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逗子市

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ずしし ウィキデータを編集
逗子市
逗子市旗
逗子市章
1950年12月30日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
市町村コード 14208-5
法人番号 1000020142085 ウィキデータを編集
面積 17.28km2
総人口 55,693[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 3,223人/km2
隣接自治体 横浜市鎌倉市横須賀市
三浦郡葉山町
市の木 ツバキ
市の花 ほととぎす[1]
逗子市役所
市長 桐ケ谷覚
所在地 249-8686
神奈川県逗子市逗子五丁目2番16号
逗子市役所庁舎
逗子市役所庁舎
外部リンク 逗子市

逗子市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 市外局番:046、0467(小坪の一部)
ウィキプロジェクト

逗子市(ずしし)は、神奈川県三浦半島の付け根に位置するである。

概要

古都保存法の指定都市となっている。少子高齢化のため人口は頭打ちとなっており、2006年現在、神奈川県の市ではもっとも高齢化率が高い。

市制30周年を記念して、1984年(昭和59年)4月15日に市の花をほととぎすと制定[2]。ほととぎすを『市の鳥』と勘違いしている人もいるが、逗子市が制定したものは花のほととぎすであり、鳥のほととぎすではない。(市の鳥を制定した実績はない)

日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市 (Zushi) が最後になる。地名の由来は弘法大師・空海が延命寺に厨子を建立したことによる[3]

キャッチフレーズは『太陽が生まれたハーフマイルビーチ』。

地理

三浦半島北西部、相模湾に面する都市で、湘南の一部とされることもある。北西に鎌倉市、南に三浦郡葉山町、東に横須賀市北部が位置し、北東で横浜市にも接する。東京や横浜のベッドタウンで、1965年(昭和40年)造成開始の披露山庭園住宅など、新興の高級住宅街が見られる。また鎌倉・葉山などとともに海水浴場のある観光都市でもある。

三浦丘陵の西側にあたるため山がちな地形だが、市内の標高は最高でも140 mほどと特に高い山はない。鎌倉市や葉山町とは尾根筋を境界としているが、山上にも宅地が造成されている。市域の大部分は東部の横須賀市境付近を源流とし相模湾に注ぐ二級河川田越川の流域で、川沿いに平地が広がっている。

隣接している自治体・行政区

歴史

  • 1950年(昭和25年)7月1日 - 横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置される。
  • 1952年(昭和27年)1月12日 - 小坪漁港第1種漁港に指定される。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 横須賀線に東逗子駅開設。

行政

歴代町長

1950年に横須賀市から分離独立した逗子町の町長

歴代町長[5]
氏名 就任 退任 備考
1 1 荒井友三郎 1950年 (昭和25年) 7月24日 1953年 (昭和28年) 7月27日 早雲山道了山別院に滞在中、土砂崩れにより在職中死去[6]
2 2 山田俊介 1953年 (昭和28年) 9月13日 1954年(昭和29年)4月15日 内務官僚、第42代青森県知事、満州国警務総局長[7]、第35代福岡県知事

歴代市長

歴代市長[5]
氏名 就任 退任 備考
1 1 山田俊介 1954年(昭和29年)4月15日 1957年(昭和32年)9月12日 市制施行に伴い市長に就任
2 1957年(昭和32年)9月13日 1961年(昭和36年)9月12日
3 1961年(昭和36年)9月13日 1965年(昭和40年)9月12日
4 1965年(昭和40年)9月13日 1969年(昭和44年)7月1日 在職中死去
5 2 高橋鯛蔵 1969年(昭和44年)8月17日 1973年(昭和48年)8月16日
6 3 三島虎好 1973年(昭和48年)8月17日 1977年(昭和52年)8月16日
7 1977年(昭和52年)8月17日 1981年(昭和56年)8月16日
8 1981年(昭和56年)8月17日 1984年(昭和59年)10月6日 池子問題において池子米軍住宅建設を条件付きで受け入れ辞職
9 4 富野暉一郎 1984年(昭和59年)11月11日 1987年(昭和62年)8月28日 住宅建設反対派。池子問題で当時建設容認派多数の市議会と対立し辞職
10 1987年(昭和62年)10月12日 1988年(昭和63年)11月10日
11 1988年(昭和63年)11月11日 1992年(平成4年)11月10日
12 5 澤光代 1992年(平成4年)11月11日 1994年(平成6年)11月30日 池子米軍住宅建設の白紙撤回要求を断念、条件付き合意後辞職。住宅建設反対派
13 6 平井義男 1994年(平成6年)12月25日 1998年(平成10年)12月24日 住宅建設容認派
14 7 長島一由 1998年(平成10年)12月25日 2002年(平成14年)12月24日
15 2002年(平成14年)12月25日 2003年(平成15年)8月24日 米軍住宅追加建設問題で、市民の信を問うため辞職
16 2003年(平成15年)9月14日 2006年(平成18年)12月24日
17 8 平井竜一 2006年(平成18年)12月25日 2010年(平成22年)12月24日
18 2010年(平成22年)12月25日

人口

逗子市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 48,242人
1975年(昭和50年) 56,298人
1980年(昭和55年) 58,479人
1985年(昭和60年) 57,656人
1990年(平成2年) 56,704人
1995年(平成7年) 56,578人
2000年(平成12年) 57,281人
2005年(平成17年) 58,033人
2010年(平成22年) 58,302人
2015年(平成27年) 57,425人
2020年(令和2年) 57,060人
総務省統計局 国勢調査より


経済

産業

姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

町丁名

教育

高等学校

中学校

小学校

交通

鉄道路線

横須賀線が北西から東へ、京浜急行電鉄逗子線が北東から中央部へと走る。市の代表駅は市の中心部にある逗子駅および新逗子駅。

バス路線

道路

逗子海岸

海岸沿いと谷筋に沿って幹線道路が延びている。他の自治体とは基本的にトンネルで連絡するが、山上に住宅団地が造成されているため住宅地の区画道路が市境となっている箇所も見られる。幹線道路を含め、大半の道路が2車線以下である。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

国指定文化財

重要文化財

  • 五輪塔
石造五輪塔で「乾元二年(寛元2年、1244年)癸卯七月八日」の刻銘がある。池子の東昌寺に所在。1935年に「石造五輪塔一基」として重要美術品等に認定[8]、1953年8月29日に「高養寺五輪塔」として重要文化財指定[9]、1977年6月27日に「五輪塔」へ名称変更[10]

史跡

景勝十選

  1. 田越川の桜と柳
  2. 久木大池公園
  3. 名越切通し
  4. 大崎公園の展望
  5. 濾花記念公園
  6. 六代御前の墓
  7. 岩殿山
  8. 逗子海岸と浪子不動
  9. 披露山公園
  10. 神武寺

その他

逗子マリーナ

出身人物

出身人物

ゆかりの人物

脚注

外部リンク

行政
観光