高橋和枝

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たかはし かずえ
高橋 和枝
1954年
プロフィール
本名 大泉 和枝(おおいずみ かずえ)[1][2]
性別 女性
出生地 日本の旗 日本栃木県那須郡大田原町(現:栃木県大田原市[2][3]
死没地 日本の旗 日本東京都文京区[4][5]
生年月日 (1929-03-20) 1929年3月20日
没年月日 (1999-03-23) 1999年3月23日(70歳没)
血液型 AB型[6]
職業 声優女優
配偶者 あり[5]
公称サイズ([7]時点)
身長 / 体重 145 cm / 42 kg
活動
活動期間 1949年[8] - 1998年
デビュー作 少女(『都会の幸福』)[8]
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高橋 和枝(たかはし かずえ、1929年昭和4年〉3月20日[9] - 1999年平成11年〉3月23日[5][9][10])は、日本声優女優

生涯[編集]

1952年

栃木県那須郡大田原町(現:栃木県大田原市)出身[2][3]。家業だった醸造業を引き継いだ父が事業に失敗したこともあり、一家は東京府東京市中野区(現:東京都中野区)[注 1]に移り住む[2]中野区立桃園小学校(現:中野区立中野第一小学校)時代の小学4年生の時に劇団東童の『青い鳥』を見て演劇のとりこになった[2]。小学6年生の時に国語の授業で『リア王』を朗読しており、担当していたコーディリア[注 2]の出来が抜群であり、声に酔いしれていた男子たちから胴上げされたという[2]。都立井草高等女学校(現:東京都立井草高等学校)に進学後の戦時中に一家は郷里に戻って栃木県大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校[3]に転校した[2]。終戦後高校卒業後、再び上京して東京家政学院(現・東京家政学院大学)本科[9]に進学[2]

高校、大学時代は演劇部に所属しており、1948年の同家政学院の卒業間近のある日、演劇部の教師から「あなたは、演劇の方面へ進んだほうがいいんじゃないかしら……」と言われる[2]。教師は、実家を訪れて両親を説得して、学校長を口説き、演劇界にも働きかけて、同家政学院の推薦で劇団前進座[9]に短期間在籍[2]。舞台『アリババ物語』で中村梅之助が演じていたアリババの妻役で役が付いた[2]。その後、1949年NHK東京放送劇団養成所の3期生となる[9][11]。同年4月のNHKラジオドラマ『都会の幸福』の少女役でデビュー[8][注 3]

1949年から放送のラジオ『とんち教室』や『さくらんぼ大将』でも活躍したが、1952年にNHK放送劇団を退職[2]。ラジオ東京(現・TBS)の専属となるが、1956年にはフリーとなった[2]。所属プロダクションはその後、テアトルプロダクション[13]河の会[14]、NPSテアトル[8]に所属した後、再びフリーであった。

1950年代ラジオドラマ生放送時代、テレビ黎明期の吹き替えから声優として活躍した。1959年から吹き替えに挑戦し、TBSで放送したアメリカのコメディー『ザ・ルーシー・ショー』で人気を得る[10]

1963年には『鉄人28号』に出演し、以後はアニメ声優としても活動。1966年には『快獣ブースカ』でブースカの声と主題歌を担当。アニメのみならず、特撮にも出演することとなった。

晩年は加藤みどり(『サザエさん』で共演)の「尊敬する大先輩」として、コメンテーターなどでテレビ出演をしていた。

2010年に第4回声優アワード特別功労賞を受賞。2011年からは新たに同アワードで彼女の名前を冠した「高橋和枝賞」が設立され、その年に「声優という職業を各メディアを通じて多く広めた女性声優」に対して贈られることになった[注 4][16]。初の受賞者は田中真弓。2018年には高橋の後任としてカツオ役になった冨永みーなが受賞した[17]

人物・エピソード[編集]

声種メゾソプラノ[14]

趣味は地唄舞一中節[8]。地唄舞は神崎流の名取で、「神崎紫女」を名乗っていた[18]。夫は歯科医師開業医[5]。息子と娘がいた[5]

仕事に対する姿勢[編集]

演じる際は、口で表現するもの以外に「何かモヤモヤした人間的魅力」を感じさせねばならないと述べている。また、視聴者に対しては「良くても悪くても知らん顔では困ります」「アテレコが下手だったら、どんどん言ってほしいですね」と発言していた[19]

自身の役柄について「大抵は美女の中に一人だけいる鬼婆みたいな役のアテレコばかり」と語り、そのような役やドナルド・ダックバッグス・バニーなど「ヘンテコなもの」を持ち役にしていた[19]

ザ・ルーシー・ショー[編集]

海外ドラマ『ザ・ルーシー・ショー』では、主人公のルーシー・カーマイケル(演:ルシル・ボール)の吹き替えを担当した。

本作のオーディションを受けた際、高橋は「初めてフィルムを見た時から彼女の気持ちが手に取るようにわかった」といい、「のっちゃって、終わってもその興奮が冷めませんでした」と語っている。その後は夜も寝られず夢にまで見るほどやりたく、またスポンサー側がルーシーを有名な女優に吹き替えてもらおうとしている話を聞いていたため、演じることが決まった際はとてもうれしかったという[19]

高橋はルーシーについて、性格的に似ており動然とよく合ったと発言している[19]。一方で、ルーシーのバイタリティーについていくのは大変だったため「途中へばっちゃいけないと睡眠を充分とったり、ビフテキなんか食べたりして、何とか力をつけよう」と工夫していたという[19]

磯野カツオ[編集]

アニメ『サザエさん』では放送開始から2か月半で自主降板した大山のぶ代に代わって1969年12月28日放送分から磯野カツオ役を担当。自身の病気によって降板するまで29年半務め続けた。2代目ではあるが登板時期が3ヶ月目と早いことや、在任期間が長く多くの人々に知られていたため「初代カツオ=高橋和枝」と思われるほどの代表作となった。

1998年5月14日の『サザエさん』収録中に1990年以前から患っていた骨髄異形成症候群による容態急変のために倒れ、そのまま東京都文京区東大附属病院に搬送される[5]。このため29年半務めたカツオ役を降板することになり、その日伊佐坂ウキエ役で収録に参加していた冨永みーなが急遽代役としてカツオを演じた。当初は高橋が復帰するまでの一時的な処置のつもりだったが、そのまま3代目カツオとして正式に演じる事になった[4]

国民的アニメである『サザエさん』のカツオの声が高橋と声質の異なる富永に何の前触れもなく急遽交代したことで視聴者から問い合わせが殺到したが、その後高橋の容態が知らされると励ましや回復、その後の番組復帰を願う声や手紙が沢山寄せられた。励ましの手紙の中にはサッカー日本代表の中田英寿や元F1レーサーの中野信治からの手紙もあり[4]、高橋は病床で「私の宝物」と言って喜んでいた。

しかし病状は重く、事実上手遅れのため復帰の願いもむなしく1999年3月23日17時に死去。70歳没。誕生日を迎えた3日後のことであった。永井一郎によると、危篤状態の際に周囲が「高橋さん」と呼びかけても反応がなかったが「カツオ」と呼びかけると「はーい」と小さく返答したという[4]。同様に花沢さん役の山本圭子も見舞いに行った際、「磯野くん」と呼び掛けたところ返事をしたとのことである[5]

葬儀の席で弔辞を担当した波平役の永井は、実際は高橋の方が2年(学年では3年)年上であるにもかかわらず、『サザエさん』での役と同じく父親の波平が息子のカツオに話しかける口調で「カツオ、親より先に逝く奴があるか」「カツオ、桜が咲いたよ。散歩に行かんか」などと呼びかけた[10]。永井本人は冷静に語ろうとしたが、感極まって涙声になり、弔問者の涙を誘った。

後任[編集]

高橋の体調不良に伴う降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
冨永みーな 磯野カツオ サザエさん 1998年5月17日放送回
ブースカ 快獣ブースカ ウルトラマンR/B』第17話
小宮和枝 ブレイディ女史 刑事コロンボ 祝砲の挽歌 ソフト版追加部分
堀越真己 糸まきおばさん それいけ!アンパンマン
工藤晴香 赤エンピツマン
浅井淑子 ヒミカ 鋼鉄ジーグ 第2次スーパーロボット大戦α
うのちひろ 恐竜調教師ゾビーナ 恐竜大戦争アイゼンボーグ 帰ってきたアイゼンボーグ

出演[編集]

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ[編集]

1963年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1972年
1973年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1988年
1990年
1994年

劇場アニメ[編集]

OVA[編集]

吹き替え[編集]

女優[編集]

エルザ・ランチェスター
ルシル・ボール

洋画[編集]

テレビドラマ[編集]

海外アニメ[編集]

人形劇[編集]

特撮[編集]

人形劇[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • サザエさん
    • 1950年代、ニッポン放送で制作されたラジオドラマ。磯野カツオ役。
    • 1980年代、文化放送で制作されたラジオドラマ。磯野カツオ役。

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

歌曲・CD[編集]

  • 快獣ブースカ
    • 主題歌「快獣ブースカ」
    • 挿入歌「陽気なブースカ」、「ブースカソング」、「ブースカ音頭」
  • チビラくん
    • 挿入歌「ガキンコガキ大将」
  • サザエさん
    • 挿入歌「カツオくん(星を見上げて)」
  • あかねちゃん
    • 副主題歌「ヒデバロ・ソング」

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同書籍では東京の東中野と書かれている[2]
  2. ^ 同書籍ではコーデリア姫と書かれている[2]
  3. ^ 芸能画報では『とんち教室』がデビュー作であるとしている[12]
  4. ^ これにより、第2回より設立された「富山敬賞」は同じ功績を認められた男性限定の賞になった[15]

出典[編集]

  1. ^ 『TVアニメ大全科part2』秋田書店、1979年、249頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 勝田久 『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』駒草出版、2017年2月22日、213-218頁。ISBN 978-4-905447-77-1 
  3. ^ a b c 大田原の人物”. 大田原市立図書館. 2020年1月19日閲覧。
  4. ^ a b c d カツオ役の声優が急死…衝撃を与えた突然の『サザエさん』声優交代劇”. エキサイト. 2020年5月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 「サザエさん一家が見守った「カツオの白血病闘病とその死」」『女性セブン』1999年4月22日号、小学館、1999年4月、54-57頁。 
  6. ^ 高橋和枝(たかはしかずえ)の解説”. goo人名事典. 2020年1月19日閲覧。
  7. ^ 『日本タレント名鑑(1982年版)』VIPタイムズ社、1981年、320頁。 
  8. ^ a b c d e 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、93頁。 
  9. ^ a b c d e 高橋 和枝 とは”. 2020年1月19日閲覧。
  10. ^ a b c “惜別”. 朝日新聞(夕刊) (朝日新聞社): p. 3. (1999年4月15日) 
  11. ^ 同期には俳優名古屋章声優勝田久
  12. ^ 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  13. ^ 『出演者名簿(1966年版)』著作権資料協会、1965年、206頁。 
  14. ^ a b 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、89頁。 
  15. ^ 参考:「高橋和枝賞」設立以前の「富山敬賞」 "授賞概要". 声優アワード. 2009年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月21日閲覧
  16. ^ 開催概要”. //声優アワード//Seiyu Awards//. 2023年2月4日閲覧。
  17. ^ 『声優アワード』一部受賞者を発表 功労賞に『サザエさん』マスオ役の増岡弘”. ORICON NEWS. oricon ME (2018年2月16日). 2023年2月4日閲覧。
  18. ^ 河北新報 1982年8月12日夕刊 10面「登場」コーナー
  19. ^ a b c d e 阿部邦雄 『TV洋画の人気者 声のスターのすべて』近代映画社、1979年、174-頁。ASIN B000J8GGHO 
  20. ^ 鉄人28号”. エイケン オフィシャルサイト. 2016年6月11日閲覧。
  21. ^ あかねちゃん”. 東映アニメーション. 2016年6月16日閲覧。
  22. ^ ど根性ガエル”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年2月23日閲覧。
  23. ^ アラビアンナイト シンドバットの冒険”. 日本アニメーション. 2016年6月3日閲覧。
  24. ^ 火の鳥2772 愛のコスモゾーン”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月19日閲覧。
  25. ^ 『芸能』3月号、芸能学会、1979年、68頁。 

外部リンク[編集]