高松城 (讃岐国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
logo
高松城
香川県
艮櫓(旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)
艮櫓(旧太鼓櫓跡・重要文化財指定)
別名 玉藻城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 独立式層塔型3重4階地下1階(1669年改・非現存)
築城主 生駒親正
築城年 1590年(天正18年)
主な改修者 松平頼重松平頼常
主な城主 生駒氏松平氏
廃城年 1869年(明治2年)
遺構 櫓、門、渡櫓、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓、披雲閣)、国の史跡
再建造物 御殿
位置

高松城(たかまつじょう)は、日本香川県高松市玉藻町にあったである。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。

目次

概要 [編集]

別名「玉藻城」は、万葉集柿本人麻呂讃岐国枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。

高松城は、豊臣秀吉四国制圧の後、天正15年(1587年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。

近世城郭の海城としては、最初で最大の例で[1]、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。本丸に建てられた天守は、最下重が萩城熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。[1]

現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。

沿革 [編集]

生駒親正像/弘憲寺所蔵
小倉城の復興天守

安土桃山時代 [編集]

江戸時代 [編集]

城主については高松藩歴代藩主を参照。

近現代 [編集]

  • 明治2年(1869年版籍奉還に伴い廃城となる。
  • 明治17年(1884年)老朽化のため天守が破却される。
  • 明治23年(1890年)高松城、旧藩主松平家に払い下げられる。
  • 昭和20年(1945年)アメリカ軍の高松空襲により三の丸の桜御門が焼失。
  • 昭和22年(1947年)旧・国宝保存法により北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、東の丸艮櫓の4棟が当時の国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
  • 昭和25年(1950年文化財保護法の施行により北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、東の丸艮櫓が重要文化財に指定される。
  • 昭和29年(1954年)高松市が松平家より高松城を譲渡される。
  • 昭和30年(1955年3月2日、国の史跡に指定される。5月5日、高松市立玉藻公園として一般公開される。
  • 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(77番)に選定された。
  • 平成19年(2007年)から天守台の解体・補強・積み直し工事を開始し、平成24年(2012年)1月に完了。2013年(平成25年)度から公開予定[2][3]
  • 平成24年(2012年)5月18日、文化審議会文部科学大臣に対し披雲閣を国の重要文化財に指定答申。
  • 2012年(平成24年)7月9日、披雲閣が重要文化財に指定される。

城郭 [編集]

高松城および城下町絵屏風/松平公益会蔵
高松城の空中写真。青線が現存する縄張りで、赤線が現存しない縄張り/国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされていた。 かつては城壁瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠の全てに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城である。縄張りは黒田孝高(よしたか)が手掛けたといわれ、細川忠興小早川隆景藤堂高虎などによるとも言われている。高松城をはじめとする海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であった。

しかし、版籍奉還以後廃城になった高松城は明治以降の都市化の波に呑まれ、現在では海側に新しい道路(水城通り)が通り、ほとんどの建物が取り壊され、内堀中堀の一部を除いて埋め立てられている。最盛期には66万m²(約20万坪)あった城の総面積も、現在では約1/8の7万9587m²(約2万4千坪)にまで減少した。しかし現在でも外堀内堀には海水が引き込まれており、往時の名残を残している。そのため、堀には牡蠣などの貝が生息し、養殖のも放流されている。

本丸 [編集]

本丸は城のほぼ中央に位置し、周りを内堀に囲まれ他の曲輪とは完全に独立している。外部とは、長さ16間(約30メートル)の木造の鞘橋一本だけで繋がっており、この橋を落とせば内部にいる人間は逃げ場を失う造りである。本丸の面積は狭いため御殿などの居住施設はなく、多聞櫓で囲まれた天守があるのみである。その天守台は本丸の東端に突き出し、三の丸の方から見ると天守が海上に浮いているように見えたという。

鞘橋 [編集]

天守 [編集]

明治時代に撮影された天守(非現存)

天守は独立式層塔型3重4階、地下1階、初層平面が東西13間2尺(約26.2メートル)×南北12間2尺(約24.2メートル)、高さ13間半(約24.5メートル)にもおよんだといい、現存している3重5階の高知城天守(高さ約18.6メートル)や松山城(高さ約20メートル)の天守を凌ぎ四国最大の規模であった[注釈 1]。また、4階平面が3階平面より大きい、いわゆる唐造で、1重めも天守台から外には張り出させて石落としを開いていたと考えられている。ほかに、1重目と2重目の比翼入母屋破風と唐破風、4階の火灯窓などの特徴があった。創建時の天守は下見板張りの黒い外観であったが、寛文11年(1671年)の松平氏による大改修の際に、白漆喰総塗籠の天守に改築されたと見られている。

天守は老朽化により明治17年(1884年)に解体され、1920年に松平家初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟が建立された。2006年より始まった天守台石垣の解体修復工事に伴い、玉藻廟は全て解体された[4]

三の丸 [編集]

三の丸には松平藩時代の披雲閣と呼ばれる現在の2倍の書院風建物があった。1872年(明治5年)に老朽化によって取り壊され、当時の金額で15万円と3年の歳月をかけて1917年(大正6年)に再建した。昭和天皇が宿泊したり、アメリカ軍に接収されたりしたが、高松市が譲り受け、貸会場として市民に利用されている。また披雲閣の再建に合わせて内苑御庭という枯山水の庭が作造された。城の遺構としては、三の丸入り口には桜御門があったが、1945年(昭和20年)の高松空襲で焼失した。披雲閣は2012年(平成24年)5月18日に文化審議会より文部科学大臣に対し国の重要文化財への指定を答申された。

北の丸 [編集]

北の丸(北新曲輪)は寛文11年(1671年)の松平氏による大改修で、御殿である旧披雲閣が三の丸に移されたため、防衛上東の丸とともに増設された。通路状の曲輪には、延宝4年(1676年)に隅櫓として月見櫓(着見櫓)が建てられ、その後海城に特有の水手御門(みずのてごもん)、渡櫓、鹿櫓が建てられた。

東の丸 [編集]

寛文11年(1671年)の松平氏による大改修で、北の丸と共に増設され、主に米蔵や艮櫓、巽櫓などが建てられた。現在、艮櫓は桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されており、艮櫓の櫓台やそれに続く石垣以外は埋め立てられて、県民ホール(アルファあなぶきホール)や香川県立ミュージアム、松平公益会、城内中学校などが建っている。

東の丸の敷地の一部にあたる高松市立城内中学校が2009年3月31日に閉校し、同年6月30日校庭南東部でプールの解体作業中、東の丸と中掘の間の石垣が出土した[5]

桜の馬場 [編集]

かつてはL字型であったが、その後半分が現在の中央通りの敷地になるため埋め立てられた。その名のとおり桜が植えられ、馬場があった地であり、現在は春になると桜の花見の名所になっている。寛文11年(1671年)の大改修までは桜の馬場の南中(現在の南西隅)に大手門があったが、御殿であった旧披雲閣が三の丸に移されたためこれを廃し、新たに桜の馬場東端に旭橋と旭門を設けた。桜の馬場内には虎櫓、鳥櫓、太鼓櫓などがあったが現在ではそのいずれも残っておらず、現在ある艮櫓は昭和40年(1965年)に高松市が東の丸から太鼓櫓跡に移築したものである。

1985年まではさぬき高松まつりのイベント会場としても使われていた。現在はその役目を中央公園に譲っている。

西の丸 [編集]

現在は埋め立てられ、JR高松駅や西の丸町に当たる。サンポート高松整備事業に伴う西の丸の発掘調査では多くの遺構が発見されたが、その後一般に公開されることもなく埋め戻され、周りと同様に市街地化した。

現状 [編集]

報時鐘

現在、高松市立玉藻公園として有料で開放されている。天守は現存せず、重要文化財には月見櫓、艮櫓(うしとらやぐら)、水手御門(みずのてごもん)、渡櫓が指定されており、毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されている。また、城内にある桜の馬場は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れる。

高松市街中心部北辺に位置し、北側にフェリー乗り場など港湾施設、西側にJR高松駅、東側に香川県民ホール・香川県歴史博物館、南側には高松高等裁判所西日本放送などがある。

文化財 [編集]

月見櫓(重要文化財指定)

北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、旧東の丸艮櫓が現存し、昭和22年(1947年)2月26日、ともに国の「国宝」(旧国宝、今の重要文化財)に指定された。このうち、艮櫓は元は東の丸跡(香川県民ホール一帯)にあったが、昭和40年(1965年)に旧所有者の日本国有鉄道から高松市に移管され、昭和42年(1967年)に現在地の桜の馬場に移築されたものである。このほかに旭門が現存している。また近年、玉藻公園に隣接する玉藻緑地に報時鐘(ほうじしょう)が再移築された。

披雲閣は、平成24年(2012年)、国の重要文化財に指定された。

三の丸の桜御門は、昭和20年(1945年)の高松空襲で焼失し、その後再建されることなく現在に至っている。これについては2008年5月21日に開催された「史跡高松城跡整備検討委員会」の会合において復元に乗り出す方針であることが高松市から報告された。今後、市は文献資料の収集分析や実見した市民への聞き取り、石垣の空襲による損傷等の調査を実施する予定である[6]

天守の復元 [編集]

2005年(平成17年)当時の天守台
2010年(平成22年)当時の天守台

2003年夏、この地区が国の構造改革特区に申請されたことで、それまで「資料が写真一枚しかない」ことを理由に復元の拒否をしてきたとみられた文化庁が復元に対する考えを軟化させたため、その後、高松市は整備検討委員会を設置し、2010年の着工を目指して準備を進めている。高松城天守に関する資料は明治17年(1884年)までに撮影された1枚の写真のみとされていたが、2005年秋頃、より鮮明な2枚目の高松城天守の古写真(1882年撮影)がイギリス・ケンブリッジ大学で発見された(上記写真参照)。このことが更なる資料発見の可能性や復元運動につながることが期待されている。一方、天守台の石垣が老朽化してきたため、その対策として2006年より石垣の解体修理工事が実施され玉藻廟も解体された[注釈 2]。この修理作業は将来の天守復元も視野に入れ、石垣の内部構造の確認と石垣の積み直し工事が実施された[7]

2009年3月、生駒家の家紋(波引車)を模した瓦が堀底から初出土した。天守に使用されていた可能性が高い。これまでは松平家のものしか出土しておらず、生駒氏が築城した高松城、丸亀城引田城の跡で家紋が入ったが出土するのは初めてである[8]

維持管理 [編集]

1954年以来この高松城は高松市が所有し、維持管理を高松市都市開発部公園緑地課玉藻公園管理事務所が管轄している。

高松城に関する高松市の附属機関
  • 玉藻公園管理委員会(1962年12月25日、市長の諮問に応じ玉藻公園の管理運営に関する事項を審議することを目的に設置。)
  • 史跡高松城跡整備検討委員会(2004年1月、史跡高松城跡の保存整備に関する検討を目的に設置)
  • 史跡高松城跡石垣検討委員会(2005年1月、史跡高松城跡の石垣の安全性を確保するための検討、史跡高松城跡の石垣の伝統工法を生かした修復の検討を目的に設置)
  • 史跡高松城跡建造物検討委員会(2005年2月、史跡高松城跡の建造物の安全性を確保するための検討、史跡高松城跡の建造物の復元に必要な資料収集を目的に設置)

施設情報 [編集]

玉藻公園

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(77番)に選定され、平成19年(2007年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

日本100名城スタンプラリースタンプ設置場所

  • 高松城東入口
  • 高松城西入口
  • 入園料
    • 大人:200円 子供:100円(1月1日~3日は無料開放致します。)

開園時間

  • 西門
    • 4月~5月・9月 05:30-18:00、6月~8月 05:30-19:00、10月 06:00-17:30、11月 06:30-17:00、12月~1月 07:00-17:00、2月 07:00-17:30、3月 06:30-18:00
  • 東門
    • 4月~9月 07:00-18:00、10月~3月 08:30-17:00

なお、12月29日~31日は休園します。

城跡へのアクセス [編集]

注釈 [編集]

  1. ^ 姫路城大天守が14間×11間、高さ17間であるのに比べると、その大きさを想像しやすい。
  2. ^ 玉藻廟の鳥居と灯籠は2008年6月に屋島神社に移築された。

脚注 [編集]

[ヘルプ]

参考文献 [編集]

  • 『定本 日本城郭事典』 西ヶ谷恭弘、秋田書店2000年、372-373頁。ISBN 4-253-00375-3
  • 玉藻公園管理事務所『史跡高松城跡』

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]