弥生 (文京区)

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弥生(やよい)は、東京都文京区町名[1]。現行行政地名は弥生一丁目及び弥生二丁目。2011年1月1日現在の居住人口は1,912人。郵便番号は113-0032。

地理[編集]

東京大学本郷キャンパス弥生・浅野地区(農学部・工学部など)の他に、弥生美術館竹久夢二美術館立原道造記念館、「サトウハチロー旧居跡」碑(弥生二丁目16番1号)などが所在。本郷キャンパス浅野地区には、町名の由来となった前述の徳川斉昭の歌碑・「向岡記」碑のほかに弥生二丁目遺跡(地図弥生式土器発見の向ヶ丘貝塚である可能性が最も高いとされる)や「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑、方形周溝墓(復元)や浅野公爵邸跡地碑がある。本郷キャンパス弥生地区には、旧制一高記念の向陵碑と朱舜水先生終焉之地碑がある。

歴史[編集]

1884年明治17年)に弥生式土器が発掘された地であり、弥生式土器と弥生時代という名称はこの地に由来する。

江戸時代水戸藩の中屋敷と播磨小笠原藩の下屋敷があったのを明治新政府が没収し、町名を向ヶ丘弥生町とした。名前の由来は上野の忍ヶ岡に対する向ヶ丘の一部であることと、水戸藩中屋敷に建てられていた歌碑にある徳川斉昭の和歌“名にしおふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなきはなの影かな”の前段詞書に弥生(3月)を詠んだとあることにちなんでいる。

町域は後に大部分が帝国大学(現・東京大学)と第一高等学校(後に敷地交換により現・東京大学農学部(本郷キャンパス弥生地区))の敷地となったほか、警視庁の射撃場、弥生神社(弥生慰霊堂の前身)や浅野侯爵邸(現・東京大学本郷キャンパス浅野地区(工学部))などになった。

1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて言問通り本郷通りまで延長され、向ヶ丘弥生町を南北2つに分けるように坂道「弥生坂」が開削された。

1965年(昭和40年)4月1日住居表示実施。森川町の一部を編入し言問通りの南側全域を弥生二丁目、北側は東京大学農学部敷地のみのを弥生一丁目としその他の北部地域は根津一丁目に編入された。

これに対して、根津一丁目に編入された向ヶ丘弥生町の区域に居住していた詩人のサトウハチローや法学者の団藤重光宮内庁侍医の西川義方らが「弥生式土器発掘の地から弥生の名が奪われる」と反対運動を展開、1967年(昭和42年)に旧根津須賀町の一部とともに弥生二丁目に再編入された。この区域は現在の弥生二丁目13-20番にあたる。

交通[編集]

最寄駅は東京メトロ南北線東大前駅、または東京メトロ千代田線根津駅。特に同二丁目エリア、東京大学工学部などへは根津駅から弥生坂を登っていくのが最短である。

脚注[編集]

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P993

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度43分12秒 東経139度45分35秒