坂本博之
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | 坂本 博之 |
| 通称 | 不動心、平成のKOキング |
| 階級 | ライト級、スーパーライト級 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1970年12月30日(41歳) |
| 出身地 | 福岡県田川市[文献 1] |
| スタイル | 右ファイター |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 47 |
| 勝ち | 39 |
| KO勝ち | 29 |
| 敗け | 7 |
| 引き分け | 1 |
坂本 博之(さかもと ひろゆき、男性、1970年12月30日 - )は、日本の元プロボクサー。福岡県田川市出身[文献 1]。パワーのあるパンチで、「平成のKOキング」「和製デュラン」とも呼ばれた。日本ならびに東洋太平洋ライト級王座を獲得。世界ランキングは最高でWBCライト級1位。
目次 |
[編集] 人物
幼少時に両親が離婚、預けられた福岡市東区の養護施設『和白青松園』のテレビでボクシングの試合を見たことがきっかけで、プロボクサーを志すようになる。
引退後は、自らも幼少時に児童虐待の被害者であった[1]体験から、子供達の怒り、悲しみ、カゲ(「もう一人の自分」と表現)の心を受けとめるために、全国の児童養護施設を廻っている[2]。
クラシック音楽が好きで、現役時代は自身の入場曲にもクラシック音楽を使っていた。主な入場曲はドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」第4楽章。
[編集] プロボクサー歴
小松原高等学校卒業と同時に、角海老宝石ボクシングジムに入門(最初のプロテストは不合格であった)[3]。
1991年12月14日、プロデビュー戦で初回KO勝ち。
1992年12月18日に東日本ライト級新人王、翌1993年2月20日には、全日本同級新人王に輝き、全日本新人王決定戦MVPにも輝いた。
同年12月13日、12戦全勝(10KO)の戦績を引っ提げ、日本王座初挑戦。日本ライト級王者リック吉村(石川ジム/米国出身)に挑み、9回TKO勝ち。王座獲得に成功し、翌1994年2月5日には初防衛に成功。
同年8月6日、1階級上の日本ジュニアウェルター級(現・スーパーライト級)王者桑田弘(進光ジム)とノンタイトル戦を戦い、10回TKO勝ち。この試合後、日本ライト級王座を返上。
1995年5月6日、元WBA世界ジュニアウェルター級王者ファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン)とノンタイトル戦を戦うも、10回判定負け。プロ初黒星を喫した。
1996年3月3日、OPBF東洋太平洋ライト級王座決定戦に出場。ロジャー・ボリロス(フィリピン)を11回TKOに降し、王座獲得に成功。その後、2度防衛成功後、王座返上。
1997年7月26日、29戦目で世界初挑戦。WBC世界ライト級王者スティーブ・ジョンストン(米国)に挑んだが、12回判定で敗れ王座獲得ならず[文献 2]。
1998年8月23日、世界再挑戦。6月にジョンストンを破りWBC世界ライト級王座を獲得したセサール・バサン(メキシコ)に挑むが、またしても12回判定負けで王座獲得ならず[文献 3]。
2000年3月12日、3度目の世界挑戦。WBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑む。初回、王者から2度のダウンを奪うも、2回に王者の左アッパーを受け右目を負傷。迎えた5回、傷がさらに深くなったところで4度目のドクターチェックが入り、ここで試合ストップ。TKO負けとなり、またしても王座獲得ならず[文献 4]。
同年10月11日、4度目の世界王座挑戦。6月にセラノを降して、WBA世界ライト級王座を獲得、日本人4人目の世界2階級制覇を達成した畑山隆則(横浜光ジム)に挑む。初回から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げるが、迎えた10回、王者の連打を浴びたところでダウン。セコンドからタオルが投入され、4度目の挑戦も失敗に終わった[文献 5]。なお、この試合は後に同年の年間最高試合に選ばれた。
2001年は1試合も行わず。
2002年10月5日、東洋太平洋2階級制覇を目指し、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者佐竹政一に挑戦するも、最終12回KO負けを喫し、王座獲得ならず。その後、首・腰痛の治療を行うために長期間の休養。
2005年5月12日、佐竹戦以来2年7か月ぶりの復帰戦を行うも、5回TKO負け。その後は2006年に2試合を行い、いずれもKO勝ち。
持病の腰痛(腰椎椎間板ヘルニア)と年齢的な衰えを感じる中、「もう一度日本チャンピオンになったら引退しよう」と決意。しかし、復帰後日のスパーリングの後、「若手相手に体力負けしているのを感じた。もう自分には、畑山戦の時のような常に前に出るボクシングはできないし、日本タイトルに挑戦するだけの練習をする体力も残っていない」と会長に告げ、引退を決意した(参考:ボクシング・マガジン2006年2月号)。
2007年1月6日、プロボクサーとして最後となる、タイライト級1位カノーンスック・シットジャープライとの試合に臨む。結果は7回終了負傷判定で引き分け。
同年7月28日、生まれ故郷・福岡の福岡国際ホールにて引退式が行われた。その後、11月17日には後楽園ホールで引退記念興行が行われた。
2010年8月8日、東京都荒川区にSRSボクシングジムを開いた[4][5]。チーフトレーナーは第28代日本スーパーバンタム級王者の中島吉謙が務めている。
[編集] 獲得タイトル
- 第49代東日本ライト級新人王
- 第39代全日本ライト級新人王
- 第44代日本ライト級王座
- 第30代OPBF東洋太平洋ライト級王座
[編集] 著書
- 不動心
- ちくしょう魂(こん)
- 僕は運命を信じない
[編集] 脚注
- ^ フジテレビ『エチカの鏡〜ココロにキクTV〜』
- ^ NHK『課外授業 ようこそ先輩』
- ^ 一時期、勝又ボクシングジムに移籍し田中敏朗率いる全日本パブリックジム所属で前田宏行らと共にデビューしていたが、その後古巣の角海老宝石ジムに戻っている。
- ^ “平成のKOキング”がジム開設…養護施設の若者を育成へ スポーツニッポン 2010年8月7日閲覧
- ^ 暴力団排除対策会の準備委メンバー発表 日刊スポーツ 2010年8月23日閲覧
[編集] 参考文献
- ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
[編集] 関連項目
- 男子ボクサー一覧
- ボクシング日本王者一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟 (OPBF) 王者一覧
- 川嶋あい(和白青松園の後輩)