ラモン・リュイ

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ラモン・リュイ

ラモン・リュイカタルーニャ語: Ramon Llullラテン語: Raimundus Lullus、ラテン語名のライムンドゥス・ルルスでも知られる。1232年1315年6月29日)は、マジョルカ人の著述家、哲学者。彼は最初の主要なカタルーニャ文学を書いた。先駆的な選挙論も後に発見された。数学ではゴットフリート・ライプニッツに影響を与え、ローマ法の注解者としても知られる。

1257年に結婚し、2人の子どもが与えられたが吟遊詩人のような生き方はかわらなかった。マヨルカ王ジャウメ2世の執事となる。

30代前半の時に幻を見て新しく生まれる経験をした[1]。彼の人生の鍵となる出来事は回心である。Vita coaetaneaにこの説明がある。王の執事を勤め、空しい歌と詩を書き、不道徳にふけっていた。そして、愚かな愛を与えた女に歌を書こうとしたとき、十字架にかけられたイエス・キリストの幻を見たという。[2] そして、修道院に入った[1]。そこで神からイスラム教サラセン人に対する福音宣教の召しが与えられたという確信を得た[1]

40歳の時に宣教師となってイスラムに伝道する[1]。またフランシスコ会の修道院を作る[1]

1200年代末から1300年代初頭にかけて、文字列を生成する機械仕掛け(日本では、「ルルスの円盤」等と呼ばれる)によって世界の真理を得る術(ルルスの術、アルス・マグナ)を考案する。ガリヴァー旅行記のラピュータで出てくる「言葉が現れる機械」はこれに着想を得たものとする説がある。

これについて『ブルバキ数学史』は、ライプニッツの数学における、記号の機械的な操作のみによることで、正しい推論のみを得る、という発想について、ラモン・リュイにまで遡ることができる、としている。

1307年にブギアへ宣教に行き投獄される。

1314年の3度目のイスラム伝道に赴くが、現在の北アルジェリアにおいてイスラム教徒に石を投げられ、殉教した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 中村敏著 『世界宣教の歴史』いのちのことば社
  2. ^ Bonner, "Historical Background and Life" (an annotated Vita coaetanea) at 10-11, in Bonner (ed.), Doctor Illuminatus (1985).

参考文献[編集]

外部リンク[編集]