勝利投手
勝利投手(しょうりとうしゅ、Winning pitcher)とは、野球の試合において勝利チームの責任投手を指す。勝ち投手(かちとうしゅ)、公認野球規則においては勝投手とも記述される。基本的には、自チームのある時点での得点が決勝点となるように、守備面で貢献した投手が勝利投手となる。
規則
公認野球規則9.17により勝利投手は定められている。
- ある投手の登板中の攻撃、あるいは登板中の投手が代打または代走と交代して退いた回の攻撃で自チームがリードを奪い、しかもそのリードが試合終了まで保たれた場合、その投手が勝利投手になる。(※「登板中」とは、先攻チームであれば勝ち越した直前の回(裏)を完了、後攻チームであれば勝ち越した回の表を完了することを指す)
ただし、次の場合はその限りではない。
上記1.により登板中に勝ち越した先発投手が勝利投手になれない場合は、救援投手が1人であればその投手を勝利投手とする。救援投手が複数であれば、投球イニングが他の投手より1イニング以上多い投手がいる時はその救援投手を勝利投手とする。投球イニングが同じか、もしくは差が1イニング未満の場合は最も効果的な投球をしたと公式記録員が判断した1人の投手を勝利投手とする[1]。この時、2人以上の投手が同程度に効果的な投球をした場合は、原則的に先に登板した投手が勝利投手となる[2]。
上記2.の救援投手の登板中に勝ち越した場合は、その投手の投球イニングが1イニング以上であれば無条件で勝利投手になる[3]が、投球イニングが1イニング未満で、かつ前任投手の残した走者を含む2失点以上した場合は原則として勝利投手になれない[4] 。したがってその場合は上記1.と同じルールを適用し、後任投手が1人であればその投手を勝利投手とする。複数であれば、投球イニングが他の投手より1イニング以上多い投手がいる時はその救援投手を勝利投手とする。投球イニングが同じか、もしくは差が1イニング未満の場合は最も効果的な投球をしたと公式記録員が判断した1人の投手を勝利投手とする。この時、2人以上の投手が同程度に効果的な投球をした場合は、原則的に先に登板した投手が勝利投手となる。
また上記とは別に、日本プロ野球ではオールスターゲームとオープン戦の勝利投手は、9.17(e)により原則として先発・救援の区別無くチームが最終的な勝ち越し点を挙げた当時に投球していた投手を勝利投手とする[5])。
1.と2.とのいずれの場合も、勝利投手の決定に関しては試合中に同点になった時点でその試合が新たに始まったものとして扱う(敗戦投手の決定も同じ)。野球のテレビ中継などで、先発投手がリードを保ったまま降板した後に救援投手が失点してチームが同点に追いつかれた(または逆転された)際、アナウンサーが「勝利投手の権利が消滅」と発言することがあるが、これは同点に追いつかれた(または逆転された)時点よりも前に登板していた投手は勝利投手になることができないためである。
サヨナラゲームとなった場合には、最終回の表(または延長回の表)に登板した最後の投手は無条件で勝利投手となる。また、先攻のチームでも最終回や延長で勝ち越した回の裏をリードを保ったまま終えれば、その直前まで投げていた投手が勝利投手になる。特にこうした例についてはアウトを1つ取っただけで勝利投手となることもあり、その球数の少なさが話題となることもある(「1球勝利投手」など)。
更に稀な例として、登板時点で既に出塁していた走者を牽制球でアウト、または盗塁失敗でアウトにしてイニングを終了させ、直後の攻撃で勝ち越すと、どの打者との対戦をも完了しないまま勝利投手となることができる。日本プロ野球では過去に2例ある。さらに、打者に全く投球せずに勝利投手となることも有り得る(例えば二死一塁の場面で登板し、打者に1球目を投げる前に一塁走者を牽制球でアウトにし、直後の攻撃で決勝点が入った場合)。この0球勝利は、メジャーリーグベースボール (MLB) では2003年5月1日にボルチモア・オリオールズのB・J・ライアンがデトロイト・タイガース戦で記録している。日本プロ野球ではまだ0球勝利は記録されていない。
正式試合として完了した試合においては、勝利チームの投手のいずれかが必ず勝利投手になり、「勝利投手なし」となることは無い。ただし、その試合が勝利チームの規則違反などで没収試合になり、勝敗が逆転した場合、その試合の勝利投手・敗戦投手の記録は取り消しとなる。また、加害チームがリードしている状況で没収試合となった場合には記録されない。
先発投手に記録される勝利を特に先発勝利(せんぱつしょうり)、救援投手に記録される勝利を特に救援勝利(きゅうえんしょうり)と言う。投手の勝利数は、一般的には両者を合計したものを指す。
勝利投手になることは基本的にプラスとなる要素であるが、救援勝利の場合にはそれが必ずしも当てはまらない。特に勝ちパターンで登板する投手(セットアッパーやクローザーなど)に勝利が記録されている場合、それは先発投手の勝利を消す、すなわち同点に追いつかれるか逆転されることでもたらされたものであることも多いので、ある種救援失敗の指標ともなりうる(無論、同点や僅差での登板後に逆転により勝ちが付くこともあり、全てが救援失敗の結果というわけではない)。
戦前は勝利投手の認定に曖昧な部分があり、公式記録員の判断(裁量)によって記録が付けられることもあった。ヴィクトル・スタルヒンは1939年にシーズン42勝を記録したが、戦後になりスタルヒンが勝利投手とならない例が2試合[6]あり、一旦40勝と訂正された。しかし1961年に稲尾和久がシーズン42勝を記録した際に論議が起こり、翌年に「後から見たときにおかしな部分が存在しても、当時の公式記録員の判断は尊重されるべき」というコミッショナー裁定が出され、元の42勝に再訂正された。MLBでもチャールズ・ラドボーンが1884年に達成したシーズン60勝について、同年7月28日の試合では6回から9回の4イニングを無失点に抑えたが、6回以降に味方がリードした状況での登板であったことから先発投手に勝ち星がつくものとされたことで(この例も勝利投手の記録がスコアラーの判断でつけられていた)、59勝とする文献も存在する。
日本プロ野球
最多勝利
通算記録
順位 | 選手名 | 勝利 |
---|---|---|
1 | 金田正一 | 400 |
2 | 米田哲也 | 350 |
3 | 小山正明 | 320 |
4 | 鈴木啓示 | 317 |
5 | 別所毅彦 | 310 |
6 | V.スタルヒン | 303 |
7 | 山田久志 | 284 |
8 | 稲尾和久 | 276 |
9 | 梶本隆夫 | 254 |
10 | 東尾修 | 251 |
順位 | 選手名 | 勝利 |
---|---|---|
11 | 野口二郎 | 237 |
若林忠志 | ||
13 | 工藤公康 | 224 |
14 | 村山実 | 222 |
15 | 皆川睦雄 | 221 |
16 | 山本昌 | 219 |
17 | 杉下茂 | 215 |
村田兆治 | ||
19 | 北別府学 | 213 |
20 | 中尾碩志 | 209 |
- 記録は2020年シーズン終了時[7]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 勝利 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | V.スタルヒン | 東京巨人軍 | 42 | 1939年 | |
稲尾和久 | 西鉄ライオンズ | 1961年 | パ・リーグ記録 | ||
3 | 野口二郎 | 大洋軍 | 40 | 1942年 | |
4 | 真田重男 | 松竹ロビンス | 39 | 1950年 | セ・リーグ記録 |
5 | 須田博 | 東京巨人軍 | 38 | 1940年 | |
杉浦忠 | 南海ホークス | 1959年 | |||
7 | 稲尾和久 | 西鉄ライオンズ | 35 | 1957年 | |
権藤博 | 中日ドラゴンズ | 1961年 | NPB新人記録 | ||
9 | 藤本英雄 | 東京巨人軍 | 34 | 1943年 | |
10 | 野口二郎 | 東京セネタース | 33 | 1939年 | |
野口二郎 | 翼軍 | 1940年 | |||
別所毅彦 | 読売ジャイアンツ | 1952年 | |||
稲尾和久 | 西鉄ライオンズ | 1958年 | |||
小野正一 | 毎日大映オリオンズ | 1960年 |
- 記録は2019年シーズン終了時[8]
連続勝利記録
連続勝利は、敗戦投手にならない限り中断されない。間にセーブや引き分け、勝敗なしが入っても継続される。
通算記録 | ||||
---|---|---|---|---|
順位 | 選手名 | 記録 | 開始日 | 終了日 |
1 | 田中将大 | 28 | 2012年8月26日 | (継続中) |
2 | 松田清 | 20 | 1951年5月23日 | 1952年3月22日 |
稲尾和久 | 1957年7月18日 | 1957年10月1日 | ||
4 | 御園生崇男 | 18 | 1937年7月3日 | 1938年6月4日 |
須田博 | 1940年8月7日 | 1940年11月17日 | ||
中田良弘 | 1981年7月21日 | 1985年8月11日 |
シーズン記録 | ||||
---|---|---|---|---|
順位 | 選手名 | 所属球団 | 記録 | 記録年 |
1 | 田中将大 | 楽天 | 24 | 2013年 |
2 | 稲尾和久 | 西鉄 | 20 | 1957年 |
3 | 松田清 | 巨人 | 19 | 1951年 |
4 | 須田博 | 巨人 | 18 | 1940年 |
5 | 斉藤和巳 | ダイエー | 16 | 2003年 |
先発勝利記録
救援勝利記録
通算勝利数のうち、救援勝利の数。
順位 | 選手名 | 勝利 |
---|---|---|
1 | 金田正一 | 132 |
2 | 稲尾和久 | 108 |
3 | 荒巻淳 | 98 |
4 | 米田哲也 | 90 |
5 | 秋山登 | 89 |
6 | 皆川睦雄 | 88 |
7 | 鹿取義隆 | 85 |
8 | 梶本隆夫 | 83 |
9 | 杉下茂 | 82 |
10 | 杉浦忠 | 75 |
1球勝利投手
選手名 | 所属球団 | 記録日 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|
G.ミケンズ | 近鉄 | 1963年8月21日 | 南海 | 日本プロ野球史上初、パ・リーグ初 |
板東英二 | 中日 | 1966年8月26日 | 巨人 | セ・リーグ初、日本人初 |
菅原勝矢 | 巨人 | 1967年8月15日 | 阪神 | |
安仁屋宗八 | 広島 | 1968年6月30日 | 阪神 | |
宮本洋二郎 | 広島 | 1971年5月13日 | ヤクルト | |
高橋里志 | 近鉄 | 1985年4月25日 | 南海 | |
土屋正勝 | ロッテ | 1986年5月10日 | 西武 | |
弓長起浩 | 阪神 | 1993年10月21日 | 広島 | |
落合英二 | 中日 | 1999年7月11日 | 阪神 | 1球敗戦、1球セーブ、1球ホールドも記録 |
森中聖雄 | 横浜 | 2000年5月25日 | 巨人 | |
吉田修司 | ダイエー | 2000年6月2日 | ロッテ | |
葛西稔 | 阪神 | 2000年8月3日 | 中日 | |
山崎貴弘 | ロッテ | 2001年5月29日 | ダイエー | プロ初勝利かつプロ唯一の勝利 |
後藤光貴 | 西武 | 2001年7月27日 | 日本ハム | プロ初勝利 |
愛敬尚史 | 近鉄 | 2001年9月24日 | 西武 | |
林昌樹 | 広島 | 2003年10月12日 | ヤクルト | プロ初勝利 |
小野晋吾 | ロッテ | 2004年4月28日 | ダイエー | |
土肥義弘 | 横浜 | 2004年7月7日 | 巨人 | |
岡島秀樹 | 巨人 | 2004年7月27日 | 広島 | |
山崎健 | ロッテ | 2005年6月11日 | 中日 | セ・パ交流戦初 |
五十嵐亮太 | ヤクルト | 2006年5月2日 | 広島 | |
石井貴 | 西武 | 2006年8月1日 | ロッテ | |
平井正史 | 中日 | 2007年7月31日 | 広島 | |
江尻慎太郎 | 日本ハム | 2007年8月12日 | 西武 | |
C.ニコースキー | ソフトバンク | 2007年9月7日 | オリックス | 来日初勝利、史上初めて日米両国で記録 |
佐竹健太 | 楽天 | 2008年10月7日 | ソフトバンク | |
小林正人 | 中日 | 2009年4月24日 | 巨人 | 同年中に2球勝利も記録 |
清水章夫 | オリックス | 2009年8月25日 | 日本ハム | |
真田裕貴 | 横浜 | 2010年8月1日 | ヤクルト | |
渡辺恒樹 | ヤクルト | 2010年8月10日 | 巨人 | |
石井裕也 | 日本ハム | 2011年8月8日 | 楽天 | 同月中に2球勝利も記録 |
山村宏樹 | 楽天 | 2011年8月25日 | 日本ハム | |
谷元圭介 | 日本ハム | 2012年5月20日 | 広島 | |
田島慎二 | 中日 | 2013年8月31日 | 巨人 | |
土田瑞起 | 巨人 | 2014年6月15日 | 楽天 | プロ初勝利 |
金田和之 | 阪神 | 2014年7月22日 | 巨人 | |
横山貴明 | 楽天 | 2014年8月30日 | ソフトバンク | プロ初登板初勝利かつプロ唯一の勝利、打者をアウトにせずに達成 |
益田直也 | ロッテ | 2014年9月9日 | 西武 | |
金刃憲人 | 楽天 | 2016年6月11日 | 広島 | |
金刃憲人 | 楽天 | 2016年6月25日 | ソフトバンク | 通算2度目、及び、シーズン2度目は日本プロ野球初 |
島本浩也 | 阪神 | 2016年7月24日 | 広島 | プロ初勝利 |
松永昂大 | ロッテ | 2018年7月10日 | 西武 | |
酒居知史 | ロッテ | 2019年3月29日 | 楽天 | 開幕戦初 |
5イニング未満の投球で勝利投手になった先発投手
- 藤村富美男(大阪) - 1951年10月7日、大洋戦、4回を無失点
- 清水宏員(毎日) - 1952年9月23日、大映戦、4回を1失点
- 北原啓(西鉄) - 1954年7月21日、東映戦、4回を無失点
- 阿部八郎(阪急) - 1954年8月11日、南海戦、4回を1失点
以下はいずれも当該試合がコールドゲームになったもの。
- 杉本正(西武) - 1981年8月22日、南海戦、4回1/3を3失点
- 柴田保光(西武) - 1982年10月2日、日本ハム戦、4回0/3を6失点
- 田之上慶三郎(ダイエー) - 1997年10月4日、西武戦、4回を3失点
- 川越英隆(オリックス) - 2000年5月9日、近鉄戦、4回0/3を8失点
- 関根裕之(日本ハム) - 2000年8月22日、オリックス戦、4回を1失点
- アリエル・ミランダ(ソフトバンク) - 2019年5月19日、日本ハム戦、4回を2失点
対戦打者0の勝利投手
打者との対戦が終了せずに勝利投手になったもの。
- 小林雅英(ロッテ) - 2000年7月2日、オリックス戦
- 同点の8回、オリックス二死一塁の場面で登板。打者小川博文への2球目が暴投となり、それを見た一塁走者のイチローが三塁を狙ったものの、捕手の清水将海の三塁送球でタッチアウトになった(これでオリックスの攻撃終了)。直後、ロッテが1点を勝ち越し、9回はブライアン・ウォーレンが登板してそのまま試合に勝利したため、小林はNPB史上初の対戦打者0の勝利投手となった[9]。
- 久古健太郎(ヤクルト) - 2014年5月3日、阪神戦
メジャーリーグベースボール
最多勝利
通算記録
順位 | 選手名 | 勝利 |
---|---|---|
1 | サイ・ヤング | 511 |
2 | ウォルター・ジョンソン | 417 |
3 | ピート・アレクサンダー | 373 |
クリスティ・マシューソン | ||
5 | パッド・ガルヴィン | 365 |
6 | ウォーレン・スパーン | 363 |
7 | キッド・ニコルズ | 361 |
8 | グレッグ・マダックス | 355 |
9 | ロジャー・クレメンス | 354 |
10 | ティム・キーフ | 342 |
順位 | 選手名 | 勝利 |
---|---|---|
11 | スティーブ・カールトン | 329 |
12 | ジョン・クラークソン | 328 |
13 | エディ・プランク | 326 |
14 | ノーラン・ライアン | 324 |
ドン・サットン | ||
16 | フィル・ニークロ | 318 |
17 | ゲイロード・ペリー | 314 |
18 | トム・シーバー | 311 |
19 | チャールズ・ラドボーン | 309 |
20 | ミッキー・ウェルチ | 307 |
- 記録は2017年シーズン終了時[11]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 勝利 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ジャック・チェスブロ | ニューヨーク・ハイランダース | 41 | 1904年 | ア・リーグ記録 |
2 | エド・ウォルシュ | シカゴ・ホワイトソックス | 40 | 1908年 | |
3 | クリスティ・マシューソン | ニューヨーク・ジャイアンツ | 37 | 1908年 | ナ・リーグ記録 |
4 | ウォルター・ジョンソン | ワシントン・セネタース | 36 | 1913年 | |
5 | ジョー・マクギニティ | ニューヨーク・ジャイアンツ | 35 | 1904年 | |
6 | スモーキー・ジョー・ウッド | ボストン・レッドソックス | 34 | 1912年 | |
7 | サイ・ヤング | ボストン・アメリカンズ | 33 | 1901年 | |
クリスティ・マシューソン | ニューヨーク・ジャイアンツ | 1904年 | |||
ウォルター・ジョンソン | ワシントン・セネタース | 1912年 | |||
ピート・アレクサンダー | フィラデルフィア・フィリーズ | 1916年 |
- 1901年以降の記録を対象とする[12]
1900年以前の参考記録
- ジョン・クラークソン:53勝 (1885年)
- チャールズ・ラドボーン:60勝 (1884年) ※59勝との説もある
- ガイ・ヘッカー:52勝 (1884年)
- エイサ・ブレイナード:65勝 (1869年) ※勝利数には諸説あり
その他の記録
0球勝利
- ニック・アルトロック(シカゴ・ホワイトソックス) - 1906年、日付・対戦相手不明[13]
- B・J・ライアン(ボルチモア・オリオールズ) - 2003年5月1日、デトロイト・タイガース戦
脚注
- ^ 公認野球規則細則 野球規則適用上の解釈 16
- ^ 公認野球規則9.17【原注】
- ^ “【記録員コラム】「オープナー」を記録の視点で考えた”- NPB.jp 日本野球機構 ※文中の実例にあるように、1イニング以上投げた救援投手の登板中に勝ち越した時は、その投手より長いイニングを投げた救援投手がいても、登板中に勝ち越した投手を勝利投手としている
- ^ 公認野球規則細則 野球規則適用上の解釈 17
- ^ 公認野球規則9.17(e)
- ^ いずれも先発の中尾輝三が5イニング以上投げ、かつ中尾の登板中に巨人がリードして、そのままリードを保って巨人が勝利したにもかかわらず、先発の中尾ではなくリリーフのスタルヒンが勝利投手とされた。
- ^ NPB 通算勝利記録 - NPB.jp 日本野球機構(シーズン中は毎日更新)
- ^ NPB シーズン勝利記録 - NPB.jp 日本野球機構
- ^ “【7月2日】2000年(平12) 何かが起こる日曜日 “勝ち逃げ”小林雅英、初の珍記録”. 日めくりプロ野球. Sponichi Annex (2009年7月2日). 2009年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月1日閲覧。
- ^ 久古 セ初の打者0人での勝利投手「申し訳ない」
- ^ 通算記録 (MLB) (Baseball-Reference.com)
- ^ シーズン記録 (MLB) (Baseball-Reference.com)
- ^ 9回表二死満塁で登板し、牽制球でいずれかの走者をアウトにしたあと、味方がサヨナラ打を打ち勝利投手になったとされている。