「メルビン・バンチ」の版間の差分
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2019年6月11日 (火) 16:27時点における版
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州テクサーカナ |
生年月日 | 1971年11月4日(52歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1992年 MLBドラフト15巡目 |
初出場 |
MLB / 1995年5月6日 NPB / 2000年4月1日 |
最終出場 |
MLB / 1999年6月25日 NPB / 2002年7月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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メルビン・リン・バンチ・ジュニア(Melvin Lynn Bunch Jr. , 1971年11月4日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。2000年から2002年まで中日ドラゴンズに所属していた。
来歴・人物
1992年のMLBドラフト15巡目でカンザスシティ・ロイヤルズに入団。1995年にメジャーデビューし、初勝利を挙げた。その後再びマイナーでプレーし、1999年にシアトル・マリナーズでメジャーに再昇格。
2000年に中日ドラゴンズに入団。同年4月7日の対横浜ベイスターズ戦でノーヒットノーランを達成。長身から投げ下ろす150km/h前後の速球と、速球と同じ球速で落ちるSFFなどの多彩な変化球を武器に、同年に14勝で最多勝のタイトルを獲得した。
2002年のシーズン途中、先発予定日にナゴヤドームに向かう途中で体調不良を訴え登板を回避。不整脈と診断され、そのまま帰国、退団し野球選手としても現役引退した[1]。打者として本塁打を2本打ったが、いずれも読売の桑田真澄からのソロ本塁打だった。6月7日の第1号は公式戦で福岡ドームで投手が打った初めての本塁打だった(第2号は7月30日の東京ドーム)。中日での通算は3本塁打だった。
2003年、星野仙一が監督として率いる阪神タイガースに入団するのではないかと報じられたが、実現しなかった[2]。
引退後は地元テキサスに戻り造園業を営んでいる[3]。
人物
陽気な性格で普段から名古屋弁を話し周囲を和ませ、チームメイトからも親しまれた[4]。 「投げる試合は全て勝ってみせる」と豪語し、キャンプの打ち上げで足腰が立たなくなるぐらいビールを飲み続け「テキサス男は豪快」というイメージを守ろうとするなど、豪快で強気な面があった一方、2年目のオフに帰国した際、祖父に日本のお土産として自身のノーヒットノーランのビデオを送るなど、細やかな気配りもできる選手だった[5]。 トランスワールドスポーツの野球特集において、外国人選手が日本人とトラブルを起こさず日本で活躍するには「自我を抑え和をもってチームメイトと接すれば活躍できる。バンチはそれができていたため活躍できた」と報じられた。またバンチ自身も日本の文化である「協調性」は欧米では有り得ないとした上で、「日本で活躍するには協調性が必要」と話している。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | KC | 13 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 175 | 40.0 | 42 | 11 | 14 | 1 | 0 | 19 | 6 | 0 | 25 | 25 | 5.62 | 1.40 |
1999 | SEA | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 55 | 10.0 | 20 | 3 | 7 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 13 | 11.70 | 2.70 |
2000 | 中日 | 27 | 25 | 2 | 1 | 0 | 14 | 8 | 0 | -- | .636 | 756 | 184.0 | 141 | 12 | 77 | 2 | 3 | 168 | 4 | 0 | 67 | 61 | 2.98 | 1.18 |
2001 | 25 | 24 | 1 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 684 | 160.0 | 158 | 14 | 63 | 6 | 5 | 151 | 2 | 1 | 64 | 60 | 3.38 | 1.38 | |
2002 | 17 | 15 | 2 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | -- | .500 | 472 | 112.2 | 112 | 14 | 27 | 1 | 4 | 97 | 6 | 0 | 45 | 41 | 3.28 | 1.23 | |
MLB:2年 | 18 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | *0 | .250 | 230 | 50.0 | 62 | 14 | 21 | 1 | 0 | 23 | 6 | 0 | 38 | 38 | 6.84 | 1.66 | |
NPB:3年 | 69 | 64 | 5 | 1 | 0 | 31 | 23 | 0 | -- | .574 | 1912 | 456.2 | 411 | 40 | 167 | 9 | 12 | 416 | 12 | 1 | 176 | 162 | 3.19 | 1.27 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す
タイトル
- NPB
- 最多勝利:1回 (2000年)
表彰
- NPB
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2000年5月)
- IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (2000年)
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2000年4月1日、対ヤクルトスワローズ2回戦(ナゴヤドーム)、7回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、2回表にロベルト・ペタジーニから
- 初完投勝利・初完封勝利:2000年4月7日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム) ※史上68人目のノーヒットノーラン
- オールスターゲーム出場:1回 (2000年)
- NPB打撃記録
- 初安打:2000年4月7日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、3回表に川村丈夫から中前安打
- 初打点:2000年7月13日、対阪神タイガース16回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に湯舟敏郎から左前適時打
- 初本塁打:2001年8月4日、対ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)、3回表に石井一久から右越ソロ
背番号
- 50 (1995年)
- 31 (1999年)
- 42 (2000年 - 2002年)
関連情報
関連書籍
- 足木敏郎『ドラゴンズ裏方人生57年』中日新聞社、2009年。ISBN 9784806206040。