INSTANT LOVE

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INSTANT LOVE
BOØWYスタジオ・アルバム
リリース
録音 STUDIO BIRDMAN
ジャンル ロック
時間
レーベル 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ
プロデュース 木村マモル
BOØWY
チャート最高順位
BOØWY 年表
MORAL
1982年
INSTANT LOVE
1983年
BOØWY
1985年
『INSTANT LOVE』収録のシングル
  1. 「INSTANT LOVE」
    リリース: 1988年3月25日
  2. 「OH! MY JULLY Part I」
    リリース: 1988年3月25日
  3. 「MY HONEY」
    リリース: 1988年4月25日
  4. 「FUNNY-BOY」
    リリース: 1988年4月25日
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INSTANT LOVE』(インスタント・ラブ)は、日本のロックバンドであるBOØWYの2枚目のアルバム。

背景[編集]

1982年、ファーストアルバム『MORAL』がようやくリリースされたものの、メンバーの音楽性は急速に変化しており、初期からのファンは戸惑いを見せ始め、またメンバーであるギターの諸星アツシとサックスの深沢和明も同じく戸惑いを感じていた。

そんな状況からの脱却を試みようと、布袋寅泰は9月9日の渋谷PARCOパート3でのライブから方向性を変え、演奏曲や衣装をそれまでのイメージと全く異なるものに変更することを提案した。しかし、当日のライブでは途中で帰ってしまう観客が出るなど反応は厳しく、また急激な変化に納得のいかなかった諸星と深沢は10月9日の新宿ロフトライブを最後に脱退する[1]

こうして4人編成となったBOØWYだが、事務所やファンなどにイメージを固定化されることを嫌い、セルフプロデュースの道を模索することとなり、布袋は当時高円寺で貸しスタジオを運営していたかつてのバンドメンバーである土屋浩をメンバーに紹介する。土屋はBOØWYのマネジメントを引き受ける事となり、メンバーは所属事務所であったビーイングを離脱する。

それに伴い、土屋を中心にプライベート・オフィス「Ø-connection」を設立、運用を開始する。しかし、所属のレコード会社との事務引き継ぎなどがないまま事務所が変更された事もあり、リリースされたレコードに関しては思うようなプロモーションが行われなかった。また、予算もなかったため宣伝活動やライブ告知などは全てメンバー自らが行い、予算がない中で全国をハイエース1台で周り、ライブだけを行っていた[2]。このため、レコード化されていない楽曲が多く、ファンの間では録音したライブ音源の交換によって曲の認知度が広まっていった[3]

その後、プロデュースは前作でドラムを担当していた木村マモルが引き受け、木村は移籍先となるレコード会社としてジャパン・レコードとの契約を獲得する。やがて、レコーディングも決定したのだが、それまで所属していた事務所の所有するスタジオの空き時間であるなら自由に使用しても良いという、通常ではあり得ない方法が採用される事となった[3]

ボーカル氷室狂介曰く、「ファーストアルバムが『怒り』なら、今回は自分達の中にある『シラケ感覚』がテーマ」と語っている[4]。また、「前作『MORAL』が怒りに斧を振り上げているイメージに対し、今作はドスをチラリと見せる、よりシャープなイメージである」と語っている[5]

録音[編集]

プロデュースはBOØWYの初代ドラマーだった木村マモルが担当した。木村マモルはBOØWY以前に、氷室狂介も在籍した「スピニッヂ・パワー」というグループでドラマーを担当していた。

レコーディングはそれまで所属していた事務所ビーイングのスタジオ「バードマン」の空き時間を利用して行われている。そのため、レコーディングスケジュールが存在せず、特に締切に追われることなく作業が行われた。

前作で思うような音作りができず、完成したレコードを聴いて落胆した布袋は、本作にて様々なアレンジを試みている。また、この時期にはライブで演奏された曲は数多く存在するが、本作では9曲に絞り込まれた。

氷室の「今度のアルバムは、1年半も費やしているんだよね。俺たちは飽きっぽいからさ、1年半もあれば、いろいろ音の興味も変化するわけ。だから、いろんなタイプの曲が入っているんだ」との言葉通りに、ストレートなロックンロールをベースに、ファンクレゲエダブプログレなど様々なスパイスが散りばめられている[4]

また、氷室曰く「日本でパンクなんかあり得ないんだよね。政治の状況とか見てもさ。だったら、若い奴の気持ちの中にいちばん入っていくのって、やっぱり恋愛ごとだと思う。絶対みんな恋のことって考えてるし。それで自分なりの考え方みたいのが伝えられたら、その方が気がラクだよなって、すごく思った」と語り、歌詞においても「パンク」というイメージに縛られずに"今思うものを書く"ことに専念している[6]

リリース[編集]

1983年9月25日徳間ジャパンのジャパンレコーズレーベルよりLPでリリースされた。

また、バンド解散後に当時の宣伝用ポスター、ポストカード等の復刻版を付属した限定版が発売された他、収録曲から4枚のシングルCDも発売された。

シングルCD[編集]

No. 日付 タイトル カップリング曲 規格 規格品番 最高順位
1 1988年3月25日 INSTANT LOVE TEENAGE EMOTION 8センチCD 10JC-277 70位
2 1988年3月25日 OH! MY JULLY Part I OH! MY JULLY Part II 8センチCD 10JC-278 78位
3 1988年4月25日 MY HONEY LONDON GAME 8センチCD 10JC-282 -
4 1988年4月25日 FUNNY-BOY THIS MOMENT 8センチCD 10JC-283 -

プロモーション[編集]

本作のリリース前に、契約したジャパンレコードが徳間音楽工業に吸収され、徳間ジャパン(後の徳間ジャパンコミュニケーションズ)という新しい会社となってしまったため、BOØWYに関する全ての宣伝費がカットされてしまう。そのため、ポスター作成の依頼も断られてしまい、メンバー自らがアルバイト等で得た収入を元に、手作業でポスターや告知を作成することとなった[2]

その最中、唯一プロモーション用宣材として限定300枚のみ配布されたシングル「OH! MY JULLY」のB面曲、「FUNNY-BOY」をセルフ・プローモションとしてメンバーがアポなしで足を運び[7]、新宿有線で連続1位を獲得、ライブハウスの動員数が増えるにつれ、徐々に業界から注目されるようになる。

アートワーク[編集]

ビジュアル・コンセプトは「アダム&ジ・アンツをもっと過激に!」となっている[8]

前作に続き氷室は改名前のため、クレジットされている名前は「氷室狂介」となっている。

ツアー[編集]

本作を受けてのツアーは、1983年9月22日から12カ所の会場で「INSTANT LOVE TOUR」として開催された。しかし、レコード会社からの正式なサポートなどはなく、自己負担による小規模なライブハウスのみのツアーとなっている。また、ポスターなども布袋や土屋が手書きでメンバーの似顔絵を描いたものなどが使用されている[9]

批評[編集]

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典 評価
別冊宝島653
音楽誌が書かないJポップ批評18
BOØWYと「日本のロック」
肯定的[10]
別冊宝島1322
音楽誌が書かないJポップ批評43
21世紀のBOØWY伝説
肯定的[6]

ライターの根本桃GO!は「歌詞においてファースト・アルバムとは打って変わり、直接的表現が消え、ムード重視の詩風となっている」、「音的にはこのアルバムがBOØWY音楽のもっとも純化した形と言えるのかもしれない」と述べている[10]

ライターの安部薫は、「レゲエ、ダブ、ファンク、プログレ、テクノなどが大胆に導入されたサウンドには、空間的方向からロマンティシズムに彩られたメロディを揺さぶっていく構図が見える」、「ロックのエッジ、ポップ、ロマンティシズムを残しながらも音響世界の深いウルトラヴォックスのセカンドアルバム『Ha! Ha! Ha!』(1977年)との相似関係が認められる」と述べている[6]

チャート成績[編集]

リリース当初はチャート圏外だったが、1988年の再発売後に初めてチャートインし、オリコンチャート最高順位3位を記録した。

リリース履歴[編集]

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1983年9月25日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ LP JAL-43 -
2 1985年6月25日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD 32JC-116 -
3 1986年3月12日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CT 28J-2048 -
4 1986年10月5日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ LP 28JAL-3048 -
5 1988年6月25日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ LP
CD
CT
39JAL-3163
32JC-308
28J-2163
3位 限定BOXセット仕様
ステッカー、バッヂ、ポスター、カセットインデックス、ポストカード付属
6 1991年12月24日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-6391 2位 CD-BOXBOØWY COMPLETE LIMITED EDITION』収録
7 1993年3月3日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-6391 3位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE REQUIRED EDITION』収録
8 1993年10月25日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ MD TKYA-1003 -
9 1998年2月18日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD TKCA-71347 -
10 2002年3月29日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-24791 14位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』収録
20ビット・デジタルリマスター
11 2002年8月21日 徳間ジャパン CD TKCA-72413 83位 アルバム『INSTANT LOVE HAMMER TRANCE』との2枚組、デジタルリマスター盤
12 2007年12月24日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD TKCA-73288 - リマスターなし(98年以前と同じ音源)、紙ジャケット仕様、LP盤のレーベルを再現
13 2012年12月24日 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ ブルースペックCD TKCA-10071 91位 リマスターなし(98年以前と同じ音源)

収録曲[編集]

A面[編集]

  1. INSTANT LOVE (3:22)
    曲名は、布袋の作ったデモテープの仮タイトルがそのまま採用されたものであるというが、当初「DON'T KEEP OUT」のタイトルで演奏されていたこともあった。現代の乾いた恋愛感情をテーマにしている。この曲を含め本アルバムに収録された曲は6人編成時代から演奏されていた。1986年頃までセットリストに残った。
  2. MY HONEY (5:03)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲:布袋寅泰 / 編曲:BOØWY
    ミドルテンポの縦ノリビートで、初期〜中期において「OH! MY JULLY Part I」と共にライブの中核を担った。後期にはセットリストから姿を消したものの、BOØWYのキャリアの中でも長く演奏されており多様なアレンジが存在する。1985年のBOØWY'S BE AMBITIOUS TOURで演奏された最終版は、3rdシングル「わがままジュリエット」のB面に収録されている「Give it to me」の曲終了後に、イントロがチラっと入っている。1985年頃までセットリストに残った。
  3. OH! MY JULLY Part II (5:15)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:BOØWY
    当初のタイトルは「LOLITA」。
  4. FUNNY-BOY (4:30)
    プロモーション用としてサンプル用のシングルが制作され、新宿有線で3週連続1位を記録した曲。元々は「夢を追って都会に出て来たが、何もかも上手くいかない少年の歌」だったが、幾度かのアレンジを経て現在の形になった。氷室がBOØWY結成以前の19歳の頃に作曲し、水島裕に提供した「光と影」が原曲である。

B面[編集]

  1. OH! MY JULLY Part I (4:06)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲:布袋寅泰 / 編曲:BOØWY
    ジュリーとは、当時氷室が飼っていたウサギのことである。中期まではライブの山場で演奏されるナンバーとして知られ、84年夏の高知グリーンホールでのライブではオーディエンスがあまりにエキサイトしたために演奏が中断した事もあった。1985年頃までセットリストに残った。
  2. TEENAGE EMOTION (4:06)
    • 作詞:深沢和明 / 作曲:布袋寅泰 / 編曲:BOØWY
    当初のタイトルは「FUCK OFF」。1986年頃までセットリストに残った。
    同郷の後輩であるBUCK-TICK今井寿が最も好きな楽曲だと語っている。当時ラフォーレ原宿で布袋を見かけサインを貰ったが、偶然この時の今井の服が当アルバムの裏ジャケットで布袋が着ている衣装の色違いだったという逸話がある[11]
  3. LONDON GAME (3:28)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲:布袋寅泰 / 編曲:BOØWY
    ライブでも「TEENAGE EMOTION」とメドレーで演奏される事が多かった。当時のライブでは締めとしてよく使われた。1986年頃までセットリストに残った。
  4. SYMPHONIC (4:29)
    • 作詞・作曲:氷室狂介 / 編曲:BOØWY
    当初のタイトルは「FUN POP」。キーボードで演奏されている部分は、元々は深沢がサックスで演奏していた。高橋まことのお気に入りで、一度だけライブでボーカルを取った事もある(氷室がドラム、布袋がベース、松井がギター)。
  5. THIS MOMENT (5:41)
    • 作詞:氷室狂介 / 作曲:布袋寅泰 / 編曲:BOØWY
    初期のライブで演奏されていたが、後に「"GIGS" CASE OF BOØWY」でも演奏されている。氷室曰く「BOØWYの楽曲では唯一のレゲエ」。
    同郷の後輩、BUCK-TICK櫻井敦司が最も好きな楽曲だと語っている。1985年頃までセットリストに残った。

スタッフ・クレジット[編集]

BOØWY

  • 氷室狂介
  • 布袋寅泰
  • 松井恒松
  • 高橋信

スタッフ

  • 録音
    • BOØWY - サウンド・プロデュース
    • 木村マモル - プロデュース
    • 荒川まさる - ディレクター
    • 三浦光紀(ジャパン・レコード) - エグゼクティブ・プロデュース
    • 西秀雄 - レコーディング、リミックス・エンジニア
    • TAKAYOSHI UMENO - コンピュータ・プログラム
    • 土屋浩 (Ø-connection) - マネージメント
    • 月光恵亮 - トータル・コーディネーション
  • アートワーク
    • KATSUNORI MIYAKE (MOONSHINE PROJECT) - デザイン
    • JOHN SCHNEIDOR - 撮影
    • ISAO YAMADA (JET) - ヘアー、メイク
    • T-KIDS - コスチューム

脚注[編集]

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  1. ^ 「ALL OF ALL」『BOØWY写真集 RENDEZ-VOUS』 CBS・ソニー出版、1989年7月31日、166頁。ISBN 4789704661
  2. ^ a b 「ALL OF ALL」『BOØWY写真集 RENDEZ-VOUS』 CBS・ソニー出版、1989年7月31日、168頁。ISBN 4789704661
  3. ^ a b 紺待人「ライナーノーツ」『BOØWY COMPLETE』、東芝EMI、1991年。
  4. ^ a b 「BOØWY 1年半ぶりの新作のテーマは“しらけ”」、『ARENA37℃』、音楽専科社1983年10月
  5. ^ 「BOØWYの寒中見舞い申し上げます。」、『ARENA37℃』、音楽専科社、1984年3月
  6. ^ a b c 「PART4 Sound of BOØWY アルバム&楽曲総力レヴュー」『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』 宝島社2006年7月27日、95頁。ISBN 9784796653497
  7. ^ 「PART4 Sound of BOØWY アルバム&楽曲総力レヴュー」『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』 宝島社2006年7月27日、94頁。ISBN 9784796653497
  8. ^ 「HISTORY」『B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS.』 宝島社、2004年9月20日、122頁。ISBN 9784796642408
  9. ^ 「ALL OF ALL」『BOØWY写真集 RENDEZ-VOUS』 CBS・ソニー出版、1989年7月31日、169頁。ISBN 4789704661
  10. ^ a b 「PART4 作品パーフェクト研究」『別冊宝島653 音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」』 宝島社、2002年6月7日、110頁。ISBN 9784796627245
  11. ^ TEENAGE EMOTION”. 寿記-寿的超日常記- / OFFICIAL BLOG of IMAI HISASHI from BUCK-TICK (2011年2月19日). 2016年7月28日閲覧。