関税自主権

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関税自主権(かんぜいじしゅけん)とは、関税を自由に決められる権利。

意味[編集]

ある特定分野において、自国産品が外国産品に対して価格・機能・品質等の競争力が劣る場合、自国産品が売れなくなり、付随する自国の産業が衰退する。それを避けるために、輸入外国産品に対し、輸入関税を掛けて流通価格を高くし、自国製品の劣位を補って、自国産業を保護する場合がある。

また、資源保護、自国経済コントロール、貿易摩擦回避等の理由により、自国の輸出産品の輸出量を調整するために輸出関税を設定する場合もある。

さらに、後進国の財政にとっては関税は貴重な税収源となりうる。

関税自主権とは、これらの背景を伴う関税を、自国で自由に設定できる権利を指す。

幕末・明治の日本[編集]

幕末安政条約によって日本は関税自主権のないままの開国を迎えることになるが、当初は輸出税は一律5%、輸入税は1類(金銀、居留民の生活必需品)は無税・2類(船舶用品・食料・石炭)は5%・3類(酒類)35%・4類(その他)20%であり、神奈川開港の5年後には日本側から税率引上の協議を要求できる、関税賦課は従価税であるという日本側も決して不利益とは言えないものであった(従量税で引上協議の要求できない天津条約を結ばされた清朝中国に比べればの話であるが)。ところが、改税約書によって主要な輸入品89品目と輸出品53品目を当時の従価を基にした5%の従量税とし、無税対象を18品目・その他は一律従価5%に改められた。従価税であれば、価格が上昇すれば関税収入もそれに比例して上昇するが、従量税であれば価格に関わり無く量に応じた関税を払えばよく、幕末の混乱期のインフレによって事実上の関税免除に近い状態になってしまったのである。

そのため明治政府は、輸出関税自主権回復と領事裁判権撤廃に血道を上げることになる。欧米列強との間に初めて関税自主権を回復できたのは、日露戦争後に1907年に締結された日露新通商航海条約であった。その後、1911年にアメリカを始めとする他の列強は日本と平等条約(日米通商航海条約など)を締結し、完全な回復は現実となった。それに大きく貢献したのは、小村壽太郎である。

関連項目[編集]