トキワ荘

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:初代もしくは2代目の建物の画像提供をお願いします。2009年10月
トキワ荘
Former site of tokiwaso apartment house minaminagasaki.JPG
跡地には現在はトキワ荘があった事を示す看板が立てられている。
情報
用途 集合住宅
階数 地上2階
開館開所 1952年
所在地 171-0052
東京都豊島区南長崎三丁目16番6号
座標 北緯35度43分26.7秒
東経139度41分17.9秒
備考 1982年に解体
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トキワ荘(トキワそう)は、東京都豊島区南長崎三丁目(住居表示16番6号、完成当時の住所表記は豊島区椎名町五丁目2253番地)に1952年から1982年にかけて存在した木造アパートである。

手塚治虫ら著名な漫画家が居住していたことで有名。

概要[編集]

上棟式1952年12月6日。老朽化により1982年11月29日に解体。賃貸された部屋のうち二階部分は十室で全て四畳半押入れと入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の調理場、トイレなどが存在した[1]

手塚治虫は1952年に上京して最初は東京都新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していたが、やがて昼夜を問わぬ編集者の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。このとき手塚は、学童社の加藤謙一の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ荘」へ入居するように誘われて、1953年の初頭に住人となった[2]。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた(最も多い時期には7、8名の漫画家が居住し、またその仲間の漫画家も出入りするようになったため『マンガ荘』というニックネームまで付けられた[3])。

才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあったほか、「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている[4]

それら若手漫画家達の多くは後に著名になり、その漫画家達により同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。なお、トキワ荘への入居と仲間入りに際しては、メンバーたちにより、

  • 『漫画少年』で寺田が担当していた投稿欄「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めていること。
  • 協調性があること。
  • 最低限、プロのアシスタントが務まったり、穴埋め原稿が描けたりする程度の技量には達していること。
  • 本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。

といった基準で厳格な事前審査が行われていたとされる[5][注釈 1]。こうした背景を考えると、トキワ荘に居住した(居住できた)のは単なる若手漫画家ではなく、選び抜かれた漫画エリート達であり、トキワ荘から多数の一流漫画家が世に出たのは偶然ではなく必然だったと指摘されている[6]

また、昭和30年(1955年)5月に結成された新漫画党のメンバー、すなわち寺田ヒロオ(総裁)、藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄)、鈴木伸一森安なおや1957年、除名処分を受ける)、つのだじろう石森章太郎赤塚不二夫園山俊二は、トキワ荘に当時かかっていたカーテンに各自、結成を祝って漫画を描いた。現在そのカーテンは、おもちゃコレクター・鑑定士の北原照久の所有となっており、漫画界の「釈迦の衣」と呼ばれている。

雑誌『COM』では1969年から翌1970年にかけ、各漫画家たちがトキワ荘に住んでいた頃の状況を自伝として描き(後にまとめられ、『トキワ荘物語』として翠楊社より1978年に出版。以後も再刊、再編集)、さらに1970年代からは週刊少年キング等に連載された藤子不二雄(藤子不二雄)の『まんが道』やつのだじろうの『その他くん』などによってトキワ荘のエピソードが語られ、後進の漫画家、或いは漫画ファンに知られるようになった。その結果、トキワ荘自体も著名な存在となり、既に各漫画家が全員退出してしまった時期においても見学者がはとバスで訪れる[7]といった聖地的な扱いをされるに至った。解体前の1978年には翠楊社より『トキワ荘物語』が刊行され、解体が決まった1981年、手塚治虫を中心としたかつての居住者らが集まって同窓会が開かれ、その模様はNHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』(NHK)として5月25日放送、ビデオも発売された。このとき、建物に残っていた襖で寄せ書きが作成された。これは『驚き桃の木20世紀』(テレビ朝日)で公開された[注釈 2]。また、10月3日にはフジテレビでアニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(脚本・辻真先、監修・小池一夫、監督・鈴木伸一、キャラクターデザイン・石森章太郎)が放映された。さらに1996年には市川準監督、本木雅弘主演で映画『トキワ荘の青春』が公開されている。

トキワ荘自体は解体された1982年12月に新築され、バス・トイレ付きのアパートになった。そして赤塚不二夫作画の看板が掲げられていた。しかしバブル景気の最中に地上げに巻き込まれて更地化した。現在は日本加除出版の新館社屋となっている。近年、松葉ラーメン店が実行委員長となり記念碑の建立が計画され、2009年3月にトキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工し、同年4月4日に完成した記念碑の除幕式が行われた[8]2012年4月6日には、トキワ荘の跡地に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた[9]。なお現在のトキワ荘跡地に通じる道路とモニュメントがあるのは、漫画などでよく描かれるトキワ荘の正面玄関側ではなく、裏口と非常階段があった側である[注釈 3]

トキワ荘に隣接して現存し、赤塚不二夫がかつて借りていた「紫雲荘」は、豊島区が若手漫画家のために入居費用補助などの支援をする「紫雲荘・活用プロジェクト」として運用されている。[9]

元居住者[編集]

漫画家[編集]

その他[編集]

トキワ荘に頻繁に出入りしていた漫画家[編集]

  • 坂本三郎
  • しのだひでお
  • 園山俊二
  • つげ義春 - 『漫画少年』の投稿欄を通じて知り合った赤塚不二夫を訪ね、トキワ荘に出入りしていた。「まだデビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないでいたんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした」「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ」と語っている[19]。また、トキワ荘グループは苦手だったと認め、「デビューしてまもない無名でしたから、寺田ヒロオさんや藤子不二雄さんとかは、ほとんど相手にしてくれなかったです。赤塚不二夫さんと、あとは石森(石ノ森)章太郎さんがちょっとだけ相手にしてくれました」とも発言している[20]
  • つのだじろう
  • 永田竹丸
  • 長谷邦夫
  • 横山孝雄

復元[編集]

2020年東京オリンピックに間に合わせる形で、近くの区立公園に外観を復元した建物を建設することが決まっている。内部は関係資料やマンガ・アニメの展示施設となる予定であり、新たな観光施設となることが期待されている。

関連事項[編集]

団体など[編集]

作品など[編集]

  • まんが道 - 藤子不二雄(安孫子素雄)作の漫画。トキワ荘について詳しい。
  • 「愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春」藤子不二雄作の漫画。『まんが道』の続編。
  • ビアティチュード BEATITUDE - やまだないとの漫画。トキワ荘をモデルとして独自の解釈を加えた作品。
  • デトロイト・メタル・シティ - 『アートキワ荘』という、トキワ荘をもじった、アーティスト志望の人々が住むアパートが登場する。
  • SKET DANCE - 作中に登場する男子漫画研究部の名前がトキワ荘をもじった『卜打荘』(ぼくだそう)。
  • ケロロ軍曹 - 単行本8巻にて「トキノワ荘」なるアパートが登場。住人は藤子F、A、石ノ森、赤塚らいずれもトキワ荘の往時の住人をモデルにしており、「ローナッツ」や「酎ーラ」といったトキワ荘でのエピソードを取り扱っている。
  • ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜 - 原作:宮崎克、漫画:吉本浩二の漫画。手塚治虫の制作秘話や舞台裏を描いた実録漫画であり、トキワ荘でのエピソードもいくつか描写されている。

その他[編集]

  • ちばてつや
  • 出没!アド街ック天国 - 2009年、椎名町にてトキワ荘に関連したものが多くランクインした。
  • 南長崎花咲公園 - トキワ荘記念碑が設置されている。
  • 北原照久 - トキワ荘の寄せ描きカーテンを所有。ごく稀に展覧会等にて公開している。
  • 特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」 - 2013年6月の東京展を皮切りに全国を巡回した展覧会。会場内にトキワ荘(縮小モデル)や居室が再現された[22]

トキワ荘プロジェクト[編集]

漫画家を目指す若者に格安の賃料でシェアハウスを貸し出し、本業に専念することでプロデビューを目指す事業。入居者は、漫画関係の勉強会の受講や、仕事の斡旋・仲介を受けることができる。中には漫画家の甲斐谷忍樹崎聖が指導を行うメンター荘もある。主な出身者は中川学西村ツチカら。NPO法人NEWVERYが運営。

トキワ荘通り協働プロジェクト[編集]

南長崎地域の町会や商店会が中心となって進めるトキワ荘の地域活性プロジェクト。 トキワ荘のあった街である南長崎地域では豊島区との協働の元、トキワ荘の「記憶」を地域文化として後世に繋げるため、様々な取り組みを行っている。

関連作品[編集]

書籍・文献[編集]

  • 赤塚不二夫他:『トキワ荘物語』、翠楊社、1978年5月。
    • 手塚治虫と11人:『トキワ荘物語』、翠楊社、1983年(再刊)。
    • COM』1969年10月号-1970年9月号(1970年5,6月号は合併号)に掲載された水野英子、寺田ヒロオ、藤子不二雄、森安なおや、鈴木伸一、永田竹丸、よこたとくお、赤塚不二夫、つのだじろう、石森章太郎、手塚治虫(掲載順)[23]による「トキワ荘物語」に加え、『COM』1969年12月号に掲載された長谷邦夫「椎名町奇譚」(「長谷邦夫パロディー劇場9」)を収録。
  • 石森章太郎:『章説・トキワ荘・春』、スコラ、1981年9月。
    • 『トキワ荘の青春―ぼくの漫画修行時代』講談社文庫、1986年6月、ISBN 978-4061837522(上記作品の文庫化)。
    • 『章説・トキワ荘・春』風塵社、1996年4月 ISBN 978-4938733247(石森「トキワ荘物語」を加えて再刊)。
  • 藤子不二雄:『トキワ荘青春日記』、光文社、1981年9月30日。
  • 手塚治虫&13人『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』、蝸牛社、1987年6月
    • 12人のCOM掲載作品に加え、監修者である横山孝雄による「トキワ荘傍役物語」や丸山昭のエッセイ、さらに各漫画家の初期作品等を収録。※ 後に文庫化(1995年12月、ISBN 978-4876612666
  • 丸山昭:『トキワ荘実録―手塚治虫と漫画家たちの青春』、ほるぷ出版、1993年4月、ISBN 978-4593534272
    • 『まんがのカンヅメ―手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』、小学館(小学館文庫)、1999年、ISBN 978-4094034417。※ 上記作品の増補改訂文庫化
  • 梶井純:『トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道』、筑摩書房(ちくまライブラリー)、1993年7月、ISBN 978-4480051929
  • 竹熊健太郎:『マンガ原稿料はなぜ安いか?』、イースト・プレス、2004年2月1日、ISBN 978-4872574203
  • 水野英子:『トキワ荘日記』、自費出版、2009年10月。 ※ 著者の公式サイト(水野英子の部屋)の通信販売で入手可。
  • 豊島区立郷土資料館(編)、手塚プロダクション(編):「トキワ荘のヒーローたち~マンガにかけた青春~」、豊島区立郷土資料館[2009年度企画展図録](2009年10月24日発行)※ 企画展示(期間:2009年10月24日~12月6日)の図録。
  • 手塚治虫(他):「トキワ荘パワー!」、祥伝社、ISBN 978-4396781187(2010年8月31日)。
  • 伊吹隼人:『「トキワ荘」無頼派-漫画家・森安なおや伝』、社会評論社、2010年10月、ISBN 978-4784509409
  • 山内ジョージ:『トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語』、東京書籍、2011年6月20日、ISBN 978-4487805631
  • トキワ荘通り協働プロジェクト協議会(編):「写真集・トキワ荘通り」、トキワ荘通り協働プロジェクト協議会、平成25年(2013年)3月発行。

漫画[編集]

映像作品[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 水野英子の入居の際は、すでにトキワ荘にいた石森章太郎、赤塚不二夫と水野の3人で合作し、U・マイヤ名義で作品を発表するという目的があったため、掲載誌『少女クラブ』の担当編集者だった丸山昭が部屋を押さえ、敷金・礼金も払うなど、トキワ荘のメンバーというより出版社・編集者主導で事前の準備がなされていた(丸山昭 『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
  2. ^ それを見たゲストのなぎら健壱はこの寄せ書きに感動し「全財産を投じて永久保存をするからこれを譲ってほしい」と発言した。
  3. ^ もとは旧落合電話局側に正面玄関に通じる路地があったが、現在では住宅が建っており、かつての正面玄関側からモニュメントを見たりトキワ荘跡地を訪れることは不可能になっている(トキワ荘について

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]