カプチン・フランシスコ修道会
カプチン・フランシスコ修道会(ラテン語:Ordo Fratrum Minorum Capuccinorum, 略称: OFM Cap.)はカトリック教会の修道会の1つ。カプチン・フランシスコ会、カプチン小さき兄弟の会あるいはカプチン会とも呼ばれる。
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[編集] 歴史
カトリック教会の教会刷新運動がさかんに行われた16世紀、イタリア人司祭マテオ・ダ・バシオがアッシジの聖フランチェスコを範とし、原点に立ち戻った厳格な清貧主義の徹底を主張、フランシスコ会から分派し、カプチン・フランシスコ修道会を設立した。1528年、教皇クレメンス7世の認可を受け、正式に成立する。1538年にはイタリア、ナポリでクララ会から分派した女子カプチン会も作られ、フランスおよびスペインに広まった。
名前は修道服の頭巾(カプッチョ, イタリア語:cappuccio)に由来する。その印象的な頭巾から人々が呼んだものが正式な名称となった。また、カプチン会は オマキザル属やカプチーノ、 僧帽筋の命名の語源ともなっている。
1536年、教皇パウルス3世はカプチン会の活動をイタリア国内に限定したが、1574年にグレゴリウス13世によってその禁止令は解除、世界各地に拡大する。日本には1947年に来日した。
[編集] 日本での活動
日本では沖縄県那覇市を中心とするカトリック那覇司教区で1947年より、北関東4県を担当するカトリックさいたま教区において2000年より活動している。現在の日本の責任者である地区長はウエイン・F・バーント師(アメリカ人)。[1]
沖縄は第二次世界大戦後にアメリカのカプチン・フランシスコ修道会ニューヨーク管区管轄の琉球代牧区となり、1949年から1972年までフェリックス・レイ師(カプチン会)が教区長を務めた。1972年に琉球代牧区が那覇司教区に昇格し、1973年から1997年までペトロ・バプティスタ石神忠真郎師(カプチン会)が初代司教の任についた。2007年現在の那覇司教はコンベンツアル会出身であるが、カトリック那覇司教区には小禄カトリック教会、聖クララ与那原カトリック教会、普天間カトリック教会の3ヶ所に、カプチン会の主任司祭がいる。このうち、聖クララ与那原カトリック教会(聖クララ教会)については、DOCOMOMO Japan が日本を代表する近代建築の一つとして日本におけるDOCOMOMO100選に選定している。[1]
カトリックさいたま教区にはカトリック熊谷教、カトリック東松山教会、カトリック大宮教会の3ヶ所にカプチン会の主任司祭がいる。
また、ほかに横浜市に事務所を置き、集会活動やテレフォンサービス、書籍出版などを行う宣教団体「祈りの園」の主催をするアメリカ人のピーター・ボン・エッセン師(ペトロ神父)が有名。
[編集] 大学・研究所
ローマにあるサン・ロレンツォ・ダ・ブリンディジ国際カレッジはカプチン会系の教育研究機関で、歴史研究所や図書館、博物館などがある。