成道寺 (熊本市)
成道寺 | |
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庭園より臨む成道寺 | |
所在地 | 熊本県熊本市西区花園7丁目2476 |
位置 | 北緯32度50分1.2秒 東経130度40分53.7秒 / 北緯32.833667度 東経130.681583度座標: 北緯32度50分1.2秒 東経130度40分53.7秒 / 北緯32.833667度 東経130.681583度 |
山号 | 萬歳山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 南禅寺派 |
創建年 | 応永33年(1426年) |
開山 | 寰中元志 |
開基 | 菊池持朝 |
文化財 | 六地蔵塔、五輪塔、板碑群、紙本墨書成道寺記 |
法人番号 | 1330005000408 |
成道寺(じょうどうじ)は、熊本県熊本市西区花園、柿原にある臨済宗南禅寺派の寺院である。
概略
[編集]臨済宗南禅寺派に属する寺で、肥後国、菊池正観寺のかん中元志(かんちゅうげんし)和尚[1]、によって開かれた修禅道場である。肥後の菊池氏19代菊池持朝が応永33年(1426年)寺領を寄進した。創建の日が釈尊成道の日(12月8日)であったので成道寺という[2]。成道寺には和尚の高さ33cmの室町期の木彫りも保存されている。自然山水の庭園は優れており、泉石の閑寂さで有名である。菊池氏の衰退とともに寺も荒廃したが、加藤清正が復興、寺領10石を寄進した。熊本藩の細川氏も10石を寄進、熊本藩家老沢村家の菩提寺となり、毎年米30石を寄進した。国民休暇村・小萩園の下にあたるここは、熊本市内より5度も気温が低く、夏は絶好の避暑地である。3000坪の境内には、夏はソーメン流し、マス釣りが楽しめ、秋は百余本モミジが見事である。夏目漱石は、「若葉しててのひらほどの山の寺」と詠んだ[3]。
沢村大学の逆修碑
[編集]本堂の裏山は沢村家の墓所で、初代以下第十三代までの五輪塔が並んでいる。初代沢村大学吉重(澤村大学とも)(1560年 - 1650年)は、若狭の国に生まれ、同地の城で千石を与えられたが、その城が断絶し、丹後城主の細川忠興の家臣の家来になり、小牧・長久手の戦い、小田原征伐、文禄の役、関ヶ原の戦いで武功をたてて、豊前で碌三千石を得た。寛永9年肥後入国して五千石拝領。皆朱の槍を徳川家康から許された武士。細川光尚に務めた。豊前の耶馬渓羅漢寺の岩壁に作った逆修碑を成道寺に再建した[4]。戦場で倒した相手の供養のため、敵人の法名を刻み、敬慕哀悼の意を表すとともに、自他ひとしく共に浄土の彼岸に至ろうと念じたものである[5]。また彼は島原の乱で78歳であったが、若い将兵の先頭にたち士気を鼓舞した[3]。
他の碑
[編集]ほかに近くの豪族、久布白対馬守の墓、豪潮律師の宝篋印塔、徳富蘇峰の詩碑、稲畑汀子句碑、地蔵坐像線刻板碑(享禄三年銘)などがある[6]。
参考
[編集]- 同じ名前の寺院
交通アクセス
[編集]- 住所
- 〒860-0072:熊本市西区花園7丁目2476
- 参拝時間
- 9時 - 17時
- 駐車場
- 30台
- 駐車料金は無料。
脚注
[編集]- ^ かんは寧の字と間違われたこともあるが、似ているが異なる漢字である。平成肥後国誌 上[989:566]
- ^ 平成肥後国誌 上[1989:564-565]
- ^ a b 平成肥後国誌 上[1989:566]
- ^ 平成肥後国誌 上[1989:566-567]
- ^ 平成肥後国誌 上[1989:570-571]
- ^ 平成肥後国誌 上[1989:567-570]