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根羽村

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ねばむら ウィキデータを編集
根羽村
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
下伊那郡
市町村コード 20410-2
法人番号 8000020204102 ウィキデータを編集
面積 89.97km2
総人口 795[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 8.84人/km2
隣接自治体 売木村平谷村
愛知県豊田市設楽町豊根村
岐阜県恵那市
村の木 スギ
村の花 ツツジ
根羽村役場
村長 大久保憲一
所在地 399-0701
長野県下伊那郡根羽村1762番地
根羽村役場
外部リンク 根羽村公式ページ

根羽村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 役場の標高:603m
ウィキプロジェクト
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根羽村(ねばむら)は、長野県西南部に位置し岐阜県愛知県に隣接する

地理

長野県の南西部最南端に位置する。村の南東には茶臼山が聳え、全体に北西へ向かって標高が低くなる。 村域は全て矢作川流域であり、明治用水の涵養林があるなど後述の通り古くから愛知県との密接な関係にある。

  • 山:茶臼山(1,415.2m)、萱場山、蜂盛山
  • 河川:矢作川、小川川、檜原川、上村川
  • 湖沼:茶臼山湖

歴史

  • 古代・中世の根羽・月瀬村両村は三河国に属していた。
  • 平安時代794年 - 1185年)後半、高橋新荘により現在の愛知県東加茂郡全域と豊田市西加茂郡北設楽郡及び長野県の旧根羽村・月瀬両村を含む広大な区域が成立した。
  • 鎌倉時代1185年 - 1333年)は加茂郡名倉郷に属し、鎌倉御家人の荘官足助氏の支配下に入ったと伝えられている。
  • 南北朝時代1331年 - 1394年)には加茂郡足助庄に属したとされている。
  • 天文10年(1541年)には旧根羽村・月瀬村に及び、更に享禄年間(1582年 - )には阿南町新野の関氏の勢力が三河に及んでいたとされている。、
  • 天文13年(1544年)8月13日、下條氏によって関氏は滅ぼされ、下條氏の支配下に入った。
  • 弘治2年(1582年新野峠が武田軍によって改修され、下條信氏が武節谷合戦で功を上げた。
  • 元亀2年(1571年)4月、武田信玄西上作戦の一環として足助松山城が攻略され、根羽・月瀬両村はこの時以降武田領となり、三河国から信濃国に編入となった。信玄は元亀4年4月に信濃伊那郡において死去したとされるが、『甲陽軍鑑』によれば三河攻めの際に三河の野田城攻撃中に肺肝を患い、根羽村で臨終を迎えたとしている。
  • 天正10年(1582年)武田氏滅亡により、織田知行所に変わり、同年、織田信長自刃により徳川氏の天領となった。以降、宮崎信州代官・飯島代官所支配などを経る。
  • 慶応4年(1868年)尾州取締所預かりとなり、同年8月の廃藩置県により伊那県に編入となった。
  • 明治4年(1871年筑摩県、同9月に長野県となる。
  • 明治8年(1875年)1月12日、根羽村と月瀬村が合併し、現在の根羽村となり、今日に至っている。

地域

16世紀までは、三河国加茂郡に所属していた経緯もあり、隣接する豊田市、さらに西三河刈谷市安城市とも交流がある。村内を流れ三河湾に注ぐ矢作川や、豊田市と通じる国道153号の影響で、愛知県西三河地域との結びつきが強い。

アイシン精機(愛知県刈谷市)とグループ会社のアイシン・エィ・ダブリュ(愛知県安城市)は、2004年平成16年)、長野県が手がける森林整備事業「森林の里親促進事業」による協定を締結した[1][2]2007年(平成19年)には同じグループ会社のアイシン高丘(愛知県豊田市)、アイシン化工(愛知県豊田市)、アイシン・エーアイ(愛知県西尾市)の3社も協定に加わり[3][4][5]、計5社が年間300万円を寄付し、根羽村の森林整備費を支援している。また社員環境教育と根羽村住民との交流を深めることを目的として、様々な自然・森林・林業体験を行う「根羽村親子わんぱく体験隊」を実施し、その参加費は「根羽村水源の郷基金」に寄付し、環境保全に関する各事業に活用されている[6][7]

新聞の折り込みチラシは豊田市のものも入り、根羽を訪れる観光客の6~7割は愛知県の人。飯田市からも遠いので、経済的にも愛知を向いている。[要出典]豊田市にはバスも出ており、買い物に出かける村民も多く、生活圏は豊田市に属しているといえる。「平成の大合併」が議論されていた2003年ごろ、住民の間では豊田市への合併を望む声も多かった。[要出典]

行政

し尿処理・ごみ処理場の事務は愛知県北設楽郡設楽町東栄町豊根村とともに一部事務組合北設広域事務組合」を組織して当たっている。火葬事務は設楽町・豊根村と「斎苑運営委員会」を設置し「設楽町津具斎苑」を共同利用している。

人口

根羽村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 2,121人
1975年(昭和50年) 1,938人
1980年(昭和55年) 1,773人
1985年(昭和60年) 1,722人
1990年(平成2年) 1,599人
1995年(平成7年) 1,522人
2000年(平成12年) 1,380人
2005年(平成17年) 1,253人
2010年(平成22年) 1,129人
2015年(平成27年) 970人
2020年(令和2年) 852人
総務省統計局 国勢調査より


教育

  • 根羽村立根羽小学校
  • 根羽村立根羽中学校
  • 高等学校
村内に高校はなく阿智高校への自宅通学か、もしくは飯田市等の高校への下宿となる。
2008年3月以前は、村から最も近い愛知県立田口高校稲武校舎への自宅通学もあったが、2006年に生徒募集をやめ閉校したため、通学先の確保が課題となる。

交通

道路

一般国道

都道府県道

主要地方道
一般県道

バス

平日:1日5往復、休日:1日3往復
1日3往復(どんぐりの湯(稲武) - 上郷 間(豊田市内)は1日7往復)

名所・旧跡・観光スポット

月瀬の大スギ

関連項目

脚注

外部リンク