東武浅草駅)のうち4階以上の営業を取りやめ、同時に店舗名を「松屋浅草店」に改めた[3]。同時に日本最古の屋上遊園地である「プレイランド」も閉鎖された[4]
  • 2012年9月27日、東武鉄道は当店の4階から屋上までを「EKIMISE(エキミセ)」とし同年11月21日にオープンすると発表し[5]、予定通り11月21日にオープンし、松屋浅草店はテナントとして地下1階から3階までとなった。このとき同年の東京スカイツリー開業に合わせて外装材を撤去、外壁を修復して1931年開店当時のアール・デコ調の外観を復活させた[6]
  • 店舗面積19,106m²⇒7,404m²。
EKIMISE(東武浅草駅ビル)フロアガイド
RF EKIMISE 浅草ハレテラス
7F EKIMISE EAST-TOKYOマーケット わのいち、駅見世ごはん
6F EKIMISE 総合家電量販店ノジマ
5F EKIMISE ユニセックスファッションフロア
4F EKIMISE ファッションフロア
3F レディースファッション、書籍、ユニクロ、リフォームコーナー
2F 東武線浅草駅
1F 婦人服、化粧品、和洋菓子、サービスカウンター
B1F 浅草旬鮮市場

プチプチマルシェ

2010年8月25日オープン。東京高速道路下の「銀座インズ」内の専門店街で、松屋が総合プロデュースを行っている[7]

松屋 東京丸の内

2012年10月3日オープン。東京ステーションホテルのテナントショップ。東京駅丸の内南口・南ドームの一角にある。ファッション雑貨や東京駅限定の土産物・菓子類を販売している。

台湾

松屋本体による運営ではなく、商標の貸与と業務提携のみの関係である。

過去に存在した店舗

  • 横浜吉田橋店
    • 1924年(大正13年)に伊勢佐木町に進出した後も残されたが、1946年(昭和21年)、区画整理で閉鎖し、取り壊された。
  • 伊勢佐木町
  • 船橋
    • 1970年(昭和45年)開店、1976年(昭和51年)閉店。その後直近にあった丸興船橋店が移転してきたが短期で閉店した。建物はテナントビルの「船橋セントラルビル[要出典]」として現存している。
  • 風城松屋(台湾新竹市
    • 跡地には、ライバルの遠東百貨店グループによる「太平洋SOGO(遠東SOGO)新竹ビッグ・シティ店」がオープン。

POSシステム

主な関連会社

  • アターブル松屋ホールディングス - 傘下の子会社を通じ飲食業・結婚式場経営(東京大神宮マツヤサロン他)を行う。
  • シービーケー - ビル総合サービス及び広告業。
  • 東京生活研究所 - マーケティング部門。
  • 東栄商会 - 店舗で使用する事務機器等の納入、保険代理業。
  • ギンザコア - 同名のファッションビルの運営。
  • 銀座インズ - 東京高速道路下の店舗群の運営。

脚注

関連項目

関連人物

  • 山中鏆(経営再建に手腕を発揮した元副社長・社長・会長)

外部リンク