情報革命

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情報革命(じょうほうかくめい、: Information revolution)とは、情報が開拓されることによって、社会生活が変革することである。情報技術 (Information technology = IT) の開発により加速したため、後述のIT革命(アイティーかくめい)、情報技術革命(じょうほうぎじゅつかくめい)を包含するし、これとよく混同される[注 1]

元々はイギリス科学者マルクス主義者の John Desmond Bernal がマルクス主義の枠内で最初に用いた言葉だが、現在ではマルクス主義とは別に広く定着している。

端緒[編集]

情報革命は古今東西で様々に論じられているが[注 2]、ここでは現代人の見解を代表するものとしてアルビン・トフラーの考え方に沿って書く。情報革命は、それに先立つ農業革命工業革命の二者と相対的な概念である[注 2]。つまり、作物の生産手段となる土地、および製品の生産手段となる工場が社会を支配した時代と比べて、情報が土地・工場の支配的地位を揺るがした時点に情報革命の端緒があるという。巷では情報技術が市民生活に浸透した時点(後述のIT革命)を情報革命と呼ぶことがある。しかし、この考え方は往々にして社会現象の起こりを無視し、ときどきの情報技術を売り込むための方便にもなる。

トフラーは情報革命の始まりとしてキャッシュレジスターを挙げている。これはスーパーマーケットなどの小売店で活用された。そして小売店は売れ筋などの正確な需要値を弾き出し、有利な条件で工場主たるメーカー(生産者)と仕入れ交渉に臨むことができた。レジの発明された時期を考えると、この革命のタイミングは相当に早い。一方、トフラーは政治の世界でも革命がおきて、武力よりもロビー活動に用いる情報が物を言うようになったことを指摘している。この点、ウェブエニアックというものが戦争に使われた歴史をふまえると、暴力の有無で革命の端緒をとらえるのは難があるといえる。

IT革命の進行・歴史[編集]

情報革命の立役者であるそうした技術戦後社会にそのままスピンアウトした。計算機の開発と利用は典型的である。1947年AT&Tベル研究所ウォルター・ブラッテンジョン・バーディーンウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明。翌年に国際決済銀行の廃止が棚上げされたが、おそらくここで国際決済を中央銀行間でオンライン処理する技術が研究され始めた。そしてIBM社が1952年に初の商用のプログラム内蔵式コンピュータ IBM 701 を、1956年にやはり初のハードディスクドライブを発売している。同社は後にセデルという国際証券集中保管機関を積極的に技術支援する。

日本でも並行して技術開発が進む。1957年日本電信電話公社の電気通信研究所で MUSASINO-1 が開発される。1959年日本国有鉄道が日本初のオンラインシステムであるマルス1を導入する。

1964年コントロール・データ・コーポレーションCDC 6600 を製造開始。これは世界で初のスーパーコンピュータとも言われる。そしてユーロクリアが設立された1968年ダグラス・エンゲルバートが、マウスウィンドウなどをデモンストレーションする。セデルの設立された1970年は、インテルが世界初の DRAMである Intel 1103 を発売した。セデルの決済業務は当初こそファクシミリを使用していたが、おそらく設立後数年で、IBM社の技術支援を受けてコンピュータを利用するようになった。

1973年国際銀行間通信協会全国銀行データ通信システムが稼動した。1976年NECTK-80 を発売。初期のマイコンとしてコンピュータを小型化する研究の起爆剤となった。1978年にはアメリカシカゴで最初の電子掲示板「CBBS」が開設された。翌年、オラクル社が商用初の関係データベース製品である Oracle 2 をリリース。コンピュータネットワークセキュリティシステムが実装された。

セデルでジェラール・ソワソンが変死した1983年、日本で家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ任天堂)が発売された。パーソナルコンピュータ(パソコン)およびオペレーティングシステム (OS) については、1984年Macintoshアップル・コンピュータ)、翌年に Windows1.0マイクロソフト)が売りだされた。また、1986年インターネット技術の標準化を策定する Internet Engineering Task Force (IETF) が設立された。1973年から構想されていたダイナブック1989年ダイナブック(東芝)で具体化される。こうして情報環境の開発が多角的に進んでゆく中、1990年代産業サービス化を加速させた。そして世紀をまたぐブラウザ戦争が起きた。

21世紀に入り、一定額を支払えば接続し放題となる定額制のブロードバンド回線やデータ通信端末、公衆無線LAN携帯電話などの普及によって、常時インターネットに接触できる環境が整ってきており、情報技術が産業だけでなく個人にも広く浸透することとなった。この成熟した情報社会では、単にマルウェアを避けるというだけではなく、取得できる情報の性質が媒体により異なることを理解し、媒体を使い分けるための情報リテラシーが市民レベルで求められている[注 2]

包含関係[編集]

果たしてIT革命にしたがい流通を加速させる情報は、かつて生産手段として社会を支配した工業設備(工業社会)の意味を失わせるほどに開拓が進んだか。情報にはデータと違って価値がある。サービス化した産業で情報が利用され、発信されているという点では、個人情報の保護や情報の氾濫が社会問題となるほど、人気と交換価値が高まっている。使用価値は、個人のリテラシーによるところが大きく、IT革命による貢献は限定的である。いずれの価値においても、情報の開拓は技術の進歩に牽引されている。技術を利用する個人と事業者は、情報の開拓に消極的で、技術の習得に躍起である。今日、情報技術(IT)は生産者であるメーカーでも活用され、多数の取引先について情報を蓄積している。もはや小売店が優位に立つことは難しくなっている。

トフラーは、資本家の独占する土地・工場と違い、情報は持ち主が複数になることがあると指摘する。たとえば複数の人間が独立して同じ発明を遂げるということがある。この意味で、情報価値の開拓は競争される。特許期間は権利者の実施が保護されて競争がなくなる。しかし、発明を知ること自体は特許法で制限されないし、期間を経過すると実施の制限も解除される。この競争は手持ちの資本に関係なく、一見対等であるかに見える。

ところが資本は流用が利く。アメリカでは鉄道資本の土地がネット回線の敷設に利用されている。その他あらゆる情報環境が大資本の工場で規格化された。その情報環境を通して流通する情報は、管理権限をもつ企業がデータ分析して新たな情報を生み出し、企業の実質的な支配者へ還流させる。小売店がレジスターを活用する機会にめぐまれたのは元々消費者に近かったからだが、今はデータが通る要衝が大資本の計算で設置される。その1つが前述のセデルである。

IT革命が社会と市民生活を様変わりさせたのは事実である。だからこそIT革命は情報革命に包含される。しかし、IT革命の進行は情報技術の囲い込まれた歴史でもある。その結果として資本が情報を支配している。このような技術だけの革命を情報革命そのものとして論じることはできない。情報革命は、その端緒という短い間ではあったが、情報に資本を支配させた。現在のところ、情報が物理的資源に置き換わって全てを凌駕する支配の再逆転、資本にものを言わせた既存の産業を主体とする社会の構造を変革させるまでには至っていない。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ なお、IT革命という言葉は2000年新語・流行語大賞を受賞しているが、以後は翌年のITバブル崩壊による失望感や言葉自体が色褪せたこともあり、使用される頻度は大幅に減っている。また、インターネットなど通信 (communication) も含めて情報通信革命ICT革命国際電気通信連合などで呼称されている。
  2. ^ a b c 産業構造などにもたらされた変革は18世紀産業革命(工業革命)にも比肩しうるものとの見方から、情報(技術)による革命=「情報革命」と呼ばれる。また、脱工業社会(ポスト工業社会)の観点から語られる場合もあり、情報化した社会は情報社会とも呼ばれる。人類技術から考えると、最初に農業革命が起こったとされ、その後の工業革命に続き、情報革命は3度目の革命ともいわれている。なお、1度目の革命とされる農業革命は、18世紀における農業技術革新やそれに伴う社会の変化(「農業革命」を参照)を指す場合と、アルビン・トフラーなどが唱える約15000年ほど前に農耕が開始されたことに伴う狩猟採集社会から農耕社会への置換(農耕革命とも呼ばれる)を指す場合がある。情報革命が起こった社会は、工業社会から情報社会に移行するとされており、2010年代に入った現在においても世界規模(グローバル)で進行中にあるとの見方が一般的である。グローバルに進行する情報革命は経済や産業を筆頭に世界の結びつきをより強くしている。あるいは、発展的で民主的なコミュニティーの形成が期待されるという考え方もあるが、現実世界におけるコミュニティーの分断や情報格差を危惧する声もある。

出典[編集]

関連項目[編集]