藤子スタジオ

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株式会社 藤子スタジオ
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
160-0023
東京都新宿区西新宿4-14-4
カツラビル
設立 1960年代
法人番号 7011101019252
事業内容 藤子不二雄作品の漫画制作・版権管理
代表者 松野 喜多枝
関係する人物 安孫子素雄(藤子不二雄
藤本弘(藤子・F・不二雄
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株式会社藤子スタジオ(ふじこスタジオ)は、藤子不二雄が立ち上げた漫画制作会社。代表取締役社長は松野喜多枝(安孫子の実姉)。通称「藤子スタジオ」。

概要[編集]

  • 元々は、藤子不二雄藤子・F・不二雄(藤本弘)が「藤子不二雄」時代の1960年代に設立した「有限会社藤子スタジオ」に由来する。1987年昭和62年)のコンビ解消に伴い、藤子スタジオは藤子不二雄作品の漫画制作と版権管理を引き継ぎ、藤子・F・不二雄作品については新たに設立した「有限会社藤子・F・不二雄プロ」(現:株式会社藤子・F・不二雄プロ、通称藤子プロ)が同様の業務を行うことになった。そのため、藤子プロにとっては源流企業にあたる。
  • 長らく有限会社として業務を行なってきたが、後に株式会社へ改組。それに伴い藤子A本人は会長、藤子Aの実姉である松野が社長に就任した。所在地は東京都新宿区で、藤子プロと同様に旧スタジオ・ゼロ跡地近辺にある。なお松野は「まんが道」などの藤子Aの自伝的諸作品にほとんど登場しないため、一般にはあまり知られていないが1955年12月頃よりトキワ荘で弟の部屋に同居して食事の世話やベタ塗等のアシスタント作業を行い[1]、藤子スタジオ設立後は藤子不二雄のマネージャーを務め、実娘の松野泉も藤子スタジオの専務取締役兼現マネージャーとして勤務している。
  • 現在は藤子不二雄作品の著作権管理を主たる業務とする。なお藤子は2022年4月7日に逝去し、会長は空席となっている。

藤子プロとの関係[編集]

  • 現在、同社と藤子・F・不二雄の「株式会社藤子・F・不二雄プロ」(2006年までの代表取締役会長は藤子F夫人、藤本正子)には資本、業務ともに基本的につながりがなく、完全に別会社として運営されている。そのため、「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄」は個別の作家として著作権等が存在することになり、「藤子不二雄」名義に関する著作権表記は両社名を併記する形を取っている。
  • また、両社には『オバケのQ太郎』が長年に渡って再版されなかったことなどから不仲説がささやかれていた時期もあるが、2009年7月より「藤子・F・不二雄大全集」において連名の共著とする形で刊行された。

その他[編集]

2014年から刊行を開始した電子書籍版作品集の「藤子不二雄デジタルセレクション」は小学館が編集しており、同社の「藤子・F・不二雄大全集」が2021年より電子書籍版の刊行を開始したのと合わせて両名の作品の大部分が網羅的に読める環境となっている。

出身者[編集]

  • 同社は藤子作品制作において、作画を補助する多数のスタッフ[2]を雇用した。その中には後に独立して一家を構えたものも多い。
  • 藤子(藤本、安孫子共に)が多忙な時期には、小学館の新人漫画賞児童部門だった「藤子不二雄賞」入選者が雇用される機会が多かった。
  • 藤子不二雄名義で作品を発表していた時期から、各スタッフは基本的に藤本作品か安孫子作品のどちらかのみに携わる体制を敷いており、藤子不二雄賞入選者は児童漫画志望が多かったことから、藤本作品に携わる事が多かったという。例外的に、永田竹丸(永田はトキワ荘時代からの漫画家仲間である)ら初期スタッフや藤本のチーフを勤めた方倉陽二は安孫子作品に携わる事もあった。また同社スタッフではないがしのだひでおも両者の作品に携わっている。
  • コンビ解消に伴う分社化に当たっては、その時点で安孫子のスタッフだった者が藤子スタジオに残り、藤本のスタッフだった者は新設の藤子プロに移籍する形を取っている。

藤子不二雄時代[編集]

藤子不二雄時代[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『三栄ムック まんが道大解剖』P56-P57、「松野喜多枝インタビュー」
  2. ^ 通常はアシスタントと呼ばれるが、安孫子は「作品は全員が共同で作るもの」として、特にこの語を用いている。
  3. ^ 『PARマンの情熱的な日々 どこへでも飛んでいく編』集英社、2015年、73,145頁。