日本とハンガリーの関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本とハンガリーの関係
HungaryとJapanの位置を示した地図

ハンガリー

日本

本項では、日本ハンガリーとの二国間関係ハンガリー語: Magyar–japán kapcsolatok英語: Hungary–Japan relations)について述べる。

歴史[編集]

記録に残っている日本を訪れた最初のハンガリー人1770年長崎オランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュハンガリー語版である。その翌年にはモーリツ・ベニョヴスキーが来日している[1]

両国間の国交は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の1869年に、日本との間に日墺修好通商航海条約が締結されたことから始まる[2]

創設期の日本騎兵部隊は馬をハンガリーから購入していた[2]。1886年にはユダヤ系ハンガリー人のヴァイオリン演奏家エドゥアルト・レメーニが日本を訪問し、横浜居留地と宮城(皇居)にて明治天皇昭憲皇太后の前で演奏を披露している[1]。この「御前演奏会」は天皇皇族が洋装で集まる最初の機会となった。曲目は伝わっていないが5曲ほどが演奏されたという。

パリ万博の影響で日本ブームが起きている[3]。言語研究が進んだ20世紀初頭には、ツラニズムと呼ばれるウラル・アルタイ語族(現在はウラル語族とアルタイ語族は別の語族として考えられている)の諸民族が強い関連を持つという思想が台頭し、マジャール人大和民族が同祖であるという思想が広まった。学問的には裏付けはないものの、ハンガリーの政治や文化に大きな影響を与えた[4]ロシアと対立していたハンガリーでは、日露戦争で日本が勝利したことも歓迎された[3][5]。1902年、東洋史学者白鳥庫吉は「匈奴フン族」説の是非の研究のためにハンガリーを訪れている[6]

第一次世界大戦後の1921年ハンガリー王国と日本の間で国交が樹立された。ただし日本側のハンガリーに対する外交は、ウィーンの公使館が兼摂していた[7]。1910年に成立したツラン協会はツラニズム団体の中で最も有力であり、日本と同盟を組むことを主張していた[8]。現実性はなかったが、ハンガリーには日本の皇族を国王として迎えるべきであるという主張もあった[9]。日本にツラニズムを伝えるために1921年に来日したバラートシ・バログ・ベネデクハンガリー語版は、留学の希望を持っていた今岡十一郎と出会い、彼をツラニズムの賛同者としたうえで、ハンガリーに同行させた[10]。今村は9年間滞在したハンガリーにおいて日本の紹介活動を行い、帰国後は日本でのハンガリー紹介にその生涯を捧げた[11]

1924年にはハンガリー日本協会が設立されている[8]。この時期には斎藤茂吉が医学者としてウィーンを中心にヨーロッパ留学をしており、ハンガリーに滞在しいくつかの歌を残したほか『接吻』などにもハンガリーについての記述がある。また夏目漱石の長男でバイオリニスト夏目純一もこのころウィーンを経由してハンガリーを訪れ、ジプシー音楽に魅了されブダペスト音楽院に留学している。さらに1931年には昭和天皇の弟の高松宮宣仁親王、同妃喜久子も天皇の名代としての欧米訪問の際にハンガリーに立ち寄っている。1938年11月15日には日本ハンガリー文化協定が締結され、両国関係の強化が行われた[12]。一方でこのような協定はドイツと日本の間で最初結ばれるべきであると考えていたドイツ側に寄って妨害が行われ、協定が成立することになるとドイツが急遽協定を締結し、日本ハンガリー協定より前に発効させるという事態も起こっている[12]。協定に先立つ8月にはブダペストに日本公使館が設置されている[13]。ハンガリー側の調印者であったテレキ・パール教育相(伯爵、元首相)は「日本列島の地図作成の歴史」という論文で著名な地理学者でもあり、ツラン協会の設立者の一人でもあった[14]

ハンガリーは1939年2月24日に防共協定、1940年11月に三国条約に加入するなど、ともに枢軸国を形成することになったが、両国間の軍事的な交流はほとんど無かった。同盟加入時には日本においても「親戚」であるハンガリーの加入を歓迎する報道が行われ[15]、摂政ホルティ・ミクローシュはこの時期に昭和天皇に白馬「白雪」を贈っている[2]第二次世界大戦末期にはハンガリー王国政府が崩壊し、日本も降伏によって外交権を剥奪されたため、両国間の国交は断絶状態となった。

戦後、両国は外交権を喪失し、その後も東側諸国となったハンガリーはソビエト連邦の外交政策に追随せざるを得ず、また日本側も1956年日ソ共同宣言締結に先立つハンガリー動乱で成立したカーダール・ヤーノシュ政権を非難する西側に加わっていたため、両国間の国交はなかなか復活しなかった[16]。しかし、直接対立する外交問題はなく、ハンガリー側からの働きかけもあって、1959年8月29日にチェコスロバキア(当時)のプラハで国交回復文書が調印され、即日発効した[16][17]1960年に再び相互に公使館を開設し、1964年6月に大使館に昇格した。両国には1920年代に相互に友好協会が設立されていたが[18]1971年に改めて日本ハンガリー友好協会が設立されたが[19]、イデオロギー対立もあり、ハンガリー側の反応は冷淡でありこの動きは一旦頓挫している[20]。なお、この協会に関わっていた今岡十一郎により、1973年に日本初の本格辞典とされる『ハンガリー語辞典』が刊行された。同年の今岡の死後、1975年に別の人々によってハンガリー友好協会が再建され、ようやく両国の交流は軌道に乗った[20]。ハンガリーにおける日本との民間の友好協会は1987年に再設立された。議会間の交流としては、1973年に日本の参議院、翌1974年には衆議院に日本・ハンガリー友好議員連盟が発足した。ハンガリー国会においても、ハンガリー・日本友好議員連盟に相当する「国際国会連合日本グループ」に30名が加盟している。1989年にハンガリーの体制が転換すると両国間の関係は活発となり、1990年1月には日本の内閣総理大臣として初めて海部俊樹首相がハンガリーを訪問した[21][22]1991年には日本のスズキがハンガリーに進出し(後述)、1993年には大阪外国語大学に日本の大学で初となるハンガリー語学科が設置された。2002年には明仁天皇美智子皇后(いずれも当時。令和時代の上皇上皇后)がハンガリーを国賓として訪問している[1]2009年には、外交関係開設140周年・外交関係再開50周年を記念して多くの行事が開催された[23]

現況[編集]

マジャールスズキの工場

現在の両国間には政治的な懸案がなく、経済や文化の面を中心に良好な関係を保っている。東京ブダペストの間は9千kmあまりで[24]、両国間に直行の定期航空路線は運航されていない。

2012年12月現在ハンガリーに在住する日本人は1347人で、約6割がブダペストに居住する。2010年末における日本の法務省入国管理局調べによる在日ハンガリー人は464名である[22]。ハンガリーはシェンゲン協定に加盟しており、6カ月の間に90日以内の短期滞在であれば査証は不要である[25]

2013年の日本からハンガリーへの輸出額は837億円で、自動車部品・音響機器部品・原動機などが主である。ハンガリーから日本への輸出額は1287億円で、事務用機器や豚肉、自動車などが主である。1991年にエステルゴム市に進出したスズキの現地法人マジャールスズキは、ハンガリーの国民車として2009年まで乗用車の市場占有率首位を記録した。このほか、デンソーアルパインイビデンブリヂストンなどが進出している[21]

大阪外国語大学のハンガリー語学科は2007年に同大学が大阪大学の一部に統合された後も存続し、同大学教授の早稲田みかはハンガリー語学習書の出版も行っている。この他、東京外国語大学や日本ハンガリー友好協会などでハンガリー語の講習会が開かれ、友好協会ではハンガリー文化の紹介も続けている。

ハンガリーは日本の東京都港区三田2-17-14地図に大使館を置き、2016年よりパラノビチ・ノルバート特命全権大使が就任しているほか、大阪府門真市パナソニック内に名誉総領事館を設けている。日本国はブダペストのZalai út7地図に大使館を置き、2017年10月より佐藤地が特命全権大使として就任している。

姉妹都市[編集]

このほか、富山県ハイドゥー・ビハール県岐阜県ヴェスプレーム県の間にも交流関係がある[21]

外交使節[編集]

駐ハンガリー日本大使・公使[編集]

駐日ハンガリー大使[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 天皇皇后両陛下 ポーランド・ハンガリーご訪問(チェコ・オーストリアお立ち寄り)時のおことば・ご感想宮内庁
  2. ^ a b c ハンガリー概況(2012年6月現在) -在ハンガリー日本国大使館
  3. ^ a b 梅村裕子 2013, pp. 195.
  4. ^ 梅村裕子 2013, pp. 165.
  5. ^ 梅村裕子 2013, pp. 189.
  6. ^ 梅村裕子 2013, pp. 194.
  7. ^ フランク・ティボル 2008, pp. 14.
  8. ^ a b フランク・ティボル 2008, pp. 16.
  9. ^ フランク・ティボル 2008, pp. 17.
  10. ^ 梅村裕子 2013, pp. 204-203.
  11. ^ 梅村裕子 2013, pp. 203-196.
  12. ^ a b 梅村裕子 2013, pp. 178-177.
  13. ^ フランク・ティボル 2008, pp. 16-17.
  14. ^ 水谷剛「ハンガリーの地理学者・首相テレキ・パールに関する研究ノート」『駒澤地理』第38号、駒澤大学、2002年3月、 69-86頁、 NAID 110007014450
  15. ^ 梅村裕子 2013, pp. 174.
  16. ^ a b 梅村裕子 2013, pp. 171.
  17. ^ 昭和35年版わが外交の近況- 外務省
  18. ^ 友好協会の歴史と活動(日本ハンガリー友好協会)
  19. ^ 日本ハンガリー友好協会
  20. ^ a b 梅村裕子 2013, pp. 170.
  21. ^ a b c ハンガリー概況 (PDF)2014年3月、在ハンガリー日本国大使館)
  22. ^ a b 各国・地域情勢 ハンガリー(日本国外務省
  23. ^ 日本・ハンガリー交流年2009(在ハンガリー日本国大使館)
  24. ^ 駐日ハンガリー大使館
  25. ^ 出国手続き・税関(在ハンガリー日本国大使館)
  26. ^ 信任状捧呈式(平成11年) - 宮内庁
  27. ^ 新任駐日ハンガリー共和国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2003年10月20日
  28. ^ 外務省: 新任駐日ハンガリー共和国大使の信任状捧呈式について - 2007年10月18日
  29. ^ 外務省: 新任駐日ハンガリー共和国大使の信任状捧呈 - 2011年11月29日
  30. ^ 駐日ハンガリー大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2016年12月7日

参考文献[編集]

  • フランク・ティボルハンガリー語版英語版著、寺尾信昭訳『ハンガリー西欧幻想の罠』(2008年、彩流社)
  • 梅村裕子「今岡十一郎の活動を通して観る日本・ハンガリー外交関係の変遷」(国際関係論叢 2(2), 159-206, 2013-07-31)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]