ウランバートル

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ウランバートル
Улаанбаатар
Ulaanbaatar
モンゴル文字
Ulan Bator
ウランバートル市街
ウランバートル市街
ウランバートルの市旗 ウランバートルの市章
市旗 市章
位置
モンゴル内のウランバートル (Ulaanbaatar) の位置の位置図
モンゴル内のウランバートル (Ulaanbaatar) の位置
位置
ウランバートルの位置(モンゴル国内)
ウランバートル
ウランバートル
ウランバートル (モンゴル国)
ウランバートルの位置(アジア内)
ウランバートル
ウランバートル
ウランバートル (アジア)
地図
座標 : 北緯47度55分12秒 東経106度55分12秒 / 北緯47.92000度 東経106.92000度 / 47.92000; 106.92000
歴史
改名 1924年
行政
モンゴルの旗 モンゴル
 市 ウランバートル
地理
面積  
  市域 4704 km2
標高 1,350 m
人口
人口 (2018年7月1日現在)
  市域 1,477,174人
    人口密度   314人/km2
その他
等時帯 ウランバートル時間 (UTC+8)
郵便番号 210 xxx
市外局番 +976 (0)11
ナンバープレート УБ_
ISO 3166-2 MN-1
公式ウェブサイト : http://www.ulaanbaatar.mn/

ウランバートルモンゴル語: Улаанбаатарᠤᠯᠠᠭᠠᠨᠪᠠᠭᠠᠲᠤᠷ 転写:Ulaanbaatar オラーンバータル)は、モンゴル国首都であり最大の都市。同国中部、トーラ川沿岸の標高約1,300mの場所に位置する。人口は1,477,174人(2018年)で、同国の人口のおよそ半数近くが集まる極端な一極集中となっている。名実ともにモンゴルの政治経済の中心地で、中国からロシア欧州)に至る国際鉄道の主要な中継地。主産業は鉱物、食肉加工、製粉、製乳。旧名はウルガᠥᠷᠭᠦᠭᠡ Өргөө;Örgöö)、またはフレーᠬᠦᠷᠢᠶ᠎ᠡ Хүрээ ; Khüree)。

歴史

ウランバートルの位置するトーラ川流域は、古くからモンゴル高原を支配する遊牧民の政権が置かれた地域のひとつである。この地域は16世紀に現在のモンゴル国の大多数を占めるモンゴルハルハ諸部が支配するようになり、17世紀にハルハの人々が尊崇するチベット仏教活仏ジェブツンダンパ・ホトクトの支配地になった。

代々のジェブツンダンパ・ホトクトは当初ゲル(帳幕)の寺院に住み、弟子や領民と一緒に季節移動を行う遊牧生活を送っており、ホトクトのゲルが置かれている場所はイフ・フレーと呼ばれる移動する町になった。後にはホトクトは移動生活をやめて現在のウランバートルの場所に寺院を設け、定住するようになったので、周辺に弟子の寺院や巡礼者が集まって門前町が形成され、外モンゴル(現在のモンゴル国)でほとんど唯一の都市に発展した。

モンゴル高原を支配する清朝はフレーを漢字に写してこの町を「庫倫(クーロン)」と呼び、庫倫弁事大臣を置いて外モンゴルのハルハ諸部を統制する出先機関とした。19世紀には庫倫辦事大臣の周囲に漢民族の商人も住み着き、またロシア人も訪れるようになって外モンゴルの政治、経済、交通の中心地となる。

1913年当時の街並み

1911年に清で辛亥革命が起こると外モンゴルのハルハ諸部はジェブツンダンパ8世を皇帝(ボグド・ハーン)に担ぎ上げて独立を宣言し(ボグド・ハーン政権)、その所在地であるフレーが首都となった。ボグド・ハーン政権は、1915年のキャフタ協定によって中華民国の宗主権を認めつつ、広範な自治を認めさせた。しかし、後ろ盾となっていたロシア帝国が革命で崩壊すると、中華民国の圧力が強まり、1919年に自治の撤廃へと追い込まれた。

ロシアの反革命勢力であるウンゲルンの軍が1921年2月にフレーを占領、その影響下でボグド・ハーン政権は復興することになった。一方、同年にモンゴル人民党は臨時政府を樹立し、ソヴィエト赤軍極東共和国軍とともに、フレーを攻略し、ボグド・ハーン政権を傀儡化させた。このモンゴル人民党政権を、ソヴィエト・ロシアは主権国家とみなし、11月に両国間で友好条約を結んだ。1924年モンゴル人民共和国が成立した後、都市名はフレーからモンゴル語で「赤い英雄」を意味するウランバートル(モンゴル語の発音は『オラーンバータル』に近いが、日本の地理用語としては『ウランバートル』が定着)に改められ現在に至っている。

地理

ウランバートルの衛星写真 北東方向から撮影したもの。南北4km、東西20kmにわたり、トーラ川に沿って細長く延びる市街の様子が分かる。写真中央上にはウランバートル空港も見える

人口だけ見ると100万都市ではあるが、土地や道路が広いため、人口密度はさほど高くない。行政的には「首都特別区」と呼ばれ、県と同等の地位を与えられている。特別区はさらに、ナライハ区・バガノール区・バガハンガイ区という3つの郊外区を含む9つの区に分けられている。郊外区は、行政的には都心と陸続きではあるが、そこへ行くためには何もない草原地帯を通過するため、実質的には飛び地のようなイメージである。

気候

気候は典型的な大陸性であり、ケッペンの気候区分でいう乾燥帯のステップ気候である。標高が高いこともあって年平均気温は−0.14℃と非常に低く、1月の平均気温は-21.7℃と世界の首都の中では最も低いため世界一寒い首都と言われるが、レイキャヴィーク等と比べると夏の平均気温は高く西欧並みである。このように年較差の大きい気候である。年間降水量はわずか281.7mmでほとんどが夏季に集中する。近年は、冷え込みが緩くなっており、1960年代の冬の最低気温-40℃〜-45℃が、現在では、-35℃〜-40℃前後である。1月平均気温(1981-2010年の平年値)も旧平年値の-22.2℃より+0.5℃上がっている。夏はナーダム前後をピークにきわめて暑く、7月の平均気温は18.5℃、場合によっては40度近くまで上がることもある。この時期は異常ともいえる乾燥ともあいまって熱中症、脱水症状、心筋梗塞、腎臓結石等の被害が多発する。特に事情に疎い外国人が発症しやすい。市民は市内を流れるで泳いだりして短いを満喫するが、早い年では8月下旬に早くも初雪を観測し、朝晩は息が白くなる。8月でも、まれに0℃を下回ることがある。ソ連(ロシア人)の風習を真似て、市民は夏でも冬でも1日1回は戸外に出て散歩をする。 最高気温極値は39.1℃、最低気温極値は-49℃。

ウランバートルの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F −1
(30)
11
(52)
18
(64)
28
(82)
35
(95)
39
(102)
39.1
(102.4)
35
(95)
31
(88)
23
(73)
13
(55)
6
(43)
40
(104)
平均最高気温 °C°F −15.6
(3.9)
−11.4
(11.5)
−2
(28.4)
8.3
(46.9)
16.8
(62.2)
21.6
(70.9)
22.7
(72.9)
21.5
(70.7)
15.6
(60.1)
6.8
(44.2)
−4.4
(24.1)
−13.7
(7.3)
5.52
(41.93)
日平均気温 °C°F −21.7
(−7.1)
−16.1
(3)
−7.0
(19.4)
1.8
(35.2)
10.0
(50)
16.0
(60.8)
18.5
(65.3)
16.0
(60.8)
9.5
(49.1)
0.9
(33.6)
−10.6
(12.9)
−19.0
(−2.2)
−0.14
(31.73)
平均最低気温 °C°F −26.5
(−15.7)
−24.1
(−11.4)
−15.4
(4.3)
−5.8
(21.6)
2.7
(36.9)
8.3
(46.9)
11.2
(52.2)
9.3
(48.7)
2.2
(36)
−6
(21.2)
−16.2
(2.8)
−23.8
(−10.8)
−7.01
(19.38)
最低気温記録 °C°F −45
(−49)
−44
(−47)
−39
(−38)
−26
(−15)
−16
(3)
−4
(25)
0
(32)
−7
(19)
−13
(9)
−27
(−17)
−36
(−33)
−43
(−45)
−45
(−49)
降水量 mm (inch) 1.1
(0.043)
1.7
(0.067)
2.7
(0.106)
8.3
(0.327)
13.4
(0.528)
41.7
(1.642)
57.6
(2.268)
51.6
(2.031)
26.2
(1.031)
6.4
(0.252)
3.2
(0.126)
2.5
(0.098)
216.4
(8.519)
平均降雨日数 0 0 1 2 4 5 10 8 3 2 1 0 36
平均降雪日数 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 1 5
平均月間日照時間 176.7 206.2 266.6 264.0 300.7 270.0 248.0 257.3 246.0 226.3 177.0 155.0 2,793.8
出典:Hong Kong Observatory [1]

行政区

ウランバートルは現在、9区で構成される。市役所本庁の所在地はスフバートル区。 各区と主要な施設・観光地は以下のとおり。

区名 人口 観光スポット
バガヌール区 28,300 チンギスハーン像テーマパーク、テレルジ国立公園
バガハンガイ区 3,900
バヤンゴル区 208,900 ガンダン・テクチェンリン寺ウランバートル駅、第3と4地区の商店街 
バヤンズルフ区 308,700 ナラントールザハ、ジューコフ博物館ダンバダルジャー日本人慰霊碑、ダンバダルジャー寺、国際知的ミュージアム
ナライフ区 34,600
ソンギノハイルハン区 295,800 ソンギノハイルハン山
スフバートル区 136,400 モンゴル国立博物館スフバートル広場チョイジンラマ寺院博物館、メルクーリザハ、ボグドハーン宮殿博物館シャングリラモール
ハンオール区 138,400 ザイサン丘、トーラ川、ヒーモルインオヴォ山、イフテンゲリーンアマ、トルフラフアマ、フンヌモール
チンゲルテイ区 159,500 チンゲルテイ山、自然史博物館、政治粛清祈念博物館、ザナバザル美術館、

街並み

ウランバートルの風景

都市計画は、政府・党関係の公共機関とソビエト式アパート、広い道路などが計画的に配置された完全なソ連式である。中心部の道路は上空から見ると、差し込む太陽の光とゲルをデザインしたユニークな構成となっている。ソ連式都市計画の特徴として、いわゆる繁華街が存在しない構造になっている。市場経済移行後は土地の占有権(最近は郊外にかぎり所有権も)が解禁されたこともあり、建物の1階部分を改造しての商業化が行われている。建築は、機能的なソビエト・スタイルとパステルカラーのロシア古典様式が中心だが、中ソ対立以前に建てられた現代中国様式や、ソビエト・スタイルにモンゴル独自の意匠を組み合わせた特異なデザインのものも見られる。首都建設の初期には、スターリンとの密約によってシベリアから移送された日本人強制連行者が活躍した。強制連行された日本人により建てられた多くの建築は現在でも現役で使用されている。地震がほとんどないため、工法はレンガを積んだりパネルを組み合わせたりするだけで鉄筋が入っていないケースが多い。

かつては自動車もほとんど走っておらず整然とした美しい街並みであったが、市場経済化後は違法建築や看板の乱立、自動車の増加によってその面影はない。最近では[いつ?]中華人民共和国内蒙古自治区出身のモンゴル系中国人や朝鮮人が商店や食堂を経営するケースが多く、場所によっては漢字やハングルばかりの街並みも珍しくない(近年の運動により、英語以外の外国語看板はキリル文字表記の看板に掛け換わりつつある)。香港系のシャングリラ・ホテルが2015年6月に営業を始めた。なお、ロシアや韓国、日本の企業により、新興ビジネスマン(モンゴル版オルガリヒ)や外国人、海外出稼ぎでの成功者などを対象とした高級マンション(完全警備のコンパウンド式)が建設され、不動産投資ブームが起こっている。日系では、スルガコーポレーション(本社・横浜市)が日本式マンション主体の高級コンパウンド「フォーシーズンズ・ガーデンズ」を建設中である。

同時期の郊外では、やはり富裕層向けの戸建ての個人住宅のほかに、元牧民が住み着きスプロール化した「ゲル地区」が広がっている。当局の許可は得たり得なかったりだが、遊牧用住居のゲルを据えつけ定着、やがて木造建築、最終的には煉瓦作りの建物に建て替えていく。暖房手段は石炭ストーブで、特に断熱効率が低い木造建築で大量の石炭を消費し、それが大気汚染の原因となっている。都市インフラが後追いになり、下水とゴミ処理にまつわる衛生上の問題が発生している[2]。モンゴル政府はゲル地域の土地を購入し、そこでより小さい面積に高い建物を建て、市内の大気汚染を減らそうという計画が始まっている。

ウランバートル中心部

施設

日本関連施設

経済

生活

かつては電力水道供給が不安定で、停電断水が頻繁に起きていた。しかし、近年現在[いつ?]では、日本からのODAの成果もあり、ライフラインはかなり安定している。水道水は日本政府の支援で塩素処理が行われている。

課題

社会主義政権崩壊後の経済混乱による家庭崩壊は深刻なものがあり、昼間からの酔っ払い、清掃労働、および物乞いに従事するストリートチルドレンも多い。その為、スリやひったくり、ノックアウト強盗等が年を追うごとに増えており、人込みや日没後の外出は危険とされる。

都市の人口は、主に2つのグループに分割される。人口の大半は、 ゲル地区と呼ばれるゲルに住んでいるが、残りは市の中心部にあるマンションに住んでいる。ゲル地区の一部はスラム化している。ゲル地区の住民の多くは、調理や暖房用に石炭ストーブを使用しており、深刻さを増す大気汚染の原因の一つとなっている。ユニセフの調査によれば、2016年、北京ニューデリーを上回る世界一大気汚染の深刻な都市となっている[4]

教育

大学

交通

レストラン等が入るウランバートル駅舎

航空

市内中心部から南西10kmの場所に1957年に開港したチンギスハーン国際空港があり、北京モスクワなどへ国際定期便が運航されている。

新ウランバートル国際空港が、2020年の開港を予定している。

鉄道

市内にはウランバートル鉄道英語版の中核駅であるウランバートル駅が存在する。

2014年よりウランバートル駅を中心に市内の東西間でレールバスが運行されている。

地下鉄の計画があるが、時間と費用がかかることもあり、ライトレールへの変更も検討されている。

国際列車

ウランバートル駅は、シベリア鉄道から分岐し、中国鉄路集二線へ接続するモンゴル縦貫鉄道の沿線駅で、ロシアや中国に繋がっているため、学生や旅行者などを中心に、国際列車の利用者も少なくない。 ただし、モンゴル中国間の国境を乗車したまま直接越える場合、バスや乗り合いジープでの越境(10,000から18,000トゥグルグ程度)と比較して運賃(150,000トゥグルグ以上)が10倍前後かそれ以上となり、非常に高くなる。 また、台車入れ替えなどの作業や時間調整などがあったり、国境近くなど、特定の駅での停車時間が非常に長い便もある。

中国-モンゴル-ロシア
中国
ロシア

バス

バスに乗るのは学生と老人だけとさえ言われていたが、日本国政府開発援助で供与されたバス99台の支援を受けたことがある。 2012年からウランバートルの道路ルールを変更して、バスは1番目の列で走ることで運行が早くなった。[要出典]また、2015年からバスの電子マネーのスマートカードを利用をし始めた[5]以前問題となっていた飛び出し等歩行者の交通の悪いマナーはだんだんよくなっている。[要出典]

タクシー

ウランバートルのタクシーは初乗りは1,000モンゴルトゥグルグで、1kmごとに800-1,000トゥグルグである。しかし、タクシーの運賃は燃料費と為替の変動で変更される。 タクシー業者以外の、いわゆる白タクがある。

道路

市民の足は、社会主義時代は路線バストロリーバス(国営の電気軌道会社が製造)であったが、市場経済化以降は車内の治安悪化や渋滞の激化により、タクシーや「ミクロ」と呼ばれる9人乗りのワゴン車などが中心となっている。また、多くの世帯自家用車を所持し、ちょっとした距離でも自動車で移動する習慣があるため、市内の渋滞はきわめて深刻である。

著名出身者

対外関係

ウランバートルの友情都市

姉妹都市

その他

脚注

  1. ^ Climatological Normals of Ulaanbaatar”. Hong Kong Observatory. 2010年4月14日閲覧。
  2. ^ 小金澤他「モンゴル・ウランバートル市のゲル集落の拡大」。
  3. ^ 戦没者慰霊事業:日本人死亡者慰霊碑(モンゴル)厚生労働省ホームページ
  4. ^ 「酸素カクテル」を飲む住民も、モンゴル首都の強烈な大気汚染”. AFP (2018年5月17日). 2018年5月19日閲覧。
  5. ^ http://www.polit.mn/content/68545.htm

参考文献

  • 小金澤孝昭・ジャンチブ・エルデネ・ブルガン・佐々木達「モンゴル・ウランバートル市のゲル集落の拡大」、『宮城教育大学環境教育研究紀要』第9巻、2006年。

関連項目

外部リンク