湯築城

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湯築城
愛媛県
復元武家屋敷と丘陵
復元武家屋敷と丘陵
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし
築城主 河野氏
築城年 14世紀前半
主な城主 河野氏、小早川氏福島氏
廃城年 天正15年(1587年
遺構 土塁
指定文化財 国の史跡
位置 北緯33度50分53.19秒
東経132度47分12.27秒
湯築城の航空写真
(1974年撮影・国土航空写真)
内堀(外堀も現存)

湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町の県立道後公園内にある河野氏跡。土塁が現存する。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革[編集]

14世紀前半、伊予国守護河野氏によって築城された。東に追手門、周りに二重の堀をめぐらせた平山城であった。

天正9年(1581年)以後、四国征圧を狙う土佐国長宗我部元親が伊予に侵入し、城主河野通直は元親と交戦した。

天正13年(1585年)、四国征伐をめざす豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が伊予に侵攻して金子元宅を攻撃、湯築城は約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城にとどまっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。

天正15年(1587年)、福島正則が城主となるが、正則が国分山城に居城を移したため、廃城となった。

慶長7年(1602年)、勝山城山)に松山城の築城が開始され、以降加藤氏(のち蒲生氏、松平(久松)氏)が伊予国松山藩主となる。

明治21年(1888年)、県立道後公園として整備される。

平成14年(2002年)9月20日、国の史跡に指定される。

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(80番)に選定された。

現地情報[編集]

アクセス[編集]

利用情報[編集]

  • 湯築城資料館
    • 開館時: 9:00~17:00
    • 休館日: 月曜(祝日の場合翌日)
    • 入場料: 無料
  • 湯築城跡ボランティアガイド(TEL089-941-1480)が配置されている。

参考文献[編集]

  • 川岡 勉・島津豊幸 編『湯築城と伊予の中世』(創風社出版、2004年) ISBN 4860370392

関連項目[編集]

外部リンク[編集]