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女流名人戦 (将棋)

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女流名人戦
棋戦の分類 女流タイトル戦
正式名称 岡田美術館杯女流名人戦
開催概要
開催時期 予選:1月 - 11月
タイトル戦:翌年1月 - 2月
初回開催 1974年度
持ち時間 予選:2時間
タイトル戦:3時間
番勝負 五番勝負
主催 報知新聞社
協賛 ユニバーサルエンターテインメント
公式サイト 女流名人戦:日本将棋連盟
記録
現女流名人 里見香奈(第46期)
永世資格者 中井広恵/清水市代/里見香奈
最多優勝 里見香奈(11期)
最長連覇 里見香奈(11連覇)
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岡田美術館杯女流名人戦(おかだびじゅつかんはい じょりゅうめいじんせん)は、報知新聞社が主催・ユニバーサルエンターテインメントが特別協賛する[1]将棋女流タイトル戦。 勝者には女流名人のタイトル称号が与えられる。

概要

1970年代前半、日本将棋連盟副会長であった大山康晴は、女性への将棋の普及を促進したいという考えから、女流棋士制度の創設を強く提唱していた[2]。その後、大山と原田泰夫の両副会長が中心となり、女流棋士制度を創設すると同時に「女流棋士の棋戦」を新たに作ろうという機運が連盟内で高まり、大山の意を受けた連盟理事の米長邦雄が1974年9月初旬に関根茂に相談したところ、関根が懇意にしていた報知新聞の野口敬・編集局長に話が行き、ちょうど報知新聞社がプロ野球のオフシーズンに紙面で取り上げる題材を探していた経緯もあり、報知新聞社の全面協力によって最初の女流棋戦が創設される話がわずか1か月ほどでまとまった[3]

棋戦名については、現在の女流アマ名人戦が「女流名人戦」としてすでに存在していたので、プロの棋戦であるという事を明確にして、また大山の提案もあり、男性棋戦の「名人」に敬意を表し、「女流プロ名人戦」として1974年10月に創設された[4][2][注釈 1]。その後、第29期(2002年度)を機に「プロ」が取れて正式に「女流名人位戦」となり[7][8]、創設40周年を機に第41期(2014年度)から「位」を外して「女流名人戦」に改称された[9]

第20期(1993年度)からユニバーサルエンターテインメントが特別協賛しており[1]、何度か冠が変更され[10]、第42期(2015年度)から同社が保有する美術館の名称をとり「岡田美術館杯」を冠としている[10]

方式

女流名人リーグと予選からなる。女流名人リーグ(第39期まではA級リーグ)の優勝者が女流名人と翌年1月から2月に五番勝負を戦い[注釈 2]、先に3勝した方が女流名人となる。

順位戦と同様に第39期まではリーグ戦がA級・B級に分かれており(第24期まではリーグ戦がC級まであった)、A級リーグ下位者とB級リーグの成績優秀者との入れ替えがあった。第40期より、実質的にB級リーグは廃止され、A級リーグの名称を「女流名人位リーグ」に変更[11]、さらに第41期より「女流名人リーグ」と改称された。

女流名人は翌期の棋王戦予選に出場する[12]

予選

前年度女流名人およびリーグ戦に残留している女流棋士を除くすべての女流棋士が参加する。予選通過者は4名[注釈 3]で、通過者は女流名人リーグ(第39期まではB級リーグ)に参加する。創設当初はC級リーグが予選の代わりに行われていたが、第25期(1998年)から現行のトーナメント方式に改められている。

持ち時間は2時間。

リーグ戦

女流名人リーグ内で10名(前期番勝負敗退者1名+前期残留者5名+予選通過者4名)の総当たり戦を行う。女流名人リーグの優勝者が5番勝負で女流名人に挑戦し[13]、下位4名がリーグから脱落する[注釈 4]

同率の女流棋士が複数いる場合は、順位上位のものが成績上位とする。ただし、挑戦者決定戦のみ順位に関係なくプレーオフを行い、両者とも予選通過者であるなど順位が同じ者が残留ライン上に並んだ場合も残留決定戦が行われる。

持ち時間は2時間。

休場

順位戦と同様、病気や出産などのやむをえない理由により、ある1年間の対局をすべて休場した場合、それが当期の女流名人リーグ表を組む前に申請していれば、その期に限りすべて不戦扱いとしてリーグ脱落をせず、次の期に順位は「張出」として最下位ながらリーグに参加できる。順位戦と異なる点は、この場合でも脱落者・予選通過者の人数は通常と変わらず、リーグ戦の人数が一定に保たれている点である[注釈 5]。ただしリーグ発表後にリーグ最終局まで休場した場合については、基本的には以降の対局は全て不戦敗として扱われ、翌期への優遇措置は取られない。一方でリーグ途中で休場しても、短期間かつ11月のリーグ最終局前に復帰して日程に余裕があれば日程調整して可能な限り全対局行なわれる。

女流名人戦五番勝負

女流名人と女流名人リーグ優勝者が翌年の1月から2月にかけて五番勝負を戦い、勝者が新たな女流名人となる。第42期から第1局が冠スポンサーである箱根にある岡田美術館での開催となっている。その他では近年は第2局が里見香奈の地元である島根県の出雲文化伝承館、第3局が千葉県野田市関根名人記念館(いちいのホール)、第4局が岡山県の湯原国際観光ホテル菊之湯の開催[注釈 6] が定番となっている。

持ち時間は各3時間。

クイーン名人

女流名人を通算5期獲得した女流棋士には「クイーン名人」の称号が与えられる。

歴代五番勝負・女流名人戦リーグ

年は五番勝負が行われた時点。翌年1月から2月にかけて行われるため、年とは1年ずれる。 ※1974年度から1980年度までは三番勝負(先に2勝したほうが女流名人)。

○●は女流名人から見た勝敗、千は千日手、持は持将棋

緑色は挑戦者またはプレーオフ出場(◎は女流名人挑戦者)、但し女流名人奪取時は赤色、▼は降級。

年度 決勝進出者 勝敗 決勝進出者
1 1974 蛸島彰子 ○○ 寺下紀子
女流名人戦 挑戦者決定リーグ
年度 女流名人 勝敗 挑戦者
2 1975 蛸島彰子 ○○ 多田佳子 関根 多田 寺下 山下 村山 杉崎 兼田
女流名人位戦 挑戦者決定リーグ
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 紅組 白組
3 1976 蛸島彰子 ○○ 森安多恵子 多田 村山 杉崎 兼田 森安 関根 寺下 山下 佐藤 谷川
女流名人位戦 挑戦者決定リーグ
年度 女流名人 勝敗 挑戦者
4 1977 蛸島彰子 ●● 山下カズ子 関根 多田 寺下 森安 山下 兼田
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 6 備考
5 1978 山下カズ子 ○○ 関根紀代子 蛸島 関根 寺下 多田 谷川 兼田
6 1979 山下カズ子 ○○ 関根紀代子 関根 蛸島 兼田 多田 谷川 森安
7 1980 山下カズ子 ○○ 蛸島彰子 関根 蛸島 森安 兼田 中瀬 長沢
8 1981 山下カズ子 ●○●● 蛸島彰子 蛸島 関根 森安 兼田 多田 林葉
9 1982 蛸島彰子 ●○●● 林葉直子 山下 林葉 関根 多田 谷川 長沢
女流名人位戦 A級リーグ戦表
10 1983 林葉直子 ○○○ 関根紀代子 蛸島 長沢 関根 谷川 福崎 山田久
11 1984 林葉直子 ●○○○ 長沢千和子 関根 蛸島 谷川 長沢 中井 多田
12 1985 林葉直子 ●●○● 中井広恵 長沢 中井 関根 蛸島 山田久 山下
13 1986 中井広恵 ○●●○○ 林葉直子 林葉 関根 山田久 蛸島 谷川 森安
14 1987 中井広恵 ●●● 清水市代 林葉 山田久 森安 関根 清水 福崎
15 1988 清水市代 ●○○●● 中井広恵 中井 林葉 山田久 関根 蛸島 谷川
16 1989 中井広恵 ●●● 清水市代 清水 林葉 山田久 関根 高群 長沢
17 1990 清水市代 ●●○● 林葉直子 中井 林葉 山田久 長沢 斎田 谷川
18 1991 林葉直子 ●●○○● 中井広恵 清水 中井 斎田 長沢 蛸島 高群
19 1992 中井広恵 ○○○ 清水市代 林葉 斎田 清水 蛸島 関根 藤森 中井、クイーン名人獲得
20 1993 中井広恵 ○○●●千○ 斎田晴子 清水 林葉 斎田 蛸島 高群 鹿野
21 1994 中井広恵 ●●● 清水市代 斎田 清水 林葉 高群 高橋 横山
22 1995 清水市代 ○○○ 中井広恵 中井 斎田 高群 横山 蛸島 長沢
23 1996 清水市代 ●○●○○ 中井広恵 中井 斎田 横山 高群 谷川 山田久 清水、クイーン名人獲得
24 1997 清水市代 ○○○ 中井広恵 中井 斎田 高群 山田久 石橋 高橋
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 6 7 8 備考
25 1998 清水市代 ○○●○ 碓井涼子 中井 石橋 斎田 高群 山田久 碓井 矢内 植村
26 1999 清水市代 ●●● 中井広恵 碓井 矢内 中井 石橋 斎田 植村 高橋 長沢
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 備考
27 2000 中井広恵 ●○○●● 斎田晴子 清水 矢内 碓井 石橋 高橋 斎田 植村 山田久 木村 古河
28 2001 斎田晴子 ●●● 中井広恵 中井 碓井 清水 矢内 竹部 石橋 山田久 長沢 高群 本田
29 2002 中井広恵 ○●●○○ 碓井涼子 斎田 碓井 石橋 清水 竹部 矢内 長沢 早水 古河 高橋
30 2003 中井広恵 ●○●● 清水市代 碓井 石橋 清水 竹部 矢内 高橋 斎田 高群 山田久 島井
31 2004 清水市代 ○●○○ 千葉涼子 中井 千葉 石橋 矢内 高橋 斎田 山田久 早水 本田 上川
32 2005 清水市代 ●●● 矢内理絵子 千葉 石橋 中井 斎田 矢内 山田久 本田 山田朱 竹部 島井
33 2006 矢内理絵子 ○●●○○ 中井広恵 清水 石橋 中井 千葉 斎田 山田久 本田 甲斐 岩根 松尾
34 2007 矢内理絵子 ○○○ 斎田晴子 中井 清水 千葉 本田 岩根 斎田 甲斐 島井 里見香 山田朱
35 2008 矢内理絵子 ○●●○● 清水市代 斎田 清水 甲斐 里見香 千葉 岩根 本田 石橋 中倉宏 上田
36 2009 清水市代 ●●● 里見香奈 矢内 里見香 千葉 甲斐 岩根 斎田 本田 早水 井道 中井
37 2010 里見香奈 ○○○ 清水市代 清水 千葉
[注釈 7]
岩根 甲斐 斎田 本田 早水 石橋 上田 北尾
38 2011 里見香奈 ●○○○ 清水市代 清水 早水 甲斐 斎田 上田 岩根 中井 矢内 中村真 千葉 千葉は張出
39 2012 里見香奈 ○●○●○ 上田初美 清水 矢内 中村真 甲斐 斎田 上田 岩根 石橋 本田 室田
女流名人位戦 女流名人位リーグ
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 6 7 8 備考
40 2013 里見香奈 ○○○ 中村真梨花 上田 清水 岩根
[注釈 7]
石橋 村田 香川 千葉 中村真 室田 中村桃 里見香、クイーン名人獲得
女流名人戦 女流名人リーグ
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 張出 備考
41 2014 里見香奈 ○○○ 清水市代 中村真 清水 香川 室田 鈴木 伊奈川 熊倉 室谷 渡部 岩根 岩根は張出
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 6 備考
42 2015 里見香奈 ●○○●○ 清水市代 清水 香川 中村真 伊奈川 室谷 甲斐 矢内 上田 船戸 渡部
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 5 6 7 備考
43 2016 里見香奈 ●●○○○ 上田初美 清水 上田 香川 中村真 甲斐 室谷 中井 山田久 伊藤沙 山口恵
44 2017 里見香奈 ○○○ 伊藤沙恵 上田 香川 室谷 中井 伊藤沙 中村真 清水 岩根 渡部 石本 清水リーグ31期連続在籍
45 2018 里見香奈 ○○●○ 伊藤沙恵 伊藤沙 上田 香川 中村真 渡部 谷口 甲斐 相川 山根 武富
46 2019 里見香奈 ○○○ 谷口由紀 伊藤沙 上田 香川 谷口 甲斐 中村真 渡部 藤田綾 鈴木 山根
年度 女流名人 勝敗 挑戦者 1 2 3 4 6 7 備考
47 2020 里見香奈 室谷 伊藤沙 香川 渡部 鈴木 上田 加藤桃 千葉 加藤圭 山根
  • 37期の千葉涼子と40期の岩根忍は休場のため翌年は張出。
  • 42期の矢内理絵子は5月から休場したが、すでにリーグ戦発表後だったので張出として扱われず、9局すべて不戦敗で降級となった。

通算成績

  • リーグ残留・参加は女流名人在位も含む。
  • リーグ残留は第4期から数える。()は休場を除いた年数。
  • リーグ参加は第2期から数える。()は休場を除いた年数。
  • 第46期まで。

第1期女流プロ名人位戦

第1期ではもともと唯一の女性プロだった蛸島彰子は別格とされ、他の5人によるトーナメントの優勝者と蛸島が三番勝負を行い、勝者が初代女流名人となるシステムであった[2]

その中から関根紀代子寺下紀子が挑戦者決定戦に進出。挑戦者決定戦では関根が風邪を引いていて、対局中にゆったりしたセーターを着ていたために、その袖に引っ掛けて落した香車を気づかずに持ち駒として使ってしまい、関根の反則負けとなった[2]。これが女流棋戦初の反則負けである。第1期は蛸島と関根の対局の実現を期待されていたが、この影響で結局その後も両者の番勝負が実現することは無かった[2]

蛸島と寺下による三番勝負は1974年11月に行われ、蛸島が第1局・第2局を連勝して三番勝負を制し、第1期女流名人となった[15]

なお、1974年度の第1期のトーナメントの金額は1局ごとに5000円。別に化粧代として同額。決勝三番勝負の対局料は8万円で優勝賞金は15万円であった[2]

エピソード

  • 当初女流名人位戦に関しては予選・リーグ戦・番勝負を通じてほとんどの対局が東西の将棋会館で行われていたが、23期からは、番勝負を地方で開催するようになった(初めての地方対局は第23期5番勝負第1局、金沢での対局)[16]
  • 2006年度の第33期五番勝負では、第3局で本棋戦における初の海外対局が2007年3月5日に中国の青島で行われた[17]
  • 里見香奈は第46期の女流名人防衛で11連覇を達成し、同一女流タイトル戦の連続在位記録としては女流王将10連覇の林葉直子を超え史上1位となった。

脚注

注釈

  1. ^ ただし複数の記事で当棋戦について女流名人位戦として創設された[5][6]などもあり、表記にバラツキがある。
  2. ^ 将棋界の年度は4月に始まり翌年3月に終わる。そのため「n年度」女流名人戦の五番勝負が行われるのは、「n+1年」の1月 - 2月であることに留意。
  3. ^ ただし張出の存在によって通過者の数が年ごとに異なる。第40期のみ3名、第39期以前と第41期・42期は5名。
  4. ^ 第39期まではA級とB級のリーグからなり、定員はそれぞれ10名であった。A級リーグの最上位者が女流名人に挑戦していた。一方でA級の下位3名とB級の上位3名が入れ替えられ、B級の下位5名がB級リーグから脱落した。
  5. ^ 順位戦では、休場者がいる場合に降級者・昇級者の人数調整が行われ、リーグ戦の定員を超えることもあったり、降級者が1人もいないこともありうる。詳細は順位戦を参照。
  6. ^ 2015年度より女流名人戦五番勝負の湯原温泉対局がある場合、対局と並行して非公式戦トーナメント「岡山県湯原温泉杯湯原あったまるオープン戦」が同時に行われていた[14]
  7. ^ a b 休場

出典

  1. ^ a b 文化・芸術活動”. ユニバーサルエンターテインメント公式サイト. ユニバーサルエンターテイメント. 2019年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 田丸 2005, pp. 123–126
  3. ^ 『近代将棋』1998年2月号 p100
  4. ^ 香川 2018, pp. 89–93, 「女流棋士誕生前夜」女流六段 関根紀代子
  5. ^ 初代女流名人・蛸島彰子女流六段が引退…「ひふみん」に続き女流レジェンドも”. スポーツ報知. 2018年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。
  6. ^ 将棋年鑑、若手女流の気になるアンケート回答|将棋情報局”. 将棋情報局. マイナビ出版. 2019年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月9日閲覧。
  7. ^ 第28期女流プロ名人位戦
  8. ^ 第29期アルゼ杯女流名人位戦
  9. ^ 女流棋戦名称変更のお知らせ 新名称「ユニバーサル杯女流名人戦」”. 日本将棋連盟 (2014年3月17日). 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月14日閲覧。
  10. ^ a b 青野照市. “【勝負師たちの系譜】脱「NO.2」へ 伊藤女流二段の巻き返し期待”. zakzak. 夕刊フジ. 2019年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月2日閲覧。
  11. ^ ユニバーサル杯「第40期女流名人位戦」システム変更のお知らせ - 日本将棋連盟、2012年7月14日。
  12. ^ 棋王戦 ー 棋戦概要”. 日本将棋連盟. 2019年9月2日閲覧。
  13. ^ 岡田美術館杯女流名人戦 棋戦概要
  14. ^ 女流名人戦第4局こぼれ話。対局前日に色とりどりのスイーツが出てくる理由とは? |将棋コラム|日本将棋連盟」『日本将棋連盟』。2018年7月19日閲覧。オリジナルの2017年3月15日時点におけるアーカイブ。
  15. ^ “【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(4) 初の女性棋戦でタイトル獲得” (日本語). 産経新聞. (2018年4月5日). オリジナルの2018年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716104858/https://www.sankei.com/life/news/180405/lif1804050018-n1.html 2018年7月16日閲覧。 
  16. ^ 日本将棋連盟女流棋士会 2002, pp. 142–143
  17. ^ 第33期女流名人位戦第3局 中国・青島対局 2007「日中文化・スポーツ交流年」事業へ|将棋ニュース|日本将棋連盟」『日本将棋連盟』、2007年1月31日。2018年7月19日閲覧。オリジナルの2018年7月19日時点におけるアーカイブ。

参考文献

外部リンク