コンテンツにスキップ

天羽民雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天羽 民雄(あもう たみお、1927年 - 1994年)は、日本外交官国際政治学者

生涯

[編集]

中国ハルビン生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入り数々の要職を歴任。ジョージタウン大学で学び外務省情報文化局長、駐ユーゴスラヴィアアルバニア大使、関西等担当特命全権大使を経て退官後、青山学院大学国際政治経済学部教授を務めた[1]

土山實男は同学部の特色として、学者以外に外交官や国際ジャーナリストを多く教員に迎えてきたと述べ、その一人に天羽の名を挙げている[2]。また、政治学的にはリアリズムの立場を取っていたと指摘している[2]。なお、『青山国際政経論集』33号(1995年)は「天羽民雄教授追悼号」となっている[3]

家族

[編集]

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ "この本の内容〉著者〉天羽民雄." - 河出書房新社公式サイト(『最後の提言』). 2024年9月8日閲覧。
  2. ^ a b 土山實男(2019)37頁。
  3. ^ "天羽民雄教授略歴 (天羽民雄教授追悼号)."CiNii Research『青山国際政経論集』. 2024年9月8日閲覧。
  4. ^ 土山實男(2019)41頁。

参考文献

[編集]