COVERS (RCサクセションのアルバム)
『COVERS』 | ||||
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RCサクセション の カヴァーアルバム | ||||
録音 | 1988年8月15日 | |||
ジャンル | ロック | |||
レーベル |
キティレコード 28MS 0185(LP) H32K 20125(CD初版) UPCY-6510(2008年 / SHM-CD) | |||
プロデュース | RCサクセション | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
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RCサクセション アルバム 年表 | ||||
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『COVERS』収録のシングル | ||||
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『COVERS』(カバーズ)は、RCサクセションが1988年8月15日に発表したカヴァーアルバムである。
解説
タイトル名の通り、洋楽のカバーアルバムとして釘打たれ、全曲、洋楽のヒット曲に日本語詞をつけた内容。ゲストとして山口冨士夫、三浦友和、泉谷しげる、更に桑竹居助の偽名にてサザンオールスターズの桑田佳祐らが参加している。
本来は、所属レコード会社の東芝EMI(現・ユニバーサル ミュージック ジャパン)から1988年8月6日(広島平和記念日)に発売される予定だった。しかし、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」で核問題と原子力発電の問題が歌われており、特に後者は日本の原子炉サプライヤーでもある当時の親会社だった東芝からの圧力がかかった[1][2]。先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」(6月25日発売予定)ともども、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告(1988年6月22日付全国紙)と共に発売中止となる。
この発売中止事件の真相は、後に明かされたところによると以下のとおり。FM大阪で当時忌野清志郎が担当していた番組「夜をぶっ飛ばせ」[注 1]のスタッフ慰労会が催された1988年6月9日の夜、忌野は同会には参加せず当時の東芝EMIの邦楽最高責任者、石坂敬一統括本部長に呼び出されていた。その場で、『カバーズ』の発表を見合わせたい、もしくは「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「マネー」「シークレット・エージェント・マン」の4曲をカットすれば発売してもいいという申し出を受けていた。
元々1987年末の時点では、3枚組という構想にまで達していた『カバーズ』は、それまでに既に11曲にダウン・サイジングされており、さらにそこから4曲をカットし、わずか7曲のミニアルバムにしろとの話であった。「ロックの東芝だからこそメッセージ色の濃い作品を出すべきだ」と主張する忌野と石坂の話し合いは平行線を辿る。交渉は翌日も続き、東芝EMIでも再度会議が行われたが、結局東芝内での決定は覆らず、アルバム発売の中止が正式に決定する。
これを聞き呆れ、怒った忌野が訴えた「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」との言葉のみが受け入れられ、上述の新聞広告掲載となり、同時にアルバム発売の中止が決定した[3]。当時東芝EMIの社長は東芝本社からの天下りだった。石坂は忌野との関係破綻を憂えて再考を求めたが、社長から「(絶縁されるならそれはそれで)止むを得ませんね」と返されたという[4][注 2]。
だが、本作を望むファンの声が高まり、またマスメディアに取り上げられたことで、世論の後押しや石坂が他のレコード会社からの発売を働きかけた事[5]もあり、シングル・アルバム共に、RCサクセション(以下、RCと略す)の古巣キティレコード(現・ユニバーサル ミュージック ジャパン)から8月15日(終戦記念日)に発売が実現した(皮肉にも後に石坂はユニバーサル ミュージック ジャパンの代表取締役に就任し、同社に移籍した忌野のアルバムを発売中止にしている)[注 3]。
後年になって石坂はこの騒動について「資本主義社会のルールでは、大株主である東芝の進言を無視するようなことはできない。そういう意味では、私は間違ってないんです。『出す』と言った清志郎も間違ってない」という見解を述べている[2]。
発売中止騒動や過激な内容の話題性から、シングル・アルバム通じてRC初のオリコンチャート1位を獲得。RC唯一のオリコン1位獲得作品である。
収録曲およびゲスト参加者
- 明日なき世界 (Eve Of Destruction)
- オリジナルはバリー・マクガイア。日本でも高石ともやが日本語詞を付けてカバーしており、本作の歌詞は高石の訳詞版がベースとなっている。金子マリ、ジョニー・サンダースがゲスト参加。
- 風に吹かれて (Blowin' In The Wind)
- バラバラ (Balla Balla)
- シークレット・エージェント・マン (Secret Agent Man)
- オリジナルはジョニー・リヴァース。坂本冬美、ジョニー・サンダースがゲスト参加。曲の冒頭に、大韓航空機爆破事件の実行犯の1人である『金賢姫』の音声が収録されている。
- ラヴ・ミー・テンダー (Love Me Tender)
- オリジナルはエルヴィス・プレスリー。更にその原曲はアメリカ民謡の「オーラ・リー」であり、本作はカバーのカバーとなる。
- 黒くぬれ! (Paint It Black)
- オリジナルはローリング・ストーンズ。山口冨士夫、ちわきまゆみ、三浦友和がゲスト参加。
- サマータイム・ブルース (Summertime Blues)
- マネー (Money)
- オリジナルはバレット・ストロング。ビートルズ・ローリングストーンズによるカバーで有名。山口冨士夫、三浦友和がゲスト参加。
- サン・トワ・マミー (Sans Toi M'amie)
- 悪い星の下に (Born Under A Bad Sign)
- オリジナルはアルバート・キング。山口冨士夫がゲスト参加。
- イマジン (Imagine)
- オリジナルはジョン・レノン。ちわきまゆみ、三浦友和がゲスト参加。
参加できなかった・別名で参加したミュージシャン
- 坂本龍一 - 忌野から参加を打診されたが都合により辞退。
- 田原俊彦 - 参加予定も日程が折り合わず涙を呑む。
- 渡辺美里 - 参加予定も録音当日にドタキャン。
- 桑田佳祐 - 所属レーベルの問題によりIsuke Kuwatake名義にて上記楽曲に参加。
日本語詞について
忌野は、「ラヴ・ミー・テンダー」の訳詞について、「チャボ(仲井戸麗市)にはブラックな感じで受けていた」と述懐している。もっとも、忌野は以前から原発に対する問題意識は持っており、RCの前作『MARVY』に、核問題を隠喩した「SHELTER OF LOVE(ツル・ツル)」という曲を収録している。
また、全部の曲が時事ネタ・プロテストソングではなく、原曲のイメージを大事にしたものから、言葉遊びそのものの「バラバラ」まで、バラエティに富んだ内容となっており、当初本人たちは「素直に楽しめる面白い作品になった」と感じていたという。
「シークレット・エージェント・マン」は、金賢姫と大韓航空機爆破事件をテーマにした、ある意味「ラヴ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」以上に危ない日本語詞である。(同曲中には、金賢姫の記者会見での本物の音声が使用されているが、この件に関しては事前に外務省の了承を得ている。)
ちなみに、三浦友和は「ドック・オブ・ザ・ベイ」の訳詞を勝手に考えてきたが採用されなかった。
その後
RCは、『カバーズ』発売中止に対する怒りを込めたライヴ盤『コブラの悩み』を、1988年(昭和63年)12月16日に発表。また、忌野によく似た人物が率いる覆面バンド、ザ・タイマーズの『THE TIMERS』(1989年(平成元年)10月11日発表)には、反核をテーマにした「LONG TIME AGO」が収録されている。何故か、これら2枚のアルバムは問題なく東芝EMIから発売された。また、ザ・タイマーズは本件に対する皮肉が込められた「原発賛成音頭」も発表しているが、スタジオ音源としてはアルバムに収録されていない(2016年発売の『THE TIMERS スペシャル・エディション』のDVDにライブ映像として収録された)。
なお、ライブでは「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」という一連の騒動に対するアンサーソングを披露している。内容の詳細はRCサクセションの項を参照。
忌野の死去から2年後の、2011年(平成23年)3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う、東京電力福島第一原子力発電所で起きた福島第一原子力発電所事故の際には、原子力発電所批判を題材としている、本アルバムの収録曲「サマータイム・ブルース」がインターネット上で注目を集め[1][7]、ラジオ番組へのリクエストが数多く寄せられたほか[7]、Amazon.co.jpの音楽部門で上位にランクインするなど、20年以上前に発売されたCDアルバムとしては、異例の売り上げがあったという[1]。ピーター・バラカンは同年4月1日、自身が担当するInterFM「BARAKAN MORNING」で「キヨシローは声があまり好きじゃないが、多数のリクエストがあったのと、今こそその時ではないかと考えて『ラヴ・ミー・テンダー』を掛けようとしたら局に止められた」と明言。当日の番組を「ではまた来週。僕のクビがつながっていればの話だけど」と締めた。週が明けて5日、変わらず出演したが、今度はやはりリクエストの多かった『サマータイム・ブルース』に続いて『Tell it Like it is』『You Lie too Much』(直訳では“本当のことを言って” “あなたはウソばかり”)を放送した[8]。
当アルバムにゲストとして参加した桑田佳祐は福島第一原子力発電所事故発生後、自身のラジオ番組「やさしい夜遊び」で「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」について発売当時は原子力発電への関心がなく「イタいというか面倒くさい話をしているな」と思っていたことを明かし、その事への反省と後悔の弁も同時に述べた[9]。2011年6月25日放送の同番組「33回目のデビュー記念日に、勝手にひとりで生歌スペシャル」では「グッバイ・ワルツ」の歌詞を、原子力発電についての問題点や原発に対する世論の変化を問う内容に改作している。桑田は『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号で「『原発反対、原発反対』ばっかりリピートするのが果たしてポップミュージックなのかどうかね。だからそのへんのバランスはやっぱり取るべきじゃないかな」といった持論を述べ、インタビュアーを務めた渋谷陽一が「自分の言葉のメッセージで社会を変えよう、政治に物申すっていうのではなくて、桑田佳祐も清志郎も、歌にした動機はひとつ、歌いたいからだったと思うんですよね」「『女とヤリたい』って歌いたい人もいるだろうし、『空はきれいだ』と歌いたい人もいるだろうし、でも桑田佳祐は『ピースとハイライト』とどうしても歌いたかった。清志郎は『原発の発電所の中で眠りたい』[注 4]ってどうしても歌いたかった。で、問題はただひとつ、その歌がかっこいいかかっこ悪いか、それだけで」と述べると、桑田も「だからその、押しつけがましい事をしてるわけじゃないんでしょうね。清志郎さんも」「だから清志郎さんも意味合いだけじゃなくて衝動だったんだろうね。思想だけじゃなくてね。だから悲しみを叫びたかったのかもしれないし」と渋谷の意見に賛同した[10]。
脚注
注釈
- ^ 『忌野清志郎の夜をぶっ飛ばせ』 1987年11月6日 - 1988年12月30日放送。
- ^ 東芝EMIは「東芝音楽工業」時代にも、ジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」の邦題を、親会社に配慮し「人々に勇気を」に改めさせている(正しくは「人民に力を」)
- ^ 現在は、キティレコードが吸収されたユニバーサルJから再発CDが発売されており、キティレコードから発売されたオリジナル盤はすべては廃盤である。
- ^ ライヴ盤『コブラの悩み』に収録されている「軽薄なジャーナリスト」のフレーズ。
出典
- ^ a b c “忌野清志郎の反原発ソング 人気急上昇、CD売り切れ店舗も”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2011年4月13日) 2011年4月15日閲覧。
- ^ a b “RCサクセションの『カバーズ』はなぜ発売禁止になったのか”. Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版. (2016年2月26日) 2017年3月4日閲覧。
- ^ 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評 忌野清志郎のブルースを捜して
- ^ 中日新聞社会部 (2013年6月5日). “特集【日米同盟と原発】第9回「漂流する核のごみ」(5)清志郎「ひ、ど、い」”. 東京新聞 (中日新聞社)
- ^ 偉大なるミュージックマン、石坂敬一さんを悼む ~忌野清志郎と対峙した『COVERS』をめぐって~ - es エンタメステーション
- ^ 「ラストデイズ 忌野清志郎 太田光と巡るCOVERSの日々」 NHK「ラストデイズ」取材班 パルコ 2015年
- ^ a b 五十嵐大介; 中井大助 (2011年4月27日). “原発安全、ウソだったんだぜ 反原発曲、ネットで話題に”. asahi.com (朝日新聞社) 2011年4月30日閲覧。
- ^ “P.バラカン氏 ラジオでの反原発ソング放送禁止の裏事情語る”. SAPIO (NEWSポストセブン). (2011年5月4日) 2015年1月3日閲覧。
- ^ TOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」2011年8月13日放送分より。
- ^ 『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、 54-55頁
主な文献
- 生卵(忌野清志郎デビュー25周年記念)
- GOTTA!忌野清志郎(忌野清志郎伝)
- 遊びじゃないんだっ!(RCサクセション20周年記念)
- 瀕死の双六問屋(忌野によるエッセイ集)
- 月刊カドカワ・92年3月号「総力特集 清志郎の遺言」
- 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評 忌野清志郎のブルースを捜して
ほか