山崎貴弘
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| 山崎 貴弘 |
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 静岡県菊川市 |
| 生年月日 | 1978年9月1日(30歳) |
| 身長 体重 |
180cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1999年8月20日 |
| 経歴 | |
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山崎 貴弘(やまざき たかひろ、1978年9月1日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。左投左打。
目次 |
[編集] 来歴・人物
- 1996年、ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。1999年、1軍デビューを果たす。
- 2000年オフ、寺村友和との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。
- 2001年シーズンはプロ初勝利をあげるも、オフには野手への転向を宣言。
- 2002年シーズンは、野手としての登録にかかわらず、当時のチームの左投手不足の実情からか、2軍戦ではたびたびマウンドに上がることもあり、便利屋的な使われ方を強いられた。結局1年で「野手」をあきらめ、2003年には再び投手に転向。同年オフ、自由契約となり引退した。
- 甘いマスクで、一部のファンに人気があり、「王子」というニックネームがあった。
[編集] エピソード
- 2001年5月29日、対福岡ダイエー11回戦の8回表1死一塁の場面に4番手として登板。1球目でバッター松中信彦を併殺打に討ち取ってチェンジ、その裏に味方が勝ち越したため、1球でプロ初勝利を挙げた。
- 1球での勝利は過去にも何人かいたが、それがプロ初勝利となるのは、プロ野球史上初のことであった。後に後藤光貴(元西武)と林昌樹(広島)も1球でのプロ初勝利を記録している。ソフトバンクのニコースキーは1球来日初勝利を達成している。
- ロッテ時代、2軍で燻っていた同級生の小林宏之(徹夜で飲み歩いてそのまま練習に参加していた)に対して山崎は彼を諭し、練習をまじめに取り組ませた。こうして小林は1軍定着を果たすことになる。
[編集] 年度別投手成績
| 年度 | 球団 | 背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
S P |
勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997年 | ヤクルト | 58 | - | |||||||||||||||||||
| 1998年 | - | |||||||||||||||||||||
| 1999年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 6.1 | 6 | 1 | 6 | 0 | 4 | 1 | 0 | 6 | 6 | 8.53 | ||
| 2000年 | - | |||||||||||||||||||||
| 2001年 | ロッテ | 35 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 8.1 | 14 | 0 | 11 | 0 | 4 | 2 | 0 | 13 | 13 | 14.04 |
| 2002年 | - | |||||||||||||||||||||
| 2003年 | - | |||||||||||||||||||||
| 通算成績 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 14.2 | 20 | 1 | 17 | 0 | 8 | 3 | 0 | 19 | 19 | 11.66 | ||
[編集] 関連項目
| ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1996年ドラフト指名選手 |
|---|
| 1位:伊藤彰 / 2位:岩村明憲 / 3位:山崎貴弘 / 4位:小野公誠 / 5位:副島孔太 |

