引退試合

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引退試合(いんたいしあい)とは引退を表明した選手が引退するにあたって行われる試合。

概要

引退試合は公式戦中に行う場合と公式試合以外の場合とがある。

いずれの場合でも試合後には引退式と称したセレモニーが催される。また、当該選手が試合そのものに出場するとは限らない。引退式ではファンへの挨拶、花束贈呈が実施される。また、選手を送り出すための演出も執り行われ、野球サッカーなどの団体球技における胴上げボクシングプロレスなどの格闘技におけるテンカウントゴング(ゴングを10回打ち鳴らす)が有名である。引退試合はプロのみならず、アマチュアでもオリンピック出場経験者など著名な選手であれば実施される場合がある。

広義では引退式を行わない、現役最後の出場試合を含めることもある。

引退試合は大相撲引退相撲及び断髪式を参考にした日本スポーツ界における風習となっているものである。そのため、海外ではMLBにおいてワンデー・マイナーリーグ・コントラクトと題して1日だけマイナー契約を結び、プレシーズンで始球式を行う程度で、セレモニーこそ引退から期間が経過してから執り行われるものの試合形式のイベントは皆無に近い。

スポーツではないが、囲碁棋士本因坊秀哉1938年の引退にあたり「引退碁」を行った。

日本プロ野球

プロ野球が再開された1947年から、1975年まで野球協約で正規に定められていた。別名を「10年選手制度」といい、現在のフリーエージェント制度の前身である。

顕著な功績をもつすべての10年選手は所属クラブとの合意に基づき、かつ最終的に現役を引退するにさいし、希望する地域において毎年11月15日以後エキジビションゲームとして引退試合を主催し、その収益金を取得することができる。 — 日本プロフェッショナル野球協約 第97 - 100条

「10年選手」にはこの他にトレード拒否権、再契約金受給権が付与されていた。

この規定が適用された選手は次の12名。規程が「することができる」となっているため、吉田義男稲尾和久など引退試合を行わなかった有資格者が多数存在する。

(*選手引退後に連続してコーチ・監督として同じ球団に在籍しており、選手の引退時ではなく監督としての引退時に行った)

規定廃止以降は、終盤の本拠地での公式戦(最終戦が多い)を引退試合と位置付けるか、選手契約を解除された後のオープン戦等において非公式に行われている。現在の規則では引退選手がオープン戦に出場する場合、所属するチームが日本野球機構に申請を行い、セントラル及びパシフィック・リーグを通じてそれ以外の球団に公示する仕組みとなっている。引退試合を行った選手は中日ドラゴンズに所属した選手が非常に多いが、これはドラゴンズの内規に、タイトルを一定数以上獲得した選手は引退試合を行うとする定めがある為(具体的には在籍10年以上、タイトル獲得数5個以上、日本プロ野球名球会入りしているなど[1])。また実際の試合への出場ではなく、始球式での対戦を引退試合とすることがある。

クライマックスシリーズが開催されるようになると消化試合が少なくなり、また出場選手登録をそのまま引き継ぐため引退する選手を登録できず、引退セレモニーのみを行うケースも多い。球団の告知でも引退試合ではなく引退セレモニーを行うとして発表されている。2013年5月5日に開催された松井秀喜の引退式もこのセレモニーの形式によるものだが、長嶋茂雄と同時受賞することが決まった「国民栄誉賞贈呈式」を兼ねている。

2013年シーズン限りで引退した山崎武司は、中日と1日限りの支配下選手契約を結び2014年3月21日の中日対楽天のオープン戦にスターティングメンバーで臨んだ[2]。日本プロ野球で引退試合のために選手契約を結ぶのは山崎が初めてである[3]

引退試合はあくまでもセレモニーであり、任意引退等の公示がなされない間はその試合後も選手として出場することは差し支えない。

Jリーグ

Jリーグでは

引退試合は、公式試合および天皇杯全日本サッカー選手権大会において通算500試合以上の出場実績を達成した選手またはJリーグで活躍し、Jリーグの発展に著しく貢献した選手を対象として開催する。なお、試合で得られた純利益は原則として対象選手が全額受領することとなっている。 — Jリーグ規約第72条〔引退試合〕

と定められている。

2014年3月の理事会で規約の一部改正が行わなれ、「通算500試合以上」の規定が実現が困難であるとして撤廃された[4]

2015年7月現在、規定が適用された選手は次の18名。

上記以外に、選手契約解除後のプレシーズンマッチなどで非公式に行ったり、現役最後のホームゲームを引退試合と位置付け、セレモニーを行う場合もある(主に小倉隆史アマラオ森島寛晃など)。また、現役期間中に死去した松田直樹に対しては故人ゆかりの選手が参加した「追悼試合」という形で引退試合を行った。

さらに、2003年8月10日にはJリーグ選手協会協力のもと、2002年度の引退選手の感謝試合をエルマーノ大阪と行った。出場した選手は以下の通り。

日本プロボクシング

タイトル獲得者など実績を持つ選手は興行の一プログラムとして引退式と合わせて執り行う事が多い。同一ジムから複数の引退選手が出た場合は一興行でまとめて引退式を行う。なお、日本ボクシングコミッション(JBC)では後楽園ホールで引退式をチャンピオン経験者のみと規定しているが、さもない選手であっても功労者として認められる場合はJBCが特例として許可する場合もある[5]。後楽園ホール以外では特に規定はないため、カズ有沢のようにチャンピオン経験がなくても後楽園以外の会場で引退式を開く場合もある。最終的に引退式の実施は所属ジムやプロモーターの意向に任される。そのため世界王座に君臨していた選手であってもジムやプロモーターの都合により引退式が行われない場合がある(例えば具志堅用高の場合、世界王座13度防衛記録を打ち立てたにもかかわらず、毒入りオレンジ事件の影響で引退式が中止になった)。

引退試合は大抵エキシビションとして組まれるが、大東旭長嶋建吾のようにライセンス失効前に現役最後の公式戦(ノンタイトル)として実施される事もある。

また、試合はせずに引退式のみを執り行う場合(主に傷病やその他個人的事情によりエキシビションすら不可能な選手が行う)や、引退式とエキシビションを別に行う場合(内藤大助)、ライセンス失効から長い年月を経て執り行う場合(竹原慎二)、興行形式ではなく引退パーティーとして行う場合(佐々木基樹)もある。特殊なケースとして坂本博之は引退試合と位置づけた公式戦を戦った後に別日程で引退式、さらに引退記念興行(エキシビション)も開催した。一方、薬師寺保栄の場合、世界王座獲得者であるにも関わらず事情もあって引退式を行えず、ジム設立記念パーティーにてテンカウントゴングを聞いた。2006年4月2日にはビー・タイト事務局主催により、引退選手を対象に「The Final」と題したイベントが新宿FACEで開催され、カシアス内藤を筆頭に18名が引退試合を行った。

プロレス

引退試合は通常の興行の中の一試合として中堅以上の選手であれば普通に行われるが、特に有名な選手になると興行自体が引退記念として行われ試合順もメインイベントになることが多い。フリーランスの場合、自主興行として行われることが多く、小橋建太立野記代のように引退直前に所属団体を退団して自主興行として行うこともある。また、アントニオ猪木のように引退試合の前の興行で引退カウントダウンと銘打った試合を行うこともある。一方、興行の一部として引退セレモニーを行うが試合はしない例(ジャンボ鶴田スタン・ハンセン)や、現役中に死去したため「引退試合」という名のセレモニーを行う例(ジャイアント馬場)、セレモニーすら行わずビデオ等での挨拶のみを済ませる例(ラッシャー木村)、試合に近い形のセレモニーを行う例(ブル中野)もある。変わったケースとして、総勢70人以上の時間差バトルロイヤルで引退したGAMIがいる。リック・フレアーは「負けたらその試合限り引退」とビンス・マクマホンに通告されていたため、その通告後に初めて負けた試合が現役最後の試合となり、後日引退セレモニーを行った。かつての全日本女子プロレスでは引退試合後もノーテレビに数試合出場した選手が存在した(ジャッキー佐藤など複数名該当)。

日本競馬

競走馬

顕著な活躍を見せた競走馬について、競走馬としての引退が決定し、その引退レースが終了して一定の期間が経ってからの昼休みに、その競走馬に関係する騎手、調教師、厩務員、馬主らが参列して引退セレモニーが行われる。引退式では本馬場入場から返し馬、騎乗供覧が行われるが、馬の状態によっては返し馬や騎乗供覧が省略される場合もある。

なお有馬記念を最後に現役を引退する競走馬については、同日の全競馬競走終了後の日没に、有馬記念が開催される競馬場で引退セレモニーを催すものもある(ディープインパクトオルフェーヴルジェンティルドンナ他)。

騎手・調教師

騎手・調教師についても、それらが引退を発表し、騎手・調教師免許を満了・返上する週に引退セレモニーを開催することがあり、特に中央競馬においては期首・調教師の免許更新(新規免許取得者を含む)が行われる3月を前にした2月の最終週に集中して行われるケースが多い。

脚注

関連項目