パリ万国博覧会 (1878年)

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会場。セーヌ川の右はトロカデロ宮(シャイヨー宮)と庭園[1]左はシャン・ド・マルス(現在はエッフェル塔がある)

1878年のパリ万国博覧会(せんはっぴゃくななじゅうはちねんのパリばんこくはくらんかい, Exposition Universelle de Paris 1878, Expo 1878)は、1878年5月20日から11月10日までフランスパリで開催された国際博覧会である。

概要[編集]

トロカデロ宮殿[2]
展示の模様。正面奥はPierre Armand Désiré Savalle[3]のアルコール蒸留装置 (J.フェラ画)

普仏戦争からのフランスの復興を祝って開催され、36ヶ国が参加し会期中に1616万人が来場した。ドイツ帝国はこの博覧会に招待されなかった唯一の大国となった。パリで開催された国際博覧会では3回目となる。

トロカデロ庭園を囲むようにシャイヨーの丘にトロカデロ宮が建設され、その対岸のシャン・ド・マルス公園には巨大なパビリオンが建てられた。アレクサンダー・グラハム・ベルの電話機やトーマス・エジソンの蓄音機、自動車が出品されるなど、当時の各国の発明品が所狭しと並べられたが、一方で植民地から連れてこられた「原住民」たちを展示する「ネグロ村」が設けられている。

パリの美術界でジャポニスムが沸き起こっていた時期に重なり、日本からの出品は前回に引き続き印象派絵画に影響を与えた。

日本の参加[編集]

万博広場の日本村
É.リウー画)

1876年にフランスから寺島宗則外務卿に参加要請があり、西南戦争で政情不安定であったが、これを了承し、大久保利通を博覧会事務総裁に、経費節減策を取りながら準備が進められた[4]。副総裁の松方正義、事務官の前田正名石原豊寛久保弘道、御用取扱の平山成信谷謹一郎諏訪秀三郎成島謙吉ら12名がフランスに派遣され、文部省派遣の九鬼隆一手島精一中川元らを含む約50名の日本代表団が渡仏した[4]。トロカデロ、シャンドマルスの両会場に日本の文物を展示したほか、その中間にある広場には垣根に囲まれた日本村が造られ、三井物産による日本の農家・茶室のほか、庭には水田や菜園が再現された[4]

脚注[編集]

  1. ^ 現在のシャイヨー宮は1937年万博の時に改造されたもの
  2. ^ 1937年万博に当たり取り壊され、現在のシャイヨ宮殿に建て替えられた。
  3. ^ カンヴィル=レ=デュー=エグリーズ(仏語版)を参照
  4. ^ a b c 樋口いずみ「1878年パリ万国博覧会と日本の教育部門への参加」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊』第16巻第2号、早稲田大学大学院教育学研究科、2008年、 173-183頁、 ISSN 13402218NAID 120002205972

関連項目[編集]

外部リンク[編集]