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Kの昇天

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Kの昇天 ――或はKの溺死
訳題 The Ascension of K, or K's Drowning
作者 梶井基次郎
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出青空1926年10月1日発行10月号(第2巻第10号・通巻20号)
刊本情報
収録 作品集『檸檬
出版元 武蔵野書院
出版年月日 1931年5月15日
題字 梶井基次郎
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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Kの昇天』(けいのしょうてん)は、梶井基次郎短編小説。副題付きでは『Kの昇天――或はKの溺死』となる[1]。夜の海岸満月に象られた自分のから出現するドッペルゲンガーに導かれて昇天してゆく青年Kについて物語る書簡体形式の作品[2][3]自我の分裂との昇天という神秘的な主題の中に、病死運命を薄々感じ取っていた基次郎の切ない思いが籠っているファンタジックミステリー風な短編である[2][3][4][5][6]を題材にした的作品・幻想文学としても人気が高く、アンソロジー集で取り上げられる名作でもある[7][8][9]

発表経過

1926年(大正15年)10月1日発行の同人誌青空』10月号(第2巻第10号・通巻20号)に掲載された[1][10]。なお、初出の末尾には「九月十八日 飯倉片町にて」と付記されている[11]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[10]。同書には他に17編の短編が収録されている[12]

翻訳版は、Stephen Dodd訳によりアメリカ(英題:The Ascension of K, or K's Drowning)、Christine Kodama訳によりフランス(仏題:L'ascension de K)で行われている[13][14][注釈 1]

あらすじ

N海岸で転地療養していた「私」は、ある満月の夜に砂浜でK君と知り合ったのを機に、1か月ほどの期間、お互いの旅館を訪ねたり一緒に散歩したりと親しく交流した。やがて「私」の方は健康を取戻し一足先にその地を去ったが、病気が進んでいる様子のK君の方はまだ残留していた。

「私」はK君の知人から、N海岸でK君が溺死したという報せを受け取った。手紙の主の「あなた」はK君の死が過失なのか自殺かが判らず、もし自殺なら原因は何かと思い悩んでいるようだった。「私」は面識のない「あなた」へ、K君の死の謎について思い当たることを書き送りながら、「」に憑かれていたK君のことを回想する…。

療養地のN海岸に来てから最初の満月の夜、病気のせいで眠れずに寝床を出た「私」は、の影を踏みながら誰もいない砂浜に歩み出て、漁船に腰を下ろし、煙草を吹かしながら1人で月光を眺めていた。ふと砂浜に気配を感じた「私」は、3、40歩離れたところで奇妙な動きをしている人影に気づき観察した。

その人影は「私」に背を向けた格好だったが、何か落し物を探している風で、砂浜を前に進んだり、立ち止まったり後退したりしながら下を見ているようだった。「私」はその人が気づくようにシューベルトの「海辺にて」と「二重人格(ドッペルゲンゲル)」を口笛で吹いてみた。

「私」は、その人がマッチを持っていないのだろうと考え、思いきって歩み寄って行くが、目の前に出来た影で、その人も自分の影を踏んでいることが判り、探し物をしていないことに気づいた。「私」が声をかけると彼はきまり悪そうに微笑していたが、それをきっかけに彼(K君)は、どうして自分の影を見ていたのか「私」に教えてくれた。

月光で象られた自分の影をじっと凝視していると、徐々に生物の相が出現すると話すK君は、その影が一か二尺ほど(約30-60センチ)の短いのがよく、揺れ動かしているうちに段々と自分自身の姿が見えてくると説明した。そしてその不思議な瞬間には影の自分が人格を持ち始め、此方の自分は意識が遠くなり、に昇っていくような感覚になるという。

その阿片のような感覚を知ると現実の世界が身に合わなくなるとK君は言った。しかしながら月に行こうとしても、ジュール・ラフォルグにあるイカロスのように何度も落っこちてしまうと苦笑いした。その夜の出会いをきっかけに、「私」とK君は親しくなった。

月が欠け始めると、K君は海岸に出ることはなかった。影ほど不思議なものはないと言うK君は、影について熱心に考察し、朝の海辺にも立って日の出に出帆する船の実体が逆光線で影絵のようになることを観察していた。やがて健康を回復した「私」はその地を去ることになったが、K君の頬はこけ、病は徐々に進行しているようだった。

しかしK君と過ごした日々を振り返った「私」には、K君が自殺したとは思えなかった。K君の死の原因が何かは誰にもわからないが、「私」はK君の溺死の報せを受けて驚いたと同時に、「K君はとうとう月の世界に行った」と思い、影がK君を奪ったと直感した。K君が溺死した夜、ちょうど月齢15.2の満月だったことを「私」はで確認した。

満月が南中する時刻の前後に海に入っていったと思われるK君の姿を「私」は想像する。砂浜の影に表出された自分自身を見たK君のは月へと昇ってゆき、K君の形骸の身体の方は、人格を持った影に導かれて無意識に海に歩み入り、高波によって海中に仆れていった。

もしもその瞬間、K君の魂がイカロスのように「墜落」して身体に戻っていれば、泳ぎのできるK君は溺れることはなかったはずだった。干潮の夜11時56分の激浪に形骸の身を委ねたまま、K君の魂は月へ月へと飛翔し去っていった、と手紙の最後で「私」は「あなた」に書き綴った。

登場人物

病気療養のためにN海岸の旅館に滞在し、満月の夜にK君と出会う。愛煙家。療養地を発った後、「あなた」からK君死亡の手紙を受け取り、それに返信する。
K君
病気療養中のN海岸で溺死。深いと高い鼻。澄んだ声。病状が進んで頬が段々とこけ、鼻梁が高く目立つ。から昇る朝日でできた等身大のシルエットを幾枚か持っていた。高等学校時代の寄宿舎生活の時、別部屋にいた美少年が机で勉強する姿ののシルエットを誰かがでなぞって描いた絵を、よく見に行っていた。
あなた(手紙内)
K君の友人らしき人物。K君の溺死の原因について思い悩んでいる様子。一面識のない「私」に手紙を出した。

作品背景

執筆前の焦燥と打開

1926年(大正15年)8月に、大手出版社・新潮社の雑誌『新潮』の編集者・楢崎勤から10月新人特集号への執筆依頼を受けた梶井基次郎は、『青空』同人の中谷孝雄に「何だか君に悪いような気がするけど」と言いつつも、いよいよ文壇への足がかりの機会を得たと張り切り、締切日の9月5日に向けて一生懸命になっていた[16][17][2][18]

しかし同年1月あたりから悪化しはじめていた持病の結核が、夏の猛暑と同人誌『青空』の広告取りの疲労の蓄積でさらに進行し、麻布医者から「右肺尖に水泡音(ラッセル)、左右肺尖に病竈あり」と診断されていた[16][2][18]。大阪市住吉区阿倍野町(現・阿倍野区王子町)の実家に帰省し執筆作業に取り組んでいた基次郎は、原稿の締切日を9月15日まで延ばしてもらっていた[19][2][18]

基次郎は、以前『路上』で記した線路沿いから見える家々の内部の光景に惹かれるという挿話を、城東線の運転手を主人公にして小説化する構想を練るが、うまくまとまらずについに断念し、9月13日の夜行で上京。14日に新潮社に赴いて詫びに行った(この未完の作品の主題が、その後「ある崖上の感情」となる)[20][2][18]

この時に新潮社から寄稿依頼された新人は他に、藤沢桓夫林房雄舟橋聖一久野豊彦尾崎一雄浅見淵らがいて、破約したのは基次郎だけだった[2]。基次郎は新潮社からの帰り、新しい日記用に神楽坂の相馬屋で紙を買って心機一転を図ろうとした[20][2][3]。この時期の行き詰まり感や結核の進行に焦っていた基次郎は、毎晩寝床で「お前は天才だぞ」と3度繰り返し自信暗示をかけていた[2]

結局は僕一人が破約者だつた、社長とか中村氏(編集長の中村武羅夫)とか 楢崎氏 会話のなかへまじへる 僕の存在がそんな公人をdisturbしたと思ふとこそばゆかつた 結局重荷は下りたのだ 原稿を発表する機会を失つたといふ気持さらになし 況や原稿料といふ考へも。快豁。新しい出発 気持は意識もそれに加わり 明るく明るくなつて行つた — 梶井基次郎「日記 草稿――第八帖」(大正15年9月)[20]

9月16日は、四谷区坂町(現・四谷坂町)の淀野隆三の下宿で『青空』の同人会が行われて次号のことを話し合うが、その際、次号への作品発表を申し出ると、外村茂は基次郎を無視するような態度であった[20][2][3]。『新潮』の原稿を破約してしまったことへの不信からと思われたが、基次郎はそれを淋しく感じた[20][2][3]

そしてその夜、麻布区飯倉片町(現・港区麻布台3丁目)の下宿において執筆に取りかかるが筆が進まず就寝し、翌17日の大雨の朝から本格始動した[20]。しかし描写がはかどらず、夕方買物から帰った後から書簡体形式を思いついた基次郎は、夜から調子が乗ってきて徹夜し18日の朝にかけて一気に『Kの昇天』を書き上げた[20][2][3][注釈 2]

ドッペルゲンガー体験

梶井基次郎は、『Kの昇天』より約1年前の1925年(大正14年)7月に発表した『泥濘』の終章の中で、自身が偶然に体感した不思議な自我の分裂(ドッペルゲンガー)について綴っている[21][3]

それは、月光に照らされた道を歩く自身のに〈生なましい自分〉を発見し、その〈自分が歩いてゆく!〉姿を、〈のやうな位置からその自分を眺めてゐる〉という〈眩暈〉のような体験だった[21][3]。『泥濘』で主人公・奎吉は、そのことに〈漠とした不安〉を感じるが、小溝に流れる銭湯の湯の匂いで、自分の意識は自分自身に戻った[21][3]

この『泥濘』や『ある心の風景』、『冬の日』など、心象的な実体験の挿話のいくつかを組み合わせる手法は、基次郎の作品ではよく見受けられるが、『Kの昇天』の場合では、『泥濘』の終章で描かれた上記のような異様な自我分裂の体験を一つの主題としてさらに発展させ、書簡体という手法を採用することで、一つの〈構図〉を持つ架空物語として作品成立させている[3][6][注釈 3]

肉付けの素材

梶井基次郎は自身のドッペルゲンガー体験を主題として、それを作品化するにあたり虚構の肉付けを行なっているが、そこには自身がこれまで親しんできた音楽読書の中からのヒントが大胆に活用されている[3]

シューベルトとハイネ

物語の語り手の〈私〉が、海岸で見知らぬK君に聞えるように口笛を吹く最初の曲は、シューベルトの「海辺にて(Am meer)」であるが、これは2人がいる場所の連想であると同時に、次に吹く曲の「影法師(Der Doppelgänger)」の前振りでもある[3]

この2曲はそれぞれ、シューベルトの歌曲集『白鳥の歌(Schwanengesang)』の第12曲と第13曲であり[23][24]、基次郎はクラシックオペラ好きで譜面も読めた[25]。基次郎が「影法師(Der Doppelgänger)」の曲名を出したのは、ドッペルゲンガーという主題の言葉を示すためで、「海辺にて」により、出会いの舞台設定を海岸にする着想を得られたとも推察できる[3]

『白鳥の歌』第13曲は、シューベルトがハインリヒ・ハイネの詩『帰郷』93篇の中の1篇に感動して曲をつけ、「Der Doppelgänger」と名付けたものであるが、その詩は、かつて失恋体験した男性がの夜、恋に苦悩している自分の分身(影法師)を見てしまうという内容で、戦慄的な激しい心情が重々しく叙唱されている[23][24][3]

はひっそりとして、小路はしんとしている。 この家にはぼくの恋人が住んでいたのだ。 その娘はとっくにこの町を立ち去ったが、家はまだ同じ場所にある。

そこには、またひとりの男がたって、高いところを見つめ はげしい苦痛に手をにぎりしめている。――その顔を見たとき、ぼくはぞっとした 月が見せてくれたぼく自身の姿なのだ。

その影法師よ、蒼ざめた男よ! なぜお前はぼくの恋の悩みを真似るのか。 むかしと同じこの場所で、幾夜もぼくが苦しんだあの恋の悩みを。 — ハインリヒ・ハイネ「帰郷」の一篇(服部龍太郎訳「シューベルトの歌曲」)[26]

なお『Kの昇天』の作中では、「影法師(Der Doppelgänger)」が、あえて「二重人格」と記されているが、それは自身の体験を的確に表す言葉だと基次郎が考えたと推察され[3][注釈 4]、また『カラマーゾフの兄弟』などを愛読していた基次郎が、ドストエフスキーの小説『二重人格』によって、その用語を知った可能性も濃厚である[3][注釈 5]

シラノ・ド・ベルジュラック

Kが〈昇天〉していくというアイデアは、作中で〈シラノが月に行く方法を並べたてるところがありますね〉と簡潔的に言及されているように、エドモン・ロスタン戯曲シラノ・ド・ベルジュラック』の第3幕「ロクサアヌ接吻の場」の13場から着想されているのは容易に看取できる[3][24]。『シラノ・ド・ベルジュラック』が日本で初めて邦訳されたのは、1925年(大正14年)7月で、基次郎が『Kの昇天』を執筆する約1年前であった[3]

第3幕「ロクサアヌ接吻の場」では、シラノが口移しに教えた愛の台詞のおかげで、クリスチャンはロクサーヌの心を射止めて結婚する運びになるが、ロクサーヌに横恋慕しているド・ギッシュ伯爵がロクサーヌと結婚式を挙げようと僧侶を連れてやって来て、シラノがド・ギッシュ伯爵を引き留め時間稼ぎをするために、月から墜落した男のふりをするという場面がある[27][3]

シラノ「のさしひき。お月さまがに忍び逢ふ魔が時、潮を浴びて砂浜にころりと横に成ると、何しろ潮に漬かつた頭の髪の毛はじくじくちよつくり乾かない、月が潮を引くたびに、頭の潮も共に引かれる――ところでおらが大空に向つてむつくり首を上げる、そのまま体は砂をはなれて、何の苦もなくふらふらと、天使のやうに舞ひ上がる、しんづしんづと舞ひ上がる……」 — エドモン・ロスタンシラノ・ド・ベルジュラック』(楠山正雄訳)[27]

第3幕「ロクサアヌ接吻の場」が、『Kの昇天』の構想にも大きく関与しているのは、夜の海辺で月に憧れ、牽引されていくというファンタジックな趣の共通性からも明らかであるが、シラノの方は物理的に月の引力が利用されて牽引されるが、Kの方は身体が地上にありながら、分離した〈〉だけ昇天するという違いがある[3]

ジュール・ラフォルグ

『Kの昇天』の作中で、〈哀れなる哉、イカルスが幾人も来ては落つこちる〉と記されているのは、ジュール・ラフォルグの詩「月光」の中の一節である[3]。ラフォルグはフランス詩人で、厭世的な素顔をピエロの仮面で隠したと評された[23][24]

基次郎は上田敏の邦訳したラフォルグの詩集『海潮音』、『牧羊神』を愛読しており[28][3]、『シラノ・ド・ベルジュラック』同様、月の光に魅せられる人物イメージの着想をラフォルグの詩篇からも得ていたことが看取される[3]

あゝ月は美しいな、あのしんとした中空を 夏八月の良夜に乗つきつて。

帆柱なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと 転けてゆく、のまつ黒けの下を
あゝ往つてみたいな、無暗に往つてみたいな、 尊いあすこの水盤へ乗つてみたなら嘸よからう。
お月さまはだ、險難至極な燈臺だ。 哀れなる哉、イカルスが幾人も来ておつこちる。

自殺者の眼のやうに、死つてござるお月様、 — ジュール・ラフォルグ「月光」(上田敏訳)[29]

作品評価・研究

『Kの昇天』は、他の梶井基次郎の作品に比べるとフィクション的な要素で構成されているため、『檸檬』『城のある町にて』『ある心の風景』『冬の日』といった代表的な私小説・心境小説的作品のようには、正面から本格的に論究される作品として取り上げられることが比較的少ない傾向にあるが[6]を扱った作品や幻想文学の一種としてアンソロジーで取り上げられることが多く、人気の高い短編でもある[7][8][9]

池内紀は、西洋では夢遊病者や月に吠える人を「月光のなせるわざ」とされ「月の光理性を狂わす」といった言い回しがあることに触れつつ、K君が月へ徐々に登っていく描写について、「歩一歩と、まるで黒い小悪魔に引かれるように、あるいは生の深淵に口をあけた黒い穴に向うよう」と評し、『Kの昇天』を「名作短篇の見本のような作」と賞揚している[7]

川本三郎は、エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』などドッペルゲンガーを主題にした作品が19世紀から出現した影響で、日本でも大正期にリアリズム小説に対し幻想小説が増え、芥川龍之介などがドッペルゲンガーの主題を扱っていることに触れつつ、基次郎の『Kの昇天』も「世紀末文学に通じる美しく病める感受性」が看取できる作品だと評している[7]

鈴木沙那美は、『Kの昇天』を「K君の溺死の原因をめぐる語り手の推理の小説」であると同時に、「ドイツロマン派風の神秘で染めあげられた作品」であるとして、その「二重の意味」で「ミステリーとでもいうべきもの」に仕立てられていると解説している[5]

島村輝は、鈴木沙那美の指摘を敷衍し、語り手の〈私〉にとって〈あなた〉という存在は「探偵」の役割が担わされたものであるとし、「探偵」の〈あなた〉に向って「容疑者」の〈私〉が話す「釈明」や「弁明」に相当する作品構造に内包されているミステリー的要素を鑑みながら、〈私〉がK君の〈溺死〉の意味を〈昇天〉として語ることによって、〈私〉自身がそこにどう関わっているのかという「別の何かを《告白》しようとしている」と考察している[6]

そして島村は、〈私〉がK君に話しかけた瞬間、K君の目線には〈私〉が逆光影絵に見えていた位置であることから、その第一印象の錯覚により、K君にとっての〈私〉は、「自分(K)の影が受肉した姿」となり、N海岸の出来事を振り返る〈私〉がそのことに気づいたとして[6]、それにより「〈Kの溺死〉は〈私〉にとって紛れもない〈Kの昇天〉と意味付け」られ、「Kの影」である〈私〉が健康を回復し〈此方〉に適応して実体化していく代りに、K君は〈月の方〉に登ったと考察している[6]

大切なのは、「私」がそれを「昇天」と意味付けたとき、それに関わった「私」の役割を、自分で意味付けているということだ。「Kの昇天」という「物語」の中で「此方」という「現実」の真っ直中へ帰っていった「影」としての自分を意味付けることによって、殆どKと重なりあるような道を辿ってきた「私」は、自分の分身としての「Kの昇天」を冷徹に描き出し、彼を月世界に葬った。(中略)

「影がK君を奪つたのです」という言葉によって、「私」は、「影」である自身が「Kの昇天」に深く関与していることを物語ってしまっている。しかも「私」はそのように「Kの溺死」を描き出すことで、今自分が「現実」の中で生きていく道を歩んでいることを、高らかに宣言しているのである。

「私」は「あなた」に、「Kの昇天」を語ることによって、現在の自分についての見事な《告白》と《弁明》を、「あなた」に対しても、自分自身に対してもなしとげたのだということができるだろう。それはまた、通説とは逆に、「新潮」からの依頼原稿のプレッシャーから解放された梶井の新たな生へ向かう心を映し出してもいるはずである。 — 島村輝「梶井基次郎『Kの昇天―或はKの溺死』(読む)」[6]

水島佑は、島村輝が論じるように〈私〉がKと異なる世界で生きることになるという考察に異議を唱え[11]、〈私〉が不眠という精神的不安定を抱え、Kと出会う前から〈影〉を意識していた複数の描写を指摘し、Kに話しかける前に、12回もKを〈人影〉と表現していることや、想像から確信へと転換していく〈私〉の語り口調の特色に着目しつつ、〈私〉もK同様に「現実とは異なる世界を持っている」とし、手紙の返信という形式が物語末尾で破綻する構図を看取し以下のように評している[11]

この作品は、冒頭で手紙の返信という形を提示しながらも、最後はKの死に立ち会ったかのような臨場感のある語りへの変化することや、その途中途中で、「私」がこの物語を語るために作りあげた「あなた」という人物に対して同意を求めるような、非常に意識的な一言が挟み込まれていること、語り手である語りが不安定であることが実に巧妙に描かれているということが、一つの魅力であるとわたしは考える。 — 水島佑「梶井基次郎『Kの昇天(或はKの溺死)』:「私」の二重性について」[11]

柏倉康夫は、『泥濘』の終章でのドッペルゲンガー体験では、主人公・奎吉が〈漠とした不安〉を感じ、すぐに意識が自分自身に戻っているのに対し、『Kの昇天』のKは意識的に何度もその状況を作り、〈影のなかの自己〉を出現させることにより、自己を抜けようとしている違いがあることを鑑みつつ、Kの目的を、「意識のトリックによる現実の変様などではなく、別の世界、身体が消滅しだけが存在する理想世界への離脱」であると解説している[3]

そして柏倉は、『Kの昇天』を「透明感をそなえた悲愴な作品」と評し、それがシューベルト歌曲などの影響を受けて「ドイツロマン風の神秘感」を醸し出しながらも、横溢するその「透明感」は基次郎独自のものであり、「(基次郎が)に対して抱く不安と憧れの照射のせいである」とし、地上を離れることがなかった『泥濘』の「影法師」からの主題の変化を考察している[3]

「Kの昇天」では、主題はあきらかに影法師から、喪失されていく自我の方に移っている。そしてこの変化の裏には、いうまでもなく病気の進行が働いている。雑誌編輯や友だちと一緒にいるときは忘れてはいても、ふと気づく胸のラッセル音にまじるに、いやでも死を思わずにはいられない。肉体は滅んでも魂は昇天するというこの作品には、切ない梶井の願いが反映していると言えないだろうか。 — 柏倉康夫「評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」[3]

おもな収録本

アンソロジー収録

舞台化

脚注

注釈

  1. ^ Christine Kodama(クリスチーヌ・小玉)は、『視線の循環――梶井基次郎の世界』(邦題)という梶井基次郎論と共にいくつかの梶井作品を仏訳し1987年パリで出版した[13][15]
  2. ^ なお、書き上がった9月18日に同人合評会が基次郎の下宿で行われ、基次郎も自作原稿を朗読したが、批評は断った[20][2][3]
  3. ^ 基次郎は『ある心の風景』を発表した後、今後の創作について、〈作品のまとまりといふことにこれから力を注ぐ考へです まとまりといふよりも構図(コンポジション)といふ方がいいかも知れません、積極的にゆく考へです〉と友人に書き送っている[22]
  4. ^ 基次郎が訳したこのDoppelgängerの訳語は、通常の「二重人格」の意味とは少し異なる。Doppelgängerは、同一で、なおかつ同時に別の場に現れる人という意味で、第2の自我生霊のような類のものである[23]
  5. ^ ドストエフスキーの『二重人格』は今日では『分身』という邦題でも訳されるが、当時は『二重人格』のタイトルとなっていた[3]

出典

  1. ^ a b 藤本寿彦「『青空』細目」(別巻 2000, pp. 504–515)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 「第二部 第七章 二重の自我」(柏倉 2010, pp. 200–214)
  4. ^ 「『青空』と友人たち」(アルバム梶井 1985, pp. 30–64)
  5. ^ a b 鈴木沙那美『転位する魂 梶井基次郎』(社会思想社現代教養文庫、1977年5月)。島村 1990, p. 68
  6. ^ a b c d e f g 島村 1990
  7. ^ a b c d 池内紀川本三郎「読みどころ――梶井基次郎『Kの昇天』」(名作2巻 2014, pp. 487–488)
  8. ^ a b 東 2003
  9. ^ a b 鈴木光 2006
  10. ^ a b 鈴木貞美「梶井基次郎年譜」(別巻 2000, pp. 454–503)
  11. ^ a b c d 水島 2012
  12. ^ 藤本寿彦「書誌」(別巻 2000, pp. 516–552)
  13. ^ a b ウィリアム・J・タイラー編「外国語翻訳及び研究」(別巻 2000, pp. 640–642)
  14. ^ Dodd 2014
  15. ^ 「第三部 第二章 『冬の日』の評価」(柏倉 2010, pp. 245–254)
  16. ^ a b 淀野隆三宛て」(大正15年8月16日付)。新3巻 2000, pp. 151–152に所収
  17. ^ 中谷孝雄『梶井基次郎』(筑摩書房、1961年6月)。『中谷孝雄全集 第4巻』(講談社、1975年)p.379。柏倉 2010, p. 198
  18. ^ a b c d 「第二部 第六章 『新潮』への誘い」(柏倉 2010, pp. 190–199)
  19. ^ 「近藤直人宛て」(大正15年9月15日付)。新3巻 2000, p. 152に所収
  20. ^ a b c d e f g h 「日記 草稿――第八帖」(大正15年9月)。旧2巻 1966, pp. 358–365に所収
  21. ^ a b c 「泥濘」(青空 1925年7月・通巻5号)。ちくま全集 1986, pp. 59–70、新潮文庫 2003, pp. 61–76に所収
  22. ^ 「北神正宛て」(大正15年8月3日付)。新3巻 2000, pp. 145–147に所収
  23. ^ a b c d 三好行雄「注解――Kの昇天」(新潮文庫 2003, pp. 319–320)
  24. ^ a b c d 「注解――Kの昇天」(ちくま全集 1986, pp. 128–138)
  25. ^ 飯島正「梶井君の思ひ出」(評論 1935年9月号)。別巻 2000, pp. 52–55に所収
  26. ^ リチャード・キャペル著・服部龍太郎訳『シューベルトの歌曲』(音楽之友社、1953年6月)。柏倉 2010, pp. 205–206
  27. ^ a b エドモン・ロスタン楠山正雄訳)「シラノ・ド・ベルジユラツク」(『近代劇体系第11巻 仏及南欧篇』1925年7月)。柏倉 2010, pp. 207–208
  28. ^ 平林英子「梶井さんの思ひ出」(評論 1935年9月号)。『「青空」の人たち』(皆美社、1969年12月)。別巻 2000, pp. 46–52に所収
  29. ^ ジュール・ラフォルグ上田敏訳)「月光」(『牧羊神』金尾文淵堂、1920年10月)。柏倉 2010, p. 209

参考文献

  • 梶井基次郎全集第2巻 遺稿・批評感想・日記草稿』筑摩書房、1966年5月。ISBN 978-4-480-70402-3 
  • 『梶井基次郎全集第3巻 書簡・年譜・書誌』筑摩書房、1966年6月。ISBN 978-4-480-70403-0 
  • 『梶井基次郎全集第3巻 書簡』筑摩書房、2000年1月。ISBN 978-4-480-70413-9 
  • 『梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎』筑摩書房、2000年9月。ISBN 978-4-480-70414-6 
  • 梶井基次郎『檸檬冬の日 他九篇』岩波文庫、1954年4月。ISBN 978-4-00-310871-0  改版は1985年。
  • 梶井基次郎『檸檬』(改)新潮文庫、2003年10月。ISBN 978-4-10-109601-8  初版は1967年12月。
  • 梶井基次郎『梶井基次郎全集 全1巻』ちくま文庫、1986年8月。ISBN 978-4-480-02072-7 
  • 池内紀; 松田哲夫; 川本三郎 編『幸福の持参者――日本文学100年の名作 第2巻1924-1933』新潮文庫、2014年9月。ISBN 978-4-10-127433-1 
  • 大谷晃一『評伝 梶井基次郎』(完本)沖積舎、2002年11月。ISBN 978-4-8060-4681-3  初刊(河出書房新社)は1978年3月 NCID BN00241217。新装版は 1984年1月 NCID BN05506997。再・新装版は1989年4月 NCID BN03485353
  • 柏倉康夫『評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ』左右社、2010年8月。ISBN 978-4-903500-30-0 
  • 鈴木貞美 編『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』新潮社、1985年7月。ISBN 978-4-10-620627-6 
  • 鈴木光司 編『月のものがたり――月の光がいざなうセンチメンタル&ノスタルジー』ソフトバンク クリエイティブ、2006年1月。ISBN 978-4-7973-3410-4 
  • 島村輝「梶井基次郎『Kの昇天―或はKの溺死』(読む)」『日本文学』39(1)、日本文学協会、68-71頁、1990年1月10日。 NAID 110009921933 
  • 東雅夫 編『幻視の系譜――日本幻想文学大全II』ちくま文庫、2003年10月。ISBN 978-4-480-43112-7 
  • 水島佑「梶井基次郎『Kの昇天(或はKの溺死)』:「私」の二重性について」『成城国文学』第28号、成城大学、93-103頁、2012年3月。 NAID 110009753192 
  • Stephen Dodd (2014-02), The Youth of Things: Life and Death in the Age of Kajii Motojiro, University of Hawaii Pres, ISBN 978-0824838409 

関連項目

外部リンク