ラーマクリシュナ

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1881年、コルカタにて

ラーマクリシュナ(Sri Ramakrishna Paramhansa, ベンガル語:রামকৃষ্ণ পরমহংস Ramkrishno Pôromôhongsho)、本名ガダーダル・チャットーパーディヤーエ(Gadadhar Chattopadhyay, ベンガル語:গদাধর চট্টোপাধ্যায় Gôdadhor Chôţţopaddhae、1836年2月18日 - 1886年8月16日)はインドの宗教家。「シュリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサ」と呼ばれるが、「シュリ」は「聖」に当たる称号で、ラーマクリシュナはインドの神、ラーマクリシュナの合成で、修行者・ヨーギー(ヨーガ行者)としての名である。パラマハンサはヒンドゥー教の神話に登場する霊性の象徴である空想上の天上の聖なる白い鳥を意味する、聖者に対する尊称。

ラーマクリシュナは近代の代表的聖人と呼ばれ、肖像画には光背を持つ姿で描写される。イギリスの植民地支配が経済の貧困を強め、西洋から流入する文化によって伝統文化が蔑まれた19世紀のインドにあって、インド伝統の豊かな精神文化を体現し、インド人に誇りを取り戻させ希望を与えたという。

思想は強力な神秘主義と宗教多元論およびシャンカラのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)哲学を根本としている。現象世界はマーヤー (幻影)でありブラフマン(神)だけが実在とし、解脱の手段は知識であるという。

生涯[編集]

幼少時代[編集]

ガダーダルは、西ベンガル州フグリー県カーマールプクルという豊かな自然に囲まれた村に生まれた。家はバラモン階級で、保守的で真面目な父と、気立てがよく人に尽くすタイプの母は2人とも宗教的に敬虔な人だった。

彼は5歳のとき村の学校に通い出した。学校では粘土細工と絵が得意だったが、算数は苦手であった。記憶力は優れており、物語を暗記しては人に聞かせるのが好きな陽気な少年だった。周りの人々にも彼の話は人気があった。

その後、ガダーダルは6歳の時に最初の神秘体験をしたと主張するようになった。

やがて、彼が7歳のとき父が死亡すると、彼は兄の手伝いとしてコルカタ(カルカッタ)郊外のダクシネーシュワル・カーリー寺院で働くようになったが、ある日、そこに祀られているヒンドゥー教の血と酒と殺戮を愛する女神カーリー(詳しくは「カーリー」の項目参照)の前で瞑想を繰り返したところ、カーリーの出現を見た、と主張するようになった。

この経験後、彼のサマーディを行う頻度は増していった。

ヨーゲーシュワリーとトーター・プリーに師事[編集]

インドには神と接するための様々な行法が伝わっているが、彼はそういった方法を伝えられることもなく独学で神と接したのであり、このことは彼の希有な神秘体質を物語っている。しかし、やがて師を持たずに勝手に修行した副作用が現れてきた。燃えるような感覚や底知れぬ空腹感が襲いかかり、ガダーダルを悩ませた。そんなころ、シャクティ派の女性行者が寺院にやってきた。この女性はガダーダルを一目見るなり彼に声をかけた。この女性はヨーゲーシュワリーといい、2人はすぐに意気投合した。ガダーダルは異常な体験や身体のことを打ち明ける。ヨーゲーシュワリーの方はガダーダルの神秘体験を認め、彼が神の化身であると確信するようになる。

インドでは神が人の姿をとって現れるという伝統的な信仰がある。しかしある人物が神の化身であると認められるには論争を経ねばならない。このことからガダーダルが神の化身であることを確かめるための公開論争が行われることになった。論争相手として呼ばれたタントラ派の行者は神の化身を主張する側を論破しようと意気込んでやってきたが、ガダーダルと接すると、彼は化身であると論争の前に認めてしまった。こうして信仰のあまりの熱心さや神秘体験から世間から変な目で見られがちだったガダーダルは、無制限な神の探求を社会的にも認められることになる。

そして彼は1861年からヨーゲーシュワリーについてタントラ派の修行をするようになる。タントラ派の行法は64種あると言われているが、数種類修めるのに一生をかける人もいるこれらの行法を彼は総なめにしてしまい、宗教的天才ぶりを発揮する。更に別の師についてヴィシュヌ派の行法も学び、クリシュナと一体化する体験もした。

しかし以前と決定的に異なる体験をしたのは1864年の終わり頃、ヴェーダーンタ学派の師、トーター・プリーがダクシネーシュワルを訪れ、彼の下で修行に専念したときであった。人格神ではない無相のアートマンを認識するのは、人格のある神を熱愛しているガダーダルにとっては辛いことであった。精神を集中すると、どうしてもカーリーの優しく美しい姿が現れてしまう。彼は意を決して全力で瞑想し、カーリーの姿が現れると「精神の剣」で真っ二つに切り裂いた。そして遂にニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)に入った。その境地について、彼は自我も無ければ空間も無い絶対無分別の状態、と主張している。以後、ガダーダルはトーター・プリーからもらった出家名、ラーマクリシュナを名乗るようになる。

1872年頃、以前に婚約していたけれども、霊性修行のために離れて生活していたサーラダー・デーヴィーをカーリー寺院に迎え入れる。以後彼女はラーマクリシュナや弟子たちに献身した。

教祖として[編集]

ラーマクリシュナはその後もイスラム教徒やキリスト教徒についてそれぞれの教えを受け、信仰と修行を経験した。そしてキリスト教のイエス聖母マリア、イスラム教のアラー仏教などと接触する経験を持ち、全ての宗教は一に帰すということを確信する。

やがてラーマクリシュナの教えを聴くために、ある程度の人が集まった。その中にはのちにラーマクリシュナの高弟となり、教えを引き継ぐことになるナレーンドラナート・ダッタ、のちのヴィヴェーカーナンダもいた。著名な信奉者として他に、ブラフモ・サマージ代表のケーシャブ・チャンドラ・セーンやパンディット(学者)のイーシュワラ・チャンドラ・ヴィジャーサーガルなどがいた。主要な弟子の1人で、地元の高等学校の校長を務めていたマヘーンドラナート・グプターは、ラーマクリシュナの言行を書きとどめ『不滅の言葉(コタムリト)』として残した。晩年にはラーマクリシュナは神の権化であると信奉する者も増えていった 。 1886年8月16日、コシポルのガーデンハウスにて逝去。死因は喉頭がんであった。

ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌは10種類の化身となってこの世に現れるとされるが、現在のベンガル人はそれに加え11番目をチャイターニヤという聖人、そして12番目をラーマクリシュナとして崇拝の対象としている。

思想[編集]

多くの宗教を遍歴したラーマクリシュナの教えは非常に寛容なものである。世の中の様々な宗教は究極の一なる神がそれぞれの時代と人に合わせて現れたもので、各々が意義を持つ。究極の一に至るために人は自分に合った道を行けばよいという。 彼は「宇宙の母なる神は子供たちのお腹に合うように料理を作って下さる」という喩えを用いている。子供の消化力や好みに合わせて母親が色々な料理をこしらえるように、神は国と時代と容器(人の理解力)に応じて色々な宗教を作るということである。

神は有形か無形かという論争などもラーマクリシュナにとっては上辺のつまらぬ対立に過ぎない。ブラフマンは無相無形であるが、人間の信仰の力、神への愛に応じて有形の人格神となって現れる。だから一見神は様々な形をとっているように思われるのである。ある1つの形をとった神が正しく、他の形が間違っているといったものではない。神の様々な形は神の人間への愛の現われなのだ。無性のブラフマンを知るためには自我を完全に滅却する必要があり、普通の人間には難しい。一方、有形で人格を持つ神の方は親しみやすい。人の個性は様々であるから、人と神との繋がりもまた様々である。神と繋がるための具体的な手段としては宗教儀式や偶像崇拝がある。迷信として非難される偶像崇拝もラーマクリシュナは「真珠を育成するために必要な母貝」として称揚する。それによって神を愛せるならば偶像大いに結構とするのである。

神に近づくための方法は様々とはいえ、神以外のものに目が向いているようではことは始まらない。世俗のことに夢中になりがちな人々にラーマクリシュナは盛んに警告する。特に金と女に心を奪われているものを非難する。人望、学問、その他細々としたことも神に比べればくだらないことばかりだという。絶対の価値を知った人間にとって、相対的な価値はもはや無意味ということだ。

世界はすべて「神」そのものであるから「私」などというものは本当はないという。しかし我執によってそれが分からなくなってしまう。「私のもの」「私の行為」という無知から来る考えによって。私とは本来神の道具のようなものに過ぎないとラーマクリシュナは説く。

神は全ての人のうちにいる。しかし全ての人が神のうちにいるわけではない。これが人々の苦しむ理由である。「私」と「神」を分離している無知が「私」を苦しめるのだ。しかし肉体として生きる限り「私」を完全に消すのは難しい。ならばせめてその「私」は神に委ねよとラーマクリシュナは述べる。神に全てを委ね、神を愛するバクティ・ヨーガの道が普通の人間にとっては最も易しい。自己を制して欲望を超越しようとする他のヨーガは強い精神を要する困難なものだ。バクティは意識的に欲望を抑えるのではなく神への愛に夢中になって感覚の楽しみを忘れるのである。バクティは自然に欲望を食いつくす。

神の下で休らっているラーマクリシュナは楽観的だ。世界は神の遊戯であるという。神は何かの目的があって世界を造ったのではなく、遊びとして世界を造った。善と悪、幸と不幸などの対立があるのもゲームを続けるためということになる。あらゆるものは神の働きなのだから、全てを受け入れる。それが神である限り、世は幻だといって切り捨てたりしない。彼にとって神の遊戯活動も永遠不動も同じものであり、皆ありがたく戴くべきものである。「皆戴かないと目方が減るもの」と彼は言う。

現世志向というわけでも、来世志向というわけでもない。ラーマクリシュナはただひたすら神志向であったといえる。神だけが実在で、他は全てはかない幻。どんな形であってもよいから神を信じ、愛し、我が物にすることだけに心を注ぐべしというのが彼の核心的な教えであった。

ラーマクリュシュナは、他宗教への寛容さを徹底し、「普遍宗教(the universal religion)」という考えに行き着いている。一度の人生の中で、二つの宗教を信じるという経験をする人は稀である。多くの人は、自分が信じる宗教を是とし、他の宗教については全く知らないといって良いにも拘らず、自分の信じる宗教が教える神や仏だけを最高のものとし、他人の信じる神や仏を一段劣ったもの、場合によっては、間違ったものとして排斥しあい、多くの争いをもたらしてきた。こうした現実を踏まえ、様々な宗教が目指すものは一つの同じ真理や究極の実在で、異なる道を進むもののどの宗教も真実である、と考えるのが「普遍宗教(the universal religion)」である。この考えを要約すると

  1. 宇宙の根本神は万能であるからして有形、無形のいずれの相をとっても存在できる。
  2. 時代・地域・民族の違いに相応した形式と教えを通じ、神は自己をさまざまに顕現する。万神は唯一神の具現にして、万教は一真理の多彩な表現である。
  3. 人は自らの信じる宗教を通じて神と一体になり得る。その時、自分の信じる神のみが正しく、他の宗教は正しくないとする考え方は誤りである。信者が自分の宗教の正しさを信じるのはいいが、他の宗教についてはわからないというのが最も自然な態度であろう。
  4. 自分の宗教を通じて神と合体する方法や道はいろいろある。しかし、方法や道は手段であり、目的や到達点である神そのもとと混同してはならない。
  5. どの宗教にも誤りや迷信があるかもしれないが、神や究極の実在を求める気持ちがあればよい。[1]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ マヘンドラナーグプタ、田中嫺玉・奈良毅共訳 『不滅の言葉(コタムリト)』三学出版 1980年の「序に代えて」13頁

外部リンク[編集]