時代をつくった男 阿久悠物語

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時代をつくった男 阿久悠物語
ジャンル テレビドラマ
脚本 松田裕子
演出 菅原伸太郎
出演者 亀梨和也
松下奈緒
田中圭
八嶋智人
加藤シゲアキ
ナレーター 石丸博也(解説放送)
音楽 岡出莉菜
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
時代設定 昭和時代、戦後期
製作
チーフ・プロデューサー 福士睦
プロデューサー 加藤正俊
難波利昭
岩間玄(協力プロデューサー)
製作 日本テレビ
放送
放送チャンネル日本テレビ系列
映像形式文字多重放送
音声形式解説放送ステレオ二重音声放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間2017年8月26日
放送時間21:18 - 23:18
放送枠24時間テレビ 愛は地球を救う40
放送分120分
回数1回

特記事項:
解説放送あり
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時代をつくった男 阿久悠物語』(じだいをつくったおとこ あくゆうものがたり)は、2017年8月26日21:18 - 23:18に日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う40』内で放送された単発ドラマである。

昭和を代表する作詞家阿久悠の半生を描く。主演は亀梨和也

平均視聴率は25.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)[1]

あらすじ[編集]

2017年(平成29年)夏、深田雄子は海岸沿いで女子高生たちが「狙いうち」をスマートフォンで再生し盛り上がる中で彼女らに声をかけた後、深田公之の墓前に若者が楽しそうに歌ってくれていた事を報告する。

1963年(昭和38年)深田公之は、広告代理店宣弘社」の社員時代、会社には内緒で放送作家アルバイトを始め、その頃から「阿久 悠」(あくゆう)のペンネームを使い始める。その間に、会社同僚の雄子と出逢い、交際を経て、1964年昭和39年)に結婚する。その後、宣弘社を退職してプロの放送作家に転向した阿久は、作詞家としての活動も開始し、数々のヒット曲を世に送り出す。

1971年(昭和46年)、阿久のもとに、日本テレビのプロデューサー・池沢に声を掛けられ、新番組の立ち上げに加わった。その新番組とは「テレビ局からスターを発掘する」という内容のオーデション番組で、番組のタイトルは『スター誕生!』に決まり、阿久も審査員として出演し、森昌子ピンク・レディーといった人気歌手を発掘させた。そして日本レコード大賞を3年連続受賞し、ヒットメーカーとして時代を動かす存在となった。

やがて1980年代に入り、娯楽の多様化やニューミュージックの台頭を経て作詞の依頼が減り、音楽が街中から溢れぬ世情や自身のスタイルが受け入れられぬ状況を嘆く中で盟友である上村一夫の弔辞を頼まれ、葬儀の後雄子から「時代を作る役目は十分果たした」の一言を受けた後「時代おくれ」を書きあげ、時代を追いかける思いを捨てつつも世の中を動かせる作品を作る思いを新たにした。

その後、現代で雄子は自宅で木箱から未発表詞「子供たちの未来をよろしく」の書かれた原稿用紙を見つける。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

その他[編集]

『24時間テレビ』のドラマスペシャルでは闘病記や障害者のノンフィクション作品がドラマ化されることが通例であり、原作付きではない著名人の生涯が取り上げられたのは本作が初めてであった[3][4]

エピローグに登場した未発表詞「子供たちの未来をよろしく」は、ドラマ終了直後につんく♂の作曲によって披露された。

本作放送翌日(8月27日)の『24時間テレビ40・PART5』(6:55 - 11:17)内において、11:00頃から特別企画「阿久悠メドレー」を実施(例年はドラマのモデルとなった人物のドキュメンタリーが放送される時間帯である)。披露された曲は次の通り。なおステージバックのモニターには阿久の生前の写真を初め、『日本テレビ音楽祭』や『全国高等学校サッカー選手権大会』などといった、曲に関する映像が映された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 亀梨和也主演「阿久悠物語」平均視聴率、歴代3位タイの25.6% 瞬間最高も28.0% スポーツ報知 2017年8月28日
  2. ^ yae_1005の2017年8月26日のツイート2017年9月2日閲覧。
  3. ^ 1989年の第12回ではアニメスペシャルで手塚治虫の生涯が取り上げられている(手塚治虫物語 ぼくは孫悟空)。
  4. ^ 闘病記や障害者を扱わないドラマも本作が初である。

外部リンク[編集]

日本テレビ系列 24時間テレビ』内ドラマ
前番組 番組名 次番組
時代をつくった男
阿久悠物語
(2017年)