グンナー・ニルソン

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グンナー・ニルソン
グンナー・ニルソン (1976年)
基本情報
国籍  スウェーデン
出身地 同・スコーネ県ヘルシンボリ
生年月日 (1948-11-29) 1948年11月29日
没年月日 (1978-10-20) 1978年10月20日(29歳没)
F1での経歴
活動時期 1976-1977
所属チーム '76-'77 ロータス
出走回数 31
タイトル 0
優勝回数 1
表彰台(3位以内)回数 4
通算獲得ポイント 31
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 1976年南アフリカGP
初勝利 1977年ベルギーGP
最終勝利 1977年ベルギーGP
最終戦 1977年日本GP
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グンナー・ニルソンGunnar Nilsson, 1948年11月29日 - 1978年10月20日)はスウェーデンレーシングドライバースコーネ県ヘルシンボリ出身。

経歴

ロータス・77をドライブするニルソン

モータースポーツを始める以前はスウェーデン海軍に無線技師として所属していた[1][2]

1972年にドイツ国内のフォーミュラVeeに参戦し、レース活動を始める。1975年にはイギリスF3チャンピオンとなる。翌1976年はマーチ・エンジニアリングからF2に参戦を予定していたが、第2戦南アフリカGPより、マーチのF1チームに移籍した同郷のロニー・ピーターソンと入れ替わる形で、チーム・ロータスからマリオ・アンドレッティのNo2ドライバーとしてF1デビュー。丁度チームの低迷期だったが、第4戦スペインGPにて3位に入り、初入賞で表彰台に立つ。また第11戦オーストリアGPでも3位を獲得している。しかしマシントラブルが多く、15戦9回のリタイヤを喫した。

翌1977年もロータスから参戦する。この年、チームは元祖ウイングカーとして知られるロータス・78を開発し、全コンストラクター中最多となる5勝をマーク。このうち、ゾルダー・サーキットで行われた第7戦ベルギーGPでは、雨天の中ニルソンがニキ・ラウダに競り勝ち、初にして最後の優勝を挙げている。

しかしシーズン末、ニルソンは自分の体が精巣癌に蝕まれていることを知ることになる。それでも最終戦までシーズンを戦い抜き、翌1978年に向けてアロウズと契約を結ぶ。

しかし症状は悪化し、闘病生活に入ったニルソンはシートをリカルド・パトレーゼに譲り、参戦断念を余儀なくされた。その後、痛み止めを拒否し、自身の資金で癌撲滅基金を創設するなど、癌撲滅キャンペーンを展開。ドライバーとしての復帰も諦めず、病気の体をおして7月に開催されたイギリスGPにも現れていた。しかし以後病状は悪化、イタリアGPで事故死したピーターソンの葬儀に参列した際には、衰弱が著しかったため柩を担ぐのをあきらめている[3]。シーズン終了直後の10月20日、ロンドンのチャーリング・クロス病院で死去。29歳没。

死後

死後、ニルソンを偲ぶチャリティーレースやイベントが複数行われ、その収益金がニルソンが設立した基金に寄付された。レースファンだったジョージ・ハリスンは、自身のシングル「ファースター」の売り上げを基金に寄付し、イベントにも参加。

補足

最後のレースとなった1977年日本GPでは、通常のJPSブラックカラーとは異なる、インペリアルの赤いロータスのマシンをドライブした。このカラーリングは、1戦のみの出走ながら人気があり、ミニカーなども多く販売されている。

F1での年度別成績

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1976年 ロータス 77 BRA RSA
Ret
USW
Ret
ESP
3
BEL
Ret
MON
Ret
SWE
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
5
AUT
3
NED
Ret
ITA
13
CAN
12
USA
Ret
JPN
6
10位 11
1977年 78 ARG
DNS
BRA
5
RSA
12
USW
8
ESP
5
MON
Ret
BEL
1
SWE
19
FRA
4
GBR
3
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
CAN
Ret
JPN
Ret
8位 20

太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)

脚注

  1. ^ 『日本の名レース100選 068 '77 F1日本GP』 三栄書房、2013年、37頁。
  2. ^ 『AUTO SPORT YEAR '78/'79』 三栄書房、1979年、56頁。
  3. ^ 『読売新聞縮刷版』1978年10月号、773頁。

関連項目

外部リンク