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小田部陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2010年6月25日第36回主要国首脳会議菅直人首相(右)のシェルパとして(左)

小田部 陽一(おたべ よういち、1950年12月28日 - )は、日本の外交官外務省経済局長、外務審議官、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使を歴任。

人物

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外交官の小田部謙一は父[1]灘中学校・高等学校を経て[2]一橋大学法学部在学中に外交官試験に合格し、1974年に中退して、外務省へ入省した[1]

2002年には外務省総合外交政策局審議官としてクアラルンプールで行われた日朝国交正常化交渉に、鈴木勝也日朝国交正常化交渉担当大使、藪中三十二アジア大洋州局審議官、斎木昭隆アジア大洋州局参事官、平松賢司北東アジア課長、秋葉剛男条約課長、水内龍太分析1課長とともに参加。朝鮮民主主義人民共和国鄭泰和大使、朴龍淵外務省アジア局副局長らと交渉を行った[3]

その後外務省経済局長等を経て、2008年次官級の外務審議官就任。2009年7月のラクイラ・サミットでは事務方トップとして麻生太郎総理大臣の個人代表(シェルパ)を務めた[4]

2010年、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章[5]

2011年から在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使福島第一原子力発電所事故を受けて、日本食品の輸入規制を行う国が増えてきたことに対応し、WTOの貿易交渉委員会で、各国の代表団に協定を順守した冷静な対応を求めた[6]。退任後、日仏会館理事[7]

経歴

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同期

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論文等

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  • 洞爺湖サミットシンポジウム 洞爺湖サミットと世界経済の課題(総特集 洞爺湖サミットの課題と展望)」(馬田啓一槍田松螢他と共著)世界経済評論52(6)(通号634)、2008年6月)
  • 「年頭所感」(国際金融(1184)、2008年1月1日)
  • 「日本経済外交の展望--北海道洞爺湖サミット、二〇一〇年日本APECに向けて(特集 経済外交のニューウェーブ)」(外交フォーラム 20(10)(通号231)、2007年10月)
  • 「トップフォーラム 小田部陽一外務省経済局長との懇談--G8サミットWTOEPA」(日本貿易会月報(651)、200年.9月)
  • 「日本・ナイジェリア・スペシャル・パートナーシップ・フォーラム」(Africa.47(2)(通号525)、2007年3月4日)
  • 「小泉総理大臣アフリカ訪問の意義と成果」(Africa.46(3)(通号521)、2006年6月7日)
  • 「小田部陽一アフリカ審議官に聞く」(清水眞理子と共著)(Africa.45(5)(通号517)、2005年10月11日)
  • 「WTOドーハ会議の成果と日本〔含 質疑応答〕」(世界経済評論46(2)(通号558)、2002年2月)

脚注

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  1. ^ a b 小田部陽一外務審議官がレジオン・ドヌール勲章を受章在日フランス大使館
  2. ^ 旺文社大学受験ラジオ講座テキスト 17(11) (旺文社, 1969-02)
  3. ^ 朝日新聞2002年10月26日
  4. ^ 日本経済新聞2009/07/04
  5. ^ 小田部陽一外務審議官がレジオン・ドヌール勲章を受章”. 駐日フランス大使館 (2019年1月17日). 2021年6月28日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞2011年3月31日
  7. ^ 運営体制日仏会館
  8. ^ 平成15年 2003年9月2日付官報 本紙 第3683号 10頁
  9. ^ 研究スタッフ

外部リンク

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先代
川田司
博覧会国際事務局総会日本政府代表
2003年 - 2005年
次代
卜部敏直
先代
石川薫
外務省経済局長
2007年 - 2008年
次代
鈴木庸一