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セイコーエプソン

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セイコーエプソン株式会社
Seiko Epson Corporation
種類 株式会社
市場情報
東証1部 6724
2003年6月上場
略称 エプソン
本社所在地 日本の旗 日本
392-8502
長野県諏訪市大和3-3-5
本店所在地 163-0811
東京都新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル
設立 1942年昭和17年)5月18日
業種 電気機器
法人番号 4011101010841 ウィキデータを編集
事業内容 情報関連機器精密機器電子部品
代表者 代表取締役社長:碓井稔
資本金 532億400万円
(2010年3月31日現在)
発行済株式総数 1億9981万7389株
売上高 単体6116億円
連結9853億円
(2010年3月期)
純資産 単体1835億円
連結2828億円
(2010年3月31日現在)
総資産 単体6481億円
連結8700億円
(2010年3月31日現在)
従業員数 77,936名(2010年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 青山企業株式会社 10.36%
三光起業株式会社 7.15%
服部靖夫 3.57%
服部禮次郎 3.53%
第一生命保険株式会社 3.12%
セイコーホールディングス株式会社 3.97%
(2009年9月30日現在)
主要子会社 エプソンイメージングデバイス 100%
エプソントヨコム 100%
エプソン販売 100%
オリエント時計 100%
外部リンク epson.jp (日本語)
特記事項:大株主の青山企業と三光起業は、服部家(服部金太郎の子孫一族)の資産管理会社である(青山企業は2011年11月17日に保有株の大部分を売却している)。服部家は、セイコーホールディングス株式会社の大株主でもある。
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セイコーエプソン株式会社: Seiko Epson Corporation)は、長野県諏訪市に本社(登記簿上の本店は新宿区)を置く情報関連機器精密機器のメーカーである。略称はエプソン

手掛ける製品は幅広く、水晶振動子(クォーツ)などの単体部品から、液晶デバイスなどの半製品、各種のプリンタープロジェクタパーソナルコンピュータといった最終製品までを自社名で世に送り出している。

また、セイコーホールディングス株式会社、セイコーインスツル株式会社とともに「セイコーグループ中核3社」を構成しておりSEIKOブランドの腕時計の開発・生産も行っている。株式2003年(平成15年)6月東京証券取引所市場第一部への上場を果たした。証券コード6724。

概説

セイコーグループのひとつであるが、昔からセイコーホールディングス株式会社(旧服部時計店)との直接の資本関係は極めて薄い。しかし、セイコーの創業家の服部家が源流となった企業で、今も服部家(個人および一族の資産管理会社)が大株主で、役員を派遣している。今も創業事業であるセイコーブランドの時計の製造・開発を手がけており、名実共にセイコーのグループ企業といえる[1]。そのため、今もセイコーインスツル株式会社と並んで「セイコーグループ中核3社」のひとつとして位置づけられている(セイコーホールディングスとセイコーインスツルは2009年(平成21年)10月1日に経営統合し、セイコーインスツルはセイコーホールディングスの完全子会社となった)。ただ、1980年代以降のプリンターやパソコン事業の急成長により、源流企業のセイコーの数倍の事業売上を出しており、セイコーから完全に独立する動きを見せている。

デジタル腕時計の表示デバイスとして液晶ディスプレイの研究開発に早くから取り組んでおり、小型の液晶ディスプレイの分野では国内でも有数のメーカーであった。小型液晶事業を売却した後は、デジタルカメラの製造各社などへ高解像度の電子ビューファーの供給を行っている。液晶ディスプレイ(液晶ライトバルブ)を使ったプロジェクタも生産しており、世界でトップクラスのシェアをもち、小型プロジェクターの普及に重要な役割を果たした。

主力事業であるプリンターの分野では、キヤノンと日本市場の覇権を争っている一方、世界シェアでは米ヒューレット・パッカード (HP) 社の後塵を拝する状況となっている[2]。キヤノン、HPと同じく、プリンター本体を安価で供給し、インクカートリッジなど消耗品の販売で利益を得るビジネスモデル(消耗品ビジネス、レザー・アンド・ブレード・モデル)に大きく依存している。

高温多結晶シリコン(高温ポリSi)事業の拠点整理の他、日本国内に2つの製造拠点がある半導体事業などの先行きは不明である。過去に日本TI鳩ヶ谷工場(半導体)を購入したものの、廃止したこともある。またIBMとの合弁を解消した野洲セミコンダクタも、オムロンに売却した。

拠点の多くは長野県内に点在するが、酒田、千歳、鳥取 (EID) 、岐阜 (EID) にも工場があり、 信州まつもと空港庄内空港(酒田)、鳥取空港間に従業員の出張用に社有機が就航している[3]

子会社にエプソン販売(国内市場向けエプソンブランド商品販売全般)、エプソントヨコム(水晶デバイス事業)、東北エプソン(半導体、プリンター部品の製造)、オリエント時計(主にオリエントブランドの腕時計を中心に製造、セイコーブランド向けは本社塩尻事業所の管轄)や孫子会社エプソンダイレクトPC周辺機器のユーザ、法人向け直販)などがある。

歴史

  • 1942年(昭和17年)に諏訪市の時計商・山崎久夫により大和工業が創業する[4][5]服部時計店(現在のセイコーホールディングス)の開発生産部門であった第二精工舎(現在のセイコーインスツル)の出資により、同社の協力工場(セイコー腕時計の部品製造、組み立て工場)としての出発であった。
  • 1943年(昭和18年)に戦中の工場疎開により第二精工舎が諏訪市に工場を開設する。
  • 1959年(昭和34年)、大和工業を母体として、第二精工舎の諏訪工場が独立し諏訪精工舎となる。
  • セイコーグループが東京オリンピックのオフィシャルタイマーになったのをきっかけに、子会社の信州精器(後のエプソン)がプリンターの開発を始める。かねてから生産していた腕時計のメカニズムに関する技術を応用して、1968年(昭和43年)に電子機器用の小型の電子プリンターを開発し、この電子プリンター(Electronic Printer) (EP-101)から発展した製品群、即ち子供(son)達が成長するようにとの願いを込め1975年(昭和50年)に「EPSON」のブランドが制定された。[6]
  • 機械式腕時計のクォーツ化のために、比較的早くからICの研究開発を行なっている。またデジタル腕時計のために液晶も早くから研究開発を行なっている。
  • 1969年(昭和44年)に世界初のクォーツ腕時計(アストロン35SQ[7])を開発。腕時計の高精度化、低価格化をすすめた。セイコーの大衆・若年層向けブランドALBAは、諏訪精工舎の関連会社である塩尻工業(後にセイコーエプソンに合併吸収)などが開発製造してきたものである。現在も、低価格のデジタルクォーツ腕時計から新ムーブメントスプリングドライブ搭載の高級腕時計グランドセイコー、クレドールまで、セイコー向け腕時計の生産を行っている。しかしながら、1970 - 80年代以降、低価格で高性能なクォーツ腕時計が大衆に普及したことから、低中価格帯の腕時計市場は、時計メーカー・販売各社にとって営業利益率・市場成長率の低いものとなっている。今日、エプソンの時計事業はプリンター事業の数分の一の規模にすぎない。
  • 1982年(昭和57年)に発売されたポータブルタイプのコンピュータHC-20のヒットにより、その後HC-40HC-88などの後継機種が発売された(海外ではHXのシリーズ名)。デスクトップタイプとしてはCP/Mが利用できるQC-101983年(昭和58年)に発売され、その後8088を搭載して16ビットに強化されMS-DOSが動作するQC-11が発売された(海外ではHXシリーズ)。
  • 1985年(昭和60年)に米国で発売されたIBM PC互換機Equityシリーズの成功により製造技術、および営業戦略としての互換機路線の双方で自信を深めた。これが1987年(昭和62年)からの日本電気 (NEC) PC-9800互換のパーソナルコンピュータEPSON PCシリーズの発売につながってゆく。その後、PC-9800シリーズの市場が縮小したことから、1995年(平成7年)頃にはPC-9800シリーズ互換コンピュータの生産からは撤退したが、パーソナルコンピュータそのものの製造は続けており、PC/AT互換機を市場に供給している。1993年には、子会社のエプソンダイレクトを設立し直販を開始、現在では購入者が注文時に比較的自由に仕様を選択できるBTO (Build-To-Order) による生産体制を確立しているが、シェアの面で縮小傾向にある。

企業略歴

  • 1942年(昭和17年)5月 - 有限会社大和工業として設立。株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)の関連会社・工場として操業開始[8]
  • 1959年(昭和34年)5月 - 有限会社大和工業を母体として株式会社第二精工舎の諏訪工場が独立、社名を有限会社諏訪精工舎に改める。
  • 1959年(昭和34年)9月 - 株式会社諏訪精工舎に組織変更。
  • 1961年(昭和36年)12月 - 子会社として信州精器株式会社を設立する。
  • 1982年(昭和57年) - 信州精器株式会社がエプソン株式会社と改称する。
  • 1985年(昭和60年)
    • 1月 - 庄内電子工業株式会社(現 東北エプソン株式会社)設立。 
    • 11月 - 株式会社諏訪精工舎がエプソン株式会社と合併し、社名をセイコーエプソン株式会社に改める。
  • 1986年(昭和61年) - 関連会社のサンリツ工業株式会社を営業譲渡により吸収。
  • 1989年(平成元年)4月 - 学校法人エスイー学園エプソン情報科学専門学校を開学。
  • 1990年(平成2年)9月 - 関連会社の塩尻工業株式会社(腕時計製造)、島内精器株式会社(腕時計製造)、松島工業株式会社(水晶デバイス製造)を吸収合併する。
  • 1998年(平成10年) - 岡谷プレシジョン株式会社を吸収合併。
  • 2000年(平成12年)7月 - 日本TIの鳩ヶ谷工場を買収し、液晶ドライバICの製造会社エプソン鳩ヶ谷を設立する。
  • 2001年(平成13年) - オリエント時計株式会社を子会社化する。
  • 2003年(平成15年)6月 - 株式が東京証券取引所第一部に上場する。
  • 2004年(平成16年)10月 - 三洋電機株式会社と液晶ディスプレイ事業を統合し、三洋エプソンイメージングデバイス株式会社を設立。株式の55%を保有し、連結子会社とする。
  • 2005年(平成17年)10月 - 水晶デバイス事業を会社分割して、東洋通信機株式会社と統合。東洋通信機株式会社がエプソントヨコム株式会社と商号変更し、セイコーエプソンが株式の68.25%を保有する特定子会社となる。
  • 2006年(平成18年)
    • 6月 - ロジック半導体製造の野洲セミコンダクター株式会社(IBMとの合弁)のIBM持分を取得して完全子会社化する。
    • 11月 - ソフトウェア開発会社のエー・アイ・ソフト株式会社をエプソン販売株式会社に合併吸収。
    • 12月 - 三洋エプソンイメージングデバイス株式会社の三洋電機持分を取得して完全子会社化し、エプソンイメージングデバイス株式会社と改称する。
  • 2007年(平成19年)3月 - 野洲セミコンダクターの半導体事業用資産をオムロン株式会社に売却し、同社を解散する。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月 - オリエント時計株式会社を完全子会社化する。秋田オリエント精密株式会社を直接子会社とし、秋田エプソン株式会社と改称する。
    • 6月 - エプソントヨコム株式会社を完全子会社化。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月 - 中小型液晶(高温ポリシリコンを除く)の終結に向け、エプソンイメージングデバイス株式会社の資産の一部をソニー株式会社およびソニーモバイルディスプレイ株式会社(2012年にジャパンディスプレイに統合)に譲渡(営業については事前に譲渡)。
  • 2012年(平成24年)
    • 4月 - エプソントヨコムの水晶デバイス事業(宮崎事業所を除く)を当社本体に移管。

インクジェットプリンターの大躍進

かねてから研究が進められていた、ピエゾ素子を用いてインクを押し出す方式(マイクロピエゾ方式[9]を用いた「IP-130K」を1984年(昭和59年)に発売した。しかし、当時はインクジェットプリンターは高価なうえ大型であったため、熱転写カラーやドットインパクト方式のプリンターがまだ主役であった。

徐々にインクジェットプリンターが小型化・低価格化するに伴い、市場ではキヤノンのインクジェットプリンター(「バブルジェット(BJ)シリーズ」)が人気を博していた。そこへ、1993年(平成5年)にカラーインクジェットプリンター、「マッハジェット(MJ)」シリーズの発売を開始、翌1994年(平成6年)6月にはカラーの印字画質が飛躍的に向上した「MJ-700V2C」を発売して、30万台以上を出荷するベストセラー機となり、当時のシェアNo.1であったキヤノンに追随し始める。そして1996年(平成8年)に初めて写真画質を前面に押し出した「フォト・マッハジェット(PM)」シリーズ「PM-700C」を発売[10][11]、トップシェアの座をキヤノンから奪い、以後「写真画質=エプソン」の地位を確立する。この「MJ-700V2C」「PM-700C」は、カラーインクジェットプリンターに一種の革命を起こした機種と言える。カラリオ製品関連の諸説はカラリオ参照。

マイクロピエゾテクノロジーの産業分野における応用として、インクジェット方式によるプロジェクター用液晶配向膜形成や大型液晶ディスプレイ用カラーフィルター製造、有機ELディスプレイ用色素の均一塗布、多層配線基板生成などの技術を有しており、自社の製造プロセスのみならず、他社への技術供与も行っている。

広報・宣伝活動

EPSONブランドを広く認知させるため、各種イベントアスリート等へのスポンサードの他、商品のテレビCMに工夫を凝らすなど、従来から広報・宣伝活動に積極的である。

巧みな販売戦略

人気タレントCMに使ってキャッチコピーを大胆に宣伝する販売戦略に優れ、これまでに製品別で女優の内田有紀、タレントの優香、アイドルの松浦亜弥モーニング娘。(カラリオ大使)、声優のTARAKO、女優の柴咲コウらが出演してきた。その他に、鈴木蘭々飯島直子SPEED田村正和西村雅彦なども出演している。2005年(平成17年)10月からは釈由美子(オフィリオシリーズ)、長澤まさみ未唯高橋克実藤村俊二松岡修造中尾彬(以上カラリオシリーズ)などが出演中。古くはEPSON PCシリーズのパソコンPC-286Cの広告にリンドバーグを起用したことがある。

プリンターには鈴木蘭々の時代から「カラリオ(Colorio)」というブランドを使用し、最近もL判専用プリンタに「カラリオ ミー(Colorio Me)」という名称を付与している。カラリオプリンターでは2003年(平成15年)より「つよインク」、2006年(平成18年)度より「EPSON COLOR」のキャッチコピーでブランドイメージの向上を図っている。

インクジェットプリンターでは国内でキヤノンと市場シェアをほぼ二分している。1997年頃迄の広告で、カラリオは人気タレントが出演する一方で、キヤノンのBJシリーズにはペンギンなど色彩鮮やかな動物や鳥類・風景の写真が主に使われていた。

なお近年モデルチェンジは年1回(年賀状の12月)が通例であったが、現在はパソコンほどではないが競争が激しいため、年に数回行っている。

歴代イメージタレント

中嶋悟

レーシングドライバー中嶋悟は、長年のパートナーとして広く認識されている。

1983年(昭和58年)に全日本F2に参戦するハラダレーシングのスポンサーとしてモータースポーツに初参戦した時、同チームのドライバーが中嶋であった。速くてマシンを壊さないドライビングスタイルの中嶋が商品とオーバーラップさせられる選手であったことから、翌年以降も中嶋と中嶋のレーシングチーム(中嶋企画)への支援を継続することになった。

1987年には中嶋のF1参戦に伴いパーソナルスポンサーとしてF1に参入。1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)まで中嶋の所属チーム(ロータスティレル)のスポンサーとしての活動も展開。この時期には中嶋を起用したテレビCM(ノートパソコンやCI広告)も制作され、当時のF1ブームも重なり企業イメージと知名度が飛躍的に上がり、就職希望者が大幅に増加するといった現象もみられた。また1991年(平成3年)にはノートパソコン「NOTE&BOOK」のテレビCMに、中嶋が歌う『悲しき水中翼船』がCMソングとして使用(CMにも出演)され、CDが発売された時には現役F1ドライバーが歌手デビューしたとして大きな話題となった。

中嶋の現役引退後も中嶋企画の支援を継続し、2000年(平成12年)より子会社のエプソン販売がスポンサー活動を引き継いでいる。

主要製品

プリンター・スキャナ系統ブランド(日本国内向け)

  • カラリオシリーズ - (家庭向けインクジェットプリンター・スキャナ・デジタルカメラなど)
  • エスパーシリーズ - (オフィス向けインクジェットプリンター・モノクロレーザープリンター・スキャナなど)レーザープリンターは富士ゼロックスからのOEM。 せっかく他社から購入した商標であったが、その後Interシリーズを経て、現在はOffirioシリーズに吸収されている
  • Offirioシリーズ - (企業向けブランド:プリンター、複合機、プロジェクタ、スキャナで共用)
  • MAXARTシリーズ - (大判用紙向けのインクジェットプリンター)
  • CRYSTARIOシリーズ - (プロフェッショナル向けポートレートプリンティングシステム)
  • インクカートリッジ、 - トナーカートリッジ、インクジェットプリンター用紙(写真用紙、光沢紙、マット紙など)、 リボンカートリッジなどのOAサプライ

液晶プロジェクター

  • dreamio - 家庭用プロジェクター
  • offirio - データプロジェクター(ビジネス用)はビジネス用プリンタと共通ブランド

デジタルカメラおよび関連機器

パーソナルコンピュータ

電子デバイス

  • 半導体、水晶振動子、液晶パネル、マイクロデバイスなど

ウオッチ

  • 腕時計・腕時計部品
    • 塩尻事業所(ウオッチ事業部)では、セイコーホールディングス株式会社(旧服部時計店)の事業子会社であるセイコーウオッチ株式会社向けに、腕時計の開発・設計・製造を行っている。
    • 完全子会社化したオリエント時計では、オリエントブランドの機械式腕時計の製造も行っている。

FA製品

  • 水平・垂直多関節型ロボット、精密組立ロボットなど産業用ロボット
  • ICテストハンドラ

関連企業

提供番組

過去

工科短期大学校

より高度かつ広範囲な専門知識を有する技術技能者を育成するため、セイコーエプソン工科短期大学校を開設している。認定職業訓練による職業訓練施設高度職業訓練専門課程を実施する。

施設はセイコーエプソン本社構内にある。1969年(昭和44年)、 社内に技能研修所が組織化され、1971年(昭和46年)に技能研修生らが機械整備科,時計組立科2ヵ年の訓練を開始した。1987年(昭和62年)に セイコーエプソン高等職業訓練校が長野県知事より認可され開校。1988年(昭和63年)から セイコーエプソン工科短期大学校として認可され開校した。課程は現在 機械システム系精密電子機械科に、定員20名で開校。対象者は高等学校卒業以上で、原則2年以上の職場経験者を事業部・各社の推薦をうけた者で、期間・訓練時間は2ヵ年(3,600時間)に渡る。カリキュラムには座学のほか、自主製作活動、FA総合課題実習、選択専門実習(機械・FA系コース、電子・ソフト系コース、真空・フォトリソコース)実践実習、海外研修、となっている。

関連項目

注記・参考資料

  1. ^ アニュアルレポート2007(PDF版、4.85MB)の「大株主との関係について」(53ページ)および「大株主の状況」(86ページ)を参照
  2. ^ HP grabs printer market share|ZDNet
  3. ^ コーポレートシャトル導入事例 伊藤忠アビエーション株式会社
  4. ^ http://www.kkyamazaki.co.jp/company/history.html
  5. ^ http://ebookbank.jp/murauchi/ep/item/1-19997/
  6. ^ [1]
  7. ^ マイルストンプロダクツ セイコー クオーツアストロン 35SQ
  8. ^ エプソンの歴史(PDF,291KB) アニュアルレポート2004
  9. ^ エプソンのコア技術 マイクロピエゾテクノロジー
  10. ^ 1996年11月、カラーインクジェットプリンタ「PM-700C」 マイルストンプロダクツ”. セイコーエプソン. 2009年9月26日閲覧。
  11. ^ PM-700C --- “写真印刷”を初めて標榜”. 日経BP. 2009年9月26日閲覧。

外部リンク