中勘助

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中 勘助(なか かんすけ、1885年明治18年)5月22日 - 1965年昭和40年)5月3日)は東京出身の作家詩人である。夏目漱石の教え子。日記体随筆で知られる。代表作に『銀の匙』。1964年度朝日賞受賞[1]

来歴・人物[編集]

東京市神田区(現千代田区神田東松下町(旧今尾藩主竹腰家邸内の家)で藩士の子として生まれた。母親の産後のひだちが悪く、同居していた叔母に育てられる[2]。生まれつき体が弱く神経過敏で頭痛に悩まされる子供だったため、外で遊ぶことはなく幼少期のほとんどを叔母以外の人と接することなく育つ[2]。5歳で小石川の小日向水道町(現・水道 (文京区))に転居[3]。叔母の影響で物語や絵などに親しむ一方、封建的で厳格な父親や14歳年上の兄に反発心を抱き、学校でも協調できず、厭世的になる[2]

東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、第一高等学校から東京帝国大学文学部英文科まで続けて夏目漱石の講義を受ける。一高時代の学友には、江木定男(江木鰐水の孫)、山田又吉、藤村操安倍能成小宮豊隆野上豊一郎尾崎放哉岩波茂雄荻原井泉水らがおり、彼らも帝大に進学し交流は続いた[4]。国文科に転じて大学を卒業した後も、早稲田南町の漱石山房をしばしば訪問している。しかし控えめな人柄から、漱石山脈の中では目立たない存在として通した。文壇政治から常に距離を置き、特定の派閥にとらわれない孤高の文人だった。また、野上弥生子の初恋の人としても知られている。

1913年から1914年にかけて、漱石の推薦で自伝的小説『銀の匙』を東京朝日新聞に連載。素直な文章で愛されているが、『犬』『提婆達多』など、愛慾、妄執などを幻想的な作風で描いた作家でもある。その陰には兄金一との確執があった。金一は東京帝国大学医科を卒業後、ドイツ留学を経て京都帝国大学福岡医科(後の九州帝国大学医科)教授となったが、1910年に脳出血で倒れて廃人となるが、勘助はその妻末子に愛情を寄せていた(末子は幕末長州の志士入江九一の弟野村靖子爵の娘で華族女学校を出て19歳で結婚)。1924年から1932年まで平塚に居住[5]。1942年に末子が死ぬと勘助は57歳で結婚するが、金一は結婚式の日に自殺している。このことは、末子の兄の孫である菊野美恵子が2001年に『新潮』誌上で明らかにした[6]

1943年より1948年まで、静岡県安倍郡服織(はとり)村に疎開。戦後、泉鏡花の養女泉名月谷崎潤一郎に文学修業のため預けられたが、谷崎は中に指導を頼んでいた。

1965年5月3日、脳出血のため東京都千代田区飯田橋日本医科大学附属第一病院で死去。80歳没。戒名は慈恩院明恵勘真居士[7]

中勘助と静岡市服織地区[編集]

1943年に静養のため静岡県安倍郡服織(はとり)村新間字樟ヶ谷(現静岡市葵区新間)に移住。1945年3月に服織村羽鳥(現葵区羽鳥本町)に移り住む。一時服織村への永住を考えるものの、1948年4月に東京に戻る。

服織村への移住以降、詩集「藁科」、随筆「樟ヶ谷」「羽鳥」など、この地を題材にした作品を数多く残している。

また、静岡市立服織中学校の校歌の作詞をしている。

なお、新間字樟ヶ谷に住んでいた頃の建物(杓子庵)は現在も残されており、1995年より中勘助文学記念館として一般に開放されている。

著書[編集]

  • 銀の匙 岩波書店 初版1921、のち岩波文庫、角川文庫等
  • 提婆達多 新潮社 1921。著者表記は那珂、のち岩波文庫等
  • 犬 岩波書店 1924 のち文庫
  • 沼のほとり 岩波書店 1925 のち角川文庫
  • 菩提樹の蔭 岩波書店 1931 のち文庫、角川文庫「菩提樹の蔭・提婆達多」
  • しづかな流 岩波書店 1932 のち角川文庫
  • 母の死 岩波書店 1935 のち角川文庫
  • 琅[カン] 岩波書店 1935
  • 海にうかばん 岩波書店 1936.12
  • 吾往かん 岩波書店 1937
  • 街路樹 岩波書店 1937.6 のち角川文庫
  • 大戰の詩 岩波書店 1938.12
  • 百城を落す 詩集 岩波書店 1939.9
  • 逍遥 岩波書店 1940
  • 詩集飛鳥(ひてう) 筑摩書房 1942
  • 蜜蜂 筑摩書房 1943 のち岩波文庫「蜜蜂・余生」
  • 余生 随筆集 八雲書店 1947
  • 鶴の話 山根書店 1948
  • 鳥の物語 山根書店 1949 のち岩波文庫
  • 白鳥の話 角川書店 1951
  • 藁科 詩集 山根書店 1951
  • 中勘助集 小堀杏奴編 新潮文庫 1951
  • 中勘助自選随筆集 創元文庫 1953-1954 (上下)
  • 中勘助詩集 角川文庫 1955
  • くひな笛 宝文館 1957
  • 中勘助全集 全13巻 小宮豊隆和辻哲郎編 角川書店 1960-1965
  • 中勘助随筆集 渡辺外喜三郎編 岩波文庫 1986.5
  • 中勘助全集 全17巻 串田孫一・稲森道三郎編 岩波書店 1989-1991
  • この友ありて 小宮豊隆宛中勘助書簡 勘奈庵 1991.10
  • 中勘助詩集 谷川俊太郎編 岩波文庫 1991.11
  • 鶴のごとし 中勘助の手紙 勘奈庵 1993.4

脚注[編集]

  1. ^ 朝日賞受賞者一覧文学賞の世界
  2. ^ a b c 幼少年期の中勘助『銀の匙』を中心に小布施みどり、上田女子短期大学、学海 8, 46-55, 1992-03
  3. ^ 幼時体験を描く文学 : 夏目漱石・中勘助・豊子愷西槇偉, 文学部論鍍第105号(2014)
  4. ^ 『中勘助の恋』p23
  5. ^ 平塚での中勘助『しづかな流』の味わい方尾島政雄、平塚市役所
  6. ^ 中勘助と兄金一--『銀の匙』作者の婚礼の日、兄が縊死した……衝撃の新事実菊野美恵子、新潮 98(7), 246-264, 2001-07
  7. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)230頁

文献[編集]

  • 十川信介 『「銀の匙」を読む』(岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、1993年)
  • 富岡多惠子 『中勘助の恋』(創元社、1993年、平凡社ライブラリー、2000年)
  • 稲森道三郎 『中勘助の手紙 一座建立』(中公文庫1995年/初版六興出版
  • 稲森道三郎 『服織の中勘助 その生活と文学』(麹香書屋、1990年) 
  • 渡辺外喜三郎 『中勘助の文学 近代の文学9』(桜楓社、初版1971年)。著者は門下生で『中勘助随筆集』(岩波文庫)を編み、勘奈庵(非売品)で関連書籍を出版。
  • 鈴木範久 『中勘助せんせ』(岩波書店、2009年)
  • 堀部功夫 『「銀の匙」考』(翰林書房 1993年)。「中勘助全集」(岩波版)の月報掲載稿を含む。『銀の匙』読解のための実証的研究。写真・図版多数。
  • 堀部功夫 『中勘助小児愛者的傾向説の検討』(「文学」 第13巻・第2号掲載論攷、2012年3・4月号 岩波書店)。富岡多惠子『中勘助の恋』の見解である「中勘助小児愛者的傾向説」を実証的に論駁している。 
  • 菊野美恵子 「中勘助と兄金一」(『新潮』2001年7月号、掲載)
  • 堀部功夫 「中勘助と名古屋」(上・下)、(「日本古書通信」2013年6・7月号-通巻1007号、1008号)。名古屋に於ける中勘助の両親(中勘弥、吉沢鐘しょう)の実家跡を追跡、確認する。

関連項目[編集]

  • 橋本武灘中学校・高等学校において「教科書を使わず、中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる」という異色の授業を行った(『銀の匙』授業と呼ばれる)。単に作品を精読・熟読するだけでなく、作品中の出来事や主人公の心情の追体験にも重点を置き、毎回配布するガリ版刷りの手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛けが施され、様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされていた。
  • 猪谷善一:学友・江木定男の娘・妙子の嫁ぎ先。中は妙子が幼女のころから可愛がり、江木没後は父親代わりとなり、妙子から求婚もされる。
  • 提婆達多:釈迦の弟子

外部リンク[編集]