半保護されたページ

オバケのQ太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(藤子不二雄(A)の丸A)が含まれています詳細
オバケのQ太郎
ジャンル 少年漫画ギャグ漫画
漫画
作者 藤子不二雄
出版社 小学館
掲載誌 週刊少年サンデー
レーベル てんとう虫コミックスなど
発表号 1964年6号 - 1966年51号
巻数 全12巻
テンプレート - ノート

オバケのQ太郎』(オバケのQたろう)は、藤子不二雄藤子不二雄藤子・F・不二雄)とスタジオ・ゼロによる日本ギャグ漫画作品。

概要

ごく普通の家庭に住み着いた、1匹の間の抜けたオバケが引き起こす騒動を面白おかしく描いた藤子流生活ギャグ漫画の原点にして、藤子漫画の代表作の一つ。『オバQ』と省略されて呼ばれることも多い。

コミック版の作画にはスタジオ・ゼロのメンバーである石ノ森章太郎らが手伝っているほか、3度にわたってアニメ化されたりと当時オバQブームと呼ばれる社会現象を巻き起こし、それまでシリアス志向の強い作品が多かった藤子漫画は、これを機に『ギャグ漫画の藤子不二雄』として広く認知されるようになっていく。

連載終了後も続編『新オバケのQ太郎』や、後日談的作品『劇画・オバQ』(どちらも藤子・Fの単独作)などが描かれた。

2人の藤子は、『オバケのQ太郎』以前から合作をする一方で、いずれかの単独作も藤子不二雄名義で発表してきたが、両人の作風や絵のタッチの違いが次第に明確になってきたため、『オバケのQ太郎』が事実上藤子不二雄の最後の合作作品となった。

作品の歴史

雑誌連載の開始

週刊少年サンデー』編集部に出入りしていた子供[1]の持ち込んだ自筆のお化け漫画「ケバ男くん」を見た編集者はお化け漫画を連載することを提案し[2]、藤子Fが怪談やオバケ好き[3]と聞いてオバケを主人公にした漫画を依頼した。

藤子Fと藤子は当時作ったアニメスタジオ「スタジオ・ゼロ」へ小田急線で通勤中に小田急→オバQ→「オバケのQ太郎」というタイトルを思いついた。以上は藤子Fの描いたマンガ『スタジオ・ボロ物語』やTBSにて2008年4月12日放送の番組『ブロードキャスター』における藤子のインタビュー発言によるものだが、タイトルの由来については、これとは異なる説明もある。それは藤子Fと藤子が共同で執筆した自伝『二人で少年漫画ばかり描いてきた』によるもので、まず最初に『オバケの○太郎』というタイトルが決まり、○の部分にはめる言葉を探していたとき、小説家安部公房の本をパラパラとめくっていたら、Qという文字が目に止まり、愛敬のある文字だという理由でQ太郎になったというものである。『アサヒ芸能』2002年9月5日号の藤子へのインタビュー記事などでも同様のことが本人から語られていたことがある。一方で幸森軍也著・鈴木伸一監修『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』(講談社、2012年)では、藤子の説明にも触れつつ、○の部分を決めたきっかけとして「書店で藤子Fが見かけた魯迅の『阿Q正伝』」が紹介されている(また、同作の主人公「阿Q」という名称は日本語の感覚では、「Qちゃん」のようなイメージとなる(当該項目参照))。

連載1回目の「忍者ごっこ」のストーリーは、ゼロの事務所のそばで、忍者ごっこをしている子供達を見てそのまま決めた。

無事タイトルも決まり、スタジオ・ゼロの財務を支えるスタジオ・ゼロ雑誌部の仕事として、スタジオ所属のメンバーが手伝い、『週刊少年サンデー』誌上で1964年にスタートした(1964年6号からスタート。同号発売が1月22日、誌面クレジットの発行日は2月2日)が、読者の反応がまったくなく、連載は9回でいったん終了した。連載中は藤子もスタジオ・ゼロを救うための仕事としてあまり力が入らず、周囲の期待もなかったというが、連載終了後読者から再開を求める手紙が殺到し、3か月後に連載が復活[4]。再開後は藤子Fがストーリーを全て担当し、他のゼロメンバーは作画協力に留まることになる(この体制は『週刊少年サンデー』での連載が終了する1966年末まで続いた。また、それ以外の雑誌は藤子不二雄の二人が描いている)。

当初は、藤子FがQ太郎、藤子が正太、北見けんいちが背景、石ノ森章太郎とつのだじろうがその他の人物を描いていた。オバケのQ太郎の漫画の中で石ノ森や赤塚の作品のキャラクター(『おそ松くん』の六つ子やチビ太など)が度々登場していたのはこのためである。

1960年代 最初のアニメ化とブームの到来

翌1965年になって、連載は小学館の他の雑誌にも広がり、さらにアニメ化もされ、「オバQブーム」と呼ばれる社会的現象にまでなった。

鉄腕アトム』以来、それまで主流だったSFヒーローものが飽きられて視聴率が低下した中で、日本初のギャグアニメ『オバケのQ太郎』は登場。TBS系「不二家の時間」枠(日曜19時30分 - 20時)で放送された。初回から視聴率30%以上の人気を得て、アニメ主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーを記録[5]し、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞。また声優の曽我町子が歌う『オバQ音頭』はレコード200万枚、スポンサーの不二家が行ったプレミアムキャンペーンでソノシート400万枚の大ヒットとなり[6]、レコードはジャケットと価格に若干の変更がなされつつ、1980年代まで同一の規格番号(SCS-4)で生産され続けるというロングラン商品となった(初期盤のジャケットに掲載されていた2ページのカラー漫画[7]が、後期盤では削除されている[8])。そしてアニメソングにおける音頭曲の先駆けとなり、現在でも子供向け音頭曲の定番のひとつとして親しまれている。1973年に発売されたコンパクト盤「実用ベスト4シリーズ・4大音頭」では、「東京音頭」「炭坑節」「相馬盆踊り」とともに「オバQ音頭」が収録されている。

本作の商品化業務は、放映局であるTBSから「オアシのないものがオアシ(銭)を稼ぐはずがない」と否定的な見解が下されてしまい、この推測は関係各社でも同様の判断が下されるなど放映当初は商品化する会社がほとんどいなかったため、原作を掲載していた小学館が行うことになった。ところが放映開始から半年ほどで人気が爆発し、巨額の商品化収入がそのまま小学館への収入へと繋がり、1967年に建築された小学館の本社ビルはオバQビルの異名を取るほど小学館を潤した[9]。またこの小学館ビルが2013年に解体を控えた際、壁に漫画家たちが落書きをしたイベントでは、本来Q太郎の作画を担当した藤子F(既に他界)に代わって藤子がQ太郎のイラストを書きサインを添えていた[10]

本作で培った小学館のキャラクタービジネスのノウハウは、後年の『ドラえもん』、『名探偵コナン』、『ポケットモンスターシリーズ』などでも生かされている[11]

その一方、子供たちの間で流行した「オバQごっこ」(白いビニール袋を被って遊ぶ)により女児が窒息死するという事故が起きている。当時の関係者らはこの遊びに関して注意を呼びかけた[12]

1966年末に『週刊少年サンデー』の連載は終了し、1967年3月にはテレビアニメも日曜夜の時間から転出することになった。円谷プロダクション制作の『ウルトラQ』『ウルトラマン』と共に爆発的な人気番組となり(TBSの日曜夜7時台は、他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれていた)、時間帯変更の時点で依然30%を超える視聴率を誇っていたものの、スポンサーの不二家から「オバQ商品の売れ行きはピークに達した。これ以上の売上は見込めないので、新しいキャラクター(の番組)にしてくれ」という強い要望が出たためである[13]。後番組は、原作者・制作会社ともに同じ『パーマン』となった。テレビアニメは水曜18時の時間帯に移動したが、3ヶ月で新作の放映は終了し、以後は翌年3月まで再放映を流していた。

1969年、『「オバケのQ太郎」あれから四年…』と題して『ビッグコミック』に後日談のエピソードが掲載された(後述)。

1970年代 『新オバQ』の連載と2回目のアニメ化

前作の連載終了後も、「もう一度Qちゃんを見たい」という読者の要望が多く寄せられていた。その声に応える形で、小学館の学習雑誌にて新キャラクターのO次郎が登場する『新オバケのQ太郎(雑誌掲載時は『オバケのQ太郎』)』の連載が1971年から1973年まで続けられた。このときアニメ『新オバケのQ太郎』も1971年9月から1972年12月まで放送された。

1973年、『ビッグコミック』誌上で、15年振りに人間界にやって来たQ太郎と、大人になった正太のすれ違いと別れの様を描いた異色作『「劇画」オバQ』が掲載された。その後1976年、『月刊少年ジャンプ』に読み切り作品が掲載された。藤子本人が手がけた『オバQ』は事実上これが最後の作品となった。

1977年、『コロコロコミック』が創刊。他の藤子作品とともに『オバケのQ太郎』も掲載される。ただし、新作は描かれず過去の作品の再収録のみだった。1979年には藤子・F・不二雄がネームを担当し、しのだひでおの作画による番外編『ドラ・Q・パーマン』も描かれ、翌年には『ドラえもん』の特番でアニメ化される。

1980年代 3回目のアニメ化

1980年に『ドラえもん』以来の藤子アニメブームに乗り、前作までの製作を担当してきた東京ムービー新社により『がんばれ!!タブチくん!!』で実績のあったマルチラウンド方式[14]による長編映画の企画が持ち上がるも藤子から難色を示された上映像化権がシンエイ動画に移った事により頓挫している[15]

1985年からシンエイ動画にて3度目のアニメ化がなされる。この際に新作連載の依頼が作者の下に来たが、「もうオバQのようなタイプのギャグ漫画を描くのは難しい」と、この申し出を断っている。結局、作者が示した新設定のキャラクターイラストの描き下ろしと、単行本(てんとう虫コミックスの傑作選全6巻と『新オバケのQ太郎』全4巻)のカバーをリニューアルして、『コロコロコミック』(『コロコロ』での創刊時からの再掲載は終了していたが、再び復活する形で)や学習雑誌に風太郎しのだひでおのコミカライズ、 過去の作品を再掲載する形が採られた。

掲載誌

  • 週刊少年サンデー:1964年6号 - 14号、1964年24号 - 1966年51号
  • 別冊少年サンデー:1964年秋季号・12月号、1965年1月号
  • 少年サンデー増刊:1965年正月号 - 1967年正月号
  • よいこ:1965年1月号 - 1967年6月号、1971年4月号 - 1973年4月号
  • 幼稚園:1965年1月号 - 1967年3月号、1971年4月号 - 1973年2月号
  • 小学館の学習雑誌
    • 小学一年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年3月号
    • 小学二年生:1965年1月号 - 1967年2月号、1971年4月号 - 1973年2月号
    • 小学三年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年2月号
    • 小学四年生:1965年1月号 - 1966年11月号、1971年4月号 - 1973年3月号
    • 小学五年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号
    • 小学六年生:1965年1月号 - 1966年10月号、1971年4月号 - 1973年3月号・6月号
  • 小学館コミックス:1965年夏季号 - 1966年春季号
  • マドモアゼル:1965年12月号 - 1966年10月号
  • 女学生の友:1966年1月号 - 12月号(番外編『オバケのP子日記』)
  • ボーイズライフ:1966年3月号
  • ビッグコミック:1969年3月号(『「オバケのQ太郎」あれから四年…』)、1973年2月25日号(『劇画・オバQ』)
  • めばえ:1971年4月号 - 1974年3月号
  • ベビーブック:1971年4月号 - 1973年3月号
  • 小学館ブック:1966年7月号(創刊号) - 1967年2月号
  • 月刊少年ジャンプ:1976年5月号

長期にわたる絶版

本作は人気が高いにもかかわらず、1988年を最後に単行本の増刷が停止。その後も『21エモン』や『エスパー魔美』と異なり、文庫版や新装版が出版されることもなかったため、古本の価格は高騰した。この絶版状態は、本作を再び収録した『藤子・F・不二雄大全集』(第1期)が刊行される2009年7月まで、20年以上も続くこととなった。

この間に新刊で購入可能だったものは、SF短篇集に収録された後日談である『劇画オバQ』と『新オバケのQ太郎』の一編「サテハラタカ」(小学館ワンダーライフ・スペシャル『藤子・F・不二雄の世界』)、赤塚不二夫との合作である『オハゲのKK太郎』(竹書房文庫 『おそ松くん』22巻)、藤子不二雄、赤塚不二夫、つのだじろうの3組の合作『ギャハハ三銃士』(赤塚不二夫漫画大全集 オンデマンド版 1960年代 その2 Web注文のみ)、2007年5月25日発売の『熱血!!コロコロ伝説』Vol.1で、文庫版サイズの単行本別冊付録として復刊された『新オバケのQ太郎』だけであった。

絶版の理由はこれまで明確にされたことがなく、さまざまな説がある。以下は、ライターの安藤健二が著書に記している情報を中心に、それを解説する。

著作権説

本作は藤子不二雄の2人のほかに、石ノ森章太郎やスタジオ・ゼロが関わっている。藤子不二雄がコンビを解消し、さらに石ノ森、スタジオ・ゼロが関わっているため、四者の間で著作権料の割合で揉めていたのではないかという説。

両者にアシスタントとして携わったえびはら武司は自伝的自著『まいっちんぐマンガ道』の中でこれに近い説明をしている。前述の通り本作は藤子不二雄の事実上最後の合作であり、コンビ解消後に代理人を立てての法的な話し合いが始まった。また石ノ森らとの話し合いのほか、紛失原稿が多すぎること、そして後述の差別表現などの描き直しが膨大であること、これら全てをクリアーするためのハードルが多く、再版まで時間がかかってしまったとした[16]

ただし、台湾や香港では1997年頃までは公式に単行本が発売されており、アニメ(3作目)は、絶版中もコンビ解消以前の「藤子不二雄」とクレジットが入った上でCSなどで再放送されていたり、石ノ森が参加しているのは『少年サンデー』版のみで、それ以外の雑誌でのよっちゃん、ゴジラは藤子Fが描いているため漫画の単行本が出ない理由とするにはこの説は弱い。また、石ノ森・藤子・藤子F[17]合作(風田朗[18]とスタジオ・ゼロ名義。鈴木伸一つのだじろうも関与していた)の作品『レインボー戦隊』は、現在石ノ森のプロダクションである石森プロに権利があるが、「石ノ森章太郎萬画全集」でいち早く復刊された。

安藤は『新潮45』(新潮社)2004年11月号でこの問題を取り上げ、追加取材を行なって『封印作品の謎2』として2006年に出版。それによると、スタジオ・ゼロからコンビ解消前の藤子不二雄と藤子スタジオへ著作権は戻され、石森プロも「『オバケのQ太郎』の著作権に関して主張したことはない」として、石ノ森やスタジオ・ゼロとの著作権問題という説は否定されている。小学館では「作者サイドが表に出さないことにしている」と主張。原作者サイドの藤子スタジオは「藤子プロに任せている」、藤子プロは「権利問題ではなく作者の意志を守りファンを優先に活動している」、「遺された作品が膨大なので今はたまたま出していないだけ」という見解であった。

遺族の意向説

藤子Fの遺族(藤本夫人は藤子プロの現会長でもある)は、当時と現在の価値観の違い(差別描写説参照)から、故人の作品が表に出ることを警戒している(漫画コラムニストの夏目房之介も同様の見解をしている)。藤子F本人が他界してから『藤子・F・不二雄大全集』が出版されるまでの間は、短編集や一部の児童向け作品が出版されたのみであった。また、全集『藤子不二雄ランド』も、Fの没後はの作品だけを集めた『藤子不二雄ランド』として復刊され、Fの作品は復刊が見送られた。

また他にも、藤子両人はコンビ解消後も仲が良かったものの、Fの遺族との家族が実は不仲であり、権利の取り分で揉めていたという説もある。安藤も『封印作品の謎2』において「藤子両人の周囲で起きている感情の問題が、封印の理由の1つではないか」と指摘している。

差別描写説

1980年代半ばより始まった差別表現への抗議やそれに対しての自主規制が原因だとする説。黒人差別が原因だとする説と差別用語が原因とする説、またはその両方が原因だという説もある。

1980年代に「黒人差別をなくす会」という団体が黒人の描写について差別的だと多くの出版社に抗議をした際、本作もその対象となり、てんとう虫コミックス藤子不二雄ランドのうち「国際オバケ連合」[19]の話を含む巻が回収された。これは、該当話に登場する「バケ食いオバケ」が人食い人種を思わせると抗議を受けたためである。そしてこれ以降、『オバケのQ太郎』の増刷は全面的に停止した。

同様にして一時絶版になった藤子作品に『ジャングル黒べえ』がある。きっかけとしてはこの「黒人差別をなくす会」による抗議が原因と言われているが、『封印作品の謎2』によると、この時回収されたのは「国際オバケ連合」が収録された巻のみで、作品全てを封印する理由には繋がらないとしている。なお、後に「国際オバケ連合」は藤子・F・不二雄大全集第4巻およびてんとう虫コミックス(新装版)第9巻に収録されているが、「人食い人種」というセリフについては別の表現に差し替えられている。

また、本作の初出時の版では「きちがい」「こじき」など、現在では放送禁止用語とされる語が多く使われている。これらについて出版社の圧力は避けたいということなかれ主義で出版を止めているという説もある。だが、同様の表現がされている作品としては『パーマン』や初期の『ドラえもん』などもあるものの、それらについては単行本の重版から該当する話を削除したり、セリフや表現を修正している(これは藤子・F・不二雄大全集においても例外ではない)ため、作品の全面封印の理由としては根拠が薄い。

総括

以上のように、封印理由としては「Fとの間で起きた権利問題」と、「その周囲の人々で起きている問題」で出版が見送られていたとの説が最も有力である。

2007年、安藤の『封印作品の謎2』が『封印作品の闇』と改題の上文庫化された際、小学館の元幹部への追加取材がなされた。それによると、の側は再版の許諾を早くから出していたが、F夫人が「Fとが共同で著作権を持つ作品を出したくない」との意向を持っていたためそれを拒否していた、と安藤は結論づけている。

2009年7月、『藤子・F・不二雄大全集』においてFとの共著扱い(コンビとしての『藤子不二雄』統一名義ではなく、Fと、両者の名前が記載されている)という形で、再び出版がなされた[20]

2015年7月からは、藤子・F・不二雄大全集における原稿スキャン版を元に、てんとう虫コミックスでも「オバケのQ太郎」新装版の刊行が行われ(藤子・F・不二雄、藤子不二雄名義)、2016年4月28日発売の12巻を以て刊行が終了した。なお12巻の限定版には、「別冊少年サンデー」1967年1月号の付録「サンデーゲーム盤」を49年振りに復刻。同ゲーム盤には「ラッキーレース」と、赤塚不二夫作成の「おそ松くん買い物ゲーム」、そしてオバQ・ドロンパ・P子が世界一周する双六「Qちゃんすごろく」[21]が掲載されている。

さらに2018年4月から7月にかけて、てんとう虫コミックス「新オバケのQ太郎」新装版全4巻も刊行された。

キャラクター

藤子・F・不二雄ミュージアム発着バスに使用されているQ太郎(中央)とO次郎のイラスト(左2番目)

オバケ

※名前のアルファベットは特殊な読み方をしないが、ここではカナ表記の読み仮名を記す。

本作のオバケは、普通連想するいわゆる「幽霊」「霊魂」「妖怪」といった類の存在ではなく、れっきとした一個の生物である。空を飛び(Q太郎の場合は最高時速40km、一度に50kmまで飛べる)、姿を消し、壁を抜け、力も割と強く、口の中に何でも放り込め(大量に放りこむと壁をすり抜けられなくなる)、動物と会話ができる、変身する(これは学習しないとうまくできない)といった特殊能力を持っている。人間と同じ食物を摂取できるほか、を食べる(人間である正太もオバケの国で雲を御馳走されたが、栄養になっているかは不明)。

かつては人間と地上で共存していたが、人間が進歩するにつれ、のんびり屋で嘘をついたり人を傷付けたりできないオバケは追い詰められて行った。化けて人間を脅かしたこともあったが(人間界に伝わる多種の妖怪はこれが元になる)、やがて雲の上にオバケの国を築いて隠れ住むようになった。

Q太郎(キューたろう)
- 曽我町子(1作目)、堀絢子(2作目)、天地総子(3作目)、鈴木みえ(現:一龍斎貞友ドラえもん のび太のドラビアンナイト
通称:Qちゃん。竹藪で生まれた(実際はQ太郎のタマゴだけ竹藪に落っことしたらしい。誕生直後は3本の毛ではなかった)オバケ。大原家に居候し、いつも正太と行動を共にしている親友の仲。大飯食らい(炊飯器を空にして「おかわり」と催促してママに怒られるなどしている。インスタントラーメンはカッポレ一番を愛好する)でお人よし、鈍くさくて頭はあまり良くないが、繊細で落ち込んだり傷ついたりすると、時々家出を企てては、腹を空かせるなどの理由であっさり帰って来る。身長111cm、体重0~35kg、視力は右が3.0で左が2.5[22]が大の苦手だが、嫌っているわけではなく何度か子犬を守ったこともある。また犬から逃げるために、動物園にいるライオンの口の中に隠れたこともある。先述のオバケの能力を一通り持っているが、変身だけは苦手で靴になることくらいが限度(原作では苦手な犬に化けたことがある)。他に、容器の中に入っていると体が容器の形に固まる、眼球を飛び出させることができる(「書類に目を通してくれ」と言われて紙束に眼球を通す場面がある)といった「特技」もある。また、音楽のセンスは皆無で歌唱、器楽共に聴者が頭痛など起こし気持ち悪くなってしまうほど(しかも当人は無自覚)だが、逆にこれが功をなすことも。腹の中にはポケットがあり、口や服の下からどんな物でも出し入れができる。一枚布(バケトロン(バケミロン)という架空の素材。この素材はマジックなどで字や絵をかくことが可能で、脱いて放置しておくと汚れが落ちるが、洗濯すると縮む)に目・口用の穴を開けた白い服(同じ物が何枚もあり、よそ行き用もある)を頭から被っており、実際に見えているのは服を除くと、3本の毛と、足、目、口だけである。また、服の中を見られることは「オバケの国での御法度だ」と言って頑なに嫌っており、中身がどうなっているのかは不明。
U子に対して好意を抱くものの、非常にシャイで好意の伝達方法を間違えてU子を怒らせてしまったこともある。作者いわくQ太郎のモデルは、ペンギンとベビー服であるという。『週刊少年サンデー』で『オバケのQ太郎』の連載が開始した1964年2月28日が誕生日と設定されている。連載当初は毛が10本以上あったが、次第に減って行き「台風Q号」から3本に落ち着いた。これは作画の手間から都合がいいということである。『小学一年生』の懸賞で「オバQ消しゴム」を作ることになり藤子・F・不二雄に造形を頼んだが、もじゃもじゃ頭だと作り難い。そこで、大学では心理学を学んでいた担当の井川浩が「男は奇数女は偶数」というジークムント・フロイトの学説に基づき毛を3本にする提案をしたことが直接のきっかけという[23]。毛の長さは約15cm。最初のシリーズ最終話では単身オバケの世界へと帰って行った。作画は藤子Fが担当。『ドラえもん』での登場については後述。
後年のドラえもんのように数々のSFグッズを取り出すわけでもなく、基本的に消えることと飛ぶことだけの超常能力しか持たないため、子供たちの日常生活にすっぽり同化している。性格的にも、ドラえもんがやや保護者的なのに対し、抜けているところが多い三枚目キャラクターである。ただ、正太を背中に乗せての空中散歩はこの作品の象徴的風景であり、パロディの対象になったり(永野のりこGOD SAVE THE すげこまくん!』など)、スーパーや百貨店の屋上遊具に取り入れられたりした。
P子(ピーこ)
声 - 水垣洋子(1作目)、沢田和子(2作目)、三田ゆう子(3作目)
Q太郎の妹。オバケの世界から人間界へ留学、河合家に居候している聡明で可憐なオバケ。Q太郎より頭の出来が良く、化けるのも得意で「グロな化け方」も可能[24]。料理や裁縫は苦手で、ジェンダーに無頓着なところがある(ユカリに自分の役立ちようをアピールする際、「自分が暴漢に化けてボーイフレンドを脅し、ユカリが助けて仲を深める」策を提案するなど)。姿は白の上半身に赤いチェックのスカート、頭の毛は1本で蝶型の飾りを付けている。身長はO次郎とほぼ同じ。P子とユカリがメインのエピソード『オバケのP子日記』というスピンオフ作品もある。作画は藤子Fが担当。
O次郎(オーじろう)
声 - 高坂真琴桂玲子(2作目)、横沢啓子(3作目)
Q太郎、P子の弟。『新オバケのQ太郎』で登場したキャラクターで、オバケの国へ一度帰っていったQ太郎が、再び人間界へ戻って来た際に連れてきた。Q太郎と共に大原家に居候している。体は丸く黄色であり、毛は1本でくるっとしている。まだ赤ん坊のオバケなので、「バケラッタ(この言葉は「オバQ音頭」の歌詞から来ている)」しか言えないが、「ナニラッタ?」「バカラッタ!」「ダメラッタ」「アホラッタ」など、多少のバリエーションがある。このため、意思伝達にはQ太郎の翻訳が必要。大原家の人々がQ太郎から「バケラッタ」ごとのニュアンスの違いを教わるエピソードがある。また「ボム!」または「パァ!」と叫ぶことで目の前のあらゆる物を爆発させる特技の持ち主(ライオンを退けたこともある)。手先が器用で、自分で壊した電話を直したり新聞紙で靴下を作ったりできるが、画力は幼稚園児と大差ない(O次郎の絵が漫画のキャラクターのベースになったことはある)。世界中の多くの国名を言えるほど頭はよい(ただし全てバケラッタになる)。化けるのも上手で、クジ運もいい。なかなかの兄思いである。作画は藤子Fが担当。
U子(ユーこ)
声 - 丸山裕子(2作目)、増山江威子(3作目)
人間の世界に憧れてやって来た、小泉家に居候しているおてんば娘のオバケ。柔道に入れ込んでいるが、がさつで乱暴、家事が一切できない。Q太郎が好意を寄せているが、逢うたびにQ太郎を柔道の稽古相手にしたり、家事を任せてしまっている。しかし、内心ではQ太郎に想いを寄せている部分も。喧嘩が異常に強く、正太の同級生のガキ大将・ゴジラでも歯が立たない。怒るとすぐ手を出すところがあり、特にQ太郎には何かあるとすぐ暴行を加える。ギャング映画を愛好したり足で襖を開ける、茶道を習いに行った席でシェーをしてふざける、エレキギターのように弾いたりするなど、典雅、可憐に対する理解がない。太ることを著しく気にしており、それを指摘されると烈火の如く怒りを現にする。化けることもできるが余り上手ではない。また歌も下手である。作画は藤子Fが担当。アニメ版の『新オバケのQ太郎』では、原作と口のデザインが異なる。
ドロンパ
声 - 喜多道枝(1作目)、山本嘉子(2作目)、白石冬美(3作目)
アメリカテキサス出身のオバケ。神成家に居候している。アメリカでは大地主の家に住んでいた。頭が良くて運動神経がいい上、さまざまな物・人に化けられる。いつもQ太郎のことをバカにしている。少々ニヒルなひねくれ者だが、実際は寂しがり屋で心優しい。Q太郎がオバケの国へ帰っていた時期には、Q太郎に化けて悪戯をしていたこともあった。体は薄桃色の一体型で、Q太郎と異なり脚もきちんと分かれている。お腹にある赤い星型(脱着可能)が能力の源(直下にある青の三本線で星条旗を象徴している)。一度、その星型を紛失したことがあったが、Q太郎によって取り返された。登場オバケの中で唯一、犬を苦手としないが、糠味噌[25]たくあん[26]の匂いが大の苦手。シュークリームも苦手と言っているが、「見てると怖いから食べてやる」とたくさん食べていた(まんじゅうこわいのパロディ。似た手口でホットドッグをせしめたこともある)。好物はハンバーガー。P子に思いを寄せているが、デートの際には、P子の身を案ずるQ太郎に、いつも邪魔されている。話のまとめ役が多く、演劇や新聞製作など色々と挑戦するが、Q太郎が引っ掻き回してしまうため長続きしないことが多い。誕生日は3月27日。なお、藤子・F・不二雄大全集版では4巻から登場しているが、掲載ごとに分かれているため、初登場の話は10巻収録である。作画は藤子Fが担当。
ペロンパ
ドロンパの妹。クリッとした大きな目と、ポニーテール、ペロッと出した舌が特徴。O次郎の初恋相手。まだ幼児であり、「ペケポコ」としかしゃべらない。O次郎と会話をする時は、ドロンパからQ太郎と二重通訳。ドロンパと同じく犬を怖がることはない。登場は1回のみ。この時は、趣味の切手集めのために来日した。
X蔵(エックスぞう)
Q太郎、P子、O次郎の父親。Q太郎からは「オバケの国のパパ」と呼ばれている。やや細身で毛が4本、口ひげがある以外はQ太郎にそっくり。Q太郎に似て少々常識外れのオバケ。時折子供達を預かってもらっている大原家へお礼にと、妻のおZと共にやって来ては騒動を起こす。作画は藤子Fが担当。他人の服装を変化させる、新しいステレオを出すなどの力を使ったことがある。
おZ(おゼット)
Q太郎、P子、O次郎の母親。Q太郎からは「オバケの国のママ」と呼ばれている。毛は螺旋状の2本。間の抜けたX蔵を支える。基本はしっかり者だが、おっちょこちょいな所も。なお、父母、妹ともに犬が苦手である。作画は藤子Fが担当。
Y助(ワイすけ)
Q太郎の叔父。Q太郎にチャップリンを生やしたような外見をしている。X蔵と同じくガチャ目。登場は1回だけ(FF新4巻)。この時は、Q太郎を探しに人間界にやってきた。珍しい物を見るとすぐに化けたがり、マシンガンに化けたりしていた。作品中では一度も名前が出てくることはなかったが、『小学六年生』1971年6月号の「オバQ一家とそのなかま」というカットの中に「おじ Y助」と書かれていたことから名前が判明。
Q助(キュウすけ)
Q太郎の祖父。実際は話に上るだけで、未登場(FF17巻)。外観はQ太郎と瓜二つ。約100年程前に人間界に降りてきており、正助の兄からの郵便で大原家の実家の蔵から出てきた古い写真(Q助本人、ドロンパの祖父ボロンパ、正太の高祖父・大原正右衛門)が届いた。Q太郎が見た夢の中で、1860年に正右衛門とその家来と一緒に咸臨丸に乗って、アメリカに渡った。

人間(メイン)

藤子・F・不二雄ミュージアム発着バスに使用されているよっちゃんとP子(右端)のイラスト
大原 正太(おおはら しょうた)
声 - 田上和枝(1作目)、太田淑子(2作目)、三輪勝恵(3作目)
通称:正ちゃん。大原家の次男。小学生。弱虫で成績も余り良くなく、一時はクラスで下から2番目だった。いわゆるパッとしないタイプのさえないタイプの男の子。性格は温厚で、あまり活発というわけでもない普通の男の子。優しい性格で誰にも親しまれる。ガールフレンドのよっちゃんに思いを寄せている。よっちゃんのことになるとデレデレしただらしのない一面も。小さい頃にバイオリンをかじった程度に習ったことがある、というエピソードとセリフがある(3作目)。宝くじでふた桁前後入れ違い数字で高額当選しかけたエピソードもあるが実際は残念ながらハズレ。くじ運はてんで駄目なほうである。(3作目)気が弱く、特にいじめられっこというわけではないが、優しい性格のためQ太郎に出会う前まではゴジラなどからからかわれている毎日だった。友人達と忍者ごっこをして遊んでいるところ、竹藪の中でQ太郎の卵を偶然見つける(掲載誌によって最初の出会いの設定がやや異なる。アニメ版も同様で下記の『#アニメ版』を参照のこと)。卵から孵ったQ太郎に付きまとわれ初めは困惑するが、色々と世話を焼かれ次第に友情を深めていくようになり、いつもQ太郎と行動を共にしている。当初はQ太郎のことを家族に隠して住まわせていたため、何とか家族の一員として認めてもらおうと苦戦するが、やがてQ太郎の誠実さに家族も次第に打ち解けていくようになっていった。作画は藤子が担当。名前の由来は石ノ森章太郎から。
アニメ3作目では『ドラえもん』ののび太との差別化を図るため、ガキ大将のゴジラとは前2作よりもやや対等な関係に変更されている。『劇画オバQ』ではサラリーマンに就職。結婚し再会したQ太郎の交流を経て、1児の父親になる。よっちゃんとは結ばれることはなかった。
大原 伸一(おおはら しんいち)
声 - 野沢雅子(1作目)、白川澄子(2作目)、水島裕(3作目)
通称:伸ちゃん。大原家の長男で正太の兄。中学生で三枚目キャラクター。弟と違い、学業成績はそこそこ良好。当初は猫を連れて来て飼いたいと切り出し、正太の連れて来たQ太郎と猫、どちらが役に立つかを競わせていた。オーディオマニアで、自宅にいる時は大抵音楽を聴いて過ごしているが、持っているレコードはビートルズプレスリーばかりらしい。好きな女の子ができるとすぐに告白するが、大体振られている。『新オバケのQ太郎』では、同級生の河伊伊奈子にアプローチしているが、いつも空回りに終わっている。正太とQ太郎のセッティングで嫌々デートしたバケ寺ベソ子とは友人関係となった。『劇画オバQ』では仕事の都合で北海道に転勤したことになっている。作画は藤子が担当。名前の由来は鈴木伸一から。
小泉 美子(こいずみ よしこ)
声 - 向井真理子(1作目)、野村道子(2作目)、室井深雪(3作目)
通称:よっちゃん。正太のクラスメートで優等生。アップにした髪のリボンがチャームポイントの優しい少女。正太やゴジラ達が憧れているが、本人は友達程度としか思っていない節がある。長電話の悪癖がある。作画は石ノ森(学年誌版は藤子F)が担当。藤子作品では定番の紅一点キャラクターであるが、高原別荘を構える資産家令嬢としての一面も持つ。『劇画オバQ』では結婚し、2児の母親になっている。
西郷 強(さいごう つよし)
声 - 肝付兼太(1、2作目)、竹村拓(3作目)、海野かつを朝日ソノラマ刊行のソノシート「オバケのQ太郎2」[27]
通称:ゴジラ。学校、町内でのガキ大将。大柄な正太のクラスメート。実家は酒屋を営んでいる。いつも取り巻きのキザオ、イナリ、タヌキを子分として引き連れている。正太に意地悪をはたらくことも多いが、基本的には互いに良き友人として接している(正太を気遣う場面も見られる)。根は非常に友情に厚く優しい。弟がいる。作画は石ノ森(学年誌版では藤子F)が担当。
名前の由来は、東宝の怪獣「ゴジラ」から。『劇画オバQ』では乾物屋の店主になっている。
木佐 キザオ(きざ キザオ)
声 - 山岸比呂美(1作目)、沢田和子(2作目)、龍田直樹(3作目)
正太のクラスメート。裕福な家庭で、名の通り気障で新しい物を買っては自慢する癖がある。ゴジラを「親分」と呼んでいたこともあった。『ドラえもん』のスネ夫にも通じるキャラクターだが、ゴジラとは対抗心を露にすることもあり、必ずしもおべっかばかり使っているわけではない。Q太郎や正太からは「木佐くん」というように「君」づけで呼ばれることが多い。眼鏡がないとほとんど何も見えず、『ギャハハ三銃士』で眼鏡が壊れてしまった際には失敗ばかりしていた。なお、同名のキャラクターが藤子作品の『怪物くん』、『フータくん』、『オヤジ坊太郎』にも登場する。また、この顔のキャラクターは藤子によって『ミス・ドラキュラ』の上司に受け継がれる。ただし、この作品の作画は藤子Fが担当。『劇画オバQ』では外見が変わっているが、Q太郎は一目でキザオだと見抜いた。
ハカセ
声 - 麻生みつ子(1作目)、白川澄子(2作目)、肝付兼太(3作目)、龍田直樹(3作目での代役)
正太のクラスメート。姓は通称と同じ読みの「博勢(はかせ)」(テレビ朝日版アニメでは「湯川(ゆかわ)」)で、下の名前は不明。アニメ3作目では「~です、はい」が口癖。頭脳明晰で博識かつ発明好き。ただしお人好しな上、学術関係以外では間の抜けたところがある。小柄な体格で若ハゲ。眼鏡を着用し、いつも袖がダブダブの学生服を着ている。頑固者のお祖父さんと二人暮らしで、祖父を非常に慕っている。乗り物に極端に弱く、バスの絵を見ただけで乗り物酔いを起こす。
連載途中より、両の眉毛が「ハ」、右目が「カ」、左目が「セ」の字を模したような特徴的な顔立ちとなる。アニメ3作目では普通の顔立ちになった。『劇画オバQ』では失敗続きの起業家となり、眼鏡をかけた普通の顔立ちになっている。作画は石ノ森(学年誌版では藤子F)が担当。
小池さん(こいけ)
声 - 大竹宏(1作目)、島田彰(2作目)、広森信吾(3作目)
近所のおじさん。インスタントラーメンが好物で、いつもQ太郎に食事中を邪魔されている。職業はアニメーター。作画は藤子が担当。他の藤子作品にも多く登場している。連載中に結婚し、子供も2人いる。結婚当初は妻にインスタントラーメンを食べさせてもらえず、正太とQ太郎が隠れて与えることを画策するエピソードがある(失敗するが、結果的にそのおかげで妻に作ってもらえるようになった)。
大人でありながら頭はあまり良くないらしく、正太から「頭のていどが子どもなみ」と言われたことがある。また、『ギャハハ三銃士』では守備隊の隊長でありながら、火攻めと燃やすことが一緒であると分からなかった。
神成さん(かみなり)
声 - 野本礼三(1、2作目)、兼本新吾(3作目)
本名:神成 雷蔵(かみなり らいぞう)。大原家の隣に住んでいる老人男性。その名の通り短気で頑固だが、根は寂しがり屋で情け深い。妻とは死別しており、ドロンパが来るまでは一軒家で一人暮らしをしていた。ドロンパに住み着かれそうになり最初は追い出そうとしたが、やがて意気投合し居候させることに。そしてドロンパを実の子供のようにかわいがっている。
他の藤子作品藤子・F・不二雄)にも登場する。『劇画オバQ』では正太とQ太郎の会話において既に死去したことが語られている。作画は藤子Fが担当。
大原 正助(おおはら しょうすけ)
声 - 松岡文雄田の中勇(1作目)、永井一郎(2作目)、大山高男(3作目)
正太、伸一の父親で、少々太り気味の大黒柱。Q太郎からは「パパ」と呼ばれている。トレードマークはチョビ髭にメガネだが、一度床屋で居眠りをしている間に髭を落とされ、子供たちに八つ当たりしたこともあった。メガネは『オバケのQ太郎』では丸いフレーム、『新オバケのQ太郎』では四角いフレーム。「びっくりしたなぁ、もう」のような当時の流行語を多用したり、ハナ肇とクレージーキャッツの歌の替え歌を頻繁に歌うようなユーモラスな一面を持つ。ヘビースモーカーで、吸っているタバコは「ハイライト」。禁煙にチャレンジするも挫折する。いつも飲む酒はビール。落第を3回経験したことがある。商事会社に勤務し、作中で課長に昇進。日曜大工が趣味だが、手先が不器用で下手の横好きに近い。Q太郎を実の子供のように思っている。田舎に90歳を超える母親と兄一家が、近隣に弟数名が住んでいる設定になっている。作画は藤子Fが担当。『新オバQ』ではてんとう虫コミックス第2巻128ページの「うちのアパート」という正太の台詞から、アパートのオーナーであることが伺える(「うらの」と原稿に書いてあった所を「うちの」と植字業者が読み違えた単純ミスであるという解釈もある)。『劇画オバQ』では定年退職後、故郷に帰郷したということになっている。
テレビ朝日版アニメでは、正太郎という名であった。
大原 節子(おおはら せつこ)
声 - 北浜晴子(1、2作目)、塚田恵美子(3作目)
正太、伸一の母親で、美人かつ優しき専業主婦。Q太郎からは「ママ」と呼ばれている。Q太郎の大食らいにはいつも頭を抱えているが、夫・正助と同様、Q太郎とO次郎のことを実の子供のように思っている。作画は藤子Fが担当。
テレビ朝日版アニメでは、誕生月日がQ太郎と同じ。
ユカリ
P子が居候している家に住む女子高生。『オバケのP子日記』では正太的な役回り。作画は藤子Ⓐが担当。
テレビ朝日版アニメでは「河伊ユカリ」(声 - 麻上洋子)という名の中学生。河伊伊奈子の設定が組み込まれ、伸一の憧れるクラスメートという設定となる。

人間(サブ)・その他

イナリ
ゴジラの子分。キツネ顔。自宅はクリーニング店を経営。作画は石ノ森が担当。
ブンブク・タヌキ
ゴジラの子分。タヌキ顔。作画は石ノ森が担当。
河伊 伊奈子(かわい いなこ)
『新オバケのQ太郎』のみに登場した伸一のクラスメート。休日のたびに何人もの男子から誘われるほどのモテモテぶりで、伸一も好意を寄せているが本人は友達感覚でしかない。伸一がスイカを丸呑みできるというのを止めもせず、けしかけたこともある。ミミズとオバケが苦手だったがQ太郎、O次郎とは仲がよい。将来の夢はイラストレーター。
先生
声 - 島香裕(3作目)
正太達の通う小学校のクラス担任。容貌がカバそっくりの中年男性教員。「 - だっちゅうに」、「 - ってな」などが口癖。あだ名は"威張り豚"、"ヒネブタ"。作画は石ノ森が担当。
ヒョーロク
大原家の隣人。チョビ髭を生やしている成人男性。いわゆる変人でトラブルメーカー。語尾は「 - ニィ」「 - だネィ」。『新オバケのQ太郎』で登場。作画は藤子Fが担当。
岩見(いわみ)さん
ユカリのボーイフレンド。『オバケのP子日記』のみ登場。
青山 ミドリ(あおやま ミドリ)
神成さんの家に下宿してくる20歳前後の女性。美人で心優しく、Q太郎を弟のようにかわいがるが、Q太郎はそんな彼女に対して淡い恋心を抱く。マドモアゼルに連載された作品にのみ登場。なお彼女が出る一連の作品にドロンパは登場しない。
エジサン
本名は江地三助。発明家を自称するが失敗ばかり。貧乏であるが、昔は金持ちだった。『ウメ星デンカ』にも登場している。
ネコ
『新オバケのQ太郎』幼年誌版にたびたび登場する大原家の飼い猫。

上記で言及した作画の分担は『オバケのQ太郎』においてのものを記した。学年誌版『オバケのQ太郎』や『新オバケのQ太郎』では石ノ森は参加しておらず、藤子不二雄の2人で描かれている。ただし、『新オバケのQ太郎』における絵の分担は明らかにはされていない。絵柄の違いから、正太と伸一以外の大部分が藤子Fとされており、中には全てFによる執筆の作品もある。

劇画・オバQ

劇画・オバQ」(げきがおばキュー)は『オバケのQ太郎』のエピローグ的物語。初出は『ビッグコミック』(小学館)1973年2月25日号掲載。

藤子Ⓐのような作風だが、実際のところは藤子Fが、マージョリー・キナン・ローリングス小説子鹿物語』からヒントを得たという作品。ジョディ少年と、フラッグと名付けられた野生の子鹿との出会いと別れという、楽しかった少年時代への決別を描いたこの作品を、誰もが知る少年時代の象徴ともいえる「オバQ」に置換。短編としてまとめあげる事が出来たという。「Q」の旗( = フラッグ)が、この作品同士の繋がりを示すキーワードとなっている。作中には、この旗を印象付けるために、シリーズ本編のエピソード「オバQ王国」の1シーンが引用された。ただし、このシーンに出てくる「Q」の旗はこの作品用に追加で描かれたもので、本来の「オバQ王国」にこの旗は出てこない。

タイトルは「劇画」と謳っているが、まさに絵柄も劇画タッチの硬質でリアルな線で描かれており、Q太郎の劇画調に誇張されどこか哀愁の帯びた姿、そして写実的に描かれた正太達とに妙な違和感がある。もっとも、この作品が発表された時期は劇画ブームの最中で、「毒の無い漫画は漫画ではない」という風潮が強まっていた。作者自身も得意とする生活ギャグが受け入れられなくなっており、落ち込んでいた時期でもあったという。

しかし、上記の「オバQ王国」の旗の他、ゴジラの継いだ家業が酒屋ではなく乾物屋という点や、当時無人島に居なかったはずのよっちゃんが他の仲間と一緒に思い出話に花を咲かせているシーンがあるなど、本編と異なる設定がある為、あくまで「外伝」「自己パロディ」的なものであり直接の最終回という位置付けではない。後述のように、時系列では本作より後の時代になる作品において、本作では故人となっている神成さんがまだ元気な様子が描かれている。だが、「オバQ」の新作は、1976年月刊少年ジャンプに読み切り作品が掲載された以降、描かれる事は無かったため、本作が「オバQ」自体のエピローグとして一般的には認識されている。

前述の通り、劇画タッチで話は進行するが、酔った勢いで全員がハカセの計画に賛同して「Q」の一文字が書かれた旗を掲げ「俺たちは永遠の子供だ、同志よ集え、この旗の下に」と叫ぶ一コマのみ本来のタッチで描かれている。

あらすじ

大人になりサラリーマンとなった大原正太(正ちゃん)と、15年ぶりに人間界に帰ってきたQ太郎が街角で再会する。正太は既に結婚しており、Q太郎はその家庭に居候することになるのだが、正太の妻は大食らいで厚かましい態度のQ太郎を煙たがる。そんな中、Q太郎が戻って来た事を知った西郷強(ゴジラ)が、かつての仲間達を呼び寄せて飲み会を開く。やがて昔話に花が咲き、「子供の頃の夢よもう一度」と皆で誓い合う。

しかしほどなくして、正太の妻が妊娠していると分かり、前夜の誓いなどすっかり忘れて子供が出来たと浮かれて出勤する正太を見たQ太郎は、もう正ちゃんは子供ではないということを悟り、大原家を後にしてどこかへ飛び去って行く。後にはボロボロになったQ旗が誰にも顧みられることなく残された。

登場人物

Q太郎
オバケの世界の学校を卒業後、父・X蔵のコネでオバケ銀行への就職が決まっていたが、モラトリアムを求めて人間の世界に再びやってきた。15年ぶりに正太たちと再会し、互いに喜び合うが、正太が既に子供ではないことを悟ると、誰にも別れを告げずに、オバケの世界に戻っていった。
大原正太
本作では25歳で、大企業のサラリーマン。かつてQ太郎を下宿させていた大原家の次男。愛称は「正ちゃん」。既に結婚しているが、子供はまだいない。友人のハカセから脱サラを勧められてベンチャー企業立ち上げに参加するよう頼まれているが、今一つ踏ん切りがつかない。ゴジラの旗振りでの同窓会の最中、酔った勢いでハカセの熱い訴えかけにゴジラ、キザオ、よっちゃんらと共に一度は賛同するが、妻の妊娠を知ったことで、現在の仕事を続けることにする。
また劇中には実際に登場しないが、父・正助は定年退職後に故郷に帰郷し、兄・伸一は仕事の都合で北海道に転勤したことが語られている。
正太の妻
正太の妻で専業主婦。Q太郎とは面識がなかったが、正太から子供の頃の思い出話として何度も聞かされていた。最初はQ太郎を歓迎するも、大飯喰らいで居候しているだけのQ太郎を疎ましく思うようになる。その最中、妊娠が判明。
博勢
正太の旧友で実業家。愛称は「ハカセ」。新事業を興すため正太に協力してほしいと考えている。頭はいいが人も底抜けによく、手がける事業は失敗ばかり。
西郷強
正太の旧友で乾物屋の店主。愛称は「ゴジラ」。Q太郎との再会をきっかけに、かつての仲間たちを集めた同窓会を企画した。
木佐キザオ
正太の旧友。外見が大きく変わっているが、キザな見た目からQ太郎は一目でキザオだと見抜いた。
小泉美子
正太の旧友でかつての想い人。愛称は「よっちゃん」。2児の母となっている。
神成さん
本作の時点で故人。

その他の『オバQ』未来話

『劇画・オバQ』発表以前にも、小学館の雑誌の企画によって本作の未来話を発表した事がある。いずれもQ太郎をはじめとするオバケは(一部を除き)変化は少ない。ここでは発表した順に紹介する。

7年後(7年あとのQちゃん一家)
「週刊少年サンデー」1966年41号で、創刊7周年を記念して、連載漫画家によるキャラクター7年後を予想した漫画が掲載された。紹介した中では唯一のストーリー漫画。
これによると、正太は高校生になり、大学受験で忙しくなってQ太郎と遊ばなくなり、伸一は新米サラリーマンになり、パパは顔にしわが出た他はあまり変化が無く、ママは太った体になった[28]
20年後(20年後のオバケのQ太郎)
「小学四年生」1967年2月号で、読者が大人になる頃を予測した企画が行われ、本作も一コマ漫画形式で20年後を紹介した。
これによると、正太は職業は不明であるが大人になっても漫画の愛読者、伸一は依然としてサラリーマンだが通勤には自家用飛行機を使用、パパは頭がスキンヘッドになり、ママは20年前と同じ体格だが白髪になっている。
またここでは街の人たちの20年後も紹介、ハカセ・ゴジラ・キザオ・よっちゃんは成長するも、職業が判明しているのは発明家となっているハカセだけ。神成さんはまだまだ元気でゴルフに凝りだし、小池さんは和服を着用するも依然としてラーメンを食べている。
このほか、P子がやや大きくなって美容院で髪をカール、またQ太郎は「23歳」、P子は「22歳」である事が判明している[29]
4年後(『オバケのQ太郎』あれから4年…)
『ビッグコミック』1969年3月号で、「おお!!なつかしのキャラクター 人気者その後…」という企画が行われ、人気漫画のその後が掲載。本作は1965年当時と、4年後の1969年現在のキャラの変化を写真で紹介した。
これによると、正太は長身になり、伸一は大学入試にパス(ただし喜びのあまり熱を出し写真に写らず)、パパは若く見られたいために髭を剃り、ママは「7年後」同様に太っている。
オバケに関しては、ドロンパはアメリカに帰国し、P子はスカートが更に短くなり網タイツを着用、U子は柔道三段となり、整形手術を受けて顔が一新、そしてQ太郎はグループ・サウンズの影響で3本毛を伸ばしており、また水木しげる楳図かずおのお化け漫画の愛読者へと変わっている[30]

アニメ

3度にわたってテレビアニメ化がされている。

ゲーム

オバケのQ太郎 ワンワンパニック
1985年12月16日、バンダイより発売。ファミリーコンピュータ用ソフト。アクションゲーム[31]
原作とほとんど関係の無い世界観、Q太郎のあらゆる動作の鈍さなどからゲームとしての評価は低い。Q太郎の天敵である犬の攻撃が非常に早く、1面をクリアするのも難しいほどのゲームバランスの悪さとなっている[31]

キャラクター商品・関連企画

アニメ1作目が空前のヒットとなり、以後数多くの関連商品が作られた。

アニメ1作目
不二家の一社提供のため、不二家からオバQのお菓子が発売された、当初はアニメ開始前に風船ガム「オバQフーセンガム」が発売されたが、アニメ開始と同時に板チョコ「オバQチョコレート」や、「オバQキャンディー」を追加発売、やがてキャラメルを始め、ピーナッツチョコ(板チョコ、チョコボール)や糖衣チョコも発売、いずれのお菓子にも、様々なおまけが付いていた。また懸賞も盛んに行われ、1965年から1966年にかけて、オバQお菓子の包み紙を贈ると、オープンリールテープレコーダーやオバQラジコン人形が当たる懸賞が行われていた。さらに1966年にはオープン懸賞として、「オバQといっしょにケニヤに行こう!」「Qちゃんとオトギの国デンマークへ行こう」が行われた(インド航空協賛)。これは葉書にオバQ(「デンマーク」ではP子でも良い)の似顔絵を描いて応募すると、抽選でケニア旅行やデンマーク旅行といった海外旅行が贈られるもので(「ケニヤ」の時は8ミリカメラが副賞)、海外旅行がまだ「高値の花」と言われたこの時期では、一際注目を浴びた。なお原作者の藤子不二雄は双方の審査員を担当し、旅行に同行した。また「デンマーク」の時は、「週刊少年サンデー」1966年28・29号で藤子不二雄が懸賞前にデンマークへ偵察に出かけた事を報告すると、似顔絵懸賞の説明と参考のための「オバQの描き方」(P子の描き方は無し)の記事を発表[32]、そして旅行後の「週刊少年サンデー」1966年48号に、藤子・F・不二雄風の男性がデンマーク旅行に行った時の土産話を語る作品「デンマークに負けるな」を発表した[33]
1966年暮れには『オバQクリスマス』というレコードが発売された(P子や正太も登場するコロムビア盤と、Q太郎のみが歌う勁文社盤がある)。スポンサーの不二家が『オバQ』を通じて自社のケーキを買ってもらおうというタイアップ企画でもあり、ペコちゃんとQ太郎がクリスマスソングを歌う、景品のソノシートも制作された[34]
アニメ2作目
再び不二家がスポンサーに付き、新たなオバQお菓子を発売、更にかつての「ケニヤ(デンマーク)へ行こう」と同様の似顔絵懸賞を行ったが、アニメ開始1ヶ月後の1971年10月よりオープン懸賞の上限は百万円まで」となったため、賞品は海外旅行ではなく、ギフト旅行券となった。また、新たにプリマハムがスポンサーに加入し、「オバQウインナー」などのキャラクターソーセージを販売した。なおプリマハムは1972年9月限りで任天堂と交代した[35]が、その後も番組終了まで販売した。
アニメ3作目
不二家は参加せず、同業者のロッテがスポンサーに付いた。

また2作目と3作目の間の1976年には、ポピー(現:バンダイ)の「超合金」のシリーズ企画で、懐かしの漫画キャラ・アニメキャラ・おとぎ話キャラをフィギュア化した「名作シリーズ」の一環として、オバQの「超合金」が発売。オバQを立てる台座やP子人形が付属しており、P子を背中に乗せたり、背中のボタン操作で口が開き、舌が出るギミックが付いていた。後年、『ドラえもん』『怪物くん』『パーマン』といったシンエイ動画版藤子アニメが放送された時は、ポピー→バンダイから「超合金」人形が発売されたが、本作のシンエイ版が放送された時は、オバQの「超合金」は発売されず、「名作シリーズ」版が唯一の「超合金」となった。

本作のキャラクターが登場する他の作品

国民的人気漫画であったことから、「オバQ」や「Q太郎」という名称や絵が登場したり、作中人物がQ太郎に扮したり、漫画やアニメのモブシーンに顔を出す作品は多数ある。ここでは「セリフのあるキャラクターとして登場するもの」「制作当時の社会風俗として登場しているもの」に限定する。

キャラクターとして登場するもの

漫画

藤子・F・不二雄によるもの
  • 『ドラえもん』(セリフのあるもの)
「なんでも空港」(てんとう虫コミックス32巻)、「不運はのび太のツヨーイ味方!?」(てんとう虫コミックス『ドラえもん プラス』1巻)、「のび太のドラビアンナイト」(『大長編ドラえもん』11巻)
このほかモブキャラとして「ほんもの図鑑」(てんとう虫コミックス6巻)、作中世界のテレビ番組として「おりたたみハウス」(てんとう虫コミックス24巻)、「ジャイアンよい子だねんねしな」(てんとう虫コミックス27巻)、「カチンカチンライト」(てんとう虫コミックス38巻)、「ジャイ子の新作まんが」(てんとう虫コミックス44巻)、スネ夫のコレクションとして「ポスターになったのび太」(てんとう虫コミックス33巻)に描かれている。
  • おそ松くん』 - 赤塚不二夫の漫画であるが、週刊少年サンデー1966年10号に掲載された「オハゲのKK(ケケ)太郎」では藤子不二雄との合作という形でチビ太とQ太郎を共演するクロスオーバーが実現した。この話は『おそ松くん』竹書房文庫版22巻、及び「藤子・F・不二雄大全集」の『オバケのQ太郎』第5巻の巻末に収録されている。
他の作家によるもの
  • ヨシダ忠(元・藤子・F・不二雄アシスタント)による小学館の学習雑誌『小学一年生』の1974年なぞなぞ漫画および付録の豆本 - この漫画および豆本の主役は「なぞえもん」という、ちょんまげ頭の小学生であるが(首から下は現代の普段着、舞台も現代で、通っている小学校でちょんまげは彼一人だけ)、Q太郎が同居しており、仲間のオバケたちもなぞなぞを出す話の都合上出演している。大原家は登場しない。

社会風俗として登場しているもの

漫画

映画

  • 『哀愁の夜』(1966年、日活) - 和泉雅子扮する美沙緒が経営するアニメ制作プロダクション「Qプロダクション」では『オバケのQ太郎』のテレビアニメを製作している。劇中で主演の舟木一夫と二人でスライドで『オバケのQ太郎』を見るシーンがあり、従業員一同で『オバケのQ太郎』の主題歌を合唱するシーンなどがある。
  • 喜劇 駅前漫画』(1966年、東京映画) - Q太郎とP子らがアニメと着ぐるみで登場。劇中に登場する玩具工場では当時のオバQグッズが作られている。その工場の社長(伴淳三郎)の息子は久太郎(頭師佳孝)という名で、いつもオバQの「Q」の字と唇をモチーフにした白いトレーナーを着ている。この作品に登場する漫画工房で描かれている漫画は『おそ松くん』である。なお久太郎役の頭師がレギュラー出演し本作と同じくTBS系列にて放送されていたテレビコメディ『いとはんと丁稚どん』(朝日放送制作)の、第26話(1966年4月18日放送)に「大松とオバQの巻」という話があるが、どのような内容かは不明。

本作に由来する愛称を持つもの

人物

  • 高橋尚子 - 「Qちゃん」のあだ名で呼ばれている。その由来は、リクルート(当時)の陸上部新入部員歓迎パーティーで、全身にアルミホイルを巻き、カラオケで『新オバケのQ太郎』の主題歌を歌ったことによる。
  • 田代富雄 - 「オバQ」の愛称があった元大洋ホエールズ選手。プロ入りした1973年に間の抜けたような受け答えをしたことから、当時の2軍コーチだった沖山光利に「オバQみたいなヤツだな」と言われたことが「オバQ」と呼ばれた始まりだった。それまで言われていた、その風貌(田代はむしろ目は小さい)や「オバケのように打球が遠くへ飛んでいく」などの説は違うという[36]。当時、打席に立つ時にアニメのテーマ曲がエレクトーンで演奏された時期もあった。
  • 栃乃和歌(元・大相撲力士、現・春日野親方) - その風貌と厚い唇から兄弟子の舛田山(現・千賀ノ浦親方)から「Qちゃん」と呼ばれていた。後に、そのあだ名が広まり「角界のオバQ」と呼ばれるようになった。

自動車

  • いすゞ・BU - 1960年代から1970年代に製造された観光バスで、川崎重工業(1969年までの川崎航空機、のちの川重車体工業)が製造したボディは、前面がQ太郎に似ている(特にヘッドライト周りがQ太郎の唇に似ているという)理由で「オバQ」の愛称が付いた車がある(詳細は該当項目参照)。なお、ユーザー側の希望により、日野自動車[37]三菱自動車工業(三菱ふそう)のシャーシに同型のボディを架装した例も若干あった。

書籍情報

※以上の単行本シリーズは2010年現在、全て絶版。1969年に刊行された虫コミックス版は、原作者ですら全巻持っていないといわれる(藤子Fによると、うちには1冊しか残っていないとのこと)[38]

脚注

  1. ^ のちの小山田つとむ
  2. ^ NHK『ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」』
  3. ^ 藤子Fの結婚披露宴におけるつのだじろうの発言によるとされるが、つのだ自身は覚えていないという
  4. ^ 反応が全くなかった事について、藤子不二雄の二人は、「『オバQ』はあらためて面白いと言う必要もないほど読者にウケていた」と解釈している(藤子F不二雄の伝記漫画より)
  5. ^ 長田暁二『昭和の童謡アラカルト - 戦後編』ぎょうせい、1985年、253頁。ISBN 4-324-00124-3
  6. ^ 曽我町子コレクション・ステラインターネットアーカイブのミラー)
  7. ^ 曽我町子,石川進/オバQ音頭/オバケのQ太郎 レコード通販のサウンドファインダー
  8. ^ 曽我町子.石川進/アニメ「オバケのQ太郎」 オバQ音頭 SCS4アナログレコード 詳細ページ
  9. ^ 小学館ビル:漫画家25人が落書き…建て替え、別れ惜しみ毎日新聞、2013年8月13日
  10. ^ ありがとう! 小学館ビル ラクガキ大会
  11. ^ ポケモンの成功法則
  12. ^ 週刊昭和タイムズ』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)より。
  13. ^ 『うしおそうじとピープロの時代』太田出版、1999年、p.101。安藤健二『封印作品の憂鬱』洋泉社、2008年、pp.91 - 92
  14. ^ 10分弱の短編をオムニバス形式で繋げて途中入場者や長編の鑑賞に耐えられない児童でも鑑賞できるように企画された方式
  15. ^ まんだらけなど大手の競売で関連資料が出品されている
  16. ^ 『藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 名作秘話編』えびはら武司、竹書房
  17. ^ 執筆は石ノ森と藤子が主に行い、藤子Fはキャラクターデザインの一部を担当した。
  18. ^ 鈴木伸一のペンネーム。
  19. ^ 初出:『別冊少年サンデー』1966年2月号。てんとう虫コミックス(旧版)第5巻・藤子不二雄ランド第12巻収録。
  20. ^ Fとの共著扱いという体裁は、2011年に小学館から刊行された『UTOPIA 最後の世界大戦』(復刻版)でも踏襲され、別冊の「UTOPIA読本」にはのコメントも掲載されている。
  21. ^ フランス」の場面では、『おそ松くん』のイヤミが登場している。
  22. ^ 小学四年生1965年7月号「これがオバQだ!!」
  23. ^ 中島紳介「壮絶編集者人生」『TOYSUP!』05号、トイズプレス、2014年、p.53
  24. ^ 『ひとり三役』にてユカリと両親の留守に祖父が訪れ、がっかりさせないために代わる代わる化けて応対したが、3人揃って出て欲しいと言うので「幅広なオバケの体から3人の上半身が生えた姿」に化け、下を炬燵に隠して応対した。
  25. ^ 神成さんは彼を家に寄せ付けない対策として匂いを覚悟の上で家の周囲の壁に糠味噌を塗りたくったが彼の策で消防車を呼ばれ壁を洗浄されたことがあった。
  26. ^ 外人になりすまして仮病まで使って大原宅に居候しようとして、正太の部屋で看病された時にたくあんを出されて、ベランダから飛び出し香水の香りで癒そうとしたことがあった。
  27. ^ 藤子・F・不二雄大全集 別巻2『Fの森の大冒険』32頁
  28. ^ 『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎⑤』小学館、p.482。
  29. ^ 『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎⑨』小学館、P.419。
  30. ^ 『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎⑪』小学館、p.363。
  31. ^ a b マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、11ページ
  32. ^ 『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎⑤』小学館、p.472・473。
  33. ^ 『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎⑤』小学館、p.382。
  34. ^ この企画は『怪物くん』でも行われた。
  35. ^ 日本テレビ社史『大衆とともに25年』
  36. ^ ついに明かす『オバQ』命名秘話(『夕刊フジ』2009年5月23日)
  37. ^ 観光バス 1960年代 - 両備・岡電デジタルのりもの博物館(両備ホールディングス)。日野RC100Pに川崎製オバQ型ボディを架装した車両の写真が掲載されている。
  38. ^ 文藝春秋』1994年2月増刊号でのよしもとばななとの対談より。
  39. ^ オバケのQ太郎:30年ぶりコミックス一新 装丁は祖父江慎 - まんたんウェブ(2015年6月25日)

関連書籍

  • 藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた -戦後児童漫画私史』(文藝春秋社、1980年)
  • 月刊「創」編集部編『音羽vs一ツ橋』(創出版、1983年) - 小学館本社ビルがオバQビルと呼ばれているとの記述。
  • 中野晴行編『鉄腕アトムワールド』(ぴあ、1993年) - マーチャンダイジングの歴史。オバQブームと怪獣ブーム。
  • 米澤嘉博『藤子不二雄論 Fとの方程式』(河出書房新社、2002年)
  • 安藤健二『封印作品の謎2』(太田出版、2006年) ISBN 4-7783-1006-3 - 絶版の真相について関係者の取材を行っている。

関連項目