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{{出典の明記|date=2009年10月}}
{{国際通商}}
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'''自由貿易'''(じゆうぼうえき、free trade)は、[[関税]]など[[国家]]の介入干渉を排して生産者や商人が自由に行う[[貿易]]のこ。[[19世紀]]に[[重商主義]]にづく[[保護貿易]]に対して、[[イギリス]]の[[アダム・スミス]][[デヴィッド・リカード]]、[[フランス]]の[[フランソワ・ケネー]]らによって唱えられた。現在は[[世界貿易機関]](WTO)、諸国間取引ルールを定め、より自由貿易に状態が実現されよう努めている
'''自由貿易'''(じゆうぼうえき、{{lang-en-short|free trade}})は、[[関税]]など国家の介入干渉を排して自由に行う[[貿易]]を指す。学説しては、[[重商主義]]にもとづく[[保護貿易]]に対して、イギリスの[[アダム・スミス]][[デヴィッド・リカード]]らによって唱えられた。貿易が利益になるというは経済学における最古命題の一つであ自由貿易はこの命題もとづいている{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1134-1140/8512}}。また、[[営業の自由]]をはじとする経済活動の自由や移動の自由と密接に関係している{{Sfn|服部|2002|pp=51-54}}。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[画像:Supermarkt.jpg|thumb|300px|スーパーマーケット([[ブラジル]]・[[サンパウロ]])。スーパーは国際分業を考えるうえでの宝庫ともいわれる{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=3}}。]]
個々の市場で完全競争原理が働いた場合、生産者と消費者は、市場価格による生産・消費によって最大の利益を享受できる<ref name="yasashii112">日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、112頁。</ref>。このような完全競争原理を国際的に適用させようとするものが自由貿易の理論である<ref name="yasashii112" />。
貿易では、国が互いに財やサービスを売ると両国の利益となる。これは国際経済学における最も重要な洞察ともいわれる。貿易の便益は実体のある財だけでなく、サービス産業などにも及ぶ。国は貿易で利益を得るが、国内において特定の集団に害を与えることがある。そのため、どれだけの貿易を認めるかという論争が続いている{{efn|[[ジョン・メイナード・ケインズ]]のように、自由貿易と保護貿易の支持を時代によって変えた経済学者もいる。1920年代は自由貿易論者として保守党の関税に反対し、大恐慌後には保護主義を主張したが、1945年にはアメリカの政策変更を知って再び自由貿易論者となった{{Sfn|岩本|1999|pp=第6章}}。}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=3-6}}。


自由貿易を支持する経済学的な理由としては、 (1) 効率性の利益について定式化した分析がある。 (2) 定式化に含まれない追加の利益がある。 (3) 複雑な経済政策の実施は難しいが、自由貿易は簡易である、などがある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=264-267}}。完全な自由貿易の国は存在しないが、[[貿易自由化]]の国際機関として[[世界貿易機関]](WTO)がある。WTOは諸国間の取引のルールを定め、より自由貿易に近い状態が実現されるよう努めている{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=305-307}}。[[貿易依存度]]は2000年代後半には60%を超え、21世紀は歴史的に自由貿易が最も実現されているといえる{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=2-4}}。
自由貿易の利益は、国際分業([[比較優位]]への特化)によって図られるが、関税などの貿易障壁が高すぎると、貿易の利益は損なわれ利益ある国際分業が起きなくなる。このため、関税などを撤廃する事で、貿易取引を自由に行い経済的な利益を増大させる事が出来ると考えられている。自由貿易の利益は、一方からの所得移転ではなく、経済全体の所得増大によって実現されるため、貿易に関係する両国が利益を得る事が出来る。


; 自由貿易支持者の主張
自由貿易を行っていけば、どの国においても必ず衰退する産業は出てくる<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、202頁。</ref>。自由貿易では、[[産業構造の転換|産業構造調整]]が生じるが、その調整は簡単でもスムーズでもなく、様々な社会的軋轢を伴い、困難な過程があるのが常である<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、203頁。</ref>。このとき特定の[[比較劣位]]の産業は厳しい競争にさらされ衰退する場合があるため、自由貿易への反対は根強い。
* 国外から安価な商品が輸入できる{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。

* 国外に商品を輸出して利益が享受できる{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。
== 自由貿易の主張 ==
* 国外から機械・原材料が輸入されることで、技術・スキルが移転される{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。
* 海外から安価な商品が輸入できる<ref name="hajimetenojyo30">伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞出版社〈日経文庫〉、2004年、30頁。</ref>。
* 国外への輸出機会を得ることで国内生産のスケールメリット([[規模の経済]])が活かされる{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。
* 海外に商品を輸出して利益が享受できる<ref name="hajimetenojyo30" />。
* 国外からの競争圧力によって、国内の独占の弊害を軽減できる{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。
* 海外から機会・原材料が輸入されることで、技術・スキルが移転される<ref name="hajimetenojyo30" />。
* 国外からの輸入を通じて多様な商品が消費できる{{Sfn|伊藤|2004|p=30}}。
* 海外への輸出機会を得ることで国内生産のスケールメリット([[規模の経済|規模の経済性]])が生かされる<ref name="hajimetenojyo30" />。
* 海外からの競争圧力によって、国内の[[独占]]の弊害を軽減できる<ref name="hajimetenojyo30" />。
* 海外からの輸入を通じ多様な商品が消費できる<ref name="hajimetenojyo30" />。


''上記に対する保護貿易論者の主張については、[[保護貿易#保護主義の主張]]を参照。''
''上記に対する保護貿易論者の主張については、[[保護貿易#保護主義の主張]]を参照。''


== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{main|貿易史}}
{{see also|貿易史}}
歴史的には、完全な自由貿易の国は存在しない{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=第9章, 第10章}}。第一次世界大戦までの自由貿易はイギリスが主導し、通貨は金本位制にもとづいていた。第二次世界大戦後の自由貿易はアメリカが主導し、通貨はアメリカの[[USドル]]との比率にもとづくブレトンウッズ体制で始まり、現在は[[変動相場制]]となっている{{Sfn|猪木|2009|pp=72, 221}}。
現在は、歴史的に見ても世界規模で自由貿易が実現されている状態といえるが、自由貿易はさまざまな歴史を経てきている。


; 海洋と貿易の自由
[[19世紀]]前半、[[比較優位|国際分業]]において[[工業]]分野で圧倒的優位を誇った[[イギリス]]は、世界的な自由貿易体制確立に腐心していた。生み出す利益が自国をより優位にすると考えられたためである。
貿易の自由についての古い記録は、交通の自由との関わりで海洋法や海事法に見られる。2世紀の[[古代ローマ]]の法学者マルキアヌスは、海は所有の対象ではないと書いたとされ、ローマ帝国では海に管轄権はなかった。中世に入ると[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]がアドリア海の支配を主張し、他のイタリア都市国家やヨーロッパ各国でも近海の支配を主張した。海上貿易のための規則としては、東地中海にはビザンツ帝国で{{仮リンク|ロードス海法|en|Byzantine law#The Sea Laws}}が用いられ、西地中海では14世紀頃にバルセロナで作られた{{仮リンク|コンソラート・デル・マーレ|en|Book of the Consulate of the Sea}}が私法や商事紛争の解決を定めた。領有について最も問題となったのが[[トルデシリャス条約]](1494年)で、アメリカ大陸の陸地と海洋が[[スペイン帝国|スペイン]]と[[ポルトガル帝国|ポルトガル]]によって分割され、教皇[[アレクサンデル6世]]が承認した{{Sfn|水上|2004|pp=1-5}}。これに対して[[イギリス帝国|イギリス]]の[[エリザベス1世]]は、海の領有や海上貿易の独占を許さないと主張した。エリザベス1世は[[フランシス・ドレイク]]らの[[私掠船]]による略奪を公認しており、航海の自由は私掠船政策を維持するためにも必要だった{{efn|エリザベス1世は、当初はスペインとの摩擦を避けるために海賊や密貿易の監視もした{{Sfn|薩摩|2018|p=39}}。}}{{Sfn|水上|2004|pp=5-6}}。オランダの法学者[[フーゴー・グロティウス]]は、『[[自由海論]]』(1609年)でポルトガルの海洋支配に対して[[海洋の自由]]を提唱した。グロティウスの説は新興国である[[オランダ帝国|オランダ]]の国益に沿う内容でもあった{{Sfn|水上|2004|pp=5-11}}。


; 保護貿易から自由貿易へ
もともと自由貿易は、産業資本家の要請を受けて展開された。19世紀初頭のイギリスでは[[穀物法]]や[[航海法]]によって国内市場を保護するとともに、貿易による利益が一部の特許会社に独占されていたが、これに対して産業資本家から批判の声が上がった。直接的な理由としては国内産小麦を保護することによって、パンの価格が高くなっている、というものであった。スミスやリカードら経済学者や、[[リチャード・コブデン]]、[[ジョン・ブライト]]などの[[マンチェスター学派]]によって唱えられたこの主張は国内に広く支持され、国内市場を保護しないという方針は19世紀イギリスの基本政策となった。一方で貿易相手側の自由貿易、つまり相手国に市場を保護させないという点については、[[ドイツ関税同盟]]の例があるように徹底することは難しかった。非ヨーロッパ地域では清朝に対する[[アヘン戦争]]、[[アロー戦争]]のように、自由貿易を強制することも可能であったが、ドイツやアメリカに対して武力で自由貿易を強制することは不可能であった。これに対し、イギリス産業界からは保護関税の導入を求める声が上がったが、導入には至らず、イギリスは結局、ブロック経済まで一方的に自由貿易を展開することになる。イギリス以外の中核国では、イギリスに対抗し自国産業を育成するために保護関税が導入され、早くに自由貿易は衰退している。
[[File:Boston Tea Party w.jpg|thumb|230px|right|茶税法に反対するアメリカ住民の抗議行動([[ボストン茶会事件]])。航海条例にはじまるイギリスの保護貿易はアメリカ独立の原因にもなった。]]
イギリスは17世紀から18世紀にかけて重商主義による保護貿易を進めたが、[[名誉革命]](1688年-1689年)によって市民には[[営業の自由]](freedom of trade)が保障されていた
{{efn|移動の制限や組合制度は残っていたが、国内の営業の自由はあった。この点で、[[ジャン=バティスト・コルベール]]によるフランスの重商主義政策とは異なる{{Sfn|服部|2002|p=54}}。}}。英語の trade は経済活動に幅広く使われる語であり、国内の取り引きや、国外の貿易にあたる。個人の経済活動の自由を貿易の自由につなげたのが、『[[国富論]]』(1776年)を書いたアダム・スミスだった。スミスは人々の分業が生産を増進すると論じ、それを国家の関係にも拡張して貿易による国際分業を論じた{{Sfn|服部|2002|pp=51-54}}。


イギリス政府は綿織物業、鉄鋼業、造船業、海運業など急速に成長をしていた分野には増税をせず、発展をうながした。こうして19世紀前半にはイギリスは工業で世界的に優位に立った{{Sfn|マグヌソン|2012|p=第2章}}。工業化と[[植民地]]を背景にした自由貿易が国をより優位にすると考えられ、産業資本家・商人・投資家を中心に自由貿易が支持された。他方で、特権会社だった[[イギリス東インド会社]]や、保護貿易のための[[穀物法]]・[[航海条例]]は19世紀に廃止された{{efn|アダム・スミスは『国富論』において重商主義や植民地貿易の独占、特権会社を批判した{{Sfn|スミス|2007|pp=第4編}}。}}{{Sfn|マグヌソン|2012|p=228}}。
同じく19世紀前半、[[ドイツ]]においては、自由貿易を行わず自国産業を保護すべきだとして[[ドイツ関税同盟]]が結ばれた。これは、同盟域内の関税障壁を撤廃し自国産業に優位性を与えるものであるが、域内においては自由貿易が実現されることになる。この自由貿易の利益は、後にドイツが経済的成功を収める基盤の一つになっている。


; 金本位制と自由貿易
[[1860年]]から[[1892年]]の[[ヨーロッパ]]諸国は基本的に自由貿易体制であり、特に[[1866年]]から[[1877年]]は貿易自由化のピークであったが、この時期のヨーロッパは大不況に陥っていた。ヨーロッパ諸国は[[1892年]]から[[1894年]]に景気回復期に入ったが、これは各国が保護主義化した時期と一致しており、貿易は拡大した。しかも最も保護主義的な措置をとった国々がもっとも急速に貿易を拡大し、[[1909年]]から[[1913年]]にはさらに高い成長率を享受した。これに対して、自由貿易政策を堅持し続けた[[イギリス]]は、成長率を著しく下げ、不況に苦しんだ<ref>中野剛志『経済と国民』朝日新書2017年、pp.14-16</ref>。
[[Image:Sovereign George III 1817 641656.jpg|240px|thumb|イギリスで金本位制を確立した[[ソブリン金貨]](1817年)。金本位制はイギリスの自由貿易を支えた。]]
イギリスの自由貿易を金融面で支えたのは、国際的な金本位制だった。イギリスは{{仮リンク|貨幣法 (1816年)|en|Coinage Act 1816}}(1816年)を制定し、通貨の[[スターリング・ポンド]]を中心とした[[金本位制]]を成立させた。金本位制によって、国家の通貨発行額はその国が保有する金の量で決まる。金の量([[金準備]])は輸出入で増減するので、通貨量は金に合わせて自動的に調整されることになった。1840年から1870年にかけての一人あたり貿易額は、イギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・スカンジナヴィアで4倍か5倍、オランダとベルギーで3倍、高関税のアメリカも2倍となった{{Sfn|ホブズボーム|2018|pp=48-70}}{{Sfn|野口|2006|pp=60-61}}。


欧米諸国は、イギリスに続いて金本位制や自由貿易を採用した{{efn|第3回の{{仮リンク|国際通貨会議|en|International monetary conferences}}(1881年)までに、オーストリア=ハンガリーとロシアをのぞく欧米主要国は金本位制を採用した。中国は清から中華民国にかけて銀本位制であり、日本は1897年に金本位制となる{{Sfn|野口|2006|p=72}}。}}。イギリスとフランスは2国間貿易協定の{{仮リンク|コブデン=シュヴァリエ条約|en|Cobden–Chevalier Treaty}}([[1860年]])を結び、関税の禁止や[[最恵国待遇]]を盛り込んだ。最恵国待遇は全ての条約国に最もよい条件を与えるので、条約国が増えるほど多くの国に低い関税が適用される。イギリスやフランスが他国と条約を結ぶことでヨーロッパは自由貿易体制が拡大し、アメリカは高関税を維持した{{Sfn|服部|2002|pp=159-161}}。[[1866年]]から[[1877年]]は貿易自由化のピークであったが、[[大不況 (1873年-1896年)|大不況]]をへて、自由貿易を維持するイギリスと保護貿易を選ぶ国々に分かれた{{efn|この保護主義は、[[フリードリヒ・リスト]]が唱えた工業化のための保護主義ではなく、確立した独占的製造業の保護という面があった{{Sfn|服部|2002|p=170}}。}}。各国が保護主義化した原因には、金本位制も関係していた。輸入をして金が減少すると国内の通貨も減少するため、イギリス以外の国は保護貿易で輸入を防ぎ、通貨発行量を保とうとした{{efn|金本位制で貿易収支が赤字になった国は、財政収支均衡のためにデフレ政策が必要となる。金保有量の不足が深刻となった場合は、金本位制の停止・平価の切り下げ・他国からの資金借り入れのいずれかが必要となる{{Sfn|秋元|2009|pp=39-40}}。}}{{Sfn|秋元|2009|pp=39-40}}。
[[1930年代]]、[[世界恐慌]]の猛威にさらされた自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など[[列強]]とその[[植民地]])は、自国経済圏における需要が貿易によって漏出し、他国経済圏へ流れるのを防ぐため、関税などの[[貿易障壁]]を張り巡らした。これは[[ブロック経済]]と呼ばれる。自由貿易の途絶により、各国の経済回復の足並みがずれて、経済的な不利益が多大に生じた。


[[1892年]]から[[1894年]]には景気回復期に入り貿易は拡大したが、イギリスをのぞく各国が保護貿易を行なっていた時期と一致する。各国はイギリスへの輸出が急増し、結果的にイギリスの自由貿易が保護貿易国の経済成長を支えた{{efn|イギリスの輸入は特に一次産品が多かった。1860年にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの全輸出品の半数、1880年は甘蔗糖・茶・小麦の国際取引量の半数、1881年には全世界の食肉輸出の半数を輸入していた{{Sfn|ホブズボーム|1993|pp=55-57}}。}}。イギリス国内では保護貿易の国に対して関税を求める声が上がったが、当時は製造業に替わって[[シティ・オブ・ロンドン]]の金融業が発展しており、自由貿易を継続した{{Sfn|服部|2002|p=197}}。各国は輸出で[[1909年]]から[[1913年]]に高い成長率を享受し、イギリスは貿易赤字を銀行業や保険業など金融の黒字によって埋め合わせた{{efn|1906年から1910年は、赤字は1億4200万ポンド、黒字は1億3700万ポンドだった{{Sfn|ホブズボーム|1993|pp=72}}。}}{{Sfn|ホブズボーム|1993|pp=72-74}}。
[[第二次世界大戦]]後、[[ブレトン・ウッズ体制]]が成立し、[[GATT]]体制の下で貿易自由化が進められた。GATT体制下の貿易自由化は、[[農業]]分野や[[サービス]]分野は基本的に自由化の対象外であり、[[工業]]分野においても、[[アンチダンピング課税]]、[[多国間繊維協定]]、[[輸出自主規制]]、[[セーフガード]]措置など、さまざまな例外措置が認められ、各国には貿易自由化による激変を緩和するための政策をとる余地が大きく認められていた。また各国は、貿易自由化によって不利益を被る産業や階層に対して、[[補助金]]の給付や福祉政策などの補償的な措置を講じた。このため貿易自由化が進めば進むほど、政府の規模が大きくなった。第二次世界大戦後の自由貿易と経済成長は正の相関を示したが、[[マイケル・クレメンス]]と[[ジェフリー・ウィリアムソン]]の分析によると、戦後の貿易自由化が成功したのは経済が成長していたからであり、その逆は自明ではない<ref>中野剛志『経済と国民』朝日新書2017年、pp.17-19</ref>。


; 帝国主義と国際分業
[[1980年]]代以降、貿易自由化はより進められ、[[1995年]]には[[世界貿易機関]]が設立されて、自由化の対象が農業やサービス分野まで拡大する一方で、政府による管理や保護は大幅に後退した。自由貿易が徹底された結果、世界経済の成長率は鈍化し、先進諸国では格差が拡大した。[[2000年]]代後半以降、代表的な[[主流派経済学]]者ですらも、自由貿易の負の側面を認めざるを得なくなった。[[ポール・クルーグマン]]は自由貿易が非熟練労働者に損害を与え、格差を拡大させているという論文を発表し、[[ジョセフ・スティグリッツ]]も貿易自由化は格差を拡大するだけでなく、[[GDP]]を低下させるということを主張した<ref>中野剛志『経済と国民』朝日新書2017年、pp.19-20</ref>。
[[ファイル:World 1898 empires colonies territory.png|thumb|300px|[[1898年]]当時の帝国主義列強勢力図]]
欧米各国には[[勢力均衡]]が存在したが、その他の地域に対しては武力を背景に自由貿易を要求する[[帝国主義]]政策が進められた{{efn|ヨーロッパは[[ヴェストファーレン条約]](1648年)によって各国の領土権・法的主権・内政不可侵が定められ、勢力均衡がはかられていた。}}。宗主国は植民地から自国向けの農産物や鉱物を輸入し、工業生産物を植民地へ輸出した。そのため保護貿易の国も植民地には自由貿易を強制した。当初は独占権をもつ企業が各植民地で経営し、やがて現地住民との契約という形をとるようになる{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=第6章}}。


[[ファイル:Gasshukoku suishi teitoku kōjōgaki (Oral statement by the American Navy admiral).png|thumb|300px|合衆国水師提督口上書(嘉永6年6月8日)<br/>左よりヘンリー・アダムス副使(艦長)、ペリー水師提督、アナン軍使(司令官)。[[日米和親条約]]によって鎖国体制の終了と貿易自由化が進んだ。]]
[[20世紀]]後半、西ヨーロッパでは、諸国同士が経済圏の拡大による利益と[[安全保障]]を求めて、貿易障壁撤廃を開始。周辺の英、仏、西独を巻き込んで自由貿易圏を拡大した。これが現在の[[欧州連合]]となった。
植民地とならずに独立を保った国も、欧米の貿易に組み込まれた。日本では[[鎖国]]体制にあった[[江戸幕府]]が[[開国]]を選び、[[日米和親条約]](1854年)をはじめとして各国と条約が結ばれた{{Sfn|Bernhofen, Brown|2005|pp=208-225}}。タイは欧米諸国との条約で王室の貿易独占をほぼ廃止して自由貿易に加わり、治外法権や港の交易圏を認めつつ、国家主権の維持につとめた。欧米諸国と結んだ条約は[[関税自主権]]がない[[不平等条約]]だったため、条約の変更が課題となった{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=120-129}}。中南米諸国が独立した際、独立運動の時期から影響を増していたイギリスは諸国に貿易自由化を要求し、関税自主権のない状態で1810年から1825年にかけてイギリスと中南米の貿易額は10倍となった{{Sfn|国本|2001|pp=155}}。中南米の政治の安定にともなって1870年代以降に外資進出が進み、[[モノカルチャー]]の貿易が増えた{{efn|ブラジル・コロンビア・エクアドル・中米のコーヒー・砂糖・バナナ、アルゼンチン・ウルグアイの羊毛や食肉、メキシコ・ペルー・チリ・ボリビアの鉱物資源、ブラジルやメキシコのゴムなどがある。モノカルチャー貿易は、オリガルキアと呼ばれる[[寡頭制]]の勢力によって進められた{{Sfn|国本|2001|pp=164, 173}}。}}{{Sfn|国本|2001|pp=171-173}}。


アフリカでは、[[ベルリン会議 (アフリカ分割)|ベルリン会議]](1884年)で[[アフリカ分割]]が定められ、アフリカ全土がヨーロッパの7カ国によって植民地化された{{Sfn|ホブズボーム|1993|pp=83-83}}。東南アジアは4カ国によって分割されたが、植民地は相互でも貿易をするようになり、アジア経済圏における国際分業が成立した{{efn|インド・中国・日本の綿布、タイ・[[イギリス領ビルマ]]・[[フランス領インドシナ]]の米、[[イギリス領マレー]]の天然ゴム、{{仮リンク|フィリピン群島政府|en|Insular Government of the Philippine Islands}}の砂糖、[[オランダ領インドネシア]]の天然ゴム、コーヒー、砂糖などがあった{{Sfn|村上|2000|pp=10-13}}。}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=100-103}}{{Sfn|ホブズボーム|1993|pp=}}。香港やシンガポールはイギリスの自由貿易の拠点となり、アジアの[[金融センター]]となった{{Sfn|久末|2006|pp=}}。東アジアには、イギリスや日本の他にフランス、アメリカ、ロシアも[[門戸開放政策|門戸開放]]を求めて進出した。日本は[[朝鮮王朝]]と不平等条約の[[日朝修好条規]](1876年)を結んで経済進出をする{{efn|日清戦争後に日本は清から割譲された[[日本統治時代の台湾|台湾]]を統治し、朝鮮の貿易は輸出額の80%から90%、輸入額の60%から70%が日本との取引となった。日本は工業製品を輸出しつつ台湾や朝鮮から食料を輸入し、のちに朝鮮を植民地化する{{Sfn|糟谷|2017|pp=15, 54}}。}}{{Sfn|糟谷|2017|pp=15, 54}}。
==学者の見解==
{{see also|保護貿易#研究と見解|}}


; 世界大戦・大恐慌
アダム・スミス、デヴィッド・リカード、[[ジョン・スチュアート・ミル]]などの[[古典派経済学]]者たちは、重商主義批判、自由貿易擁護に多くの労力を費やしており、そこから出てきた自由貿易論が、現代の経済学の市場論の基礎となっている<ref name="yasashii43">日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、43頁。</ref>。その自由貿易論の基礎に当たるものが、リカードによって確立されたの「比較優位」の考え方である<ref name="yasashii43" />。
イギリスは[[第一次世界大戦]]までは自由貿易と金本位制を継続していたが、大戦で戦費がかさんで金本位制を離脱する。加えてアメリカからは債務を負い、それまでのような貿易体制の維持が困難となった{{Sfn|秋元|2009|pp=41}}。1920年代にアメリカは最大の貿易国となるが、[[孤立主義]]を継続して[[国際連盟]]に加盟しなかった{{efn|アメリカ国内から見ると、GDPに占める割合は輸出5パーセント、輸入3.4パーセントと低かったことも理由だった{{Sfn|秋元|2009|pp=41-42}}。}}。アメリカの政策は世界経済が不安定になる要因となり、この経験をもとに世界大戦後のアメリカは自由貿易を推進することになる{{Sfn|秋元|2009|pp=第1章}}。


1930年代の[[世界恐慌]]によって自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など[[列強]]と植民地)は、自国経済圏を保護する名目で[[ブロック経済]]の政策をとった。貿易の途絶によって各国では経済的な不利益が多大に生じたため、アメリカの[[フランクリン・ローズヴェルト]]政権は、前政権の保護貿易政策を変更して[[互恵通商協定法]](1934年)を制定した{{efn|ローズヴェルトは政策変更のために、自由貿易を支持する[[コーデル・ハル]]を国務長官に任命した。ハルは第二次大戦後のアメリカとイギリスによる自由貿易推進にも関与した{{Sfn|小山|2001|pp=73-77}}{{Sfn|服部|2002|p=230}}。}}。これによって関税率を引き下げる権限が議会から大統領に移譲され、イギリスをはじめ39カ国との協定に成功した{{efn|共和党が高関税による保護貿易政策を主張して企業の支持を失ったことも影響し、民主党のローズヴェルトは1936年の大統領選で再選した{{Sfn|秋元|2009|p=190}}。}}{{Sfn|秋元|2009|pp=164, 189-190}}{{Sfn|小山|2001|pp=}}。
[[経済学者]]の[[チャールズ・キンドルバーガー]]は「自由貿易は利益となる」という経済学の命題を押し通す一方で、「自由貿易がその国によって利益となるかは状況に依存する」と指摘している<ref>日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、48頁。</ref>。[[ジョン・メイナード・ケインズ]]は、自由貿易は長期的に各国の利益を増進させ、国際的相互依存の高まりによって世界の平和に貢献するという学説に反論している<ref>日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、78頁。</ref>。ケインズは、自由貿易の下での輸出の拡大・海外権益の確保が、[[帝国主義]]の動きを強め国家の対立を激化させているとしている<ref>日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、78-79頁。</ref>。


大恐慌後のブロック経済は、ヨーロッパで[[ファシズム]]、[[ナチズム]]、[[共産主義]]の政権につながった{{Sfn|ロドリック|2019|pp=203-213/5574}}。モノカルチャー貿易を主体としていた中南米では輸入代替工業化の政策が増え、政治では独裁政権やポピュリズムが台頭した{{Sfn|国本|2001|pp=209}}。日本は朝鮮半島に続いて満洲や東南アジアに進出して経済圏の拡大を意図したが、[[満洲事変]](1931年)や[[仏印進駐]](1940年)でアメリカと対立し、アメリカから輸入していた石油と鉄屑が不足する。また、東南アジアの貿易圏を破壊したために現地の支持を失った{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=155, 165}}。
経済学者の[[西川潤]]は「19世紀以来、自由貿易は『強者の自由主義』として、先進国が発展途上国の門戸を開放させ、市場を抑える手段として用いられてきた」と指摘している<ref name="yasashii112" />。


; GATT・WTO体制
経済学者の[[ジョセフ・E・スティグリッツ]]は「貿易自由化は、失業率を高めるだけという例が多かった。貿易自由化に強い反対が起きるのは、自由化を推進させる際に見られた欺瞞にある。欧米は自国が輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めた一方で、発展途上国の競合する製品に関しては保護政策をとり続けた」と指摘している<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 徳間書店、2002年、97頁。</ref>。
[[第二次世界大戦]]後にはアメリカの主導で貿易の自由化が進められ、自由・無差別(差別の撤廃)・多国間主義が目標とされた。保護貿易やブロック経済が大戦の要因であり、自由貿易で平和を促進するという意図があった{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=6}}。その柱となったのは、通貨における[[ブレトン・ウッズ体制]]と、貿易における[[関税及び貿易に関する一般協定]](GATT)だった。国際機関が設立され、ブレトン・ウッズ体制は[[国際通貨基金]](IMF)と[[世界銀行]]に担われた。自由貿易の国際機関としては[[国際貿易機構]](ITO)が発案されたが成立しなかったため、GATTのもとで自由化が進められた{{efn|[[ハリー・S・トルーマン|ハリー・トルーマン]]政権は無差別な自由貿易の推進を意図したが、国内産業への影響を理由に議会から反対された{{Sfn|野林ほか|2003|p=第4章}}。}}。GATTでは農業分野やサービス分野は基本的に自由化の対象外であり、工業分野においても、[[アンチダンピング課税]]、{{仮リンク|相殺関税|en|Countervailing duties}}、{{仮リンク|自発的輸出規制|en|Voluntary export restraint}}、[[セーフガード]]措置など、さまざまな例外措置が認められ、各国には貿易自由化による変化を緩和するための政策をとる余地が認められた。各国は、貿易自由化によって不利益を被る産業や階層に対して、[[補助金]]の給付や福祉政策などの補償的な措置を講じた{{Sfn|野林ほか|2003|p=第4章}}。世界大戦・大恐慌・保護貿易によって、世界の貿易量は大幅に減少しており、工業製品の輸出額が第一次大戦前の水準に戻るのは1970年代となる{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=19-21}}。


GATTでは多国間交渉として貿易ラウンドが開催され、[[ケネディ・ラウンド]]で平均関税を35%下げ、[[ウルグアイ・ラウンド]]では40%近く下げた。ウルグアイラウンド後の1995年には世界貿易機関(WTO)が設立された{{efn|その後の[[ドーハ・ラウンド]]は、それまでのラウンドで製造業の障壁が大幅になくなっていたことに加えて、残っていた農業に関する合意が取れず、事実上の停止となった{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=308-310}}。}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=282-296}}。[[貿易依存度]]は、1960年代の24%から2000年代後半には60%を超え、世界金融危機の影響で大きく減少したのちに再び上昇している{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=2-4}}。GATT時代には[[サービス貿易]]や[[知的所有権]]については主題とされず、WTOではサービス貿易については[[サービスの貿易に関する一般協定]](GATS)、知財については[[知的所有権の貿易関連の側面に関する協定]](TRIPS)で対応している{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=288-289}}。
経済学者の[[ポール・クルーグマン]]は「(アメリカでは)自由貿易は、政治的に粗雑な経済ナショナリズムに対抗するための重石として重要とされている」と指摘している<ref>ポール・クルーグマン 『クルーグマン教授の経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、196頁。</ref>。


== 比較優位 ==
経済学者の[[中谷巌]]は「強大な国が弱小な国に貿易を強要することはありえる。例えば[[植民地]]時代、植民地は[[宗主国]]に不利な条件で取引を強要され、搾取された。しかし、これは自由貿易ではない。自由貿易はあくまで貿易に従事する人々の自律性がなければ成り立たない」と指摘している<ref name="tsuukai216">中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、216頁。</ref>。
{{see also|貿易理論}}
自由貿易論の基礎にあたるものが、[[比較優位]]の理論である。国が貿易をする理由には主に2点あり、 (1) 互いの違いから利益を得る、(2) 自国で全てを生産するよりも効率よく財を得る{{efn|生産によって規模の経済を実現する{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=27}}。}}、という点にある。たとえば2国間で貿易をする場合、それぞれの国が比較優位を持つ商品を輸出すれば、両国にとって利益になり得る{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=27-30}}。


比較優位の観点からは、貿易が有益な点を示すための限定条件はなく、競争力や公正という条件も必要がない。この点が、自由貿易において比較優位が支持される理由でもある。他方、比較優位の問題点としては、 (1) 産業の特化の過大な重視、(2) 貿易が所得分配に与える影響の無視、(3) 各国の資源の違いの無視、(4) 規模の経済の貢献の無視、などがある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=第3章}}。比較優位の思想は経済学の中で最古に属するため、経済学者はこの利益が誰にとっても自明であると錯覚しやすい{{efn|物理学者の[[スタニスワフ・ウラム]]が、「社会科学分野の中で、真理であり、かつ自明ではない命題を教えてほしい」と[[ポール・サミュエルソン]]に聞いた。サミュエルソンは比較優位を例に出し、これが論理的に正しいことは数学者の前で言うまでもなく、これが自明ではないことは何千人もの優秀な人間に説明しても理解できなかったことから確かめられると答えた{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1147-1152/8512}}。}}{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1134-1140/8512}}。
経済学者の[[スティーヴン・ランズバーグ]]は国際貿易ゲームは、


== 経済成長 ==
#貿易はチャンスを拡大する
これまでに経済成長をした国の貿易は、資源国をのぞけば急速な産業化をへており、労働者は主に製造業に雇用されていた{{efn|これまでの貿易と経済成長の段階として、 (1) 伝統的な産品の輸出、(2) 第1次輸入代替(軽工業品)、(3) 第1次輸出代替(伝統的産品から軽工業品に主流が移る)、(4) 第2次輸入代替(重工業品)、(5) 第2次輸出代替(軽工業品から重工業品に主流が移る)、などがある{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|pp=142-143}}。}}。製造業の貿易と比較すると、資源貿易は雇用が少なく、またサービス産業には非貿易財の割合が大きい{{Sfn|平野|2013|pp=90-91}}{{Sfn|ロドリック|2019|pp=1693/5574}}。1960年代以降の途上国の標準所得と生産高の割合は低下しており、サービス産業に比べて製造業の相対価格は低下している。製造業の雇用は減っており、過去と同様の経済成長は困難になる可能性があるため、経済成長にはサービス産業の生産性が必要ともいわれる{{Sfn|ロドリック|2019|pp=1479-1687/5574}}。
#貿易が有益なのは輸出ではなく輸入のおかげであり、輸出産業は国際貿易のマイナス面にほかならない


ブレトン・ウッズとGATTの体制下で、日本とドイツは急速な復興と[[経済成長]]をした{{Sfn|井村|2000|pp=100, 237, 248}}。1970年代以降の貿易自由化ではNIESなど製造業輸出で経済成長をとげる途上国があり、1980年代以降には[[社会主義]]体制をとっていた中国、ベトナム、インドなどの国々も貿易自由化を開始した{{Sfn|丸川|2013|pp=240-241}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=第12章, 第14章}}。東南アジアでは1970年代から外資導入の法律整備を進め、[[プラザ合意]](1985年)以降は日本の製造業が東南アジアに進出した。ASEANの経済圏全体で工業化と輸出が増え、[[産業内貿易]]が進展した{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=236-238}}。
という2つの貴重な教訓を与えてくれるとしている<ref>スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、81頁。</ref>。またランズバーグは「販売することは苦痛を伴う必要な作業であり、購入することこそ価値がある」と指摘している<ref>スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、81-82頁。</ref>。


貿易自由化が経済成長に結びつかない場合もあり、輸入代替工業化の時代よりも成長が鈍化している国もある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=317-319}}。第二次世界大戦後の自由貿易と経済成長は正の相関を示したが、貿易自由化が成功したのは経済が成長していたからであり、その逆は自明ではないとする研究もある{{Sfn|Clemens, Williamson|2002}}。[[輸出加工区]]や経済特区による二重貿易体制をとる国もある{{Sfn|丸川|2013|pp=240-241}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=第12章, 第14章}}。
経済学者の[[原田泰]]は「自由な貿易が、総体として国家に利益を与えるのは自明である。しかし、自由な貿易がすべての人に利益をもたらす訳でもないことは事実である。自由貿易の恩恵が産業ごと、人間ごとに異なるのは事実である。また、国は人であり国土である。特定の人や産業の既得権益を守らなくても、国を守るのは当然である」と指摘している<ref>[http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=832 政策研究・提言 TPPを契機に農産物間の差別を止めよ]東京財団 2011年11月4日</ref>。中谷巌は「自由貿易が拡大していった背景には、貿易に参加した人々の生活が、貿易前の状態と比較して格段に豊かになったためである。貿易によって以前より生活水準が下がるのなら誰も貿易取引に応じないはずである」と指摘している<ref name="tsuukai216" />。経済学者の[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]は「経済学で貿易自由化の効用に反論することはできない。世界各国相互に利益があり、全体としてGDPは必ず増加する。全体に膨らんだパイを、痛みを補うために使えばいい」と指摘している<ref>高橋洋一 『高橋教授の経済超入門』 アスペクト、2011年、191頁。</ref>。


; 東アジア
「GDPを増やすには、国内でモノ・サービスをつくることが大切である」という議論に対して、経済学者の[[岩田規久男]]は「そういった主張が正しいのなら、貿易・直接投資を一切排除した[[鎖国]]こそ最も豊かになれるということになる。戦後の日本が[[高度経済成長]]を経て、世界の富裕国となれたのは、自由な貿易があったからである。要するに『貿易の利益』『国際分業の利益』の原理が理解できていないということである」と指摘している<ref>岩田規久男 『経済学的思考のすすめ』 筑摩書房、2011年、51-52頁。</ref>。中谷巌は「選択の自由がなく1種類の製品しか選択できない生活は悲惨である。自由貿易は、同じ種類の製品の中から選択肢を拡大させてくれる」と指摘している<ref name="tsuukai216" />。
日本の開国後の貿易による利益はGDPの約5%から9%に達したといわれ、自由貿易の利益の実例にあげられる。開国後の日本は世界的にも貿易の拡大ペースが早かった{{efn|1885年から1910年にかけての貿易拡大を国別にみると、イギリス・フランスが1.9倍、イタリア2.2倍、ドイツ・ロシア・アメリカ2.6から2.8倍、カナダ3.6倍、日本13.9倍となる。貿易額の対GNP比率は企業勃興期に14%、日清戦争後21%、日露戦争後25%と上昇した。当時の日本の輸出は紡績の軽工業が主体だった{{Sfn|村上|2000|pp=1-16}}。}}{{Sfn|Bernhofen, Brown|2005|pp=208-225}}。第二次大戦後の日本の[[高度経済成長]]も、自由貿易による成功の一例とされる。日本は[[朝鮮特需]]で外貨不足を解消して輸出が増え、[[ベトナム戦争]]によってアジアとの貿易が増えた{{efn|日本の外貨収入のうち朝鮮特需の割合は1951年に26.4%、1952年は36.8%、1953年は38.2%で外貨不足を補った。1966年には輸出増加額のうち80%近くがベトナム周辺地域とアメリカ向けとなった{{Sfn|井村|2000|p=100}}。}}{{Sfn|井村|2000|pp=100, 237, 248}}{{Sfn|岩田|2011|pp=51-52}}。日本の後には[[NIES]]と呼ばれる国々が経済成長をとげ、そのうち東アジアには台湾、韓国、香港が含まれていた。台湾や韓国は工業製品の輸出を増やすために[[輸出加工区]]を採用し、限定した地域で関税や法人税を減免して外国企業に開放した{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=第12章, 第14章}}。


中国は工業の近代化を実現するために1978年から[[改革開放]]政策に変更し、経済成長を続けている{{efn|1950年代までの中国は[[ソヴィエト連邦]](ソ連)をはじめとする社会主義国から技術援助を受け、貿易も行っていた。しかし1960年代にソ連と対立し、国内だけで経済発展を目指す自力更生の政策となる{{Sfn|丸川|2013|pp=第7章}}。}}。輸出加工区を参考にした[[経済特区]]や、[[委託加工]]の制度で自由貿易や外資を受け入れ、他の地域では貿易制限を続けた。こうして国営企業の雇用を維持しながら自由貿易のノウハウを蓄積し、2001年にはWTO加盟を果たす。加盟にあたって中国は関税引き下げ・輸入数量制限撤廃・直接投資の開放などを受け入れ、2011年には最大の貿易国となった{{Sfn|丸川|2013|pp=第7章}}{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3395-3415/5574}}。中国が世界の製造業に占める割合は1991年の2.3%から2013年の18.8%まで増え、直接投資受入額はWTO加盟後の10年間で8376億ドルとなり世界第2位である{{Sfn|丸川|2013|pp=258-260}}{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1208-1238/8512}}。
経済学者の[[ミルトン・フリードマン]]は、日本の明治時代、[[関税自主権]]がなかったことで低関税となり自由貿易が促進されたが、そのことが日本の[[経済成長]]を発展させたと評価している<ref>日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、98-99頁。</ref>。


; 東南アジア・南アジア
経済学者の[[若田部昌澄]]は「自由貿易と経済成長との相関については最も批判的な研究でも、マイナスを示したものは無い。自由貿易が利益をもたらすことの最大の歴史的証拠は日本であり、[[黒船来航|ペリー来航]]で鎖国を解いた日本には、GDP比で5-9%の利益があった<ref>若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、164頁。</ref>」「[[開国]]という大転換の後に始まった交易で得られた利益は、当時の推計GDPの15%ほどに達したといわれている。これは関税自主権がなかった完全自由貿易で、世界的でもまれな実験であった。その結果、GDPを見る限りはプラスとなった<ref>若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、57-58頁。</ref>」と指摘している。また「自由貿易のメリットが[[デフレーション]]のときには十分得られない」と指摘している<ref>若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、167頁。</ref>。
[[File:1 singapore city skyline dusk panorama 2011.jpg|thumb|upright=1.15|シンガポール。19世紀のイギリス領時代から自由貿易港として栄え、現在はアジアの金融センターとして2020年時点で東京、上海とともに世界5位以内に入った{{Sfn|Z/Yen|2020|p=}}。]]
インドネシアは1982年から1983年に不況となり、融資の条件として貿易の自由化を行った。関税の引き下げ、原材料輸入の自由化、関税割り戻しの導入、通貨[[ルピア]]の切り下げなどの政策パッケージによって1987年以降に発展がはじまる。輸入・外資・銀行業の規制も緩和された。輸出産業が発展し、従来の石油やガスに代わって工業製品の割合が増えた{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=35-36}}。マレーシアは投資促進法(1986年)で外資が規制緩和され、1985年の約17%から1989年には約70%まで急増した。投資によって製造業が成長し、輸出の中心が石油から工業製品へと移った{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=36-37}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=231}}。シンガポールは中継貿易を主体としていたが、マレーシアからの独立後(1965年)に製造業が発展して1980年には製造業のシェアが29%となった。外資の導入に積極的で、製造業の全雇用のうち外資は60%、直接輸出では90%に達している{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=38}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=231, 299}}。タイは輸出と投資の循環によって1980年代後半に成長を続け、輸出に占める工業製品の割合が農産品を上回った{{efn|タイの伝統的な輸出品だった米は1990年には5%まで減少した{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=39}}。}}{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=38-39}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=232}}。ベトナムは1986年の[[ドイモイ]]政策で経済の自由化が始まり、農業から成果が表れて1989年には戦後初の米の輸出が可能となった。1994年にはアメリカの対ベトナム禁輸が解除され、外資法は100%の出資を認めて誘致を進めた{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=41-42}}{{Sfn|桐山, 栗原, 根本|2019|pp=243}}。


インドは1948年の独立から社会主義政策をとっており、1970年代の貿易依存率は約5%だった。1991年の湾岸戦争の影響でIMFの支援を受け、その引き換えとして{{仮リンク|インドの経済改革|en|Economic reforms in India}}が進んだ。関税引き下げ、輸入ライセンスの撤廃があり、2005年には経済特区が認められて外資100%の出資も可能となった{{efn|1991年までのインドは輸入関税が平均90%で最高300%と高く、輸出入には許可制をとっていた{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1208-1226/8512}}。}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|p=322}}{{Sfn|絵所|2019|pp=270-272}}。インドの1980年代の成長率は4%で、現在は8%近い{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1208-1238/8512}}。
中谷巌は「自由貿易が各国間の分業を促した結果、国内の所得配分に悪影響を与えるということがある」と指摘している<ref>中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、225頁。</ref>。中谷は「貿易自由化を促進させる上で大事なのは、自由化によって損失をこうむった人々に相応の所得補填をするといった政策を行うことである」と指摘している<ref>中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、226頁。</ref>。


; 中南米
スティグリッツは「たとえ真に自由・公正な貿易協定が導入されたとしても、すべての国が利益を享受することはないだろうし、利益を享受した国についても、すべての国民が利益を享受することはないだろう。たとえ貿易障壁が取り除かれても、すべての人が新たな機会を利用できるとは限らない。貿易自由化の理論が保証するのは、総体として国が恩恵を受けるという点だけである。理論は敗者の出現も予測している。原理上、勝者から敗者への補填が行われる可能性はゼロに近い。しかし、正しい施策・措置が公平に実施されれば、貿易の自由化は開発促進に寄与することができる」と指摘している<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 徳間書店、2006年、115-116頁。</ref>。スティグリッツは「貿易はゼロサムゲームではなく、少なくともポジティヴサムゲームになれる潜在性を秘めている」と指摘している<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 徳間書店、2006年、168頁。</ref>。
中南米諸国では1980年代前半まで財政赤字・インフレ・対外債務の累積が進み、1980年代後半から経済改革とともに貿易自由化、資本自由化が行われた。関税率は1985年に30%から80%あり、1999年にはほとんどの国で11%から13%に低下した。当初は一次産品が主体で1970年代に90%あり、その後に工業品が増えて2006年時点でメキシコが76%、ブラジルが50%となった。2000年代以降は中国やインド向けの資源貿易が増えている。資本自由化は1990年代に急増し、1986年の40億ドルから2007年には950億ドルまで増えた。直接投資の受入国はブラジル・メキシコ・カリブ海諸国・チリ・アルゼンチンで大半を占める{{efn|カリブ海諸国の額が大きいのは[[タックス・ヘイブン]]や[[オフショア市場|オフショア金融]]による直接投資が含まれているため{{Sfn|宇佐見ほか|2009|p=83}}。}}{{Sfn|宇佐見ほか|2009|pp=30-31, 80-83}}。メキシコは1970年代まで輸入代替工業化を進め、アメリカ国境の輸出加工区である[[マキラドーラ]]が例外的に輸出を行った。1980年代には債務危機が起きたために輸入割当を撤廃し、1994年からNAFTAに参加し、アメリカやカナダとの貿易が増えた。輸出は2012年にはGDPの34%になり、平均所得は増えているが、経済成長率は輸入代替工業化時代よりも低い{{Sfn|クルーグマンほか|2017|p=314-315}}。


; アフリカ
===食料安全保障===
第二次大戦後にヨーロッパの植民地から脱して多数の独立国が成立したが、経済成長にいくつかの障害があった。その一つに国境と規模の問題がある。植民地時代の影響で国境線が入り組み、55カ国の中で総人口が2000万未満の国が40カ国、GDPが200億ドル以下が38カ国にのぼる。一般には小国ほど貿易の利益は大きいが、20世紀のアフリカ諸国は輸入代替工業化を行う国が多く、貿易量が少なかった{{Sfn|平野|2013|pp=257}}。産業構造の面では、2000年代に資源価格上昇で資源貿易が増えたが、資源貿易は製造業と比べて雇用への影響が少なく、利益を得る人数が少ない{{Sfn|平野|2013|pp=90-91}}。農業貿易も増えているが、貿易のための大規模な農地開発は、土地を追われる人数よりも雇用創出が少ない場合がある{{Sfn|吉田|2020|pp=284-286}}。こうした事情が重なり、東アジアのような製造業による経済成長が少なかった。20世紀に自由化が最も成功した[[モーリシャス]]では、輸出加工区による衣類輸出で成長をしつつ、他の分野は保護を続けるという政策をとった{{Sfn|ロドリック|2019|pp=1098/5574}}。
{{see also|穀物法}}


アフリカ諸国は21世紀から[[アフリカと中国の関係#脱植民地化と現代の関係|中国との協力]]を急速に進めている。中国は2000年から[[中国・アフリカ協力フォーラム]](FOCAC)を開催し、優遇貸付や債務免除の他に、輸入品の無関税措置や、中国企業専用の経済特区として域外経済貿易特別区の建設を進めた。FOCACの第4回閣僚会議(2009年)では、全貿易品の95%まで無関税措置となった{{Sfn|平野|2013|pp=第1章}}。アフリカの経済成長を阻害している要因としては、19世紀まで行われていた奴隷貿易の影響をあげる研究もある([[自由貿易#環境・倫理|後述]])。
[[トマス・ロバート・マルサス]]は、平時には自由貿易は望ましいが世界的な凶作のような非常事態で穀物輸入を外国に依存するのはリスクがあるとしている<ref>日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、242頁。</ref>。


; 構造調整
それに対しリカードは、穀物の輸入を制限すると国内で生産しなければならなくなり、比較劣位の場合、国内で耕作が進むと利潤率が下がってしまう<ref name="keizaigakunokyojin243">日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、243頁。</ref>。また凶作の場合、穀物の国際価格は上昇し、輸出国はむしろ余計に輸出しようと生産を増やそうとする<ref name="keizaigakunokyojin243" />。世界中が同時に不作になることは考えられず、世界各国から輸入するほうが不作時にリスクが分散できるとしている<ref name="keizaigakunokyojin243" />。
世界銀行やIMFは融資する国に条件をつける場合があり、{{仮リンク|構造調整プログラム|en|Structural Adjustment Program}}(SAP)と呼ばれた。構造調整の融資でも貿易の自由化が進められ、成功した例としては、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムなどがある{{efn|構造調整の手段には、(1) 政策条件、(2) 政策対話、(3) マクロ部門経済調査がある{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|p=33}}。}}{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|pp=35-42}}。他方、構造調整が経済成長に結びつかない国もあり、批判につながった。フィリピンでは自由化政策ののちも輸出の伸び率が低いままだった{{Sfn|小浜, 深作, 藤田|2001|pp=37-38}}。アフリカではサブサハラ・アフリカの経済成長率は2002年まで上昇しなかった{{efn|ナイジェリアのように政策が変化した国もあり、[[イブラヒム・ババンギダ]]政権は構造調整プログラムを事実上受け入れたが自由化政策は進まず、のちの[[ムハンマド・ブハリ]]政権で保護主義的な政策がとられた{{Sfn|島田|2019|pp=215, 248}}。}}{{Sfn|平野|2013|pp=186-187}}。1999年以降は、構造調整という名称はIMFと世銀のいずれでも使われなくなった{{Sfn|平野|2013|pp=185-186}}。


== 社会保障 ==
===自由貿易協定===
自由貿易と[[社会保障]]は密接に関連している。社会保障制度が整備されていない時代は、貿易で生じる所得再配分の問題は、移民や保護貿易によって解決される傾向にあった。社会保障が充実すると貿易に対する反対が大きくならず、自由化が進みやすくなるため、貿易先進国はセーフティネットが充実する傾向にある。貿易自由化を促進するために重要な政策として、自由化によって損失をこうむる人々への補填や、[[富の再分配]]・[[失業手当]]・[[雇用のセーフティネット]]などがある{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3727-3779/5574}}。
{{see also|自由貿易協定#学者の見解|日本のTPP交渉及び諸議論#議論}}


貿易で最も損をする人々は、輸入部門と競争する人々である。輸入部門で競争する人々は低賃金になりやすく、転職をするとしても時間がかかる。ただし、失業率と輸入額には正の相関関係はなく、失業はマクロ経済的な現象であることを示している{{efn|過去50年間のアメリカを例にとった場合、失業と輸入額は負の相関を示す{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=76}}。}}。そのため、失業への対応としては自由貿易を制限する貿易政策ではなく、マクロ経済政策がより効果があるとされる{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=76-78}}。
== 自由貿易の問題 ==
{{see also|[[市場の失敗]]|[[底辺への競争]]|[[反グローバリゼーション]]}}


貿易で損害をこうむった人々への公的支援は、失った所得を埋め合わせるには足りないという研究もある。アメリカでは貿易が原因で失業した労働者を[[米国貿易調整支援制度]](TAA)で支援するが、補償の金額は足りない{{efn|[[ロナルド・レーガン]]政権はこの支援制度を削減し、民主党政権でも引き継がれた{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3742/5574}}。}}。そのため失業した労働者の1割が[[障害年金]]で埋め合わせており、雇用機会を失っている{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1809-/8512}}。
===グローバル化と病気の播種===
[[グローバル化]]された世界では一度伝染性疾患が発生すると、ペットやその他の動物の飛行機や船による輸出入を通して一気にそれらの疾患が蔓延する可能性がある。これら伝染性疾患や[[新興感染症]]は[[グローバリゼーション]]の新たな側面であり、人やモノの移動によって世界が伝染性疾患に脆弱になっているという指摘がある<ref name=sachs2014aug17E>
[http://www.bworldonline.com/content.php?section=Opinion&title=important-lessons-from-ebola-outbreak&id=92924 Important lessons from Ebola outbreak] BusinessWorld, Opinion, Jeffrey Sachs, August 17, 2014</ref>。新興感染症の発生は、経済にも悪影響を与える。2000年代初期の[[重症急性呼吸器症候群]]の感染拡大や2014年の[[エボラ出血熱]]の流行はその一例である。[[世界銀行]]は、ギニアの2014年度の経済成長率はエボラ流行の結果として4.5%から3.5%に落ち込むと予想した<ref name=skyHD2014aug14E>[http://news.sky.com/story/1318646/economies-at-significant-risk-from-ebola Economies At 'Significant' Risk From Ebola] SkyNews HD, 14 August 2014</ref>。またこれに伴い[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]と[[エミレーツ航空]]は当該地域への便を見合わせている<ref name=skyHD2014aug14E />。


; 構造的失業
{{See also|重症急性呼吸器症候群|2014年の西アフリカエボラ出血熱流行}}
伝統的な貿易理論では、労働者や資本は機会によって移動するので賃金水準や失業は同一水準になるという前提があった。しかし、現実は硬直的であり、貿易自由化の影響が産業や地域によって違うことを示す研究もある。インドでは、国全体の貧困率は1991年の35%から2012年の15%まで急速に下がったが、貿易自由化の影響を強く受けた地域は貧困率の低下ペースが遅かった。また、貿易自由化の影響を強く受けた地域は[[児童労働]]の減少ペースも遅かった{{efn|[[ペティア・トパロヴァ]]の研究による。結果が{{仮リンク|ストルパー=サミュエルソンの定理|en|Stolper–Samuelson theorem}}とは反対の現象を示したため、論争を呼んだ{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1355/8512}}。}}。この研究手法は、他の研究者によってアメリカ、スペイン、ノルウェー、ドイツなどでも使われて同様の結果を出している{{Sfn|Topalova|2010|p=}}{{Sfn|バナジー, デュフロ|2020|pp=1740-1777/8512}}。


; 賃金格差
エボラ出血熱流行への対応策として、[[ユニバーサルヘルスケア|UHC]]として知られるコンセプトも提案された。[[サハラ砂漠]]以南や[[南アジア]]の国々においては、地域公衆衛生改善のための組織をつくり、疾患の病態や統計調査、診断と治療などに従事する者を養成する。年間50億ドル程度のコストで、新興感染症に精通した公衆衛生従事者を、全ての[[アフリカ]]の国家のコミュニティーに配置することは可能である<ref name=sachs2014aug17E />。経済大国は関連する基礎研究や国際疾病統計へ十分な投資するべきである<ref name=sachs2014aug17E />。2014年8月8日、WHOは、エボラ出血熱の感染が確認されているギニア、リベリア、ナイジェリア、シエラレオネ各国に非常事態を宣言するべきだと勧告する一方で、国際的な渡航・貿易は全面禁止にすべきではないとしている<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0G80NA20140808 WHOがエボラ熱で「緊急事態」宣言、感染阻止へ国際協調訴え]Reuters 2014年8月8日</ref>。2014年9月2日、[[国連食糧農業機関]](FAO)の報告書によると、西アフリカでのエボラ出血熱の感染拡大によって貿易に支障が出ており、食料価格が上昇していることが明らかとなった<ref name="bloomberg201493">[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NBAS156K50XW01.html エボラ熱感染拡大、西アフリカの食料供給脅かす-移動制限で]Bloomberg 2014年9月3日</ref>。FAOは、感染拡大防止策として移動制限が課され隔離地域が設定されているため、食料の輸送・販売が抑制され、一部の農産物の「大幅」な値上がりにつながっているとしている<ref name="bloomberg201493" />。
労働者マッチング法の研究によれば、中間財の[[アウトソース]]傾向が強まると、発展途上国の熟練労働者は先進工業国の非熟練労働者と共同しやすくなり賃金が伸びる。しかし途上国の非熟練労働者は、グローバル化によって途上国内の熟練労働者との共同を失いがちになり、生産性が低下して賃金が伸びなくなる{{efn|[[エリック・マスキン]]の研究による。この現象は特に輸出企業に当てはまる。メキシコの輸出企業の労働者は非輸出企業に比べて60%高い賃金、インドネシアでは外資系企業の社員は国産企業の社員より70%高い賃金を得ている<ref name=economist2014aug23G></ref>。}}<ref name=economist2014aug23G>[http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21613280-why-globalisation-not-reducing-inequality-within-developing-countries-revisiting Free exchange: Revisiting Ricardo] The Economist, 23 Aug 2014</ref>。


== 政治制度・思想 ==
===比較劣位産業と構造的失業===
; 政治制度
ジョセフ・E・スティグリッツは「貿易自由化は、経済成長を促すかもしれないが、同時に失業を生み、短期的には貧困の拡大をもたらす<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 徳間書店、2002年、127頁。</ref>」「金利高騰がともなう貿易自由化は、雇用破壊・失業創出につながるだけでなく、貧困層に犠牲を強いる」と指摘している<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』 徳間書店、2002年、129頁。</ref>。スティグリッツは「自由貿易によって雇用が喪失しても、金融・財政政策がうまく機能すれば、雇用創出が実現可能であるが、大抵の場合実現されない。稚拙な貿易自由化によって失業率が上昇してしまうと、自由化による恩恵は無くなってしまう」と指摘している<ref>ジョセフ・E・スティグリッツ 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 徳間書店、2006年、122-123頁。</ref>。
貿易は各時代の政治制度と密接な関係にある。19世紀の貿易は金本位制にもとづいていたので、政府の通貨発行量は金準備で制限されており、国際均衡が国内均衡に優先していた。このために失業や貧困など国内の経済問題の解決が遅れ、結果的に大恐慌以降の[[ファシズム]]、[[ナチズム]]、[[共産主義]]の政権につながった{{Sfn|ロドリック|2019|pp=203-213/5574}}。自由貿易と金本位制という組み合わせは、国民の発言力が小さい場合に可能とされる。たとえば[[普通選挙|普通選挙制度]]がないために選挙民が少なかった時代である{{Sfn|野林ほか|2003|pp=第3章}}{{Sfn|ホブズボーム|2018|pp=146, 151-152}}。


「国家主権・民主主義・グローバル化」の3要素のうちで、同時に達成できるのは2つまでという理論があり、世界経済の政治的トリレンマと呼ばれる。たとえば自由貿易と金本位制の時代は「グローバル化・国家主権」の2つ、ブレトン・ウッズ体制は「国家主権・民主主義」の2つ、[[グローバル・ガバナンス]]は「民主主義・グローバル化」の2つとなる{{efn|世界経済の政治的トリレンマのもとになった理論として[[国際金融のトリレンマ]]がある。}}{{Sfn|Rodrik|2011|pp=3082-3158/5955}}。1975年から2016年の139カ国を対象とした調査では、先進国は民主主義が一貫して高いためにグローバル化と国家主権の2択となっており、途上国ではトリレンマになっていた。また、グローバル化が進展するほど、先進国と途上国のいずれも政治的・経済的に安定するという結果だった{{Sfn|Aizenman, Ito|2020|pp=}}。
比較優位は、全体で利益は向上するが、一部で仕事をあきらめるなどの犠牲を払う必要がある理論である<ref>新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2005年、132頁。</ref>。比較優位の考え方は、固定的に考えたり、押しつけたりすれば強者の理論になるが、当事者が得意な分野を発見し、次の段階に発展していこうとすれば有効な理論にもなる二面性を持っている<ref>新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2005年、131頁。</ref>。


; 政治思想
経済学者の[[レスター・サロー]]は「貿易の自由化によって国民所得が向上するという理論は、[[失業]]を想定していない。国内市場を失えば大きな失業コストを背負う。失業コストを計上して分析すれば、国民所得が必ず向上するとは言い切れなくなる」と指摘している<ref>野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、103頁。</ref>。
自由貿易は、国際秩序を保つ政策としても論じられた。勢力均衡の時代には、[[マキャヴェッリ]]や[[トマス・ホッブズ]]の政治思想とは異なり、商業による国家の結びつきが重視された。哲学者の[[デイヴィッド・ヒューム]]は『貿易の嫉妬について』(1758年)で、貿易にまつわる感情を分析し、国家は貿易によって相互利益を得ると論じた{{Sfn|Hume|1742|p=}}。アダム・スミスは『国富論』で戦争と貿易を比較し、隣国の経済的な繁栄は敵対状態ならば危険でも、平和で貿易ができるなら自国の繁栄につながるとした{{Sfn|スミス|2007|pp=第4編第3章2節}}{{Sfn|ホント|2005|pp=第1部, 第2部}}。政治家の[[リチャード・コブデン]]は、軍備の縮小と平和をもたらすための手段として自由貿易を支持した{{Sfn|服部|2002|p=第6章第4節}}。アメリカの互恵通商法を構想した[[コーデル・ハル]]は、国内の経済的独占のために関税が利用されていると考えて保護主義に反対し、第一次大戦中には自由貿易を平和と結びつけた。貿易の機会がなければ、各国は[[経済ナショナリズム]]や、より攻撃的な政策を選ぶとハルは考えた{{Sfn|小山|2001|pp=73-75}}。


貿易による繁栄と平和の推進という思想は、GATT・WTO体制のもとになっている。1941年時点でイギリスとアメリカは、全ての国の平等な条件の貿易参加、貿易における差別撤廃、関税その他の貿易障壁の低減などを推進する合意をとり、第二次大戦後の貿易体制へとつながる{{Sfn|服部|2002|pp=230-231}}。
経済学者の[[伊藤修 (経済学者)|伊藤修]]は「比較劣位の産業の縮小を押し戻すことは、無理な輸入制限か膨大な補助金が必要となるため不可能に近い」と指摘している<ref>伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、180頁。</ref>。


; 自由主義と重商主義
ランズバーグは「1817年のリカードの国際貿易の基礎は、150年後もまったく揺らいでいない。リカードの貿易理論は、1)ある産業の生産者を外国からの競争から保護すると、他の産業の生産者が被害を受けることになる、2)ある産業の生産者を外国の競争から保護すると、必ず経済効率が低下すると予測していた」と指摘している<ref>スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、306頁。</ref>。
主義は国家と民間を区別し、重商主義は国家と民間が協調して共通の目標を追求するとみなす。自由主義は消費者利益を重視し、消費者が安い財やサービスを得るために障害を取り除こうとする。重商主義は生産者利益を重視し、高い雇用水準と賃金で生産者を支えようとする。貿易においては、自由主義者は輸入から得られる利益を重視し、重商主義者は輸出から得られる利益を重視する{{Sfn|ロドリック|2019|pp=2409-2456/5574}}。


== 貿易政策 ==
経済学者の[[野口旭]]は「比較優位とは、比較劣位と常に裏腹の関係にある。一国にとって『あらゆる産業が比較優位になる』ということは考えられない。構造調整が済むまで一時的な現象ではあっても、失業を増加させる。比較劣位化した産業の当事者にとっては耐え難いことであるが、貿易を行う限り、受け入れざるを得ない。貿易を閉ざした経済とは、発展の無い経済にほぼ等しいということも事実である<ref>野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、202-204頁。</ref>」「一時的な失業の発生を恐れ貿易を閉ざすことは、労働の有効利用の機会そのものを放棄することになる。さまざまな産業構造の変化の要因を無視して、輸入の影響だけを問題視しても意味がない。失業には貿易制限などより[[財政政策]]・[[金融政策]]による[[マクロ経済]]政策のほうがはるかに適切である<ref>野口旭 『グローバル経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2007年、104-105頁。</ref>」と指摘している。
[[File:Effect of Import Tariff - v1.png |thumb |right|350px|輸入関税の効果。縦軸Pが価格、横軸Qが量。''A'' が[[生産者余剰]]、''C'' が政府歳入。関税がPwからPtに上がると、生産者余剰が増えて国内生産者が受け取る価格は増える。輸入財の生産はQ1からQ2に増え、消費はC1からC2に減る。''B'' と ''D'' は[[死重損失]]で、''A + B + C + D'' の合計が[[消費者余剰]]の減少となる。国内生産者の利得よりも国内消費者の損失が大きい{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=239-240}}。]]


主な貿易政策として、[[関税]]、{{仮リンク|輸出補助金|en|Export subsidy}}、[[輸入割当]]、{{仮リンク|自発的輸出規制|en|Voluntary export restraint}}、{{仮リンク|戦略的貿易政策|en|Strategic trade theory}}があり、いずれも自由貿易にとっては負の側面がある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=第9章}}。貿易は各国の所得分配に影響を与えるため、貿易政策は国家間の利害よりも国内での利害が重要となる{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=6}}。
若田部昌澄は「もちろん自由貿易にはデメリットもあり、比較劣位にある職業・産業をあきらめなければならない。全体としてはプラスサムになるとしても、トレードの過程で勝者と敗者が出るのは避けられない。そこは、[[再配分]]・[[セーフティーネット]]で解決するしかない」と指摘している<ref>若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、150-151頁。</ref>。


貿易政策は、経済学的には自由貿易からの逸脱とされ、次のような議論がある。 (1) 自由貿易からの逸脱費用は大きい。 (2) 自由貿易の便益のため、保護貿易的な政策の費用はさらに大きくなる。 (3) 自由貿易から逸脱する試みは政治的プロセスで覆される{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=267}}。アメリカの経済学者の9割が意見を共有している問題の中には、「輸入関税や輸入割当は全体の経済的厚生を引き下げる」「アメリカ政府は雇用主が海外に仕事をアウトソーシングすることを制限するべきではない」などがある{{Sfn|ロドリック|2019|pp=2511-2518/5574}}。
[[みずほ総合研究所]]は「日本企業の海外生産が増加したとき、逆輸入増加による国内経済へのマイナス効果が懸念されることが多いが、実際には輸出が誘発されるプラス効果が先に大きく表れる。海外生産の増加=逆輸入増加・国内生産減少と考えるのは短絡的であり、片側だけに着目した議論である」と指摘している<ref>みずほ総合研究所編 『3時間でわかる日本経済-ポイント解説』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年、195頁。</ref>。


; 関税
===賃金格差増大===
[[File:Tariff Rates in Japan (1870-1960).gif|thumb|300px|日本の関税率(1870年–1960年)]]
無制限な資本移動の自由によって、開発途上国における賃金格差が増大するという指摘がある。1993年から2008年までの間に、サハラ以南のアフリカの国々の[[ジニ係数]]は9%増加した<ref name=economist2014aug23G>[http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21613280-why-globalisation-not-reducing-inequality-within-developing-countries-revisiting Free exchange: Revisiting Ricardo] The Economist, 23 Aug 2014</ref>。この現象はリカードの比較優位説に欠陥があることを示唆するものであり、ノーベル賞学者[[エリック・マスキン]]らによる比較優位説修正の動きが始まっている。マスキンによる労働者マッチング法によれば、グローバル化によって[[中間財]]のアウトソース傾向が強まり、発展途上国(とりわけ輸出企業)の熟練労働者は先進工業国の非熟練労働者と共同しやすくなり賃金が伸びていく。途上国の非熟練労働者は、グローバル化以前はその途上国内の熟練労働者と共に働いていたがグローバル化によってその共同作業者を失いがちになり、その結果生産性が低下し賃金が伸びない<ref name=economist2014aug23G />。実際にメキシコの輸出企業の労働者は非輸出企業に比べて60%高い賃金を得ている<ref name=economist2014aug23G />。インドネシアでは外資系企業の社員は国産企業の社員より70%高い賃金を得ている<ref name=economist2014aug23G />。
関税は、生産と消費に関して歪みを与える。政府が輸出入を決める管理貿易よりも、輸出入に関する競争によってイノベーションや学習の機会を与えたほうが、高い生産性の産業が効率性を高める{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=264-266}}。


関税の引き下げは、単独よりも相互合意で行う方が利点がある。主な理由として、 (1) 相互合意なら、さらなる自由化の交渉がしやすい。(2) 貿易についての合意は当事国の貿易戦争を回避する{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=282-283}}。1891年から2010年のアメリカの平均関税率は、1930年初頭{{efn|大恐慌やブロック経済の時期にあたる{{Sfn|秋元|2009|pp=第1章}}。}}に激増したのちは下がり続けており、関税率の減少は貿易自由化の国際交渉の成果とされる{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=282-284}}。
[[大和総研]]は「自由貿易によって、後進国の所得水準は向上し、先進国から後進国への輸出の拡大という好循環が生まれている」と指摘している<ref>大和総研 『最新版 入門の入門 経済のしくみ-見る・読む・わかる』 日本実業出版社・第4版、2002年、204頁。</ref>。


; 輸入割当
経済学者の[[新井明 (経済学者)|新井明]]は「例えば韓国と北朝鮮を比較した場合、輸出額・国民所得は格段の差がついている。韓国の人口が北朝鮮の2倍となったことを考えると格差は大きい。国を開き、比較優位を活かして変化させながら他国と貿易を進めれば、経済が発展する可能性を持つ」と指摘している<ref>新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2005年、171頁。</ref>。
輸入割当によって数量を制限すると、輸入品の[[レントシーキング]]が拡大する。輸入割当の決定には組織にライセンスを発行するのが通例だが、ライセンスを得るために組織は費用をかけることになり、生産リソースの浪費となる。また、数量制限によって輸入品の価格は関税と同じく上がる{{efn|関税との違いは、政府歳入にならないという点にある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=246-247, 266-267}}。}}。レントシーキングは保護貿易の費用よりも高い損失になる場合がある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=246-247, 266-267}}。


; 輸出補助金
ジェフリー・サックスは「グローバリゼーションは、貧困問題の解決に役立ってきた」と指摘している<ref name="csr2008213">[http://www.nikkei.co.jp/csr/think/think_2008_2.html CSRを考える 新春特別対談 2008年のCSR新展開を占う 後半]日経CRSプロジェクト 2008年2月13日</ref>。サックスは、富は[[ゼロサムゲーム]]のように誰かが大きな富を得たからといって貧しい者がより貧しくなるわけではなく、むしろグローバリゼーションが貧困解消の一助となっているとしている<ref>[http://www.hitachi-hri.com/research/recommend/b39.html 貧困の終焉:2025年までに世界を変える]日立総合計画研究所 2007年</ref>。サックスは著書『貧困の終焉』で「グローバリゼーションが、インドの極貧人口を2億人、中国では3億人減らした。多国籍企業に搾取されるどころか、急速な経済成長を遂げた」と指摘している<ref name="asahi200693csr2008213">[http://book.asahi.com/reviews/column/2011072802027.html 前田浩次 話題の本棚 新しい世界 グローバル化の新局面に期待も]BOOK.asahi.com 2006年9月3日</ref>。
輸出補助金は、国の輸出品の相対価格を上げ、相対需要を下げて{{仮リンク|交易条件|en|Terms of trade}}を悪化させる{{efn|交易条件とは、輸出品の価格を輸入品で割った値を指す。この数値の上昇は輸出量に対して輸入量が増えることを表しており、交易条件の改善と呼び、その国の経済厚生が増えることになる{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=56-57}}。}}{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=56-57}}。輸出補助金は、補助を出す国にとって損となり、その他の地域にとっては得になる。そのため輸出補助金は国内向けの政策としては矛盾しているが、政治的には国内で支持される場合がある。例として、アメリカやフランスによる農産物への補助がある{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=248}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=147-149}}。


; 自発的輸出規制
[[ジャーナリスト]]の[[トーマス・フリードマン]]は著書『フラット化する世界』で、地球上に分散した人々が共同作業を始めインド・中国へ業務が委託され、個人・各地域が地球相手の競争力を得ている、あるいは貢献しているとしており、紛争回避にもつながっているとしている<ref name="asahi200693csr2008213" />。
自国政府が輸出数量を規制する。この場合は、輸出国の輸出業者がレントを得る{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=227-228}}。消費者にとっては、割当数が決まっているよりも、関税を払って買える方が望ましい。また、国内に独占企業がある場合は独占の弊害が生じる{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=226-227}}。自発的輸出規制の例として、[[日米貿易摩擦]]における1981年から1984年の日本の自動車輸出の自主規制や、GATTの[[多国間繊維協定]]などがある{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=227-228}}。


; 輸入代替
若田部昌澄は「『グローバリゼーションが(国内における)格差を拡大した』という説にこれといった証拠があるわけではない。IMF([[国際通貨基金]])でもそう分析されている」と指摘し、格差が広がっているのは事実としながらも「要因は多岐に渡り、国によって事情が違うためこれが主な要因だと一つだけ示すことはできない」と指摘している<ref>若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、168頁。</ref>。また若田部は[[ポール・コリアー]]の著書『最底辺の10億人』を引用し「グローバリゼーションが進むほど経済成長は早くなるので、むしろ貧困は減る。本当に深刻なのは、グローバリゼーションからこぼれ落ちてしまった最貧国のほうである」と指摘している<ref>若田部昌澄・栗原裕一郎 『本当の経済の話をしよう』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2012年、167頁。</ref>。
[[輸入代替|輸入代替工業化]]は輸入制限をしつつ、輸入製品と同じものを国内の製造業で生産し、製造業の基盤を整えて先進国に追いつこうとする政策である。国内製造業の促進という点では成功したが、非効率な製造業が存続したり、経済成長に結びつかない状況が増えたため、1960年代以降は批判が集まった。その国にとって比較優位がない産業は、根本的な原因を解決しなければ保護をしても競争力はつかないとされている{{efn|産業育成のために使われた輸入制限、為替レート統制、ローカルコンテンツ要求などはコストが高い。代替した輸入品と比べて生産費用が3倍以上の産業でも存続できるほど保護されていた国もあった{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=315-316}}。}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=310-315}}。


; 食料安全保障
経済学者の[[円居総一]]は「貨幣という名目価値で、他国の通貨で表示した絶対価格で比較し、日本の物価は高い、国際的価格に収斂させなければならない、または高コスト体質を是正しなければならないという議論は意味がない。為替レートですべてが決まるため、日本のモノ・賃金が他国と比べて実質的に高いのか低いのかは解らないからである」と指摘している<ref>円居総一 『原発に頼らなくても日本は成長できる』 ダイヤモンド社、2011年、148頁。</ref>。
[[トマス・マルサス]]は、平時には自由貿易は望ましいが世界的な凶作のような非常事態で穀物輸入を外国に依存するのはリスクがあるとした{{efn|マルサスはイギリスに穀物自給力があると主張したが、根拠はなかった。また、ヨーロッパ全体の利益という視点では穀物を含むあらゆる商品の自由貿易が望ましいが、実現しないとも書いている{{Sfn|服部|2002|pp=84-85}}。}}{{Sfn|服部|2002|pp=81-85}}。それに対しリカードは、世界各国から穀物を輸入するほうが不作時にリスクが分散できるとした{{efn|理由として、(1) 穀物の輸入を制限すると国内で生産しなければならなくなり、比較劣位においては国内の耕作は利潤率を下げる。 (2) 凶作ならば穀物の国際価格は上昇し、輸出国は生産を増やそうとする。 (3) 世界中が同時に不作になることは考えられない{{Sfn|服部|2002|pp=第5章}}。}}{{Sfn|服部|2002|pp=第5章}}。[[ナポレオン戦争]]において、イギリスでは食料品が値上がりをして地主の利潤が大きかった。地主は戦後も高値を保つために政治家に働きかけて穀物法を制定させた。しかし、マンチェスター商工会議所を中心に[[反穀物法同盟]]の運動が起き、穀物法は廃止された。反穀物法同盟には綿業者などの経営者が多く、穀物法を廃止して労働者の食事を安くするために「朝食を無税に」というスローガンを使った{{efn|穀物法を批判したのはデイヴィッド・リカードの他に、リチャード・コブデン、政治家の[[ジョン・ブライト]]らの[[マンチェスター学派]]の学者もいた{{Sfn|服部|2002|p=122-123}}。}}{{Sfn|川北|1996|p=184}}。食料自給を理由とする保護貿易論は、現在でも農業分野で議論される{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=第9章, 第10章}}。


; 市場の失敗との関連
経済学者の[[岩田規久男]]は「過度の円高は、日本の非正規雇用の比率を引き上げ、製造業を中心とした国外移転を促進し、国内雇用の需要の減少・失業率の上昇をもたらした」と指摘している<ref>岩田規久男 『「不安」を「希望」に変える経済学』 PHP研究所、2010年、235頁。</ref>。また岩田は「経済のグローバル化によって、安くて質の良いモノが輸入されることによって、未熟練労働者も利益を受けている」と指摘している<ref>岩田規久男 『「不安」を「希望」に変える経済学』 PHP研究所、2010年、235頁。</ref>。
市場メカニズムのみに任せた場合に外部経済があると、[[市場の失敗]]によって生産が社会的に求められる水準を下回る可能性がある。特に外部効果が多いといわれるハイテク産業などの新しい産業において、保護をして生産水準を維持するべきと論じられる。しかし、どの産業を保護すべきかの判断は困難であり、保護から脱せなかったり、利益団体のものとなるリスクもある。このため保護よりも自由貿易を支持する根拠となる{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=220-222}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=312-313}}。

== 貿易協定 ==
[[File:Economic integration stages (World).png|thumb|right|300px|世界の[[経済統合]]段階:<br> (緑であるほど段階が高い)
{{legend|#008000|[[経済通貨同盟]] ([[CARICOM Single Market and Economy|CSME]]/[[東カリブ通貨同盟|EC$]], [[欧州連合の経済通貨統合|EU]]/[[ユーロ|€]])}}
{{legend|#00FF00|[[経済同盟]] ([[CARICOM Single Market and Economy|CSME]], [[Single market of the European Union|EU]])}}
{{legend|#00FFFF|[[関税通貨同盟]] ([[中部アフリカ諸国経済共同体|CEMAC]]/[[CFAフラン]], [[西アフリカ諸国経済共同体|UEMOA]]/[[CFAフラン]])}}
{{legend|#804000|[[共同市場]] ([[欧州経済領域|EEA]], [[欧州自由貿易連合|EFTA]], [[Common Economic Space (CIS)|CES]])}}
{{legend|#FF8040|[[関税同盟]] ([[アンデス共同体|CAN]], [[Customs Union of Belarus, Kazakhstan and Russia|CUBKR]], [[東アフリカ共同体|EAC]], [[欧州連合関税同盟|EUCU]], [[メルコスール|MERCOSUR]], [[南部アフリカ関税同盟|SACU]])}}
{{legend|#FF0000|[[多国間自由貿易協定]] ([[ASEAN自由貿易地域|AFTA]], [[中欧自由貿易協定|CEFTA]], [[CISFTA]], [[Common Market for Eastern and Southern Africa|COMESA]], [[Greater Arab Free Trade Area|GAFTA]], [[湾岸協力会議|GCC]], [[北米自由貿易協定|NAFTA]], [[南アジア自由貿易協定|SAFTA]], [[中米統合機構|SICA]], [[環太平洋戦略的経済連携協定|TPP]])}}]]

GATT・WTOによる多国間交渉と並行して、2国間以上による[[自由貿易協定]]が増えた。GATTが認める特恵貿易協定には、[[関税同盟]]と[[自由貿易圏]]がある。自由貿易圏は加盟国内の関税をかけず、外部に関税を設定する。西ヨーロッパでは経済圏の拡大による利益と[[安全保障]]を求めて[[欧州共同体]](EC)を設立し、貿易障壁を撤廃して自由貿易圏を拡大した。これが現在の[[欧州連合]](EU)となった{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=}}。その他では北米・中米の[[北米自由貿易協定]](NAFTA)、南米の[[メルコスール]]、EUと[[アフリカ・カリブ海・太平洋諸国|ACP諸国]]の[[ロメ協定]]、アフリカの[[アフリカ大陸自由貿易協定]](AfCFTA)、南アジアの{{仮リンク|南アジア自由貿易圏|en|South Asian Free Trade Area}}(SAFTA)、東南アジアの[[ASEAN自由貿易地域]](AFTA)、太平洋地域の[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)、大西洋地域の[[大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定]](TTIP)などがある{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|p=第10章}}。

経済学的には、貿易協定で両国が自由貿易を選べばどちらも得をするが、単独で保護貿易を選べばどちらも損をするという[[ゲーム理論]]における[[囚人のジレンマ]]にあてはまる{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=282-284}}。貿易協定にはマイナスの効果もありうる。関税同盟によって同盟外の貿易が実現される場合はプラスの効果だが、同盟外の貿易が同盟内に替わるだけならばマイナスとなる可能性がある。自由貿易圏を作った場合も、域内貿易だけが行われるなら参加国にとってマイナスの可能性がある{{efn|消費者は域外の安くて関税が高い輸入品ではなく、域内の高価な品を買わなければならない可能性がある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=301}}。}}{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=296-301}}。
{{see also|自由貿易協定#学者の見解|日本のTPP交渉及び諸議論#議論}}

政治的には、貿易協定は比較優位と重商主義の双方から支持される理由がある。比較優位の立場からは、貿易障壁を下げて産業の特化ができる。重商主義の立場からは、輸出と雇用を増やせる。この二つは相反しているが、貿易協定を指示する国はどちらも可能という矛盾した主張をする場合がある。TPPとTITPについては、交渉が秘匿されている点、大企業の利益を優先している点で批判されている{{Sfn|ロドリック|2019|pp=3851-3892/5574}}。

== 紛争 ==
; WTO紛争解決機関
自由貿易のルール違反をめぐって国家間の紛争が起きる場合があり、WTOは調停解決のために{{仮リンク|世界貿易機関紛争解決機関|en|Dispute Settlement Body|label=WTO紛争解決機関}}を設けている。紛争解決機関では、専門家が紛争当時国の意見をもとに通常は1年以内に結論を出す。ルール違反をしているという結論の出た国が違反を続けた場合、WTOには強制力はなく、苦情を申し出た国は関税や輸出制限などの報復権利を得る。これまでの紛争としては、ガソリンと大気汚染をめぐるベネズエラとアメリカの紛争や、バナナをめぐるEUと中南米の紛争などがある{{Sfn|クルーグマンほか|2017|pp=289-291, 300}}。

; 略奪
重商主義は他国からの富の奪取を奨励するため、私掠船による略奪や戦争における貿易船の拿捕を奨励する傾向があった。自由貿易の支持者は戦争時に貿易船を攻撃することに反対し、貿易を戦争から切り離すことを提案した。特に、中立国の貿易の安全を守ることを自由船自由貨の原則とも呼び、マンチェスター学派は戦時の敵国とも自由な貿易が行われるよう主張した。この提案は[[クリミア戦争]](1853年-1856年)で一部が実現し、[[パリ宣言]](1856年)で中立貿易の安全保障が決定した{{Sfn|薩摩|2018|p=250-259}}。

== 環境・倫理 ==
人権の保障・労働基準・環境基準などが大きく異なる国同士における自由貿易は議論となっているが、WTOではこれまで問題とされることが少なかった。こうした面は[[ソーシャルダンピング]]とも呼ばれる{{Sfn|ロドリック|2019|pp=4184-4292/5574}}。また、環境汚染などの[[外部不経済]]によって、損失が自由貿易の便益を上回る可能性がある{{Sfn|小島|2018|pp=207}}。自由貿易をめぐっては以下のような議論や対立がある。

=== 医療 ===
{{See also|感染症の歴史|2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響}}
グローバル化された世界で伝染性疾患が発生すると、飛行機や船による輸出入を通して短期間で疾患が蔓延する可能性がある<ref name=sachs2014aug17E>
[http://www.bworldonline.com/content.php?section=Opinion&title=important-lessons-from-ebola-outbreak&id=92924 Important lessons from Ebola outbreak] BusinessWorld, Opinion, Jeffrey Sachs, August 17, 2014</ref>。新興感染症の発生は、経済にも悪影響を与える。2000年代初期の[[SARS]]の感染拡大や[[2014年の西アフリカエボラ出血熱流行]]もその一例である<ref name=skyHD2014aug14E>[http://news.sky.com/story/1318646/economies-at-significant-risk-from-ebola Economies At 'Significant' Risk From Ebola] SkyNews HD, 14 August 2014</ref>。

アフリカの[[HIV]]患者は1987年時点で250万人を超えて深刻な問題になっていたが、欧米中心の医療産業では治療薬が高価なため、多くのアフリカ人が使えなかった。そこでインドやタイの製薬会社から[[ジェネリック医薬品]]が輸出され、アフリカのHIV新規感染者数や死亡率は低下傾向にある。この輸出は、オリジナルの製薬会社の訴訟取り下げや、WTOによる{{仮リンク|強制特許実施|en|Compulsory license}}の承認で可能となった。強制特許実施とは事前承諾なしに特許技術を使用することで、TRIPS協定で認められている{{Sfn|宮本, 松田編|2018|pp=6464-6470/8297}}。

=== 奴隷貿易 ===
[[File:Le Tour du monde-04-p016a.jpg|thumb|right|250px|リオデジャネイロの奴隷貿易。[[エドゥアール・リウー]]画。]]
倫理的に問題とされる取り引きは自由貿易においても行われており、その一例が奴隷貿易である。ヨーロッパ各国が行った[[三角貿易#大西洋三角貿易|大西洋三角貿易]]は、アフリカ人を[[奴隷貿易]]でアメリカ大陸に送って[[プランテーション]]で労働をさせ、その生産物や現地の必需品も貿易をして莫大な利益をあげた{{efn|プランテーションでは[[サトウキビ]]、[[綿花]]、[[タバコ]]などを栽培した。バルバドスの富はサトウキビ栽培前と比べて17倍となり、1650年からの20ヶ月で現在の1500万ポンド相当の生産があった{{Sfn|ウィリアムズ|2020|pp=48}}。}}。当初は特許会社が奴隷貿易をしていたため、民間の商人も自由貿易を主張して参入を求めた。イギリスでは[[王立アフリカ会社]]の独占下にあったが、名誉革命(1688年)の影響で貿易の自由化が進み、奴隷貿易も自由化された{{efn|18世紀初頭のイギリスの自由貿易業者は、もぐり業者(インターローバー)と呼ばれていた{{Sfn|ウィリアムズ|2020|pp=58}}。}}{{Sfn|ウィリアムズ|2020|pp=58-59}}。1200万人以上の成人男女(後期には若年層も含む)を連れ去った奴隷貿易の影響は、現在にも及んでいるとする研究がある。奴隷貿易が最も激しかった地域は、現在のアフリカでは最貧困地域になっている{{Sfn|ナン|2018|pp=181-183}}。また、奴隷貿易の被害にあった地域では家族・隣人・民族・政府への信頼感が低い{{efn|{{仮リンク|ネイサン・ナン|en|Nathan Nunn}}と{{仮リンク|レナード・ワンチェコン|en|Leonard Wantchekon}}の研究による。前述のナンの研究とも合わせて、アフリカの経済成長が伸び悩んだ一因に奴隷貿易が関係していることになる{{Sfn|Nunn, Wantchekon|2011|pp=}}。}}{{Sfn|Nunn, Wantchekon|2011|pp=}}。

産業の違いによって、国内で自由貿易と保護貿易の支持者が対立することもあった。イギリス植民地の西インド諸島のプランテーション経営者は自由貿易を主張し、本国の工業製品の業者は保護貿易を主張した{{Sfn|ウィリアムズ|2020|pp=97-99}}。同様の対立はアメリカでも見られ、保護貿易を支持する北部と、自由貿易を支持する南部の対立によって[[南北戦争]]が起きた。北部は工業が主体だったが、南部ではプランテーションの綿花やタバコの輸出が主体であり、黒人奴隷の労働力に依存していた{{efn|黒人は南北戦争では共和党を支持したが、のちの大恐慌で民主党のローズヴェルト政権が黒人の権利向上、連邦政府の黒人雇用、農業保障局の南部黒人への恩恵などを行ったために民主党支持へと変わっていく{{Sfn|秋元|2009|pp=188-189}}。}}。

=== 植民地主義 ===
[[File:British ships in Canton.jpg|thumb|250px|[[アヘン戦争]](1840年)。イギリスは清にアヘン貿易を強要し、イギリス領インドからのアヘン輸出は2倍、金額は3倍になった{{Sfn|ホブズボーム|2018|pp=48}}。]]
自由貿易の輸出の拡大・海外権益の確保が、[[帝国主義]]の動きを強め国家の対立を激化させているとする説がある。例として、(1) 植民地時代に宗主国が不利な条件で植民地に取引を強要し、搾取した。 (2) 欧米は自国が輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めた一方で、発展途上国の競合する製品に関しては保護政策をとり続けた、などがあげられる。19世紀のイギリスは自由貿易をめぐって他国から批判され、自由貿易を進めるのは経済力を背景とした利己的な政策である、イギリスはいち早く工業化を達成した地位を利用して他国を搾取している、などの意見があった{{Sfn|マグヌソン|2012|p=228}}。

自由貿易が強制された地域では、当時の制度がその後の社会に影響を及ぼす場合がある。イギリスによって植民地化された[[イギリス領インド帝国]]は、自由貿易を強制されて1920年代まで関税収入がなかった。財源を確保するために逆進性の高い地税や独占事業である塩税をかけ、住民への負担となった{{Sfn|脇村|2019|pp=65-66}}。イギリスがインドに地税制度を導入した際、[[ザミンダーリー制度]]が行われた地域は不平等レベルが高く、他の制度の地域と比べて現在でも公共財の普及が遅れており、識字率や政治への参加率が低く、農業技術の導入が遅れたため農業の生産性が低い{{efn|[[アビジット・V・バナジー|アビジット・バナジー]]と[[ラクシュミー・アイヤー]]の研究による。イギリスが導入した地税制度は3種類あり、地主ベースのザミーンダーリー制、小作農ベースの[[ライーヤトワーリー制]]、村ベースのマハルワーリー制だった{{Sfn|バナジー, アイヤー|2018|p=189}}。}}{{Sfn|バナジー, アイヤー|2018|pp=191-192, 215-217}}。

=== 環境 ===
貿易では、有害な廃棄物や絶滅の恐れがある生物が取り引きされる可能性もある。WTOでは、有害廃棄物に関しては[[バーゼル条約]]、絶滅の恐れのある動植物に関しては[[ワシントン条約]]によって貿易制限を認めている。貿易制限の他に、環境に悪影響が大きい財に課税する手段もある。貿易制限の場合は国内の非効率な活動を増やす可能性があり、課税の場合は国内外を対象とするために非効率性は生じない{{efn|非効率な活動としては、厳しい貿易制限による不法投棄や、廃棄物を中古品として輸出することで規制を逃れる方法などがある{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=335}}。}}。貿易と環境汚染に関する学説として、{{仮リンク|汚染逃避地仮説|en|Pollution haven hypothesis}}や、{{仮リンク|環境クズネッツ曲線仮説|en|Environmental Kuznets curve}}などがある{{efn|汚染逃避地仮説は、環境規制の緩い国に貿易や直接投資で汚染が集中する可能性を示す。環境クズネッツ曲線仮説は、貿易の自由化と経済発展が環境を改善する可能性を示す{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=333}}。}}{{Sfn|阿部, 遠藤|2012|pp=332-340}}。

[[リサイクル]]用の資源は、各国の国内で需要と供給が一致しないために貿易が行われている。需給不一致の原因は、 (1) ある製品のリサイクルは同じ製品に使われない場合がある、 (2) 再生資源が発生するタイミングと再生資源を利用したいタイミングが合わない、 (3) 製品が作られた地域と廃棄された地域が異なる、などがある。再生資源の貿易は、資源の有効利用として環境面からも便益がある{{Sfn|小島|2018|pp=85-87}}。


=== 社会的共通資本 ===
=== 社会的共通資本 ===
社会的共通資本とは、自然環境、[[インフラストラクチャー]]、制度資本(教育、医療、司法)を指す。自由貿易の命題が社会的共通資本を全面的に否定した上で、現実には決して存在し得ない制度的、理論的諸条件を前提としているという指摘がある{{Sfn|宇沢|2015|pp=}}。
経済学者の[[宇沢弘文]]は「自由貿易の命題は、[[新古典派経済学|新古典派経済]]理論の最も基本的な命題である。しかし社会的共通資本を全面的に否定した上で、現実には決して存在し得ない制度的、理論的諸条件を前提としている。生産手段の完全な私有制、生産要素の可塑性、生産活動の瞬時性、全ての人間的営為に関わる外部性の不存在などである。この非現実的、反社会的、非倫理的な理論命題が、世界の[[経済学]]の歴史を通じて何度も現われ、時には自然、社会、経済、文化という社会的共通資本を広範に亘って破壊し、壊滅的な帰結をもたらしてきた。[[ジョーン・ロビンソン]]が言ったように、自由貿易の命題は支配的な[[帝国]]にとって好都合な考え方である」と指摘している<ref>[http://www.jacom.or.jp/proposal/proposal/2011/proposal110214-12526.php 提言 【特別寄稿(上)】菅政権のめざすことと、その背景 宇沢弘文・東京大学名誉教授、日本学士院会員]JAcom 農業協同組合新聞 2011年2月14日</ref>。

=== 反対活動 ===
[[file:WTO protests in Seattle November 30 1999.jpg|thumb|right|200px|WTO閣僚会議への抗議活動と警官隊(1999年11月30日)]]
[[1999年]]6月の[[第25回主要国首脳会議|ケルン・サミット]]でIMFや世界銀行への大規模な抗議行動があり、同年11月にシアトルで開催された[[第3回世界貿易機関閣僚会議|第3回WTO閣僚会議]]は抗議行動で開会式が中止となった。抗議行動は多角的貿易交渉に反対する環境団体、人権団体、消費者団体などが中心となり、人間の鎖で各国代表の入場を阻止した。抗議デモには労働組合も参加して、WTOが労働者の権利を守るように主張した。一部の抗議行動は暴動となり、非常事態宣言や夜間外出禁止令が出された{{Sfn|野林ほか|2003|p=第10章}}。


== 出典・脚注 ==
== 出典・脚注 ==
144行目: 223行目:


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 単行本 ===
=== 語文献(五十音順) ===
==== 単行本 ====
* {{Citation| 和書
| first = 英一
| last = 秋元
| author-link = 秋元英一
| title = 世界大恐慌 - 1929年に何がおこったか
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* {{Citation| 和書
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| title = はじめての経済学〈上〉
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* {{Citation| 和書
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| author-link = 井村喜代子
| title = 現代日本経済論〔新版〕
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| title = 経済学的思考のすすめ
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| title = ケインズと世界経済
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* {{Citation| 和書
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| author2 = [[小池洋一]]
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233行目: 414行目:
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=== 論文・記事 ===
==== 論文・記事 ====
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=== 外国語文献(アルファベット順) ===
==== 単行本 ====
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==== 論文・記事 ====
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* {{Cite web|洋書|author=David Hume |year=1742|month=|title=On the Jealousy of Trade|journal=Archive for the History of Economic Thought |volume=|issue=|page=|pages=|publisher=McMaster University|location=|doi=|pmid=|pmc=|naid=|oclc=|issn=|isbn=|id=|url=https://socialsciences.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/hume/jealtra|format=PDF |accessdate=2020-07-22|ref={{sfnref|Hume|1742}}}}
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* {{Cite journal|洋書|author1=Nathan Nunn|author2=Leonard Wantchekon|year=2011|month=Dec|title=The Slave Trade and the Origins of Mistrust in Africa |journal=American Economic Review|volume=101|issue=7|page=|pages=3221-3252|publisher=The American Economic Association |location=|doi=|pmid=|pmc=|naid=|oclc=|issn=|isbn=|id=|url=https://scholar.harvard.edu/nunn/publications/slave-trade-and-origins-mistrust-africa|format=PDF |accessdate=2020-07-22|ref={{sfnref|Nunn, Wantchekon|2011}}}}
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* {{Cite journal|洋書|author=Petia Topalova|year=2010|month=oct|title=Factor Immobility and Regional Impacts of Trade Liberalization: Evidence on Poverty from India|journal=American Economic Journal: Applied Economics|volume=2|issue=4|page=|pages=1-41|publisher=|location=|doi=|pmid=|pmc=|naid=|oclc=|issn=|isbn=|id=|url=https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/app.2.4.1|format=PDF |accessdate=2020-07-22|ref={{sfnref|Topalova|2010}}}}
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== 関連文献 ==
=== 単行本 ===
* {{Citation| 和書
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[グローバリゼーション]]
* [[グローバリゼーション]]
* {{仮リンク|グローバル・イネーブリング・トレード・レポート|en|Global Enabling Trade Report}}
*[[自由貿易協定]]
*[[貿易自由]]
* [[経済的自由]]
* [[経済的自由主義]]
*[[保護貿易]]
*[[ブロック経済]]
* [[資本自由化]]
* [[レッセ・フェール]]
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==外部リンク==
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2020年8月17日 (月) 09:46時点における版

自由貿易(じゆうぼうえき、: free trade)は、関税など国家の介入や干渉を排して自由に行う貿易を指す。学説としては、重商主義にもとづく保護貿易に対して、イギリスのアダム・スミスデヴィッド・リカードらによって唱えられた。貿易が利益になるというのは経済学における最古の命題の一つであり、自由貿易はこの命題にもとづいている[1]。また、営業の自由をはじめとする経済活動の自由や移動の自由と密接に関係している[2]

概要

スーパーマーケット(ブラジルサンパウロ)。スーパーは国際分業を考えるうえでの宝庫ともいわれる[3]

貿易では、国が互いに財やサービスを売ると両国の利益となる。これは国際経済学における最も重要な洞察ともいわれる。貿易の便益は実体のある財だけでなく、サービス産業などにも及ぶ。国は貿易で利益を得るが、国内において特定の集団に害を与えることがある。そのため、どれだけの貿易を認めるかという論争が続いている[注釈 1][5]

自由貿易を支持する経済学的な理由としては、 (1) 効率性の利益について定式化した分析がある。 (2) 定式化に含まれない追加の利益がある。 (3) 複雑な経済政策の実施は難しいが、自由貿易は簡易である、などがある[6]。完全な自由貿易の国は存在しないが、貿易自由化の国際機関として世界貿易機関(WTO)がある。WTOは諸国間の取引のルールを定め、より自由貿易に近い状態が実現されるよう努めている[7]貿易依存度は2000年代後半には60%を超え、21世紀は歴史的に自由貿易が最も実現されているといえる[8]

自由貿易支持者の主張
  • 国外から安価な商品が輸入できる[9]
  • 国外に商品を輸出して利益が享受できる[9]
  • 国外から機械・原材料が輸入されることで、技術・スキルが移転される[9]
  • 国外への輸出機会を得ることで国内生産のスケールメリット(規模の経済)が活かされる[9]
  • 国外からの競争圧力によって、国内の独占の弊害を軽減できる[9]
  • 国外からの輸入を通じて多様な商品が消費できる[9]

上記に対する保護貿易論者の主張については、保護貿易#保護主義の主張を参照。

歴史

歴史的には、完全な自由貿易の国は存在しない[10]。第一次世界大戦までの自由貿易はイギリスが主導し、通貨は金本位制にもとづいていた。第二次世界大戦後の自由貿易はアメリカが主導し、通貨はアメリカのUSドルとの比率にもとづくブレトンウッズ体制で始まり、現在は変動相場制となっている[11]

海洋と貿易の自由

貿易の自由についての古い記録は、交通の自由との関わりで海洋法や海事法に見られる。2世紀の古代ローマの法学者マルキアヌスは、海は所有の対象ではないと書いたとされ、ローマ帝国では海に管轄権はなかった。中世に入るとヴェネツィアがアドリア海の支配を主張し、他のイタリア都市国家やヨーロッパ各国でも近海の支配を主張した。海上貿易のための規則としては、東地中海にはビザンツ帝国でロードス海法英語版が用いられ、西地中海では14世紀頃にバルセロナで作られたコンソラート・デル・マーレ英語版が私法や商事紛争の解決を定めた。領有について最も問題となったのがトルデシリャス条約(1494年)で、アメリカ大陸の陸地と海洋がスペインポルトガルによって分割され、教皇アレクサンデル6世が承認した[12]。これに対してイギリスエリザベス1世は、海の領有や海上貿易の独占を許さないと主張した。エリザベス1世はフランシス・ドレイクらの私掠船による略奪を公認しており、航海の自由は私掠船政策を維持するためにも必要だった[注釈 2][14]。オランダの法学者フーゴー・グロティウスは、『自由海論』(1609年)でポルトガルの海洋支配に対して海洋の自由を提唱した。グロティウスの説は新興国であるオランダの国益に沿う内容でもあった[15]

保護貿易から自由貿易へ
茶税法に反対するアメリカ住民の抗議行動(ボストン茶会事件)。航海条例にはじまるイギリスの保護貿易はアメリカ独立の原因にもなった。

イギリスは17世紀から18世紀にかけて重商主義による保護貿易を進めたが、名誉革命(1688年-1689年)によって市民には営業の自由(freedom of trade)が保障されていた [注釈 3]。英語の trade は経済活動に幅広く使われる語であり、国内の取り引きや、国外の貿易にあたる。個人の経済活動の自由を貿易の自由につなげたのが、『国富論』(1776年)を書いたアダム・スミスだった。スミスは人々の分業が生産を増進すると論じ、それを国家の関係にも拡張して貿易による国際分業を論じた[2]

イギリス政府は綿織物業、鉄鋼業、造船業、海運業など急速に成長をしていた分野には増税をせず、発展をうながした。こうして19世紀前半にはイギリスは工業で世界的に優位に立った[17]。工業化と植民地を背景にした自由貿易が国をより優位にすると考えられ、産業資本家・商人・投資家を中心に自由貿易が支持された。他方で、特権会社だったイギリス東インド会社や、保護貿易のための穀物法航海条例は19世紀に廃止された[注釈 4][19]

金本位制と自由貿易
イギリスで金本位制を確立したソブリン金貨(1817年)。金本位制はイギリスの自由貿易を支えた。

イギリスの自由貿易を金融面で支えたのは、国際的な金本位制だった。イギリスは貨幣法 (1816年)英語版(1816年)を制定し、通貨のスターリング・ポンドを中心とした金本位制を成立させた。金本位制によって、国家の通貨発行額はその国が保有する金の量で決まる。金の量(金準備)は輸出入で増減するので、通貨量は金に合わせて自動的に調整されることになった。1840年から1870年にかけての一人あたり貿易額は、イギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・スカンジナヴィアで4倍か5倍、オランダとベルギーで3倍、高関税のアメリカも2倍となった[20][21]

欧米諸国は、イギリスに続いて金本位制や自由貿易を採用した[注釈 5]。イギリスとフランスは2国間貿易協定のコブデン=シュヴァリエ条約英語版1860年)を結び、関税の禁止や最恵国待遇を盛り込んだ。最恵国待遇は全ての条約国に最もよい条件を与えるので、条約国が増えるほど多くの国に低い関税が適用される。イギリスやフランスが他国と条約を結ぶことでヨーロッパは自由貿易体制が拡大し、アメリカは高関税を維持した[23]1866年から1877年は貿易自由化のピークであったが、大不況をへて、自由貿易を維持するイギリスと保護貿易を選ぶ国々に分かれた[注釈 6]。各国が保護主義化した原因には、金本位制も関係していた。輸入をして金が減少すると国内の通貨も減少するため、イギリス以外の国は保護貿易で輸入を防ぎ、通貨発行量を保とうとした[注釈 7][25]

1892年から1894年には景気回復期に入り貿易は拡大したが、イギリスをのぞく各国が保護貿易を行なっていた時期と一致する。各国はイギリスへの輸出が急増し、結果的にイギリスの自由貿易が保護貿易国の経済成長を支えた[注釈 8]。イギリス国内では保護貿易の国に対して関税を求める声が上がったが、当時は製造業に替わってシティ・オブ・ロンドンの金融業が発展しており、自由貿易を継続した[27]。各国は輸出で1909年から1913年に高い成長率を享受し、イギリスは貿易赤字を銀行業や保険業など金融の黒字によって埋め合わせた[注釈 9][29]

帝国主義と国際分業
1898年当時の帝国主義列強勢力図

欧米各国には勢力均衡が存在したが、その他の地域に対しては武力を背景に自由貿易を要求する帝国主義政策が進められた[注釈 10]。宗主国は植民地から自国向けの農産物や鉱物を輸入し、工業生産物を植民地へ輸出した。そのため保護貿易の国も植民地には自由貿易を強制した。当初は独占権をもつ企業が各植民地で経営し、やがて現地住民との契約という形をとるようになる[30]

合衆国水師提督口上書(嘉永6年6月8日)
左よりヘンリー・アダムス副使(艦長)、ペリー水師提督、アナン軍使(司令官)。日米和親条約によって鎖国体制の終了と貿易自由化が進んだ。

植民地とならずに独立を保った国も、欧米の貿易に組み込まれた。日本では鎖国体制にあった江戸幕府開国を選び、日米和親条約(1854年)をはじめとして各国と条約が結ばれた[31]。タイは欧米諸国との条約で王室の貿易独占をほぼ廃止して自由貿易に加わり、治外法権や港の交易圏を認めつつ、国家主権の維持につとめた。欧米諸国と結んだ条約は関税自主権がない不平等条約だったため、条約の変更が課題となった[32]。中南米諸国が独立した際、独立運動の時期から影響を増していたイギリスは諸国に貿易自由化を要求し、関税自主権のない状態で1810年から1825年にかけてイギリスと中南米の貿易額は10倍となった[33]。中南米の政治の安定にともなって1870年代以降に外資進出が進み、モノカルチャーの貿易が増えた[注釈 11][35]

アフリカでは、ベルリン会議(1884年)でアフリカ分割が定められ、アフリカ全土がヨーロッパの7カ国によって植民地化された[36]。東南アジアは4カ国によって分割されたが、植民地は相互でも貿易をするようになり、アジア経済圏における国際分業が成立した[注釈 12][38][39]。香港やシンガポールはイギリスの自由貿易の拠点となり、アジアの金融センターとなった[40]。東アジアには、イギリスや日本の他にフランス、アメリカ、ロシアも門戸開放を求めて進出した。日本は朝鮮王朝と不平等条約の日朝修好条規(1876年)を結んで経済進出をする[注釈 13][41]

世界大戦・大恐慌

イギリスは第一次世界大戦までは自由貿易と金本位制を継続していたが、大戦で戦費がかさんで金本位制を離脱する。加えてアメリカからは債務を負い、それまでのような貿易体制の維持が困難となった[42]。1920年代にアメリカは最大の貿易国となるが、孤立主義を継続して国際連盟に加盟しなかった[注釈 14]。アメリカの政策は世界経済が不安定になる要因となり、この経験をもとに世界大戦後のアメリカは自由貿易を推進することになる[44]

1930年代の世界恐慌によって自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など列強と植民地)は、自国経済圏を保護する名目でブロック経済の政策をとった。貿易の途絶によって各国では経済的な不利益が多大に生じたため、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト政権は、前政権の保護貿易政策を変更して互恵通商協定法(1934年)を制定した[注釈 15]。これによって関税率を引き下げる権限が議会から大統領に移譲され、イギリスをはじめ39カ国との協定に成功した[注釈 16][48][49]

大恐慌後のブロック経済は、ヨーロッパでファシズムナチズム共産主義の政権につながった[50]。モノカルチャー貿易を主体としていた中南米では輸入代替工業化の政策が増え、政治では独裁政権やポピュリズムが台頭した[51]。日本は朝鮮半島に続いて満洲や東南アジアに進出して経済圏の拡大を意図したが、満洲事変(1931年)や仏印進駐(1940年)でアメリカと対立し、アメリカから輸入していた石油と鉄屑が不足する。また、東南アジアの貿易圏を破壊したために現地の支持を失った[52]

GATT・WTO体制

第二次世界大戦後にはアメリカの主導で貿易の自由化が進められ、自由・無差別(差別の撤廃)・多国間主義が目標とされた。保護貿易やブロック経済が大戦の要因であり、自由貿易で平和を促進するという意図があった[53]。その柱となったのは、通貨におけるブレトン・ウッズ体制と、貿易における関税及び貿易に関する一般協定(GATT)だった。国際機関が設立され、ブレトン・ウッズ体制は国際通貨基金(IMF)と世界銀行に担われた。自由貿易の国際機関としては国際貿易機構(ITO)が発案されたが成立しなかったため、GATTのもとで自由化が進められた[注釈 17]。GATTでは農業分野やサービス分野は基本的に自由化の対象外であり、工業分野においても、アンチダンピング課税相殺関税自発的輸出規制英語版セーフガード措置など、さまざまな例外措置が認められ、各国には貿易自由化による変化を緩和するための政策をとる余地が認められた。各国は、貿易自由化によって不利益を被る産業や階層に対して、補助金の給付や福祉政策などの補償的な措置を講じた[54]。世界大戦・大恐慌・保護貿易によって、世界の貿易量は大幅に減少しており、工業製品の輸出額が第一次大戦前の水準に戻るのは1970年代となる[55]

GATTでは多国間交渉として貿易ラウンドが開催され、ケネディ・ラウンドで平均関税を35%下げ、ウルグアイ・ラウンドでは40%近く下げた。ウルグアイラウンド後の1995年には世界貿易機関(WTO)が設立された[注釈 18][57]貿易依存度は、1960年代の24%から2000年代後半には60%を超え、世界金融危機の影響で大きく減少したのちに再び上昇している[8]。GATT時代にはサービス貿易知的所有権については主題とされず、WTOではサービス貿易についてはサービスの貿易に関する一般協定(GATS)、知財については知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS)で対応している[58]

比較優位

自由貿易論の基礎にあたるものが、比較優位の理論である。国が貿易をする理由には主に2点あり、 (1) 互いの違いから利益を得る、(2) 自国で全てを生産するよりも効率よく財を得る[注釈 19]、という点にある。たとえば2国間で貿易をする場合、それぞれの国が比較優位を持つ商品を輸出すれば、両国にとって利益になり得る[60]

比較優位の観点からは、貿易が有益な点を示すための限定条件はなく、競争力や公正という条件も必要がない。この点が、自由貿易において比較優位が支持される理由でもある。他方、比較優位の問題点としては、 (1) 産業の特化の過大な重視、(2) 貿易が所得分配に与える影響の無視、(3) 各国の資源の違いの無視、(4) 規模の経済の貢献の無視、などがある[61]。比較優位の思想は経済学の中で最古に属するため、経済学者はこの利益が誰にとっても自明であると錯覚しやすい[注釈 20][1]

経済成長

これまでに経済成長をした国の貿易は、資源国をのぞけば急速な産業化をへており、労働者は主に製造業に雇用されていた[注釈 21]。製造業の貿易と比較すると、資源貿易は雇用が少なく、またサービス産業には非貿易財の割合が大きい[64][65]。1960年代以降の途上国の標準所得と生産高の割合は低下しており、サービス産業に比べて製造業の相対価格は低下している。製造業の雇用は減っており、過去と同様の経済成長は困難になる可能性があるため、経済成長にはサービス産業の生産性が必要ともいわれる[66]

ブレトン・ウッズとGATTの体制下で、日本とドイツは急速な復興と経済成長をした[67]。1970年代以降の貿易自由化ではNIESなど製造業輸出で経済成長をとげる途上国があり、1980年代以降には社会主義体制をとっていた中国、ベトナム、インドなどの国々も貿易自由化を開始した[68][69]。東南アジアでは1970年代から外資導入の法律整備を進め、プラザ合意(1985年)以降は日本の製造業が東南アジアに進出した。ASEANの経済圏全体で工業化と輸出が増え、産業内貿易が進展した[70]

貿易自由化が経済成長に結びつかない場合もあり、輸入代替工業化の時代よりも成長が鈍化している国もある[71]。第二次世界大戦後の自由貿易と経済成長は正の相関を示したが、貿易自由化が成功したのは経済が成長していたからであり、その逆は自明ではないとする研究もある[72]輸出加工区や経済特区による二重貿易体制をとる国もある[68][69]

東アジア

日本の開国後の貿易による利益はGDPの約5%から9%に達したといわれ、自由貿易の利益の実例にあげられる。開国後の日本は世界的にも貿易の拡大ペースが早かった[注釈 22][31]。第二次大戦後の日本の高度経済成長も、自由貿易による成功の一例とされる。日本は朝鮮特需で外貨不足を解消して輸出が増え、ベトナム戦争によってアジアとの貿易が増えた[注釈 23][67][75]。日本の後にはNIESと呼ばれる国々が経済成長をとげ、そのうち東アジアには台湾、韓国、香港が含まれていた。台湾や韓国は工業製品の輸出を増やすために輸出加工区を採用し、限定した地域で関税や法人税を減免して外国企業に開放した[69]

中国は工業の近代化を実現するために1978年から改革開放政策に変更し、経済成長を続けている[注釈 24]。輸出加工区を参考にした経済特区や、委託加工の制度で自由貿易や外資を受け入れ、他の地域では貿易制限を続けた。こうして国営企業の雇用を維持しながら自由貿易のノウハウを蓄積し、2001年にはWTO加盟を果たす。加盟にあたって中国は関税引き下げ・輸入数量制限撤廃・直接投資の開放などを受け入れ、2011年には最大の貿易国となった[76][77]。中国が世界の製造業に占める割合は1991年の2.3%から2013年の18.8%まで増え、直接投資受入額はWTO加盟後の10年間で8376億ドルとなり世界第2位である[78][79]

東南アジア・南アジア
シンガポール。19世紀のイギリス領時代から自由貿易港として栄え、現在はアジアの金融センターとして2020年時点で東京、上海とともに世界5位以内に入った[80]

インドネシアは1982年から1983年に不況となり、融資の条件として貿易の自由化を行った。関税の引き下げ、原材料輸入の自由化、関税割り戻しの導入、通貨ルピアの切り下げなどの政策パッケージによって1987年以降に発展がはじまる。輸入・外資・銀行業の規制も緩和された。輸出産業が発展し、従来の石油やガスに代わって工業製品の割合が増えた[81]。マレーシアは投資促進法(1986年)で外資が規制緩和され、1985年の約17%から1989年には約70%まで急増した。投資によって製造業が成長し、輸出の中心が石油から工業製品へと移った[82][83]。シンガポールは中継貿易を主体としていたが、マレーシアからの独立後(1965年)に製造業が発展して1980年には製造業のシェアが29%となった。外資の導入に積極的で、製造業の全雇用のうち外資は60%、直接輸出では90%に達している[84][85]。タイは輸出と投資の循環によって1980年代後半に成長を続け、輸出に占める工業製品の割合が農産品を上回った[注釈 25][87][88]。ベトナムは1986年のドイモイ政策で経済の自由化が始まり、農業から成果が表れて1989年には戦後初の米の輸出が可能となった。1994年にはアメリカの対ベトナム禁輸が解除され、外資法は100%の出資を認めて誘致を進めた[89][90]

インドは1948年の独立から社会主義政策をとっており、1970年代の貿易依存率は約5%だった。1991年の湾岸戦争の影響でIMFの支援を受け、その引き換えとしてインドの経済改革英語版が進んだ。関税引き下げ、輸入ライセンスの撤廃があり、2005年には経済特区が認められて外資100%の出資も可能となった[注釈 26][92][93]。インドの1980年代の成長率は4%で、現在は8%近い[79]

中南米

中南米諸国では1980年代前半まで財政赤字・インフレ・対外債務の累積が進み、1980年代後半から経済改革とともに貿易自由化、資本自由化が行われた。関税率は1985年に30%から80%あり、1999年にはほとんどの国で11%から13%に低下した。当初は一次産品が主体で1970年代に90%あり、その後に工業品が増えて2006年時点でメキシコが76%、ブラジルが50%となった。2000年代以降は中国やインド向けの資源貿易が増えている。資本自由化は1990年代に急増し、1986年の40億ドルから2007年には950億ドルまで増えた。直接投資の受入国はブラジル・メキシコ・カリブ海諸国・チリ・アルゼンチンで大半を占める[注釈 27][95]。メキシコは1970年代まで輸入代替工業化を進め、アメリカ国境の輸出加工区であるマキラドーラが例外的に輸出を行った。1980年代には債務危機が起きたために輸入割当を撤廃し、1994年からNAFTAに参加し、アメリカやカナダとの貿易が増えた。輸出は2012年にはGDPの34%になり、平均所得は増えているが、経済成長率は輸入代替工業化時代よりも低い[96]

アフリカ

第二次大戦後にヨーロッパの植民地から脱して多数の独立国が成立したが、経済成長にいくつかの障害があった。その一つに国境と規模の問題がある。植民地時代の影響で国境線が入り組み、55カ国の中で総人口が2000万未満の国が40カ国、GDPが200億ドル以下が38カ国にのぼる。一般には小国ほど貿易の利益は大きいが、20世紀のアフリカ諸国は輸入代替工業化を行う国が多く、貿易量が少なかった[97]。産業構造の面では、2000年代に資源価格上昇で資源貿易が増えたが、資源貿易は製造業と比べて雇用への影響が少なく、利益を得る人数が少ない[64]。農業貿易も増えているが、貿易のための大規模な農地開発は、土地を追われる人数よりも雇用創出が少ない場合がある[98]。こうした事情が重なり、東アジアのような製造業による経済成長が少なかった。20世紀に自由化が最も成功したモーリシャスでは、輸出加工区による衣類輸出で成長をしつつ、他の分野は保護を続けるという政策をとった[99]

アフリカ諸国は21世紀から中国との協力を急速に進めている。中国は2000年から中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)を開催し、優遇貸付や債務免除の他に、輸入品の無関税措置や、中国企業専用の経済特区として域外経済貿易特別区の建設を進めた。FOCACの第4回閣僚会議(2009年)では、全貿易品の95%まで無関税措置となった[100]。アフリカの経済成長を阻害している要因としては、19世紀まで行われていた奴隷貿易の影響をあげる研究もある(後述)。

構造調整

世界銀行やIMFは融資する国に条件をつける場合があり、構造調整プログラム英語版(SAP)と呼ばれた。構造調整の融資でも貿易の自由化が進められ、成功した例としては、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムなどがある[注釈 28][102]。他方、構造調整が経済成長に結びつかない国もあり、批判につながった。フィリピンでは自由化政策ののちも輸出の伸び率が低いままだった[103]。アフリカではサブサハラ・アフリカの経済成長率は2002年まで上昇しなかった[注釈 29][105]。1999年以降は、構造調整という名称はIMFと世銀のいずれでも使われなくなった[106]

社会保障

自由貿易と社会保障は密接に関連している。社会保障制度が整備されていない時代は、貿易で生じる所得再配分の問題は、移民や保護貿易によって解決される傾向にあった。社会保障が充実すると貿易に対する反対が大きくならず、自由化が進みやすくなるため、貿易先進国はセーフティネットが充実する傾向にある。貿易自由化を促進するために重要な政策として、自由化によって損失をこうむる人々への補填や、富の再分配失業手当雇用のセーフティネットなどがある[107]

貿易で最も損をする人々は、輸入部門と競争する人々である。輸入部門で競争する人々は低賃金になりやすく、転職をするとしても時間がかかる。ただし、失業率と輸入額には正の相関関係はなく、失業はマクロ経済的な現象であることを示している[注釈 30]。そのため、失業への対応としては自由貿易を制限する貿易政策ではなく、マクロ経済政策がより効果があるとされる[109]

貿易で損害をこうむった人々への公的支援は、失った所得を埋め合わせるには足りないという研究もある。アメリカでは貿易が原因で失業した労働者を米国貿易調整支援制度(TAA)で支援するが、補償の金額は足りない[注釈 31]。そのため失業した労働者の1割が障害年金で埋め合わせており、雇用機会を失っている[111]

構造的失業

伝統的な貿易理論では、労働者や資本は機会によって移動するので賃金水準や失業は同一水準になるという前提があった。しかし、現実は硬直的であり、貿易自由化の影響が産業や地域によって違うことを示す研究もある。インドでは、国全体の貧困率は1991年の35%から2012年の15%まで急速に下がったが、貿易自由化の影響を強く受けた地域は貧困率の低下ペースが遅かった。また、貿易自由化の影響を強く受けた地域は児童労働の減少ペースも遅かった[注釈 32]。この研究手法は、他の研究者によってアメリカ、スペイン、ノルウェー、ドイツなどでも使われて同様の結果を出している[113][114]

賃金格差

労働者マッチング法の研究によれば、中間財のアウトソース傾向が強まると、発展途上国の熟練労働者は先進工業国の非熟練労働者と共同しやすくなり賃金が伸びる。しかし途上国の非熟練労働者は、グローバル化によって途上国内の熟練労働者との共同を失いがちになり、生産性が低下して賃金が伸びなくなる[注釈 33][115]

政治制度・思想

政治制度

貿易は各時代の政治制度と密接な関係にある。19世紀の貿易は金本位制にもとづいていたので、政府の通貨発行量は金準備で制限されており、国際均衡が国内均衡に優先していた。このために失業や貧困など国内の経済問題の解決が遅れ、結果的に大恐慌以降のファシズムナチズム共産主義の政権につながった[50]。自由貿易と金本位制という組み合わせは、国民の発言力が小さい場合に可能とされる。たとえば普通選挙制度がないために選挙民が少なかった時代である[116][117]

「国家主権・民主主義・グローバル化」の3要素のうちで、同時に達成できるのは2つまでという理論があり、世界経済の政治的トリレンマと呼ばれる。たとえば自由貿易と金本位制の時代は「グローバル化・国家主権」の2つ、ブレトン・ウッズ体制は「国家主権・民主主義」の2つ、グローバル・ガバナンスは「民主主義・グローバル化」の2つとなる[注釈 34][118]。1975年から2016年の139カ国を対象とした調査では、先進国は民主主義が一貫して高いためにグローバル化と国家主権の2択となっており、途上国ではトリレンマになっていた。また、グローバル化が進展するほど、先進国と途上国のいずれも政治的・経済的に安定するという結果だった[119]

政治思想

自由貿易は、国際秩序を保つ政策としても論じられた。勢力均衡の時代には、マキャヴェッリトマス・ホッブズの政治思想とは異なり、商業による国家の結びつきが重視された。哲学者のデイヴィッド・ヒュームは『貿易の嫉妬について』(1758年)で、貿易にまつわる感情を分析し、国家は貿易によって相互利益を得ると論じた[120]。アダム・スミスは『国富論』で戦争と貿易を比較し、隣国の経済的な繁栄は敵対状態ならば危険でも、平和で貿易ができるなら自国の繁栄につながるとした[121][122]。政治家のリチャード・コブデンは、軍備の縮小と平和をもたらすための手段として自由貿易を支持した[123]。アメリカの互恵通商法を構想したコーデル・ハルは、国内の経済的独占のために関税が利用されていると考えて保護主義に反対し、第一次大戦中には自由貿易を平和と結びつけた。貿易の機会がなければ、各国は経済ナショナリズムや、より攻撃的な政策を選ぶとハルは考えた[124]

貿易による繁栄と平和の推進という思想は、GATT・WTO体制のもとになっている。1941年時点でイギリスとアメリカは、全ての国の平等な条件の貿易参加、貿易における差別撤廃、関税その他の貿易障壁の低減などを推進する合意をとり、第二次大戦後の貿易体制へとつながる[125]

自由主義と重商主義

主義は国家と民間を区別し、重商主義は国家と民間が協調して共通の目標を追求するとみなす。自由主義は消費者利益を重視し、消費者が安い財やサービスを得るために障害を取り除こうとする。重商主義は生産者利益を重視し、高い雇用水準と賃金で生産者を支えようとする。貿易においては、自由主義者は輸入から得られる利益を重視し、重商主義者は輸出から得られる利益を重視する[126]

貿易政策

輸入関税の効果。縦軸Pが価格、横軸Qが量。A生産者余剰C が政府歳入。関税がPwからPtに上がると、生産者余剰が増えて国内生産者が受け取る価格は増える。輸入財の生産はQ1からQ2に増え、消費はC1からC2に減る。BD死重損失で、A + B + C + D の合計が消費者余剰の減少となる。国内生産者の利得よりも国内消費者の損失が大きい[127]

主な貿易政策として、関税輸出補助金輸入割当自発的輸出規制英語版戦略的貿易政策があり、いずれも自由貿易にとっては負の側面がある[128]。貿易は各国の所得分配に影響を与えるため、貿易政策は国家間の利害よりも国内での利害が重要となる[53]

貿易政策は、経済学的には自由貿易からの逸脱とされ、次のような議論がある。 (1) 自由貿易からの逸脱費用は大きい。 (2) 自由貿易の便益のため、保護貿易的な政策の費用はさらに大きくなる。 (3) 自由貿易から逸脱する試みは政治的プロセスで覆される[129]。アメリカの経済学者の9割が意見を共有している問題の中には、「輸入関税や輸入割当は全体の経済的厚生を引き下げる」「アメリカ政府は雇用主が海外に仕事をアウトソーシングすることを制限するべきではない」などがある[130]

関税
日本の関税率(1870年–1960年)

関税は、生産と消費に関して歪みを与える。政府が輸出入を決める管理貿易よりも、輸出入に関する競争によってイノベーションや学習の機会を与えたほうが、高い生産性の産業が効率性を高める[131]

関税の引き下げは、単独よりも相互合意で行う方が利点がある。主な理由として、 (1) 相互合意なら、さらなる自由化の交渉がしやすい。(2) 貿易についての合意は当事国の貿易戦争を回避する[132]。1891年から2010年のアメリカの平均関税率は、1930年初頭[注釈 35]に激増したのちは下がり続けており、関税率の減少は貿易自由化の国際交渉の成果とされる[133]

輸入割当

輸入割当によって数量を制限すると、輸入品のレントシーキングが拡大する。輸入割当の決定には組織にライセンスを発行するのが通例だが、ライセンスを得るために組織は費用をかけることになり、生産リソースの浪費となる。また、数量制限によって輸入品の価格は関税と同じく上がる[注釈 36]。レントシーキングは保護貿易の費用よりも高い損失になる場合がある[134]

輸出補助金

輸出補助金は、国の輸出品の相対価格を上げ、相対需要を下げて交易条件を悪化させる[注釈 37][135]。輸出補助金は、補助を出す国にとって損となり、その他の地域にとっては得になる。そのため輸出補助金は国内向けの政策としては矛盾しているが、政治的には国内で支持される場合がある。例として、アメリカやフランスによる農産物への補助がある[136][137]

自発的輸出規制

自国政府が輸出数量を規制する。この場合は、輸出国の輸出業者がレントを得る[138]。消費者にとっては、割当数が決まっているよりも、関税を払って買える方が望ましい。また、国内に独占企業がある場合は独占の弊害が生じる[139]。自発的輸出規制の例として、日米貿易摩擦における1981年から1984年の日本の自動車輸出の自主規制や、GATTの多国間繊維協定などがある[138]

輸入代替

輸入代替工業化は輸入制限をしつつ、輸入製品と同じものを国内の製造業で生産し、製造業の基盤を整えて先進国に追いつこうとする政策である。国内製造業の促進という点では成功したが、非効率な製造業が存続したり、経済成長に結びつかない状況が増えたため、1960年代以降は批判が集まった。その国にとって比較優位がない産業は、根本的な原因を解決しなければ保護をしても競争力はつかないとされている[注釈 38][141]

食料安全保障

トマス・マルサスは、平時には自由貿易は望ましいが世界的な凶作のような非常事態で穀物輸入を外国に依存するのはリスクがあるとした[注釈 39][143]。それに対しリカードは、世界各国から穀物を輸入するほうが不作時にリスクが分散できるとした[注釈 40][144]ナポレオン戦争において、イギリスでは食料品が値上がりをして地主の利潤が大きかった。地主は戦後も高値を保つために政治家に働きかけて穀物法を制定させた。しかし、マンチェスター商工会議所を中心に反穀物法同盟の運動が起き、穀物法は廃止された。反穀物法同盟には綿業者などの経営者が多く、穀物法を廃止して労働者の食事を安くするために「朝食を無税に」というスローガンを使った[注釈 41][146]。食料自給を理由とする保護貿易論は、現在でも農業分野で議論される[10]

市場の失敗との関連

市場メカニズムのみに任せた場合に外部経済があると、市場の失敗によって生産が社会的に求められる水準を下回る可能性がある。特に外部効果が多いといわれるハイテク産業などの新しい産業において、保護をして生産水準を維持するべきと論じられる。しかし、どの産業を保護すべきかの判断は困難であり、保護から脱せなかったり、利益団体のものとなるリスクもある。このため保護よりも自由貿易を支持する根拠となる[147][148]

貿易協定

世界の経済統合段階:
(緑であるほど段階が高い)

GATT・WTOによる多国間交渉と並行して、2国間以上による自由貿易協定が増えた。GATTが認める特恵貿易協定には、関税同盟自由貿易圏がある。自由貿易圏は加盟国内の関税をかけず、外部に関税を設定する。西ヨーロッパでは経済圏の拡大による利益と安全保障を求めて欧州共同体(EC)を設立し、貿易障壁を撤廃して自由貿易圏を拡大した。これが現在の欧州連合(EU)となった[149]。その他では北米・中米の北米自由貿易協定(NAFTA)、南米のメルコスール、EUとACP諸国ロメ協定、アフリカのアフリカ大陸自由貿易協定(AfCFTA)、南アジアの南アジア自由貿易圏英語版(SAFTA)、東南アジアのASEAN自由貿易地域(AFTA)、太平洋地域の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)、大西洋地域の大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)などがある[150]

経済学的には、貿易協定で両国が自由貿易を選べばどちらも得をするが、単独で保護貿易を選べばどちらも損をするというゲーム理論における囚人のジレンマにあてはまる[133]。貿易協定にはマイナスの効果もありうる。関税同盟によって同盟外の貿易が実現される場合はプラスの効果だが、同盟外の貿易が同盟内に替わるだけならばマイナスとなる可能性がある。自由貿易圏を作った場合も、域内貿易だけが行われるなら参加国にとってマイナスの可能性がある[注釈 42][152]

政治的には、貿易協定は比較優位と重商主義の双方から支持される理由がある。比較優位の立場からは、貿易障壁を下げて産業の特化ができる。重商主義の立場からは、輸出と雇用を増やせる。この二つは相反しているが、貿易協定を指示する国はどちらも可能という矛盾した主張をする場合がある。TPPとTITPについては、交渉が秘匿されている点、大企業の利益を優先している点で批判されている[153]

紛争

WTO紛争解決機関

自由貿易のルール違反をめぐって国家間の紛争が起きる場合があり、WTOは調停解決のためにWTO紛争解決機関英語版を設けている。紛争解決機関では、専門家が紛争当時国の意見をもとに通常は1年以内に結論を出す。ルール違反をしているという結論の出た国が違反を続けた場合、WTOには強制力はなく、苦情を申し出た国は関税や輸出制限などの報復権利を得る。これまでの紛争としては、ガソリンと大気汚染をめぐるベネズエラとアメリカの紛争や、バナナをめぐるEUと中南米の紛争などがある[154]

略奪

重商主義は他国からの富の奪取を奨励するため、私掠船による略奪や戦争における貿易船の拿捕を奨励する傾向があった。自由貿易の支持者は戦争時に貿易船を攻撃することに反対し、貿易を戦争から切り離すことを提案した。特に、中立国の貿易の安全を守ることを自由船自由貨の原則とも呼び、マンチェスター学派は戦時の敵国とも自由な貿易が行われるよう主張した。この提案はクリミア戦争(1853年-1856年)で一部が実現し、パリ宣言(1856年)で中立貿易の安全保障が決定した[155]

環境・倫理

人権の保障・労働基準・環境基準などが大きく異なる国同士における自由貿易は議論となっているが、WTOではこれまで問題とされることが少なかった。こうした面はソーシャルダンピングとも呼ばれる[156]。また、環境汚染などの外部不経済によって、損失が自由貿易の便益を上回る可能性がある[157]。自由貿易をめぐっては以下のような議論や対立がある。

医療

グローバル化された世界で伝染性疾患が発生すると、飛行機や船による輸出入を通して短期間で疾患が蔓延する可能性がある[158]。新興感染症の発生は、経済にも悪影響を与える。2000年代初期のSARSの感染拡大や2014年の西アフリカエボラ出血熱流行もその一例である[159]

アフリカのHIV患者は1987年時点で250万人を超えて深刻な問題になっていたが、欧米中心の医療産業では治療薬が高価なため、多くのアフリカ人が使えなかった。そこでインドやタイの製薬会社からジェネリック医薬品が輸出され、アフリカのHIV新規感染者数や死亡率は低下傾向にある。この輸出は、オリジナルの製薬会社の訴訟取り下げや、WTOによる強制特許実施英語版の承認で可能となった。強制特許実施とは事前承諾なしに特許技術を使用することで、TRIPS協定で認められている[160]

奴隷貿易

リオデジャネイロの奴隷貿易。エドゥアール・リウー画。

倫理的に問題とされる取り引きは自由貿易においても行われており、その一例が奴隷貿易である。ヨーロッパ各国が行った大西洋三角貿易は、アフリカ人を奴隷貿易でアメリカ大陸に送ってプランテーションで労働をさせ、その生産物や現地の必需品も貿易をして莫大な利益をあげた[注釈 43]。当初は特許会社が奴隷貿易をしていたため、民間の商人も自由貿易を主張して参入を求めた。イギリスでは王立アフリカ会社の独占下にあったが、名誉革命(1688年)の影響で貿易の自由化が進み、奴隷貿易も自由化された[注釈 44][163]。1200万人以上の成人男女(後期には若年層も含む)を連れ去った奴隷貿易の影響は、現在にも及んでいるとする研究がある。奴隷貿易が最も激しかった地域は、現在のアフリカでは最貧困地域になっている[164]。また、奴隷貿易の被害にあった地域では家族・隣人・民族・政府への信頼感が低い[注釈 45][165]

産業の違いによって、国内で自由貿易と保護貿易の支持者が対立することもあった。イギリス植民地の西インド諸島のプランテーション経営者は自由貿易を主張し、本国の工業製品の業者は保護貿易を主張した[166]。同様の対立はアメリカでも見られ、保護貿易を支持する北部と、自由貿易を支持する南部の対立によって南北戦争が起きた。北部は工業が主体だったが、南部ではプランテーションの綿花やタバコの輸出が主体であり、黒人奴隷の労働力に依存していた[注釈 46]

植民地主義

アヘン戦争(1840年)。イギリスは清にアヘン貿易を強要し、イギリス領インドからのアヘン輸出は2倍、金額は3倍になった[168]

自由貿易の輸出の拡大・海外権益の確保が、帝国主義の動きを強め国家の対立を激化させているとする説がある。例として、(1) 植民地時代に宗主国が不利な条件で植民地に取引を強要し、搾取した。 (2) 欧米は自国が輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めた一方で、発展途上国の競合する製品に関しては保護政策をとり続けた、などがあげられる。19世紀のイギリスは自由貿易をめぐって他国から批判され、自由貿易を進めるのは経済力を背景とした利己的な政策である、イギリスはいち早く工業化を達成した地位を利用して他国を搾取している、などの意見があった[19]

自由貿易が強制された地域では、当時の制度がその後の社会に影響を及ぼす場合がある。イギリスによって植民地化されたイギリス領インド帝国は、自由貿易を強制されて1920年代まで関税収入がなかった。財源を確保するために逆進性の高い地税や独占事業である塩税をかけ、住民への負担となった[169]。イギリスがインドに地税制度を導入した際、ザミンダーリー制度が行われた地域は不平等レベルが高く、他の制度の地域と比べて現在でも公共財の普及が遅れており、識字率や政治への参加率が低く、農業技術の導入が遅れたため農業の生産性が低い[注釈 47][171]

環境

貿易では、有害な廃棄物や絶滅の恐れがある生物が取り引きされる可能性もある。WTOでは、有害廃棄物に関してはバーゼル条約、絶滅の恐れのある動植物に関してはワシントン条約によって貿易制限を認めている。貿易制限の他に、環境に悪影響が大きい財に課税する手段もある。貿易制限の場合は国内の非効率な活動を増やす可能性があり、課税の場合は国内外を対象とするために非効率性は生じない[注釈 48]。貿易と環境汚染に関する学説として、汚染逃避地仮説英語版や、環境クズネッツ曲線仮説英語版などがある[注釈 49][174]

リサイクル用の資源は、各国の国内で需要と供給が一致しないために貿易が行われている。需給不一致の原因は、 (1) ある製品のリサイクルは同じ製品に使われない場合がある、 (2) 再生資源が発生するタイミングと再生資源を利用したいタイミングが合わない、 (3) 製品が作られた地域と廃棄された地域が異なる、などがある。再生資源の貿易は、資源の有効利用として環境面からも便益がある[175]

社会的共通資本

社会的共通資本とは、自然環境、インフラストラクチャー、制度資本(教育、医療、司法)を指す。自由貿易の命題が社会的共通資本を全面的に否定した上で、現実には決して存在し得ない制度的、理論的諸条件を前提としているという指摘がある[176]

反対活動

WTO閣僚会議への抗議活動と警官隊(1999年11月30日)

1999年6月のケルン・サミットでIMFや世界銀行への大規模な抗議行動があり、同年11月にシアトルで開催された第3回WTO閣僚会議は抗議行動で開会式が中止となった。抗議行動は多角的貿易交渉に反対する環境団体、人権団体、消費者団体などが中心となり、人間の鎖で各国代表の入場を阻止した。抗議デモには労働組合も参加して、WTOが労働者の権利を守るように主張した。一部の抗議行動は暴動となり、非常事態宣言や夜間外出禁止令が出された[177]

出典・脚注

注釈

  1. ^ ジョン・メイナード・ケインズのように、自由貿易と保護貿易の支持を時代によって変えた経済学者もいる。1920年代は自由貿易論者として保守党の関税に反対し、大恐慌後には保護主義を主張したが、1945年にはアメリカの政策変更を知って再び自由貿易論者となった[4]
  2. ^ エリザベス1世は、当初はスペインとの摩擦を避けるために海賊や密貿易の監視もした[13]
  3. ^ 移動の制限や組合制度は残っていたが、国内の営業の自由はあった。この点で、ジャン=バティスト・コルベールによるフランスの重商主義政策とは異なる[16]
  4. ^ アダム・スミスは『国富論』において重商主義や植民地貿易の独占、特権会社を批判した[18]
  5. ^ 第3回の国際通貨会議英語版(1881年)までに、オーストリア=ハンガリーとロシアをのぞく欧米主要国は金本位制を採用した。中国は清から中華民国にかけて銀本位制であり、日本は1897年に金本位制となる[22]
  6. ^ この保護主義は、フリードリヒ・リストが唱えた工業化のための保護主義ではなく、確立した独占的製造業の保護という面があった[24]
  7. ^ 金本位制で貿易収支が赤字になった国は、財政収支均衡のためにデフレ政策が必要となる。金保有量の不足が深刻となった場合は、金本位制の停止・平価の切り下げ・他国からの資金借り入れのいずれかが必要となる[25]
  8. ^ イギリスの輸入は特に一次産品が多かった。1860年にはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの全輸出品の半数、1880年は甘蔗糖・茶・小麦の国際取引量の半数、1881年には全世界の食肉輸出の半数を輸入していた[26]
  9. ^ 1906年から1910年は、赤字は1億4200万ポンド、黒字は1億3700万ポンドだった[28]
  10. ^ ヨーロッパはヴェストファーレン条約(1648年)によって各国の領土権・法的主権・内政不可侵が定められ、勢力均衡がはかられていた。
  11. ^ ブラジル・コロンビア・エクアドル・中米のコーヒー・砂糖・バナナ、アルゼンチン・ウルグアイの羊毛や食肉、メキシコ・ペルー・チリ・ボリビアの鉱物資源、ブラジルやメキシコのゴムなどがある。モノカルチャー貿易は、オリガルキアと呼ばれる寡頭制の勢力によって進められた[34]
  12. ^ インド・中国・日本の綿布、タイ・イギリス領ビルマフランス領インドシナの米、イギリス領マレーの天然ゴム、フィリピン群島政府英語版の砂糖、オランダ領インドネシアの天然ゴム、コーヒー、砂糖などがあった[37]
  13. ^ 日清戦争後に日本は清から割譲された台湾を統治し、朝鮮の貿易は輸出額の80%から90%、輸入額の60%から70%が日本との取引となった。日本は工業製品を輸出しつつ台湾や朝鮮から食料を輸入し、のちに朝鮮を植民地化する[41]
  14. ^ アメリカ国内から見ると、GDPに占める割合は輸出5パーセント、輸入3.4パーセントと低かったことも理由だった[43]
  15. ^ ローズヴェルトは政策変更のために、自由貿易を支持するコーデル・ハルを国務長官に任命した。ハルは第二次大戦後のアメリカとイギリスによる自由貿易推進にも関与した[45][46]
  16. ^ 共和党が高関税による保護貿易政策を主張して企業の支持を失ったことも影響し、民主党のローズヴェルトは1936年の大統領選で再選した[47]
  17. ^ ハリー・トルーマン政権は無差別な自由貿易の推進を意図したが、国内産業への影響を理由に議会から反対された[54]
  18. ^ その後のドーハ・ラウンドは、それまでのラウンドで製造業の障壁が大幅になくなっていたことに加えて、残っていた農業に関する合意が取れず、事実上の停止となった[56]
  19. ^ 生産によって規模の経済を実現する[59]
  20. ^ 物理学者のスタニスワフ・ウラムが、「社会科学分野の中で、真理であり、かつ自明ではない命題を教えてほしい」とポール・サミュエルソンに聞いた。サミュエルソンは比較優位を例に出し、これが論理的に正しいことは数学者の前で言うまでもなく、これが自明ではないことは何千人もの優秀な人間に説明しても理解できなかったことから確かめられると答えた[62]
  21. ^ これまでの貿易と経済成長の段階として、 (1) 伝統的な産品の輸出、(2) 第1次輸入代替(軽工業品)、(3) 第1次輸出代替(伝統的産品から軽工業品に主流が移る)、(4) 第2次輸入代替(重工業品)、(5) 第2次輸出代替(軽工業品から重工業品に主流が移る)、などがある[63]
  22. ^ 1885年から1910年にかけての貿易拡大を国別にみると、イギリス・フランスが1.9倍、イタリア2.2倍、ドイツ・ロシア・アメリカ2.6から2.8倍、カナダ3.6倍、日本13.9倍となる。貿易額の対GNP比率は企業勃興期に14%、日清戦争後21%、日露戦争後25%と上昇した。当時の日本の輸出は紡績の軽工業が主体だった[73]
  23. ^ 日本の外貨収入のうち朝鮮特需の割合は1951年に26.4%、1952年は36.8%、1953年は38.2%で外貨不足を補った。1966年には輸出増加額のうち80%近くがベトナム周辺地域とアメリカ向けとなった[74]
  24. ^ 1950年代までの中国はソヴィエト連邦(ソ連)をはじめとする社会主義国から技術援助を受け、貿易も行っていた。しかし1960年代にソ連と対立し、国内だけで経済発展を目指す自力更生の政策となる[76]
  25. ^ タイの伝統的な輸出品だった米は1990年には5%まで減少した[86]
  26. ^ 1991年までのインドは輸入関税が平均90%で最高300%と高く、輸出入には許可制をとっていた[91]
  27. ^ カリブ海諸国の額が大きいのはタックス・ヘイブンオフショア金融による直接投資が含まれているため[94]
  28. ^ 構造調整の手段には、(1) 政策条件、(2) 政策対話、(3) マクロ部門経済調査がある[101]
  29. ^ ナイジェリアのように政策が変化した国もあり、イブラヒム・ババンギダ政権は構造調整プログラムを事実上受け入れたが自由化政策は進まず、のちのムハンマド・ブハリ政権で保護主義的な政策がとられた[104]
  30. ^ 過去50年間のアメリカを例にとった場合、失業と輸入額は負の相関を示す[108]
  31. ^ ロナルド・レーガン政権はこの支援制度を削減し、民主党政権でも引き継がれた[110]
  32. ^ ペティア・トパロヴァの研究による。結果がストルパー=サミュエルソンの定理とは反対の現象を示したため、論争を呼んだ[112]
  33. ^ エリック・マスキンの研究による。この現象は特に輸出企業に当てはまる。メキシコの輸出企業の労働者は非輸出企業に比べて60%高い賃金、インドネシアでは外資系企業の社員は国産企業の社員より70%高い賃金を得ている[115]
  34. ^ 世界経済の政治的トリレンマのもとになった理論として国際金融のトリレンマがある。
  35. ^ 大恐慌やブロック経済の時期にあたる[44]
  36. ^ 関税との違いは、政府歳入にならないという点にある[134]
  37. ^ 交易条件とは、輸出品の価格を輸入品で割った値を指す。この数値の上昇は輸出量に対して輸入量が増えることを表しており、交易条件の改善と呼び、その国の経済厚生が増えることになる[135]
  38. ^ 産業育成のために使われた輸入制限、為替レート統制、ローカルコンテンツ要求などはコストが高い。代替した輸入品と比べて生産費用が3倍以上の産業でも存続できるほど保護されていた国もあった[140]
  39. ^ マルサスはイギリスに穀物自給力があると主張したが、根拠はなかった。また、ヨーロッパ全体の利益という視点では穀物を含むあらゆる商品の自由貿易が望ましいが、実現しないとも書いている[142]
  40. ^ 理由として、(1) 穀物の輸入を制限すると国内で生産しなければならなくなり、比較劣位においては国内の耕作は利潤率を下げる。 (2) 凶作ならば穀物の国際価格は上昇し、輸出国は生産を増やそうとする。 (3) 世界中が同時に不作になることは考えられない[144]
  41. ^ 穀物法を批判したのはデイヴィッド・リカードの他に、リチャード・コブデン、政治家のジョン・ブライトらのマンチェスター学派の学者もいた[145]
  42. ^ 消費者は域外の安くて関税が高い輸入品ではなく、域内の高価な品を買わなければならない可能性がある[151]
  43. ^ プランテーションではサトウキビ綿花タバコなどを栽培した。バルバドスの富はサトウキビ栽培前と比べて17倍となり、1650年からの20ヶ月で現在の1500万ポンド相当の生産があった[161]
  44. ^ 18世紀初頭のイギリスの自由貿易業者は、もぐり業者(インターローバー)と呼ばれていた[162]
  45. ^ ネイサン・ナン英語版レナード・ワンチェコン英語版の研究による。前述のナンの研究とも合わせて、アフリカの経済成長が伸び悩んだ一因に奴隷貿易が関係していることになる[165]
  46. ^ 黒人は南北戦争では共和党を支持したが、のちの大恐慌で民主党のローズヴェルト政権が黒人の権利向上、連邦政府の黒人雇用、農業保障局の南部黒人への恩恵などを行ったために民主党支持へと変わっていく[167]
  47. ^ アビジット・バナジーラクシュミー・アイヤーの研究による。イギリスが導入した地税制度は3種類あり、地主ベースのザミーンダーリー制、小作農ベースのライーヤトワーリー制、村ベースのマハルワーリー制だった[170]
  48. ^ 非効率な活動としては、厳しい貿易制限による不法投棄や、廃棄物を中古品として輸出することで規制を逃れる方法などがある[172]
  49. ^ 汚染逃避地仮説は、環境規制の緩い国に貿易や直接投資で汚染が集中する可能性を示す。環境クズネッツ曲線仮説は、貿易の自由化と経済発展が環境を改善する可能性を示す[173]

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参考文献

日本語文献(五十音順)

単行本

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  • 宮本正興; 松田素二 編『改訂新版 新書アフリカ史(Kindle版)』講談社〈講談社現代新書〉、2018年。 
  • 村上勝彦 著「貿易の拡大と資本の輸出入」、石井寛治; 原朗; 武田晴人 編『日本経済史2 - 産業革命期』東京大学出版会、2000年。 
  • 吉田敦『アフリカ経済の真実 - 資源開発と紛争の論理』筑摩書房〈ちくま新書〉、2020年。 
  • ダニ・ロドリック 著、岩本正明 訳『貿易戦争の政治経済学 - 資本主義を再構築する(Kindle版)』白水社、2019年。 (原書 Rodrik, Dani (2017), Straight Talk on Trade: Ideas for a Sane Economy, Princeton University Press 
  • 脇村孝平 著「植民地インドの経済 - 一八五八年~第一次世界大戦」、長崎暢子 編『南アジア史4 近代・現代』山川出版社〈世界歴史大系〉、2019年。 

論文・記事

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外国語文献(アルファベット順)

単行本

  • Rodrik, Dani (2011), The Globalization Paradox: Why Global Markets, States, and Democracy Can't Coexist(Kindle版), OUP Oxford 

論文・記事

関連文献

単行本

関連項目

外部リンク