オリエント時計

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オリエント時計株式会社
ORIENT WATCH CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報
GSオーディナリー 7764 2003年7月28日 - 2009年2月24日
東証2部 7764 1961年10月 - 2003年7月27日
略称 オリエント
本社所在地 日本の旗 日本
101-0021
東京都千代田区外神田二丁目4番4号
電波ビル
設立 1950年昭和25年)7月13日
業種 電気機器
事業内容 時計、情報関連事業、電子デバイス事業
代表者 渡邉淳(代表取締役社長
資本金 19億3,700万円
2008年3月31日時点)
売上高 単独:186億79万円
連結:307億1,301万円
(2008年3月期)
総資産 単独:77億1,377万円
連結:148億5,819万円
(2008年3月期)
従業員数 単独:128名 連結:732名
(2008年3月31日時点)
決算期 3月31日
主要株主 セイコーエプソン
主要子会社 秋田オリエント精密、ユーティーエス
関係する人物 吉田庄五郎
外部リンク http://www.orient-watch.com/
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オリエント時計株式会社(オリエントどけい[1])は、東京都千代田区外神田に本社をおく日本の企業。セイコーエプソン株式会社の子会社である。連結事業として

を行っている。

概要[編集]

かつてはウォッチ専業メーカーであったが、プリンタ事業や電子機器事業に進出し、2008年3月期には連結売上高の7割近くが時計以外の事業によるものとなっている。

ウォッチの分野では、機械式腕時計が全盛だった1970年代前半まで、独特のセンスによる強烈なデザイン[2]の腕時計を世に送りだしていた。1970年代にはクォーツ時計の比率を高め、アラーム腕時計「デジタル三世」、低価格腕時計「デジタルエース」などのヒット商品を生みだした。一時は機械式時計の開発を行わなくなったが、1990年代末には機械式時計ブランドの「オリエントスター」を復活させた。安価だが比較的精度の高い機械式ムーブに特徴のあるデザインや、ぜんまい残量を示すリザーブメーターを付けた事から次第に売り上げを伸ばし、2000年代前半には普及機から高級機まで機械式時計のラインナップを揃えた。2004年平成16年)には1960年代の薄型自動巻ムーブを元に新規の自動巻ムーブを開発し、フラッグシップブランドである「ロイヤルオリエント」を復活、2007年(平成19年)時点では比較的単価の高い機械式時計が主力商品となっており、クォーツの比率は低くなっている。

1978年昭和53年)にはクロックメーカーの東京時計製造株式会社を買収し、クロック分野に進出したが、後に撤退している。

1980年代はイメージキャラクターにアイドル歌手を起用しており、岩崎良美中森明菜WinkらがテレビCMに出演していた。

沿革[編集]

東洋時計株式会社[編集]

1901年明治34年) - 吉田庄五郎により、下谷区上野元黒門町(後の台東区上野二丁目)にて吉田時計店が創業される。)
  • 1920年大正9年) - 東洋時計製作所として設立され、置時計の製造を始める。
  • 1934年昭和9年) - 腕時計の製造を始める。
  • 1936年(昭和11年) - 南多摩郡日野町(後の日野市)に工場を新設する。
  • 戦時中 - 社名を変更し東洋兵器工業株式会社となる。後に東洋時計株式会社へと社名変更する。
  • 1946年(昭和21年) - 労働争議(東洋時計上尾争議)が勃発し、1名が死亡、100名以上[3]が負傷する。

後に東洋時計は事業を停止する。

オリエント時計株式会社[編集]

  • 1950年(昭和25年) - 南多摩郡日野町にて設立される。当時の社名は多摩計器株式会社。東洋時計の日野工場を借り受け、腕時計などの製造を始める。
  • 1951年(昭和26年) - 社名を変更し、オリエント時計株式会社となる。
  • 1952年(昭和27年) - 借り受けていた日野工場が公売にかけられたため、これを落札して自社所有とする。
  • 1953年(昭和28年) - 本店を中央区へ移転する。
  • 1956年(昭和31年) - 本店を千代田区へ移転する。
  • 1961年(昭和36年) - 東京証券取引所第2部に上場する。
  • 1976年昭和51年) - イメージキャラクターに千葉真一を起用したCM広告を展開し始める。
  • 1978年(昭和53年) - 東京時計製造株式会社の株式を過半数取得し、子会社とする。
  • 1981年(昭和56年) - 子会社として羽後時計精密株式会社(後の株式会社ユーティーエス)を設立する。
  • 1984年(昭和59年) - 東京時計製造を清算する[4]
  • 同年 - セイコーエプソン株式会社との合弁により株式会社ソーテックを設立[5]し、IC組立事業に進出する。
  • 1986年(昭和61年) - 子会社として秋田オリエント精密株式会社を設立する。
  • 1997年平成9年) - セイコーエプソン株式会社に対する第三者割当増資を行い、同社が筆頭株主となる。
  • 1998年(平成10年) - 株式会社ソーテックをセイコーエプソン株式会社へ譲渡する。
  • 2001年(平成13年) - 本社を千代田区の本店所在地へ移転し、日野事業所から撤退する。
  • 2001年(平成13年) - セイコーエプソン株式会社に対する第三者割当増資を行い、52%の株式を取得した同社が親会社となる。旧日野事業所は同社が引き取った。
  • 2003年(平成15年) - 3期連続で債務超過の状態が続いたため、東証2部を上場廃止となる。グリーンシート銘柄として登録される。
  • 2008年(平成20年) - セイコーエプソン株式会社が株式公開買い付けを実施。
  • 2009年(平成21年) - セイコーエプソン株式会社の完全子会社となる。グリーンシート銘柄登録取消。

関連企業[編集]

一部のみを記載する。

秋田オリエント精密株式会社(現 秋田エプソン株式会社)[編集]

オリエント時計の子会社であった。かつては腕時計用ムーブメントなどを生産していたが、後にプリンタ部品、水晶振動子の加工、組立が主たる事業となった。2009年(平成21年)4月1日、オリエント時計からセイコーエプソンへの株式譲渡により、エプソンの直接子会社となった。同日付けで秋田エプソン株式会社に商号変更。本社は秋田県湯沢市

沿革[編集]

  • 1986年(昭和61年) - 設立される。
  • 1999年(平成11年) - 株式会社ユーティーエスから時計事業を譲受する。
  • 2003年(平成15年) - オリエント時計へ時計事業を譲渡する。
  • 2009年(平成21年) - 秋田エプソン株式会社に商号変更。

株式会社ユーティーエス[編集]

オリエント時計の子会社である。シリコンウェハーの加工を主たる事業としている。かつては腕時計の地板、ケース、バンドなども生産していた。本社は秋田県雄勝郡羽後町

沿革[編集]

  • 1981年(昭和56年) - 羽後時計精密株式会社として設立される。
  • 1986年(昭和61年) - 社名を変更し、株式会社ユーティーエスとなる。
  • 1999年(平成11年) - 秋田オリエント精密株式会社へ時計事業を譲渡する。

脚注[編集]

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  1. ^ 東洋経済新報社『会社四季報 未上場会社版 2007年下期』には「オリエントどけい」と記載されている。一方、日本経済新聞社『会社総鑑 2005年版 上巻 未上場会社版』 ISBN 978-4-532-21065-6 などには「おりえんととけい」と記載されている。
  2. ^ 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25頁より。特に、アナログ腕時計のダイヤル面に1ヶ月分の日付表を印字し、窓開けした曜日パネルを回転させることで簡易に万年カレンダーとして機能させるモデル(通称「万カレ」)は、古くから2014年時点に至るまで同社の代表的な名物シリーズである(ダイヤル面のデザインは良くも悪くもきわめてアンバランスなものとなる。他メーカーで真似する事例はほとんどない)。
  3. ^ ただし負傷者数は、当事者発表の人数を足し合わせたもの。法政大学大原社会問題研究所編著『日本労働年鑑 第22集』より。
  4. ^ 『日経産業新聞』1984年4月14日6面、1984年11月19日9面、1985年1月7日9面より。ただし、オリエント時計株式会社 有価証券報告書には、1983年(昭和58年)に清算された旨が記載されている。
  5. ^ 株式会社ソーテックは1984年(昭和59年)12月に日野市で設立された。1984年(昭和59年)4月に横浜市で設立されたパソコン専業メーカー「株式会社ソーテック」とは異なる企業である。

参考文献[編集]

  • オリエント時計株式会社 第83期 有価証券報告書、2008年
  • オリエント時計株式会社 第54期 有価証券報告書総覧、大蔵省印刷局、1979年
  • 森年樹『国産腕時計(11) オリエント』トンボ出版、1999年、25-26頁。ISBN 978-4-88716-107-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]