上信電鉄

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上信電鉄株式会社
Jōshin Electric Railway Co., Ltd.
Joshindentetsuhonsha.jpg
上信電鉄本社ビル
バスは受託運行の「ぐるりん」
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 上信(じょうしん)
本社所在地 日本の旗 日本
〒370-0848
群馬県高崎市鶴見町51番地
設立 1895年明治28年)12月27日
業種 陸運業
代表者 代表取締役社長 笠原道也
資本金 2億8000万円
従業員数 193名
主要株主 群馬タクシー(5.59%)
群馬銀行(4.83%)他
主要子会社 群馬タクシー
上信ハイヤー
浅香運輸
上信観光企業他
外部リンク www.joshin-dentetsu.co.jp/
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上信電鉄株式会社(じょうしんでんてつ)は、群馬県に路線(上信線)を有する鉄道会社である。本社は群馬県高崎市に所在する。

目次

[編集] 概要

鉄道事業のほか、旅客自動車運送事業(高崎市内を中心とする路線バスの運行)、貨物自動車運送事業(群馬県内及び埼玉県内の郵便物の輸送)、広告宣伝業、不動産業も行う。

1895年に上野鉄道(こうずけてつどう)として設立され、1897年に開業し同年中に高崎 - 下仁田間が全通した。現存する日本の地方民鉄(大手以外の民鉄)路線のなかでは、伊予鉄道についで二番目に早く開業している。古くは高崎の地元資本に加え、三井財閥の資本も設立に関わった。

さらに下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道(現:小海線)の羽黒下駅まで延伸する計画[1]を立て、社名を上信電気鉄道に改称した。当該区間の工事と路線営業のための免許を取得したが、世界恐慌により頓挫。中込方面へのバス路線を開設しただけで(後に廃止)、鉄道の延伸は実現しなかった。

昭和30年代はじめには、元首相中曽根康弘の実父である中曽根松五郎が社長を務めた。

[編集] 歴史

[編集] 鉄道

[編集] 路線

設置駅一覧等については以下の項目を参照のこと。

[編集] 車両

自社発注車は、かつてタブレット交換を行っていた名残で運転席が右側にあるのが特徴的である。また西武鉄道とは資本関係は全くないが(会社成立時はむしろ東武鉄道との関係が深かった)、車両面に関しては200形電車の一部が西武所沢工場製であったり、また西武鉄道からの移籍車が多数存在するなど、西武色が強いことが特徴である。

電動車の形式は「デ」と「モ」が併用されている。これは雑誌『鉄道ファン』の6000系・250形新車記事によると「片運転台だろうが両運転台だろうが、一両で走れる電動車はデ。MMユニットだろうがコンプレッサーとMGを分離していようが、一両で走れない電動車はモ」と説明されている。他に「デ」と「モ」を併用する私鉄は富山地方鉄道、過去に区別していた会社では京福電気鉄道などが存在する。

広告でペイントされたカラフルな車両が多くある。2008年10月20日からは、松本零士原作『銀河鉄道999』のキャラクター「メーテル」・「鉄郎」をあしらったラッピング電車「銀河鉄道999号」の一般運行が行われている。

[編集] バス

上信バス(乗合) 中央前橋駅前

2007年現在、営業所は高崎1箇所のみで、路線数もわずかであるが、かつては前橋・藤岡・万場・富岡・下仁田にも営業所を持ち、甘楽郡・多野郡にも路線網を広げていた。1970年3月までは佐久市に中込営業所を設置し、貸切バス事業を行っていた[2]。廃止された路線の中には、他社に引き継がれて現在も運行されている路線もある。

群馬県共通バスカード「ぐんネット」に加盟。

車両は一貫して日野車のみの導入である。また、県内他社と異なり他社からの譲受車を導入していない。

1984年までは全車両が非冷房であったが、1985年以降に導入した車両については1986年導入の3台を除いて冷房車での導入となっている。1980年代から1990年代にかけては路線網縮小を行なっている時期だったため、新車の導入自体が少なく、導入車も1983年以降はマイクロバスのみであったが、2002年には20年ぶりの中型車として、日野レインボーHRノンステップバスを導入している。

現在の塗色は1982年のレインボーRJ10台の導入を機に制定されたものであるが、一部車両を除いて塗り替えまでは行なわれなかった。

[編集] 現行路線

  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 鶴辺団地・観音山ファミリーパーク
  • 高崎駅 - 京目 - 前橋駅・中央前橋駅
  • 市内循環バスぐるりん(都心循環線・観音山線・倉賀野線)を受託運行

[編集] 過去の路線

1980年代以降の廃止路線を記載する。

[編集] 高崎営業所

  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 群馬の森 - 原子力研究所 - 玉村 - 五料
  • 中豊岡 - 高崎駅 - 倉賀野 - 群馬の森 - 原子力研究所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 新町駅 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 森 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 農大二高 - 南陽台 - 吉井駅
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 農大二高 - 城山団地
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 乗附

[編集] 前橋営業所

1980年代後半の時点で高崎 - 前橋を結ぶ路線のみの担当であったため、区間運行がなくなったのみである。

[編集] 藤岡営業所

  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 新町駅 - 藤岡営業所
  • 飯塚車庫 - 高崎駅 - 倉賀野 - 岩鼻 - 森 - 藤岡営業所
  • 新町駅 - 藤岡営業所 - 浄法寺 - 鬼石 - 神流湖 - 万場営業所
  • 藤岡営業所 - 神田 - 高山
  • 藤岡営業所 - 浄法寺 - 鬼石 - 妹ヶ谷
  • 藤岡営業所 - 金井 - 小柏
  • 藤岡営業所 - 本動堂 - 吉井駅
  • 藤岡市役所 - 藤岡営業所 - 藤岡市役所

[編集] 万場営業所

  • 新町駅 - 藤岡営業所 - 八塩温泉 - 鬼石 - 神流湖 - 万場営業所
  • 万場営業所 - 魚尾 - 中里 - 上野 - 砥根平

[編集] 富岡営業所

  • 上州富岡駅 - 間仁田 - 安中駅
  • 上州富岡駅 - 板鼻 - 安中市役所
  • 上州富岡駅 - 明戸 - 磯部駅
  • 上州富岡駅 - 上丹生 - 松井田
  • 上州富岡駅 - 上丹生 - 菅原
  • 上州富岡駅 - 福島 - 那須

[編集] 下仁田営業所

  • 下仁田駅 - 妙義神社 - 松井田
  • 下仁田駅 - 初鳥屋
  • 下仁田駅 - 市野萱
  • 下仁田駅 - 四ツ家上
  • 下仁田駅 - 上鎌田
  • 下仁田駅 - 坊主渕

[編集] 電気事業(廃止)

業績不振に悩む上野鉄道は1913年(大正2年)に山田昌吉[3]を監査役に迎えた。高崎水力電気の取締役でもあった山田はこの事態を打開するため高崎水力電気と合併することを計画し1921年(大正10年)6月に合併の仮契約をむすんだ。ところがその高崎水力電気は東京電燈との合併話が進展しており、東京電燈は経営難の上野鉄道を引き受けることは難色を示していた。そこで山田が事態収拾に奔走した結果、合併契約を解消する代償として「高崎水力電気は所有する室田発電所(群馬郡室田町上室田地区、水力、出力800kw)を9万円で譲渡する」「電化補助費として5万円を贈る」ことによりこの問題を解決させた。そして8月25日の臨時株主総会において高崎水力電気との合併仮契約解除が承認されると共に、電化の計画と軌間の拡張が協議され、資本金を200万に増資し社名を上信電気鉄道に改称し、初代社長に山田が選ばれることになった[4]

1923年(大正12年)2月5日に逓信大臣より電気事業の認可をうけ、室田発電所は4月1日に引き継がれた。当初富岡に変電所を設置して室田発電所からの送電により運用しようとしていたが、万一の時に不安が残るためその電力を東京電燈に卸売りし、必要な電力は東京電燈より購入する方式に変更し、変電所は福島に設けられた。そして1924年(大正13年)10月1日より電気事業を開始した。この新規事業が好調であったことから1929年(昭和4年)に北甘楽郡月形村磐戸村青倉村に配電していた南牧電気、1930年(昭和5年)には北甘楽郡尾沢村に配電していた羽沢発電を買収し、北甘楽郡の電燈事業へ進出した。そのとき獲得した大仁田(出力35kw)、雨沢(出力34kw)、片瀬(出力10kw)の各水力発電所はいずれも小出力であるため福島変電所から配電することになり、これらの発電所はまもなく閉鎖された。また一般需要分の電力の他に青倉一帯の石灰岩より石灰を生産する白石工業の工場用電力の要求から長野電燈より受電するようになった。やがてこの好調だった電気事業も配電統制令により1942年(昭和17年)11月25日関東配電に統合されることになり重要な財源を失うことになった。

[編集] 脚注

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  1. ^ 寺田裕一『データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.44
  2. ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p26
  3. ^ 茂木銀行高崎支店支配人。1921年(大正10年)高崎商業会議所会頭に就任
  4. ^ 新編高崎市史 近現代史料10、578-581頁

[編集] 参考文献

  • バスラマ・インターナショナル40号
  • 『新編高崎市史 通史4』2004年、675-676頁
  • 田村民男『群馬の水力発電史』七月堂、1979年、26-28 84-87頁
  • 原田正純「群馬県の発電所遺跡」『産業考古学 14』1980年

[編集] 外部リンク

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