稲畑汀子
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - )は、神奈川県出身の俳人。俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会会長。
経歴[編集]
神奈川県横浜市に、父高濱年尾、母喜美の次女として生まれる。幼児期を鎌倉で過ごしたのち、1935年に兵庫県芦屋市に転居する。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。小林聖心女子学院高校卒業、同英語専攻科在学中に病を得て中退する。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑勝太郎の孫、稲畑順三と結婚。のち2男1女の母となる。1965年『ホトトギス』同人。1977年より『ホトトギス』雑詠選者。
1979年、父高浜年尾の死去により『ホトトギス』主宰を継承する。翌1980年、夫順三が死去する。1982年より朝日俳壇選者。以後、世界各地を吟行し、諸外国との俳句親善に努める。1987年、日本伝統俳句協会を設立し会長に就任する。1994年、NHK俳壇の講師・選者(1996年まで)。芦屋市教育委員長に就任する。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。2013年10月、『ホトトギス』主宰を息子の稲畑廣太郎に譲り、同名誉主宰に就任する。正岡子規国際俳句賞選考委員なども務める。2019年、 第70回NHK放送文化賞受賞[1]。
代表句に「今日何もかもなにもかも春らしく」「落椿とはとつぜんに華やげる」「初蝶を追ふまなざしに加はりぬ」「空といふ自由鶴舞ひやまざるは」など。カトリック信仰に裏付けられた明るさと謙譲さが特色。父年尾は第一句集の序文で「星野立子の句を虚子は「景三情七」といったが、汀子の句は「景七情三」といえる」と書いている。「人間も自然の一部」という考えに立ち、自然保護のボランティア活動にも従事。また花鳥諷詠の解釈を、有季定型を通じて人事を含む一切の森羅万象を詠むこと、いのちを詠むこととして、日本情緒の自然詠に限らないとの認識を示す。国際俳句シンポジウムなど、俳句国際化のための活動も積極的に行っている。
家族[編集]
夫順三は稲畑染料店(のち稲畑商店、現稲畑産業)創業者・稲畑勝太郎の孫で、稲畑商店会長・稲畑二郎の三男である[2]。息子は俳人の稲畑廣太郎。
著書[編集]
句集[編集]
- 汀子句集(新樹社、1976年)
- 汀子第二句集(永田書房、1985年)
- 汀子第三句集(永田書房、1989年)
- 障子明り(角川書店、1996年)
- さゆらぎ(朝日新聞社、2001年)
- 花(角川SSコミュニケーションズ、2010年)
- 月(角川書店、2012年)
選集
随筆など[編集]
- 旅立 : 句文集(五月書房、1979年)
- 自然と語りあうやさしい俳句(新樹社、1978年)
- 星月夜(新樹社、1981年)
- 汀子句評歳時記(永田書房、1984年)
- 舞ひやまざるは(創元社、1984年)
- 風の去来(創元社、1985年)
- 俳句と親しむ(大阪書籍、1985年)
- 女の心便り(海龍堂、1986年)
- ことばの春秋 : 俳句随想(永田書房、1988年)
- 手土産の本(文化出版局、1993年)共著
- 俳句入門 : 初級から中級へ(PHP研究所、1998年)
- 俳句十二か月 : 自然とともに生きる俳句(日本放送出版協会、2000年)
- 花鳥存問(角川書店、2000年)
- TEIKO 蛭田有一フォトインタビュー集(求龍堂、2003年)
- 虚子百句(富士見書房、2006年)
編著[編集]
- ホトトギス新歳時記( 三省堂、1986年)
- ホトトギス季寄せ(三省堂、1987年)
- 高浜年尾の世界(梅里書房、1990年)
- よみものホトトギス百年史(花神社、1996年)
- 俳句表現の方法(角川書店、1997年)
- 三省堂ホトトギス俳句季題便覧(三省堂、1999年)
- ホトトギス : 虚子と100人の名句集(三省堂、2004年)
- ホトトギス俳句季題辞典(三省堂、2008年)
- ホトトギスの俳人101(新書館、2010年)
脚注[編集]
- ^ ^ 「第70回日本放送協会放送文化賞」の贈呈についてNHK広報局
- ^ 『人事興信録 第13版 上』イ218頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月15日閲覧。
参考文献[編集]
- 坂口昌弘著『平成俳句の好敵手』文學の森
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年。
- 稲畑汀子編 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年。
- 『現代俳句大事典』三省堂、2005年。