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フランク・モンタニー

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フランク・モンタニー
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ロワール県フール
生年月日 (1978-01-05) 1978年1月5日(46歳)
F1での経歴
活動時期 2006
所属チーム スーパーアグリ・ホンダ
出走回数 7
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2006年フランスGP
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フランク・モンタニーFranck Montagny1978年1月5日 - )は、フランス出身のレーシングドライバー

経歴

2001年2003年ワールドシリーズ・バイ・ニッサン(現在のフォーミュラ・ルノー3.5)のシリーズチャンピオン。また、2003年から2005年までルノーF1チームのテストドライバーを務めた。

また、2005年のF1第7戦となったヨーロッパGPでは、ジョーダントヨタのサードドライバーとして金曜フリー走行に出走した。

2006年はレギュラーシート獲得を望んでルノーのテストドライバーを外れ、MF1などと交渉を行ったが不調に終わる。結果、開幕戦・第2戦でスーパーアグリのリザーブドライバーとしてエントリーした後、IRLへの転進が噂されていた。結局、第5戦ヨーロッパGPより再びスーパーアグリのサードドライバーとして契約が決定する。

2006年フランスグランプリ

しかし、レギュラードライバーだった井出有治が前戦のサンマリノGPで接触事故を起こし、FIAからの通告により欠場となったため、急遽代役としてヨーロッパGPでF1デビューを飾ることとなった。その後、井出のスーパーライセンスが剥奪されたため、継続してセカンドドライバーとして参戦することとなり、第10戦アメリカGPまで契約は延長された。さらに第11戦フランスGPがモンタニーの出身国での開催であるため、チームの計らいで引き続きフランスGPも出走した。それ以降については山本左近が第12戦ドイツGPより参戦することになったため、モンタニーはリザーブ兼開発ドライバーとして活動した。

2006年ル・マン24時間でのモンタニー

この年はスーパーアグリでの活動と並行してル・マン24時間レースに出走し、WRC王者のセバスチャン・ローブと同じマシンで総合2位に入るという活躍も見せている。

2007年トヨタに移籍し、テスト兼リザーブドライバーを務めた。しかし、2007年シーズンのみでトヨタを去り、再びレギュラーシートを求めてフォース・インディアのテストを受けたが、シート獲得には至らなかった。

2008年チャンプカー最後のレースに参戦し、テスト経験も無いにも関わらず2位表彰台に登る。また、2007-2008年A1グランプリのフランスチームから第9戦中国GP(上海)スプリントレース12位、フィチャーレース8位と第10戦イギリスGP(スプリントレース10位、フィチャーレース5位)に参戦した。(チーム総合3位)

その後、7月からはアメリカン・ル・マン・シリーズアンドレッティ・グリーン・レーシングから参戦している。モンタニー自身このカテゴリーは初参戦ではなく、シリーズがスタートした1999年と翌年の2000年にそれぞれ1レースずつのみではあるが出走した経験がある。第9戦デトロイトでのレースではジェームズ・ロシターとのコンビで初の総合優勝を果たした。

2009年はル・マン24時間レースにプジョーワークスの908 HDi FAPで参戦、3台体制の2台目としてセバスチャン・ボーデ、ステファン・サラザンとのフランス人トリオで挑んで2位に入り、908のワン・ツー・フィニッシュに貢献した。

その後、8月末からインディカー・シリーズにアンドレッティ・グリーン・レーシングから参戦することが発表され、第14戦のインフィニオンでデビューした。この年はインフィニオンのみの参戦となった。

2010年スーパーリーグ・フォーミュラにフランスのFCジロンダン・ボルドーから参戦している。第4戦スペインの第2レースで初優勝を上げた。

2011年以降はル・マン24時間耐久レースのほか、V8スーパーカーシリーズやインディカー・シリーズなどにスポット参戦をしていた。

2014年、新たに開催されたフォーミュラEにおいてアンドレッティ・フォーミュラEチームより参戦[1]したものの、第2戦のマレーシアにおけるドーピング検査コカイン誘導体の陽性反応が出たため、第3戦以降は出場停止となった[2]

レース戦績

フォーミュラー

国際F3000選手権

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1999年 DAMS IMO
10
MON
9
CAT
Ret
MAG
7
SIL
6
A1R
12
HOC
6
HUN
3
SPA
Ret
NÜR
9
12位 6
2000年 DAMS IMO
Ret
SIL
7
CAT
6
NÜR
Ret
MON
6
MAG
4
A1R
17
HOC
Ret
HUN
12
SPA
Ret
15位 5

F1

所属チーム # ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数
2006年 スーパーアグリ 23 27位 0 16位 0回 21位・4回
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2006年 スーパーアグリ SA05 BHR
MAL
AUS
SMR
EUR
Ret
ESP
Ret
MON
16
GBR
18
CAN
Ret
USA
Ret
FRA
16
GER
HUN
TUR
ITA
CHN
JPN
BRA
27位 0

フォーミュラE

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2014年-15年 アンドレッティ CHN
2
MAL
DSQ
URU
ARG
MIA
LBH
MON
GER
GBR
10位 18

スポーツカー

ALMS

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1999年 DAMS ローラ・B98/10 LMP SEB
ATL
MOS
SON
POR
PET
Ret
MON
LSV
35位 28
2000年 モトローラ DAMS キャデラック・ノーススター・LMP LMP SEB
CHA
SIL
NÜR
5
SON
MOS
TEX
POR
PET
MON
LSV
ADE
40位 20
2008年 アンドレッティ・グリーン・レーシング アキュラ・ARX-01b LMP2 SEB
STP
LNB
UTA
LIM
5
MID
7
AME
7
MOS
4
DET
1
PET
7
MON
1
11位 90
2009年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 HDi FAP LMP1 SEB
2
STP
LNB
UTA
LIM
MID
AME
MOS
PET
1
MON
9位 56
2010年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 HDi FAP LMP1 SEB
LNB
MON
UTA
LIM
MID
AME
MOS
PET
1
NC 0
2011年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 LMP1 SEB
3
LNB
LIM
MOS
MID
AME
BAL
MON
PET
1
NC 0

ILMC

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7
2010年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 HDi FAP LMP1 SIL
PET
1
ZHU
1
2011年 プジョー・スポール トタル プジョー・908 LMP1 SEB
3
SPA
2
LEM
3
IMO
2
SIL
8
PET
1
ZHU
2

関連項目

脚注

外部リンク