しあわせウサギのオズワルド

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しあわせウサギのオズワルド』(原題:Oswald the Lucky Rabbitオズワルド・ザ・ラッキー・ラビット)は、1927年アメリカ合衆国においてウォルト・ディズニー・カンパニーによって製作され、ユニバーサル・ピクチャーズによって配給された短編アニメーションシリーズである。

概要[編集]

ウォルト・ディズニーアブ・アイワークスは当初映画プロデューサーで配給業者でもあるチャールズ・ミンツの下で実写を織り交ぜたアニメ『漫画の国のアリス』(The Alice Comedy)を制作していたがフィリックス・ザ・キャットの漫画家パット・サリバンによる抗議のため、新しいアニメーションシリーズを計画しなければならなかった。そこで2人は実写なしでのオールアニメーションを作り出すと同時に体に丸みを帯びさせて親しみやすくなるようなキャラクターを創造するにあたってウサギの案が浮上したことがオズワルドの始まりである。

ウォルトの尽力によって第2作目『トロリー・トラブルズ』(Trolley troubles)から大ヒットし、全26作品が制作されたが1928年2月配給先のユニバーサル・ピクチャーズと所有権をめぐり交渉が決裂し、さらにチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作によってウォルトとアブは作品を放棄。オズワルドに関する全ての権利に加えて、有能なアニメーターを手離すこととなったが、スタジオを手中に守った事で、その後、世界で最も有名なネズミのキャラクター「ミッキーマウス」を作り上げる。

ウォルト撤退後はミンツの義理の関係であるジョージ・ウィンクラー、さらに1929年からはウォルター・ランツ(Walter Lanz)によって製作が続けられたが、皮肉にも後にウォルトが制作したミッキーマウスシリーズに報復される形になってしまい、ユニバーサル・ピクチャーズによるアニメ作品のヒットは、1940年にランツらによって製作されたウッディー・ウッドペッカーシリーズまで待たねばならなかった。

その後、ユニバーサル・ピクチャーズからオズワルドのキャラクター展開は長らく無かったが、2004年から2005年にかけて日本ではクレーンゲームの景品(タイトー[1]キューブリックとして、ウォルト・ディズニー時代のデザイン(カラーはネイビーブルー)のオズワルドが商品化された。

2006年2月、ウォルト・ディズニー・カンパニーは傘下のABCのスポーツ実況アナウンサー・アル・マイケルズNBC移籍と引き替えに、NBCユニバーサルからウォルトが手がけた全26作品の返還に成功した[2]

沿革[編集]

ウォルト・ディズニー時代[編集]

1927年から制作をはじめ、第1作品『かわいそうなパパ』(poor papa)は放映されず、第2作品である『トロリー・トラブルズ』(trolley troubles)から放映されるのをはじめとして全26作品をサイレントで作り出し、人気の地位を確立させる。しかし1928年2月、ウォルトは結婚3年目の記念として配給先ユニバーサル・ピクチャーズにおける制作費値上げの契約更新等を兼ねたニューヨーク旅行へ出掛けたが、オズワルド等の版権はすべてチャールズ・ミンツとユニバーサル・ピクチャーズに所有権があるため、勝手な作品作りは認めることができないとの返答であった。さらに秘密裏に行われたミンツによるディズニー・カンパニーからの従業員引き抜きによって3月に帰ったウォルトが目にしたのは、引き抜きを断ったアブ・アイワークスとその助手だけであった。その後3人は昼間表向きには8月までに契約上製作しなければならない4作品を制作し、夜裏向きではのちに世界的に有名になるネズミのキャラクターミッキーマウスを制作する。 オズワルドの経験からウォルト・ディズニー・カンパニーでは「ミッキーマウス保護法」とも揶揄される非常に厳しい版権体制を敷くことになる。

このときのオズワルドは全身黒い毛で初期のミッキーマウスに耳を長くして足を折り曲げた形にした格好をしており、自分の耳や足・首その他体の各パーツは適宜取り外しができる。また、当時サイレントであったためアニメーションの文字を操って道具にして使ったりするなどの独特な描写を導入している。後にキャラクターデザインの変更があるものの、現在でもディズニーが制作したオズワルドの姿の方が人気が高い。

ジョージ・ウィンクラー時代[編集]

1928年にウォルトが撤退してからウィンクラーはディズニー・カンパニーから引き抜いた従業員で成り立っているスタジオで制作を始めた。1929年に『ヘン・フルーツ』(Hen Fluit)において作品上はじめてのトーキーを実現させた。しかしユニバーサル・ピクチャーズ設立者であったカール・レムリはこのような制作体制は認めず、間もなくユニバーサル・ピクチャーズ直営の制作へと変換させた。

ウォルター・ランツ時代[編集]

1929年、カール・レムリによって指名を受けたウォルターは制作に取り掛かり、1930年代におけるオズワルドを制作した。しかし、当初からオズワルドのキャラクターデザインが変更され、顔を大きくして表情を鮮明にし、人間の立ち姿のような形へと変わった。さらに1935年では自然な形を重視するため、全身白色の服を着た元のウサギの形へと変更され、かつてウォルト・ディズニーが制作したオズワルドの形とは全く似ても似つかない形にしてしまう。結局、このようなやり方を進めた為に見る人を裏切る結果となり、1943年を最後にオズワルド作品自体ついえてしまうことになった。

ディズニー返還後[編集]

2008年には「ウォルト・ディズニー・トレジャーズ」シリーズのひとつとしてDVD化され、初期短編のうち13作品が収録[3]。その後は初期短編がディズニーチャンネルで放送されることがある。

2010年から東京ディズニーランドの春季イベント「ディズニー・イースターワンダーランド」にオズワルドをデザインしたフロート車が登場(復活祭#イースター・バニー)。同年のゲームソフト『ディズニー エピックミッキー 〜ミッキーマウスと魔法の筆〜』ではミッキーマウスと初共演を果たし(声・フランク・ウェルカー)、続編の『ディズニー エピックミッキー2:二つの力』ではプレイヤーキャラクターのひとりとなっている。 2014年4月2日より東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントのケープコッドでキャラクターグリーティングが開始。 全世界のディズニー・パークで初登場。

代表的な作品[編集]

トロリー・トラブルズ(Trolley troubles)[編集]

1927年に第2作品として大ヒットした作品である。オズワルドはトロリー(路面電車)の運転士として登場する。線路の幅が変わるのに対しトロリーの車幅がそれに応じて変化し、また牛が線路をふさいでいるのに対し電車が下をくぐって前進するなど、ユーモアあふれる作品でもある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ JAPANESE OSWALD RABBIT TOYS” (English). CARTOON RESEARCH. 2011年7月30日閲覧。
  2. ^ WALT DISNEY'S 1927 ANIMATED STAR "OSWALD THE LUCKY RABBIT" RETURNS TO DISNEY” (English). ウォルト・ディズニー・カンパニー (2006年2月9日). 2011年7月30日閲覧。
  3. ^ “ウォルト・ディズニー・トレジャーズ”シリーズ 新作DVD発売記念特集”. シネマトゥデイ. 2011年7月30日閲覧。