藤子不二雄Aブラックユーモア短編
『藤子不二雄Ⓐブラックユーモア短編』(ふじこふじおエーブラックユーモアたんぺん)とは、藤子不二雄の安孫子素雄(のちの藤子不二雄Ⓐ)による短編漫画作品シリーズ。
概要[編集]
1968年、『ビッグコミック』(小学館)に発表した『黒イせぇるすまん』に端を発する(『小池さんの奇妙な生活』を第一弾とする場合もある)。それまで「児童・少年漫画家」と目されてきた藤子にとって異例ともいうべき大人向け漫画で、その破滅的な作風は新境地を開拓することとなり、以後数年にわたって同傾向の作品が精力的に執筆された。
1968年当時の安孫子は『怪物くん』や『怪人わかとの』など従前の児童・少年漫画作品も執筆を続けており、どちらかに軸足を移しきることなく車の両輪として藤子不二雄の安孫子素雄作品の作風の幅を広げた。
大人向け連載漫画としては、1969年から『漫画サンデー』(実業之日本社)にて『黒ィせぇるすまん』が連載された。少連載漫画としては1970年に『少年キング』に『黒ベエ』が連載された。『黒ベエ』は妻子に虐げられるサラリーマンや、軍隊の訓練を強制されるサラリーマンなど、少年向け漫画としては異例な内容が描かれた。1972年には『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて『魔太郎がくる!!』が始まり、少年向けエンターテインメントとブラック作品の両輪が結実した人気シリーズとなった。その前年の1971年には、劇画による偉人伝『劇画 毛沢東伝』も執筆されている。
1973年からは『番外社員』や『戯れ男』などのシリーズもの、『愛ぬすびと』(小学館女性セブン)などの女性向け作品が執筆されるようになる。1973年頃から藤本弘によるSF短編が量産されたこともあり、1974年から安孫子素雄のブラック短編はほぼ描かれなくなった[1]。その代わりに、安孫子は『無名くん』『添乗さん』『ミス・ドラキュラ』等の多数の大人向け連載を描いた。
短編作品は1970年に『黒ィせぇるすまん』(実業之日本社)が単行本化されたことを皮切りに、1971年『ひっとらぁ伯父サン』(朝日ソノラマ)、1978年『ヒゲ男』(奇想天外社)など散発的にまとめられ、1988年からの『愛蔵版 ブラックユーモア短編集』(中央公論社)において集成されることとなった。また、この愛蔵版をベースに後年の出版状況に応じて文庫化、コンビニコミック化もなされている。
諸事情(差別表現など)により一部作品は表記の修正、改変が生じている。また、初出以来いずれのシリーズにも未収録となっているものや、収録後他作品に差し替えとなったものもある。
評価[編集]
上述通り、これらブラック短編の発表は「藤子不二雄」が児童・少年漫画に留まらないポテンシャルを秘めた作家であることを認知させることとなり、以後の自身の連載作品にも影響を及ぼしている。これらの作風は米沢嘉博が愛蔵版『ぶきみな5週間』にて、「キャビアの味」と評している。
また週刊少年「」において船越英一郎が、『明日は日曜日そしてまた明後日も……』を「引きこもりを描いた先駆け」と語っている。こうした人間精神の暗部を描いた作品は、『内気な色事師』におけるストーカー、『なにもしない課』における社内失業など、後年社会問題化した事象を取り扱っているものもある。
作品[編集]
どの作品を以って『ブラックユーモア短編』にカテゴライズするかは諸説ある。 題名の後の※は単行本未収録作品を示す。
短編[編集]
1968年(昭和43年)[編集]
1969年(昭和44年)[編集]
1970年(昭和45年)[編集]
- 社長幼稚園
- パラダイス
- 北京填鴨式(ペキンダックしき:食人や拷問、人種差別等、短編の中ではブラックさが特に際立つ作品。第二次世界大戦中の南京で中国人捕虜を生き埋めにした後首を刎ねるという、登場人物(旧日本軍軍人)の回想シーンが後年の版では全面的にカットされている)
- マグリットの石
- 水中花
- 恐喝有限会社(ユスリゆうげんがいしゃ)
- 魔雀
- ブレーキふまずにアクセルふんじゃった
- マカオの男
- 赤毛布漂流記シリーズ - 毛布は「ゲット」と読む。
- 赤か黒か
- マンハッタン・ブルース(1971年)
- スターダスト・ラプソディ(1971年)
- Q・E(クイーン・エリザベス)マーチ(1971年)
1971年(昭和46年)[編集]
1972年(昭和47年)[編集]
1973年(昭和48年)[編集]
- 盲滅法の男(『一本道の男』に改題)
- 転べばベッタリ糞の上…(『転べばベッタリ◎の上…』に改題)
- 不意打ち(『暗闇から石』に改題)
- ハレムの優しい王様
1974年(昭和49年)[編集]
1976年(昭和51年)[編集]
1977年(昭和52年)[編集]
1979年(昭和54年)[編集]
2003年(平成15年)[編集]
- わが名はモグロ…喪黒福造(喪黒福造の制作経緯を紹介した作品)
連載[編集]
1969年(昭和44年)[編集]
1970年(昭和45年)[編集]
1973年(昭和48年)[編集]
1975年(昭和50年)[編集]
1981年(昭和56年)[編集]
1989年(平成元年)[編集]
1996年(平成8年)[編集]
1997年(平成9年)[編集]
2001年(平成13年)[編集]
所収[編集]
- 『黒ィせぇるすまん』実業之日本社(1970年)
- 『黒ベエ』朝日ソノラマ(1970年)
- 『ひっとらぁ伯父サン』朝日ソノラマ(1971年)
- 『黒ィせぇるすまん』立風書房(1976年)
- 『ヒゲ男』奇想天外社(1978年)
- 『夢魔子』中央公論社(1990年)
- 『藤子不二雄Ⓐのブラックユーモア 1 黒イせぇるすまん』小学館(2011年)
- 『藤子不二雄Ⓐのブラックユーモア 2 無邪気な賭博師』小学館(2011年)
- 『藤子不二雄Ⓐ ビッグ作家 究極の短篇集』小学館(2013年)
愛蔵版[編集]
- 『ブラックユーモア短編集 第1巻 不思議町怪奇通り』中央公論社(1989年)
- 『ブラックユーモア短編集 第2巻 ぶきみな5週間』中央公論社(1990年)
- 『ブラックユーモア短編集 第3巻 戯れ男』中央公論社(1994年)
脚注[編集]
- ^ 藤子不二雄の藤本弘と安孫子素雄は当時は同一の作家であり、仮に同じ雑誌に両者それぞれの短編を同時掲載した場合は、同じ作者が短編を2つ掲載しているという奇妙な状況になる。