日本とサウジアラビアの関係

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日本とサウジアラビアの関係
JapanとSaudi Arabiaの位置を示した地図

日本

サウジアラビア

日本とサウジアラビアの関係アラビア語: العلاقات السعودية اليابانية‎、: Japan–Saudi Arabia relations)は、日本サウジアラビア間の二国間関係を指す。日本とサウジアラビアは1955年6月7日に正式に国交を樹立した。

両国の比較[編集]

サウジアラビアの旗 サウジアラビア 日本の旗 日本 両国の差
人口 3089万人(2014年)[1] 1億2711万人(2015年)[2] 日本はサウジアラビアの約4.1倍
国土面積 215万 km2[1] 37万7972 km2[3] サウジアラビアは日本の約5.7倍
首都 リヤド[4] 東京
最大都市 リヤド 東京
政体 絶対君主制[5] 議院内閣制[6]
公用語 アラビア語[4] 日本語事実上
国教 イスラム教スンナ派[4]ワッハーブ派 なし
GDP(名目) 6320億7300万米ドル(2015年)[7] 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[7] 日本はサウジアラビアの約6.5倍
防衛費 872億万米ドル(2015年)[8] 409億米ドル(2015年)[8] サウジアラビアは日本の約2.1倍

概要[編集]

日本人による初めてのメッカ巡礼から第二次世界大戦の終結まで(1909~1945年)[編集]

日本とサウジアラビアの交流はイスラム教聖地であるメッカ巡礼に始まる[9]1909年には山岡光太郎が日本人として初めてメッカ巡礼を行い、その後1924年には田中逸平が、1935年から1939年には郡正三、鈴木剛、細川将、山本太郎、榎本桃太郎がメッカ巡礼を行っている[9]

日本とサウジアラビアの最初の公式な接触は1938年、サウジアラビアの駐英公使であったハーフィズ・ワフバアラビア語版東京代々木モスク(現東京ジャーミイ)の開堂式に伴い日本を訪れたことで実現した[9]。翌1939年、駐エジプト公使の横山正幸がサウジアラビアを訪問、リヤドアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード初代国王に拝謁した[9]。横山の訪問目的の一つにはサウジアラビアの石油獲得があり、商工技師の三土知芳が随行したが、すでにアメリカ合衆国と親密な関係を築いていたサウジアラビアとの交渉は不調に終わっている[10][11]

日本の国際社会復帰後(1952年~)[編集]

1953年、日本政府は経済使節団をサウジアラビアへと派遣。1954年にはサウジアラビア国内でサンフランシスコ講和条約が批准され、翌1955年に国交が樹立した。これにより両国の関係が進展、日本が石油利権を手にする足がかりとなった。1957年には利権協定を締結、1958年にはアラビア石油が設立された。翌年には石油の試掘が開始され、翌々年となる1960年に試掘に成功した。

1960年スルターン・ビン・アブドゥルアズィーズ英語版交通相が日本を初訪問、1971年5月には国賓としてファイサル第三代国王が日本を初訪問した[12]。サウジアラビアと日本の二国間関係をさらに強化するため、両国はその後も度々互いの国を定期的に訪問している。

サウジアラビア王族と日本の皇族の間の関係はその後も進展、1981年には皇太子明仁親王皇太子妃美智子(いずれも当時)がサウジアラビアを訪問した[13]

昭和天皇の崩御に伴い1989年2月に行われた大喪の礼、及び1990年11月に行われた明仁天皇即位の礼には国王名代としてナウワーフ・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード英語版王子が出席[14]1994年11月には皇太子徳仁親王皇太子妃雅子(いずれも当時。令和時代の天皇・皇后)がサウジアラビアを訪問している[15]

1997年、当時の内閣総理大臣橋本龍太郎がサウジアラビアを訪問、ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ第5代国王と会談を行った。

1998年には、4月にリヤード州知事であるサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード王子(後の第7代国王)の来日に続いて、10月にはアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ皇太子(後の第6代国王)が日本を訪問、当時の内閣総理大臣小渕恵三と会談を行い、人材育成、教育、環境、文化・スポーツ、医療などの分野で協力を行う「21世紀に向けた日・サウジ協力共同声明」に署名した[16][17]

2001年、日本の外務大臣河野洋平が3つの分野でサウジアラビアとイニシアティヴ(通称 : 河野イニシアティヴ[18])を結ぶことを表明した。3つの分野とはイスラム文明世界との対話促進、水資源開発、幅広い政治対話の促進である。

2003年5月には小泉純一郎内閣総理大臣(当時)がサウジアラビアを訪問、日本とサウジアラビアにエジプトを加えた3カ国で相互対話を行う「日アラブ対話フォーラム」 (The Japan Arab Dialogue Forum[19]) が設立され、3カ国間で定期的に会合を行っている[20][18]

2011年3月に起きた東日本大震災の際には、サウジアラビア政府より国営の石油会社であるサウジアラムコを通じて2千万ドル相当の液化石油ガス(LPG)が提供された[21]

2013年4月には安倍晋三内閣総理大臣がサウジアラビアを訪問[22]、サルマーン皇太子(後の第7代国王)及びアブドゥッラー国王との会談の後「日本とサウジアラビアとの間の包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」を発表、その後中東政策演説を行った[23]

2016年9月1日、安倍首相が来日したムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子(後の皇太子。第7代国王サルマーンの息子)と会談を行った。同年4月にサウジアラビアで閣議決定されたばかりの経済改革計画「ビジョン2030」[24]を踏まえて、これを日本の成長戦略と連動させて両国の経済成長へと繋げるべく、閣僚級の「日・サウジ・ビジョン2030アラビア語版共同グループ」を立ち上げて具体的な協力ついて議論することで意見を一致させた[25]

2017年3月12日、サルマーン国王が羽田空港着の特別機で来日し、サウジアラビア国王の訪日としては、約30歳年長の兄ファイサル国王による1971年の訪日以来、実に46年ぶりの来日となった[26]

貿易[編集]

日本とサウジアラビア間のこのような特別な関係は二国間貿易にも影響を及ぼしており、日本はサウジアラビアにとってアメリカ合衆国に次ぐ世界第二位の輸出相手国となっている。また、日本はサウジアラビアから原油の総輸入量の約30%を調達しており、サウジアラビアは日本にとって最大の原油供給国となっている[21]

対サウジアラビアの貿易輸出入額は2012年時点で以下のようになっている。日本への主要輸出品目は原油、石油化学製品、液化石油ガス(LPG)、日本からの主要輸出品目は自動車や電気機械などの機械機器となっている[21]

  • 対サウジアラビア輸出額: 5463億円 (2016年)
  • 対サウジアラビア輸入額: 2兆1249億円 (2016年)

日本とサウジアラビアの両国は1975年に経済技術協力協定を締結している。この中には両国の合意内容の履行を監視するためのサウジアラビア・日本共同委員会の設立も含まれている。また、2009年には航空協定が、2012年には租税条約が締結されている[21][27]

文化交流[編集]

交流イベント[編集]

1999年に「日・サウジアラビア青年交流計画」が開始され、日本とサウジアラビア両国の青年団が毎年相互に訪問を行っている[21][28]

2005年には日本とサウジアラビアの国交樹立50周年を記念して、高等教育セミナーや生け花デモンストレーション、空手専門家派遣など様々な記念事業が行われた[29]

2011年4月、日本はサウジアラビアの国民祭典であるジャナドリヤ祭に唯一の主賓国として招待され日本館を出店、日本館には30万人以上が訪れた[30]

スポーツ[編集]

サウジアラビアでは空手柔道などの日本武道への関心が高く[31]、全国大会も開催されている[32]。2012年5月3日、空手の「日本大使杯」が在サウジアラビア日本国大使館とサウジアラビア空手連盟の協賛により開催された。優勝者と入賞者には在サウジアラビア王国日本国大使館の特命全権大使である遠藤茂大使からトロフィーとメダルが授与された。多くのサウジアラビア人が参加したこの大会にはサウジアラビア空手連盟のイブラーヒーム・アブドルラフマーン副会長とフムード・ビン・サウード事務局長も同席、同大会は日本とサウジアラビア間のスポーツ交流促進に貢献した[33]。空手の日本大使杯は毎年開催されており[34]、2013年4月26日にも開催されている[35]。また、2011年と2013年には国際交流基金を通して空手家の土屋秀人がサウジアラビアで空手の指導を行っている[36]

また、競馬分野では、富士ステークス(正式名称 : サウジアラビアロイヤルカップ富士ステークス)はサウジアラビアロイヤルカップとの統合により生まれたGIII競走であり、リヤド馬事クラブの理事長も務めるアブドゥッラー国王からの優勝杯が寄贈されている[37]

テレビ番組[編集]

サウジアラビアでは、2005年9月下旬(ヒジュラ暦1426年9月の始まりに相当)から2015年7月中旬(ヒジュラ暦1436年9月の終わりに相当)までのヒジュラ暦の毎年9月、世界各地の暮らしや歴史、若者の考え方、教育などを敬虔なムスリムとしての手本にするために紹介するテレビ番組「ハワーティルアラビア語版」(アラビア語: خواطر‎, Khawāṭir / Ḫawāṭir)が放映されていた。同番組は毎年ヒジュラ暦9月の1ヶ月を区切りとしてシーズンごとに特集を組む形式であったが、ヒジュラ暦1430年9月に相当する2009年8月下旬から始まったシーズン5アラビア語版は1ヶ月間まるごと日本の特集であった。また、シーズン5のロゴとして、「ハワーティル(のシーズン)5」を意味するアラビア語の文字 «خواطر ٥» と並んで「改善」という文字がそのまま使われていた[38]。そのせいか、ウェブ上などでハワーティルが改善を意味するアラビア語であるとする誤解を目にすることもあるが、ハワーティルは「思考」や「発想」などを意味するアラビア語「ハーティラ」(アラビア語: خاطرة‎, Khāṭirah / Ḫāṭirah)の複数形であり、改善という意味ではあり得ない。尚、同番組の後継番組として、2016年6月上旬(ヒジュラ暦1437年9月の始まりに相当)より「クムラアラビア語版」(アラビア語: قُمرة‎, Qumrah / Qomrah[39])が放映されている。

外交使節[編集]

在サウジアラビア日本大使・公使[編集]

在サウジアラビア日本公使
在サウジアラビア日本大使

在日サウジアラビア大使[編集]

  1. アスアド・アル=ファキーフ(1958年)
  2. ムハンマド・シャラーラドイツ語版(1958~1960年)
  3. アフマド・アブドゥルジャッバールスペイン語版(1960~1963年)
  4. ナースィル・ビン・ハマド・アル=マンクールアラビア語版(1964~1968年)
  5. アウニー・ディージャーニー(1969~1975年)
  6. ザイン・アッ=ダバーグ(1976~1983年)
  7. ファウズィー・ビン・アブドゥルマジード・シュブクシードイツ語版(1983~1996年[40]
  8. モハメッド・バシール・クルディ(1998~2001年、信任状捧呈は6月19日[41]
  9. ファイサル・ビン・ハサン・トゥラードアラビア語版(2004~2009年、信任状捧呈は9月7日[42]
  10. アブドゥルアズィーズ・ビン・アブドゥッサッタール・トゥルキスターニー(2009~2015年、信任状捧呈は6月19日[43]
  11. アフマド・ビン・ユーヌス・ビン・スライマーン・アル=バッラーク(2015~2018年、信任状捧呈は7月1日[44]
    臨時代理大使モハメド・フアード・ジャスタニア(2018~2019年)
  12. ナーイフ・ビン・マルズーク・ビン・マーニア・アル=ファハーディー(2019年~、信任状捧呈は4月5日[45]

脚注[編集]

  1. ^ a b サウジアラビア基礎データ | 外務省
  2. ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
  3. ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
  4. ^ a b c サウジアラビア統治基本法アラビア語版英語版第1条で明確に定められている。
  5. ^ サウジアラビア統治基本法アラビア語版英語版第5、6条で明確に定められている。
  6. ^ 日本国憲法で明確に定められている。
  7. ^ a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund (英語)
  8. ^ a b SIPRI Fact Sheet, April 2016 Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine. (英語) - 2016年4月
  9. ^ a b c d 交流の始まりと外交関係の樹立”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月13日閲覧。
  10. ^ 日本放送協会『あの時、世界は… 磯村尚徳戦後史の旅<2>』1979年、日本放送出版協会。本書はNHK特集の書籍化で、サウジアラビアを扱った回に横山のエピソードが取り上げられており、訪問時の手記などが引用されている。
  11. ^ 三土は帰国後に「『サウード、アラビア』国ニ於ケル石油『コンセッション』問題」と題した報告書を政府に提出した(外交史料 Q&A昭和戦前期 外務省ウェブサイト(「1939年(昭和14年)にサウジアラビアを訪れた三土技師の報告書はありますか?」」の箇所を参照)))。
  12. ^ 国賓・公賓など外国賓客(元首・王族)一覧表(昭和27年~昭和63年)”. 宮内庁. 2014年5月5日閲覧。
  13. ^ 天皇・皇族の外国ご訪問一覧表(戦後)(昭和28年~昭和63年)”. 宮内庁. 2014年5月5日閲覧。
  14. ^ 国賓・公賓など外国賓客一覧表(平成元年~平成10年)”. 宮内庁. 2014年5月5日閲覧。
  15. ^ 天皇・皇族の外国ご訪問一覧表(平成元年~平成10年)”. 宮内庁. 2014年5月5日閲覧。
  16. ^ サウジアラビア - 我が国との関係”. 経済産業省. 2014年1月5日閲覧。
  17. ^ サウジアラビアのアブドラ皇太子と会談”. 首相官邸. 2014年5月5日閲覧。
  18. ^ a b 日本とサウジアラビア:歴史と今”. 外務省. 2014年1月5日閲覧。
  19. ^ 公式の英文名称。MOFA: The Japan Arab Dialogue Forum (Overview) (英語)
  20. ^ 米国・中東訪問(第4日)”. 首相官邸. 2014年5月5日閲覧。
  21. ^ a b c d e 二国間関係 - サウジアラビア王国”. 外務省. 2014年1月5日閲覧。
  22. ^ サルマン皇太子、安倍総理大臣と会談”. 駐日サウジアラビア大使館 (2013年4月30日). 2014年1月5日閲覧。
  23. ^ 安倍総理 ロシア・中東訪問”. 首相官邸. 2014年5月5日閲覧。
  24. ^ サウジアラビア:2030年までの経済改革計画「ビジョン2030」を発表 | 公益財団法人 中東調査会 - 2016年4月26日
  25. ^ 安倍総理大臣とムハンマド・ビン・サルマン・サウジアラビア副皇太子との会談 | 外務省 - 2016年9月1日
  26. ^ サウジ国王が来日:時事ドットコム - 2017年3月12日
  27. ^ サウジアラビア王国との租税条約が発効します”. 財務省 (2011年7月19日). 2014年1月5日閲覧。
  28. ^ 日・サウジ青年交流計画・日本側代表団のサウジ訪問”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  29. ^ 日本・サウジ外交関係樹立50周年記念事業”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  30. ^ サウジアラビアの外交 - 日本との関係”. 外務省. 2014年1月5日閲覧。
  31. ^ スポーツ交流”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  32. ^ 柔道全国大会への出席”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  33. ^ 空手大会「日本大使杯」の開催”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  34. ^ 空手大会「日本大使杯」の開催”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  35. ^ 大使空手杯の開催”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  36. ^ 空手専門家のサウジへの訪問”. 在サウジアラビア日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  37. ^ 第16回サウジアラビアロイヤルカップ、東京競馬場にて開催”. 駐日サウジアラビア大使館 (2013年10月19日). 2014年1月5日閲覧。
  38. ^ 例えば、ハワーティル シーズン5 - 第1回 - イスラム教徒たちよ、こんにちは! - YouTube (‫خواطر 5 - الحلقة 1 - صباح الخير يا مسلمين‬ - YouTube) (アラビア語)の1:33以降などを参照されたし。
  39. ^ クムラ公式ウェブサイト (アラビア語)に従って、アラビア語はダンマ付きで表記し、英字は最初の母音を o とする表記も併記した。
  40. ^ 日本や欧米の慣習で考えると大使が一国で13年の任期を務めることは非常に長く感じるが、サウジアラビアの外交慣習では決して異例のことではない。具体的に、駐英大使を26年務めたハーフィズ・ワフバアラビア語版、駐米大使を22年務めたバンダル・ビン・スルターン、駐アルゼンチン大使を21年務めたフアード・アフマド・ナズィール、駐墺大使を19年務めたウマル・ムハンマド・クルディー、駐仏大使を16年務めたジャミール・ビン・イブラーヒーム・アル=フジャイラーンアラビア語版英語版などが実例として挙げられる。また、大使ではないが、1975年から2015年にかけて40年間も外務大臣の地位にあったサウード・アル=ファイサルの例もある。
  41. ^ 信任状捧呈式(平成10年) - 宮内庁
  42. ^ 新任駐日サウジアラビア王国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2004年9月6日
  43. ^ 外務省: 新任駐日サウジアラビア王国大使の信任状捧呈 - 2009年6月18日
  44. ^ 新任駐日サウジアラビア大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2015年7月1日
  45. ^ 駐日サウジアラビア大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2019年4月5日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]