石井正忠
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名前 | ||||||
カタカナ | イシイ マサタダ | |||||
ラテン文字 | ISHII Masatada | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年2月1日(57歳) | |||||
出身地 | 千葉県市原市 | |||||
身長 | 179cm[1] | |||||
体重 | 71kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1982-1984 | 市原緑高校 | |||||
1985-1988 | 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1991 | NTT関東 | 43 | (0) | |||
1991-1997 | 住友/鹿島アントラーズ | 109 | (3) | |||
1998 | アビスパ福岡 | 1 | (0) | |||
通算 | 153 | (3) | ||||
監督歴 | ||||||
2015-2017 | 鹿島アントラーズ | |||||
2017-2018 | 大宮アルディージャ | |||||
2020-2021 | サムットプラーカーン・シティFC | |||||
2021-2023 | ブリーラム・ユナイテッドFC | |||||
2023- | タイ代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
石井 正忠(いしい まさただ、1967年2月1日 - )は千葉県市原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF、DF。
選手時代
[編集]千葉県立市原緑高等学校から、一般入試で順天堂大学に進む。当時は「高校の教員になる」つもりだったが、本人曰く「教員採用試験の願書受付期間を勘違い」してしまい試験を受験できなくなってしまう。ところが、蹴球部の監督から「実はNTT関東から誘いが来ている」ことを聞かされ、1989年に当時日本サッカーリーグ2部所属だったNTT関東(現 大宮アルディージャ )へ入団[2]。1年目から出場機会を得た。
1991年、既にプロ化に向けて動き始めていた住友金属工業へ移籍。鹿島アントラーズの創設メンバーとなり、鹿島の主力として1993年のサントリーシリーズ制覇などに貢献した。1997年に固定背番号制になるまで、先発出場の際には様々なポジションを任され、多くの背番号を付けた。1998年にアビスパ福岡へ移籍し、そのシーズン限りで引退。
指導者時代
[編集]鹿島アントラーズ(コーチ)
[編集]引退後すぐに古巣の鹿島で指導者の道に入る。ユースチームのコーチを経て、2002年から2011年までは10年間にわたってトップチームのフィジカルコーチを務め、2012年からは総合コーチとなった。
鹿島アントラーズ
[編集]2015年7月21日、トニーニョ・セレーゾの成績不振による解任に伴い、鹿島の監督に就任する[3]。鹿島にとっては、2度監督代行を務めた関塚隆を除けば、初代監督の宮本征勝以来21年ぶり2人目の日本人監督となった。10月31日、Jリーグカップ決勝でガンバ大阪を3-0で下し優勝。監督就任後わずか3ヶ月で初タイトルを獲得した[4]。
2016年6月25日、J1 1stステージで優勝。鹿島の日本人監督2人目のステージ優勝監督となった。Jリーグチャンピオンシップでは準決勝で川崎フロンターレ、決勝では浦和レッズを破り、Jリーグ史上初の選手と監督両方での年間優勝達成監督となった[5]。この年のJリーグアウォーズで最優秀監督賞を初受賞[6]。また、FIFAクラブワールドカップ2016では、アジアのクラブとして初の決勝進出に導いた。
2017年5月31日、リーグ戦の成績不振やAFCチャンピオンズリーグ2017での敗退を理由に、鹿島の監督を解任された[7][8]。鈴木満によれば、選手を縛りすぎていたセレーゾに代わり自主性を重んじた石井の手法は当初こそ有効だったが、選手のエゴをコントロールするリーダーシップに欠けていたため、そのうちに秩序が無くなり歯車が狂ったのだという[9]。後任にはコーチから昇格した大岩剛が就任した[10]。
大宮アルディージャ
[編集]2017年11月5日、古巣である大宮アルディージャの監督に就任[11]。同年J1からの降格の危機に遭ったシーズンの残り3試合での就任であったが、1分2敗に終わりチームの降格危機を救えなかった。
翌シーズンも引き続き大宮の監督を続投。「アグレッシブ」「自ら自発的にアクションを起こす」といった積極性を強調した。また、相手の裏に回り込んだり、パスの本数が少なく時間をかけないシンプルな速い攻撃でゴールへ向かうことを提唱し、4-4-2の堅守速攻をベースにしたショートカウンター重視の陣形を采配した。エースの大前元紀が得点王になるなど、前年に比べて得点力は抜群に向上したが、失点も多かったため勝ち点が足りずに5位でシーズンを終え、J1参入プレーオフに出場するが敗退し、J2残留決定の11/28に退任が発表された[12]。
給食センター勤務
[編集]大宮監督退任後の2019年シーズンは監督業を行わず、居を構える鹿嶋市の学校給食センターに10月まで調理員として勤務した。夏休みや休日が家族(学校)と同じタイミングになり、家族との時間が持てるようになることが理由であるといい、職場のリーダーの振る舞いなどが勉強になると語っている[13][14][15]。
サムットプラーカーン・シティFC
[編集]2019年12月23日、村山哲也の後任としてタイ・リーグ1のサムットプラーカーン・シティFCの監督に就任[16]。2020-21シーズンにリーグ6位の成績を収め、2021年5月に同クラブとの契約を1年延長した[17][18]。
石井はタイのサッカー選手について、身体能力は驚くほど高いが、一方で個人戦術やチーム戦術の理解は低いと感じていた。そのため、当初はユースの選手に教えるような基礎から教えていき、組織的なチームを作り上げた[19]。
ブリーラム・ユナイテッドFC
[編集]2021年12月1日、タイ・リーグ1のブリーラム・ユナイテッドFCの監督に就任した[20]。石井はブリーラムの監督就任について「ブリーラムならACLに出てJクラブと戦うチャンスがある、という新たなモチベーションも生まれました。シーズンの途中でチームを離れることで迷惑をかけるかもしれないと思う半面、このチャンスを逃す手はないと即決したんです」と語っている[19]。監督に就任するとチームを3季ぶりのリーグ優勝に導いた。タイ・リーグで日本人監督が優勝するのはこれが史上初だった[21]。同年、タイFAカップ、タイリーグカップでも優勝を果たし、2021-22シーズンの3冠を達成した[22]。このことにより、石井は年間最優秀監督に選ばれた[22]。
翌年の2022-23シーズンでもリーグ、タイFAカップ、タイリーグカップで優勝し、2年連続で3冠を成し遂げた[23]。2シーズン連続での3冠はタイ史上初のことだった[24]。
タイ代表(テクニカルディレクター)
[編集]2023年8月13日、タイ代表のテクニカルディレクターに就任したが、9月19日に解任された[25]。タイメディアMATCH ONLINEは、キングスカップの成績が悪かった場合、協会はアレシャンドレ・ペルキング監督を解任して石井を起用するつもりだったのではないかと指摘している[25]。
タイ代表監督
[編集]2023年11月22日にタイA代表の監督に就任した[26][27][28]。石井を選んだ理由について、チームマネージャーを務めるヌアルファン・ラムサムは、石井の経験、Jリーグやタイリーグでの顕著な功績、クラブサッカーチャンピオンシップの成績を挙げている[27]。日本人の監督がタイ代表を指揮するのは西野朗(在任期間は2019年7月〜2021年6月)以来、2人目になる[28]。
タイ代表監督としての初試合は2024年1月1日の日本代表との国際親善試合で[29][30]、結果は0-5で敗れた[31]。2024年のアジアカップでは決勝トーナメントまで進んだものの、ウズベキスタンに1-2で負けてベスト16で敗退した[32][33]。
戦術
[編集]4-4-2フォーメーションの積極的なスタイルが特徴的であり、鹿島アントラーズでは堅守速攻を採用し[34]、2016年度J1優勝とFIFAクラブワールドカップ2016準優勝に導いた。
大宮アルディージャでは「まずは自ら前に出てアクションを起こす」というようなアグレッシブさを徹底し、ハードワーク、ハイプレス、中央突破のショートカウンター、DFの裏を狙う事を重視し、ポゼッションフットボールとカウンターアタックを取り入れたシンプルでアクティブな躍動感のある積極的フットボールを志向した[35][36][37]。大宮では前年度では得点力不足や不調だった大前元紀を上手く活かし、リーグ得点王に導いている。
所属クラブ
[編集]- 1982年 - 1984年 千葉県立市原緑高等学校
- 1985年 - 1988年 順天堂大学蹴球部
- 1989年 - 1991年 NTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)
- 1991年 - 1997年 住友金属工業蹴球団 / 鹿島アントラーズ
- 1998年 アビスパ福岡
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | NTT関東 | JSL2部 | 19 | 0 | 1 | 0 | - | 20 | 0 | ||
1990-91 | 24 | 24 | 0 | 2 | 0 | - | 26 | 0 | |||
1991-92 | 住金 | 20 | 15 | 0 | 2 | 0 | - | 17 | 0 | ||
1992 | 鹿島 | - | J | - | 6 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | |
1993 | 22 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 28 | 2 | |||
1994 | 30 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 32 | 1 | |||
1995 | 30 | 0 | - | 3 | 0 | 33 | 0 | ||||
1996 | 1 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 1 | |||
1997 | 20 | 11 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | ||
1998 | 福岡 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
通算 | 日本 | J | 95 | 3 | 27 | 1 | 7 | 0 | 129 | 4 | |
日本 | JSL2部 | 58 | 0 | 5 | 0 | - | 63 | 0 | |||
総通算 | 153 | 3 | 32 | 1 | 7 | 0 | 192 | 4 |
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
その他の国際公式戦
- 1997年
- アジアクラブ選手権 3試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 1993年5月16日 J 1st第1節 対名古屋グランパスエイト戦 (カシマ)
- Jリーグ初得点 - 1993年6月30日 J 1st第14節 対ジェフユナイテッド市原戦 (栃木グ)
- JSL(2部)初出場 - 1989年8月5日 対コスモ石油戦 (熊谷運動公園)
指導歴
[編集]- 1999年 - 2017年5月 鹿島アントラーズ
- 1999年 - 2001年 ユースコーチ
- 2002年 - 2011年 フィジカルコーチ
- 2008年 サテライト監督
- 2012年 - 2015年7月 コーチ
- 2015年7月 - 2017年5月 監督
- 2017年11月 - 2018年11月 大宮アルディージャ 監督
- 2020年 - 2021年 サムットプラーカーン・シティFC 監督
- 2021年12月 - 2023年8月 ブリーラム・ユナイテッドFC 監督
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | リーグ杯 | 天皇杯 | 他公式戦 | |
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ステージ | 年間 | |||||||||||
2015 | 鹿島 | J1 1st | - | - | - | - | - | - | 5位 | 優勝 | 3回戦敗退 | - |
J1 2nd | 33 | 14 | 11 | 0 | 3 | 2位 | ||||||
2016 | J1 1st | 39 | 17 | 12 | 3 | 2 | 優勝 | 優勝 | 予選敗退 | 優勝 | SBCS準優勝 | |
J1 2nd | 20 | 17 | 6 | 2 | 9 | 11位 | FCWC準優勝 | |||||
2017 | J1 | 21 | 12 | 7 | 0 | 5 | 7位 | - | - | ACLベスト16 | ||
大宮 | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 18位 | - | - | - | |||
2018 | J2 | 71 | 42 | 21 | 8 | 13 | 5位 | - | 3回戦敗退 | J1参入PO初戦敗退 | ||
総通算 | 185 | 105 | 57 | 14 | 34 |
- 2015年はJ1 2ndステージ第4節から指揮
- 2016年J1 2ndステージは第10節に体調不良のため指揮とらず
- 2017年はJ1 第1~12節は鹿島にて指揮、第32~34節は大宮で指揮
獲得タイトル
[編集]選手時代
[編集]- J1リーグ:1回 (1996年)
- Jリーグカップ:1回 (1997年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回 (1997年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (1997年)
指導者時代
[編集]クラブ
[編集]- 鹿島アントラーズ
- Jリーグカップ:1回 (2015年)
- J1リーグ:1回 (2016年)
- J1・1stステージ:1回 (2016年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回 (2016年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2017年)
個人
[編集]- 最優秀監督賞:1回 (2016年)
参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-802-6
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2005』、コナミメディアエンタテインメント、2005 ISBN 4-86155-805-0
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-847-4
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009 ISBN 978-4-86155-850-4
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010 ISBN 978-4-86155-852-8
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
脚注
[編集]- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1998』p100
- ^ 鹿島アントラーズ監督就任も「寝耳に水だった」 - 日刊ゲンダイDIGITAL・2022年8月2日
- ^ “石井正忠コーチの新監督就任について | 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト | KASHIMA ANTLERS. 2023年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2015年10月31日). “就任3カ月で初タイトルの鹿島指揮官「選手が90分戦ってくれた」”. サッカーキング. 2023年11月22日閲覧。
- ^ 石井監督 選手&監督両方で年間優勝達成はJ史上初 (2016年12月9日 閲覧)
- ^ 2016Jリーグアウォーズ各受賞発表のお知らせ (2016年12月8日 閲覧)
- ^ “石井監督 解任について | 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト | KASHIMA ANTLERS. 2023年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2017年5月31日). “J王者・鹿島、石井監督解任…積極補強もACL敗退、大岩コーチが昇格”. サッカーキング. 2023年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ 鈴木満『血を繋げる。 勝利の本質を知る、アントラーズの真髄』幻冬舎、2017年、78-79頁。
- ^ “大岩コーチの新監督就任について | 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト | KASHIMA ANTLERS. 2023年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ 『石井正忠 監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)大宮アルディージャ、2017年11月5日 。2017年11月5日閲覧。
- ^ 『石井正忠 監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)大宮アルディージャ、2018年11月28日 。2019年9月19日閲覧。
- ^ “【9/15放送/J1第26節】首位撃破の鹿島を元監督の石井正忠氏が語る! そして石井氏の驚きの現在とは!?”. 平畠会議 公式サイト (2019年9月17日). 2019年9月19日閲覧。
- ^ 飯尾篤史 (2020年1月27日). “タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。日本人指導者への期待と現地事情。”. Number. 2020年1月31日閲覧。
- ^ 飯尾篤史 (2020年1月27日). “タイ1部監督・石井正忠に聞く、後編。給食センター勤務と鹿島で得た宝。”. Number. 2020年1月31日閲覧。
- ^ “元鹿島・大宮の石井正忠氏が新たな挑戦へ。タイ1部クラブの新監督就任”. フットボール・チャンネル (2019年12月23日). 2019年12月24日閲覧。
- ^ “元鹿島アントラーズ指揮官の石井正忠氏、タイ1部クラブと契約延長!今季リーグ戦で6位”. Football Tribe (2021年5月3日). 2021年5月22日閲覧。
- ^ 『HEAD COACH MASATADA ISHII JOINS US FROM JAPAN TO SHARE HIS FEELINGS AFTER PUTTING PEN TO PAPER RENEWING HIS CONTRACT TO STAY IN COMMAND AT SAMUT PRAKAN CITY.』(プレスリリース)サムットプラーカーン・シティFC、2021年5月5日 。2021年5月22日閲覧。
- ^ a b “鹿島の元監督・石井正忠が振り返る、タイで2季連続3冠を達成するまで - スポーツ - ニュース”. 週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト] (2023年7月26日). 2023年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ “"บุรีรัมย์" ประกาศดึง "อิชิอิ" เข้านั่งกุนซือล่าแชมป์ไทยลีกสมัย 8”. Thai Rath (1 December 2021). 3 December 2021閲覧。
- ^ “ブリーラム・ユナイテッドが3季ぶりにタイリーグ制覇…石井正忠監督はタイリーグ史上初の“日本人優勝監督”に”. サッカーキング (2022年4月11日). 2022年4月12日閲覧。
- ^ a b Inc, SEESAW GAME (2022年7月26日). “石井正忠監督がタイリーグの最優秀監督に…シーズン途中の就任ながら国内3冠という結果に高い評価”. サッカーキング. 2023年11月22日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2023年5月29日). “石井正忠監督率いるブリーラム・UがタイFAカップで優勝…2年連続の国内3冠という偉業を達成”. サッカーキング. 2023年11月22日閲覧。
- ^ “タイ史上初の2季連続3冠を達成!! 石井正忠監督を在タイ日本国大使館が表彰「相互理解と友好親善に貢献された」”. ゲキサカ (2023年8月1日). 2023年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
- ^ a b “タイ代表の石井正忠テクニカルディレクターが解任の憂き目に。現地メディア一斉報道”. Qoly. 2023年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月23日閲覧。
- ^ “サッカータイ代表、新監督に石井正忠氏”. AFP (2023年11月23日). 2023年11月23日閲覧。
- ^ a b “「日本サッカーの模範的な地位を考慮」タイ代表の新監督に石井正忠が就任「豊富な情報を持つコーチの必要性に基づいたもの」と現地報道 | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2023年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月23日閲覧。
- ^ a b Inc, SEESAW GAME (2023年11月22日). “タイ代表が指揮官交代、石井正忠氏が新監督に就任! 日本代表との“元日決戦”で初の指揮へ”. サッカーキング. 2023年11月23日閲覧。
- ^ 佐藤成. “【タイ代表】石井正忠監督「代表監督として戦えるというのは、非常に光栄」森保一監督との対決 - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “元鹿島&大宮の石井正忠監督がタイ代表”初陣”へ!「僕自身もしっかりとチャレンジしたい」”. サッカーキング (2023年12月31日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ 木下淳. “【日本代表】タイ代表で初陣の石井正忠監督「こんなに差があるんだ」テレビで見ていた日本に驚き - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “【アジア杯】石井正忠監督のタイ代表、16強で敗退! スパチョーク弾も…ウズベクに1―2黒星”. スポーツ報知 (2024年1月30日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ “ウズベキスタンが準々決勝進出を決める! 石井正忠監督率いるタイはラウンド16での敗退が決定”. サッカーキング (2024年1月30日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ “鹿島アントラーズ 2016 チームスタイル[攻撃セットプレー | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB]”. web.archive.org (2021年8月6日). 2023年1月13日閲覧。
- ^ 佐藤俊 (2018年2月8日). “大宮のJ1復帰は「誰」なのか。戦う男・三門雄大と大前元紀の復活。”. Number Web. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “石井正忠監督「自分から前にアクションを起こすというところを数多くやってほしい」【練習コメント】” (日本語). 「OmiyaVision」片村光博 2018年11月27日閲覧。
- ^ “大宮アルディージャ 2018 チームスタイル[攻撃セットプレー | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB]”. www.football-lab.jp. 2023年1月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 石井正忠 - Soccerway.com
- 石井正忠 - FootballDatabase.eu
- 石井正忠 - WorldFootball.net
- 石井正忠 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 石井正忠 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 石井正忠 - J.League Data Siteによる選手データ
- 石井正忠 - J.League Data Siteによる監督データ
- 石井正忠 (@masatada_ishii) - Instagram