紀元前10世紀

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千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前11世紀 - 紀元前10世紀 - 前9世紀
エルサレム神殿を奉献するソロモン王」(ジェームズ・ジャック・ジョセフ・ティソ画)。
「ソロモン王を訪問するシバの女王」。シバはイエメンかエチオピアに相当すると考えられ、この地と地中海東岸が紅海貿易で結ばれていたことを示す。画像はピエロ・デラ・フランチェスカの15世紀の絵画。
エジプト第21王朝の王プスセンネス1世。下エジプトのサイスを都とした第21王朝でこの王は半世紀近い治世を営んだ。またこの王の墓は古代エジプトを通じて唯一の未盗掘王墓だったことでも知られる。

紀元前10世紀(きげんぜんじゅうせいき)は、西暦による紀元前1000年から紀元前901年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた紀元前10世紀について記載する。

できごと[編集]

紀元前1000年代[編集]

紀元前990年代[編集]

  • 紀元前991年頃 - エジプト第21王朝の王プスセンネス1世が死去。この王墓は古代エジプトで唯一の無盗掘の王墓であった。

紀元前980年代[編集]

  • 紀元前985年頃 - 周の昭王が南方巡狩で消息不明になる(との戦いで死亡した)。穆王が即位。

紀元前970年代[編集]

紀元前950年代[編集]

  • 紀元前950年頃 - 現存する古代エジプト最長の死者の書『グリーンフィールド・パピルス』(大英博物館蔵)が作られる( - 紀元前930年)。

紀元前940年代[編集]

  • 紀元前945年頃 - リビア人傭兵の子孫であるシェションク1世がエジプト第22王朝を開く。
  • 紀元前940年 - 周の穆王が死去し、共王が即位。
    • 穆王の時代に建国以来の周の歴代王の名称が書かれた「史墻盤」が作られる。

紀元前930年代[編集]

紀元前920年代[編集]

  • 紀元前928年頃 - 周の共王が密康公を滅ぼす。
  • 紀元前925年頃 - エジプト王シェションク1世によるエルサレム神殿の略奪。

紀元前910年代[編集]

  • 紀元前911年頃 - アッシリア王アダド・ニラリ2世の即位。この時期から「新アッシリア」と呼ばれる。
  • このころより日本列島に中国大陸・朝鮮半島などから多数の移住者が渡来、定着する。
  • 弥生時代の始まりが紀元前10世紀まで遡る可能性がある。国立歴史民俗博物館の研究グループが、九州北部の遺跡から出土した弥生時代早期の土器に付着していた煮焦げなどの炭化物の年代測定の結果、通説より500年遡ることが裏付けられたと発表した。

人物[編集]

ギリシア[編集]

オリエント[編集]

中国[編集]

  • 康王(? - 前993年?)- 王朝第3代王(在位前1002年? - 前993年?)
  • 昭王(? - 前985年?) - 周王朝第4代王(在位前993年? - 前985年?)
  • 穆王(? - 前940年?) - 周王朝第5代王(在位前985年? - 前940年?)
  • 共王(? - 前903年?) - 周王朝第6代王(在位前940年? - 前903年?)

技術・社会[編集]

  • 日本列島では、縄文時代の晩期には北九州・近畿にまで水田農耕が定着していったとされる。

脚注[編集]

注釈

出典

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参考文献[編集]

関連項目[編集]