千駄木

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千駄木(せんだぎ)は、東京都文京区町名[1]。千駄木1丁目から千駄木5丁目まである。居住人口は18,296人(2007年10月1日現在)。郵便番号は113-0022。

地理[編集]

日本医科大学が1910年3月に私立東京医学校を合併し、10月、私立東京医学候跡地駒込(現・千駄木校舎)に移転。谷根千とひと括りに呼ばれる谷中根津と千駄木は、下町情緒あふれる地域として知られる。しかし厳密には、江戸時代の区分では谷中、根津、千駄木はそれぞれ寺町、下町、(下級)武家町であるので、千駄木は「下町」ではなかった。東京大学が近く、川端康成北原白秋高村光太郎夏目漱石森鴎外など多くの文人が居を構えた。千駄木の高台付近は、本郷台地の端、昔の山の手に含まれる。第68・69代内閣総理大臣大平正芳の邸宅も現・千駄木2丁目にあった。五代目古今亭志ん生19451951年まで千駄木に住む。天外天の総料理長・中川優は赤坂四川飯店で11年(内5年間は料理長)活躍した後、この地で独立した。千駄木3丁目は、林町と呼ばれ、高級住宅街として有名な街である。

太田摂津守の屋敷跡[編集]

旧安田楠雄邸の主だった安田楠雄は、安田財閥の創始者・安田善次郎の孫にあたり、千駄木5丁目のお屋敷町にある。日本医科大学付属病院。

歴史[編集]

古くは駒込村の一部で、名前の由来は、雑木林で薪などを伐採、その数が千駄にも及んだからという説や、室町時代の武将・太田道灌センダン(栴檀)の木を植えた地であり、この栴檀木が転訛したとの説があるが、柳田國男は『母の手毬歌』の中で、雨乞いの儀式「千駄焚き」(センダキと発音する地域が多い)と関連付けている。江戸時代の古地図の下駒込村内に「上野東漸院持ち駒込千駄木御林」・「上野寒松院持ち駒込千駄木御林」の記載がある。かつて坂上に徳川家康に仕えた、大給豊後守の屋敷があったことから、大給坂と名付けられお屋敷街となる。1745年に町奉行支配となった町名に駒込千駄木町・駒込千駄木坂下町・駒込千駄木下町の名がある。

1965年4月1日住居表示実施。駒込林町・駒込坂下町の大部分に駒込千駄木・駒込動坂町の各一部をあわせた町域を1-5丁目に分けて現行の「千駄木」となった。

交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店1991年再版、P990-991。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]