山月記

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山月記」(さんげつき)は、中島敦短編小説である。1942年5月、『文學界』に「古譚」の名で「文字禍」と共に発表され、中島のデビュー作となった。唐代、詩人となる望みに破れて虎になってしまった男・李徴が、自分の数奇な運命を友人の袁傪に語るという変身譚であり、清朝の説話集『唐人説会』中の「人虎伝」が素材になっている。文部科学省認定教科書国語』の題材にしばしば採用され[1]、中島の作品中でも知名度が高い。野村萬斎による舞台化がある。

あらすじ[編集]

の時代、隴西李徴は若くして科挙試験に合格する秀才であったが、非常な自信家で、官吏の身分に満足できず詩人として名声を得ようとした。しかし官職を退いたために経済的に困窮して挫折する。下級官吏として屈辱的な生活を強いられたすえ、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。

翌年、李徴の旧友で監察御史となっていた袁傪(えんさん)は、旅の途上で人食い虎に襲われかける。虎は袁傪を見ると茂みに隠れ、すすり泣く。人食い虎となった李徴は、姿を隠したまま身の上を語る。今では虎としての意識が次第に長くなっているという。李徴は袁傪に自分のを記録してくれるよう依頼し袁傪は求めに応じる。自分が虎になったのは自身の自尊心と羞恥心、また怠惰のせいであると李徴は慟哭し、袁傪の一行は涙を流す。

夜が白み始めると、李徴は袁傪に別れを告げる。袁傪一行が離れた丘から振り返ると、草むらから一匹の虎が現れ、月に咆哮して姿を消す。

解説[編集]

下敷きとなっている「人虎伝」と比較すると、李徴がへ変身した理由に中島の創作が大きく入っている。「人虎伝」では、李徴は寡婦との逢瀬をある一家に妨げられ、その妨げてきた一家を焼き殺した報いで変身したとされているのに対し、中島は変身の理由を芸術家の実存の内面に求めた。また、虎へ変身した理由を語る李徴の語りが自己劇化による語りであるとする解釈もあり、この場合李徴の変身の原因は作中で明らかになっていないという[要出典]

「山月記」の題名は、虎に変わった李徴が吟じる詩の一節「此夕渓山対明月」から取られている。

朗読CD[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 一例として、桐原書店『探求 現代文[改訂版]』桐原書店発行 高等学校教科書のご案内

外部リンク[編集]