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岩根忍

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 岩根忍 女流三段
名前 岩根忍
生年月日 (1981-03-16) 1981年3月16日(36歳)
プロ入り年月日 2004年4月1日(23歳)
棋士番号 32
出身地 大阪府大阪市
師匠 小林健二九段
段位 女流三段
戦績
2016年6月8日現在

岩根 忍(いわね しのぶ、本名:泉 忍(旧姓岩根)、1981年3月16日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士小林健二九段門下。大阪府大阪市出身。女流棋士番号は32。

人物

女流棋士の一般的な登竜門である女流育成会出身ではなく、奨励会より、直接、女流棋士に転身した初めてのケースである(奨励会1級から女流1級になった)[1]

将棋指しという勝負師である一方で、自分のことを「しぃ」と呼ぶあどけなさ、おっとりした関西弁、柔和な笑顔が特徴である。愛称はしーちゃん。特技は、フィギュアスケートけん玉で、それぞれ「将棋世界」誌の連載企画「岩根忍の将棋って楽しい」(岩根が毎月地方の将棋道場を訪れ、地元の子供たちに指導対局する企画。1年間連載)で本人の実演シーンの写真が掲載された。

1994年の女流アマ名人戦優勝を経て、1995年、奨励会に入会。関西奨励会で1級まで上がる。この段級位は、優遇措置が適用されて初段まで上がった蛸島彰子と、先に女流棋士としてタイトル通算6期の実績から1級への編入試験受験を認められて合格した里見香奈のケースを除けば、女性の奨励会員としては甲斐智美伊藤沙恵加藤桃子と並び当時の史上最高位の記録であったが[2]、2014年に西山朋佳が初段に昇段し、この記録が破られた。なお、奨励会時代の2002年に、第60期名人戦七番勝負第1局(NHK衛星第2で生放送)の記録係を、女性として史上初めて単独で行っている。

2004年4月1日に女流1級としてデビュー。その後順調に勝ち星を挙げ、1年後の2005年4月1日に女流初段となる。

デビュー直後の2004年から2年あまり、村田智穂とのコンビで、関西将棋会館サイト内のコンテンツ「お気楽日記」を執筆。以後「お気楽コンビ」と呼ばれるようになり、セットでの将棋普及活動も行う。 また、日本経済新聞のサイトであるNIKKEI NET 将棋王国において高橋和の後を引き継いで、コラム執筆を行う。

2004年4月から9月までNHK将棋講座阿部隆の良い手悪い手普通の手」(NHK教育テレビ)のアシスタントを務めた。このとき、アナウンサーの泉浩司と出会う。これをきっかけに2006年1月23日に結婚。その年の秋に第1子(男児)を出産し、ママさん棋士となる。女流棋士としての姓は「岩根」のままで活動している。

2009年3月9日 第2期マイナビ女子オープンで、タイトル在位者・経験者の蛸島彰子、石橋幸緒斎田晴子清水市代らを破って6連勝し、挑戦権を得る。当時、岩根は第2子の出産を控える妊娠8か月であったが、インタビュアーに対し「(子供を)授かったことが(逆に)支えになりました」と語った。出産予定日がタイトル戦期間中となるため、五番勝負第2局以降の日程を白紙とし挑戦者の出産後、労働基準法で定められている8週間以上の休養期間をもって再度調整をする旨が、各主催者から2009年4月上旬に発表された[3]

2009年4月21日午後、第2子(男児)を出産。

2009年7月8日棋士(男性棋士)との初の公式戦で初勝利を挙げる(第3回朝日杯将棋オープン戦一次予選)。相手は普段から仲の良い神吉宏充であった。

2010年 倉敷藤花戦挑戦者として、里見香奈倉敷藤花に挑戦。初戦に勝利し王手をかけるも2連敗でタイトル奪取ならず。尚初戦(10月21日)と2戦(11月2日)の間に里見は女流王将を奪取しており(10月28日)、女流三冠を防衛した。

昇級・昇段履歴

昇段規定は将棋の段級 を参照。

主な成績

将棋大賞

  • 第37回(2009年度)- 女流最多対局賞

関連項目

脚注

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  1. ^ 日本将棋連盟の規定により、初めから女流棋士の資格がなく、奨励会員としてのみ籍をおいていた女性が、奨励会2級以上で退会した場合、4月1日付又は10月1日付で退会時の段級位でそのまま女流棋士になることができる。この規定は、岩根が女流棋士になる少し前にできた新しい規定である
  2. ^ タイトル経験者の矢内理絵子千葉涼子の奨励会(関東奨励会)での最高位は2級である。
  3. ^ 日本将棋連盟 2009年4月3日 『第2期マイナビ女子オープン五番勝負日程について』

関連項目

外部リンク